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スリガオ海峡海戦 第二夜戦

 魚雷艇の襲撃などにより重巡四隻、駆逐艦四隻となった志摩艦隊は、最大限の警戒体制をとりながら深夜のスリガオ海峡を北進していた。指揮系統の都合上、志摩艦隊と西村艦隊は全く別の部隊であり、有効な連携は全くできていなかった。だが、志摩清英提督と艦隊首脳は、事前の偵察による戦況分析と西村提督の性格から西村艦隊は戦艦複数を含む艦隊と戦闘し、突破に成功または全艦沈没したと判断していた。志摩艦隊は先に西村提督が発した最後の命令こそ受信していなかったが、首脳陣はおおむね正しい状況判断ができていたといえよう。

 一つだけ間違っている点を挙げるとすれば、西村艦隊の最後の一隻である駆逐艦『時雨』はまだこの時点では生存しており、独断で撤退を開始していたことだろうか。ともあれ、西村艦隊は素人が言うところの“全滅”に近い状態であったことは確かだ。


 スリガオ海峡は数時間前と打って変わって静寂に包まれていた。不思議なことに、志摩艦隊は海峡入口の水雷艇以外にはほとんど迎撃にあわなかったのだ。この時彼らは知るよしもなかったが、スリガオ海峡の海峡内に展開していた駆逐艦や魚雷艇は西村艦隊の迎撃に発射管内の魚雷を使い果たしてしまっていた。日本の駆逐艦なら急速次発装填により予備魚雷を装填できたかも知れないが、あいにく米海軍の建艦ドクトリンはそのような事態を想定していない。

 かくして、志摩艦隊はほとんど攻撃を受けないまま海峡中ほどまで進出した。艦隊将兵の緊張は最高潮に達している。

 その時、艦隊中ほどに位置していた『鞍馬』の電探に反応があった。


「電探に感あり。駆逐艦一、方位三三〇、距離八〇反航!」


 なんと、距離八〇〇〇メートルの至近距離である。ほかの艦も続々と目標を電探上にとらえる。


「左砲撃戦用意!」

「左砲撃戦よーい!」


 艦隊各艦は一斉に砲塔をめぐらして砲戦準備を整えた。命令さえあれば重巡四隻の二〇サンチ砲が一斉に火を噴くことだろう。

 だが、志摩提督はすぐには砲撃命令を出さなかった。こんなところに駆逐艦がただ一隻遊んでいるはずがない。当然何等かの役目、例えば罠の弾き役などを担っていることだろう。もし、気づかず素通りしてくれるなら、見逃した方が得策だと考えたのだ。

 しかし、目標の駆逐艦が志摩艦隊の真横に差し掛かったあたりで目標艦はこちらから遠ざかるように針路を変え始めた。いかん、気づかれた。そう判断した志摩提督は咄嗟に射撃開始を命じた。


「撃ち方始め!」

「撃ぇ!」


 まず旗艦の『那智』が発砲、それに『足柄』『最上』『鞍馬』が続く。目標との距離はもはや五〇〇〇メートルを切っている。こんな至近距離で、夜間とはいえ外すはずがない。二〇サンチ砲三十六門の集中砲火を浴びた哀れな駆逐艦は、あっという間に爆発を起こし海中に没していった。


 これは戦後の調査で判明したことであるが、米海軍の駆逐艦、いや、あらゆる艦艇に、この時点で志摩艦隊と交戦して沈没した艦は無かったのだ。だが、このとき志摩艦隊に所属していた艦の記録を見ると、多少の時間差こそあれ確かに駆逐艦と交戦して撃沈したとなっている。この矛盾に対し、戦後大分たってからも確実な答えは出ていない。真実を知る者は、スリガオ海峡中央部の海底にその身を横たえる駆逐艦『時雨』の御霊のみである。


 話がそれたが、西村艦隊が一隻残らず沈んだことをいまだ掴んでいない志摩艦隊は、海峡左岸に明かりを発見した。それは、炎上しながらもまだ浮いていた戦艦『扶桑』の後ろ半分であった。

 前半分はすでに沈んでしまったようで海上に姿は見えないが、その無残な姿は志摩艦隊の将兵に西村艦隊の最後を想起させるに足るものであった。日本戦艦の中では最古参の部類に入る扶桑型とはいえ、戦艦が今まさに眼前で沈没しようとしているのだ。それを目の当たりにした彼らの脳裏には最悪の想定が現実味を増していた。


 その後も何度か電探のスコープ上に敵影が映ったが、しばらくすると失探したり駆逐艦を向かわせると岩礁だったりとそのことごとくが虚探知であった。日本の電探の能力は島などの自然物や画面上のノイズと敵艦を正確に判別できるほど高性能ではなかったのだ。とはいえ、竣工時から電探を装備し、内地での訓練時から二号二型改四電探の最新型を使用していた『鞍馬』の存在は大きかった。機器そのものは他の重巡も同じものを装備していたが、電探員の能力が他艦に勝っていたのか機器の操作に慣れていたのか単に調子が良かったのか、『鞍馬』がいつも真っ先に目標を探知するので、この頃になると志摩提督も『鞍馬』を旗艦にしておけば良かったと後悔することしきりであったという。


 炎上する『扶桑』後ろ半分を過ぎてしばらく後、前方に横転して腹を見せながら燃える戦艦を視認した。戦艦『陸奥』である。戦艦三隻に打ち据えられ、巡洋艦に袋叩きにされ、駆逐艦に止めをさされた彼女はいまだに浮力を残して志摩艦隊を待っていてくれたのだ。

 志摩艦隊の全艦が『陸奥』を視認できる所まで進出してくると、まるでそれを待っていたかのように彼らの目の前で『陸奥』は沈み始めた。浮力バランスを崩した彼女の艦体は艦首が海中に沈み込み、逆に艦尾を海面から高々と持ち上げると、滑るように海面下に没していった。水蒸気爆発も火薬庫爆発も起こさない、静かな最期であった。


 月明かりの中沈む『陸奥』を見送った志摩艦隊の電探にまた何かの影が映った。例によって真っ先に発見したのは『鞍馬』の電探であったが、今度は島影ではなかった。その証拠に、しばらくすると電探だけではなく目視によっても確認されたのである。巡洋艦数隻からなるこの艦隊は、西村艦隊を袋叩きにした巡洋艦隊のうちの右翼隊に属し、バーケイ少将の指揮下、ブルックリン級大型軽巡『フェニックス』『ボイシ』とロンドン級重巡『シュロップシャー』を中核としていた。この部隊は、左翼隊の巡洋艦隊や中央隊の戦艦隊のように重大な損傷を負った艦がいなかったため、西村艦隊の追撃に駆り出されていた。彼らは、既に三隻の戦艦を撃沈していたことから反撃能力を残した艦が海峡内に残存しているとは考えておらず、実質的に敗残兵狩りのようなつもりで海峡を南下していた。また、右翼隊の前路警戒を担当する駆逐艦は撃沈されたり溺者救助に駆り出されたりして、ピケットラインを敷くのに十分な数ではなかった。そういう訳で、志摩艦隊は駆逐艦の哨戒線を知らず知らずのうちにすり抜けてバーケイ艦隊本隊と対峙していたのである。つまり、虚探知だと思っていた反応のいくつかは本物の駆逐艦だった可能性もあったのだ。

 ブルックリン級大型軽巡はアメリカが日本の最上型大型軽巡(当時)に対抗して建造した艦であり、重巡『シュロップシャー』は英国からオーストラリアに供与された一万トン級重巡である。そのため、一万トン級重巡四隻を擁する志摩艦隊との戦力差は、重巡『最上』が航空巡洋艦化している点とバーケイ艦隊には少し離れたところに志摩艦隊の倍の駆逐艦がいる点を考えればあまり無いと評せるだろう。両級が水中防御に不安を抱えているのが不安要素といえば不安要素だろうか。

 見張りの報告から、敵艦隊がみずからの艦隊と同程度の戦力であると判断した志摩提督は、直ちに攻撃を開始するよう命令を下した。


 志摩提督の命令一下、第一水雷戦隊は突撃を開始した。本来の旗艦である『阿武隈』が落伍したため旗艦を『不知火』に変更した第一水雷戦隊は、先のキスカ撤退作戦の成功から冷静沈着な人物として知られた木村昌福少将の指揮下駆逐艦四隻の兵力で敵艦隊に向かっていく。一方の重巡洋艦隊は右に転舵して敵艦に腹を向けつつ魚雷を斉射した。『最上』が六本、『那智』『足柄』が八本、『鞍馬』が十本の合計三十二本が発射された日本海軍自慢の酸素魚雷は、夜光虫の淡い光を曳きながら敵の腹を食い破るべく四十八ノットの最大速度で海面下を疾走していた。

 次の瞬間、敵巡洋艦の甲板上にに発砲炎の煌めきが瞬いた。そして、志摩艦隊が照明弾の明かりに照らされる。星弾を撃たれたのだ。遅ればせながら、バーケイ艦隊も志摩艦隊を発見したらしい。敵は志摩艦隊の北上をつかんでいなかったらしく、平文で敵艦隊発見を打電しながら慌てて矢継ぎ早に砲弾を送り込んでくる。こちらに向けて回頭しようともしているようだ。

 だが、もう遅かった。バーケイ艦隊が自分たちに向かってくる青白い軌跡に気づいた時には、それに対応する時間など残されていなかったのである。


 夜目にも鮮やかな白銀の水柱が大型軽巡『ボイシ』の艦首に一本、重巡『シュロップシャー』に二本立ち上った。『ボイシ』の艦首に命中した魚雷は前部主砲より前を全てもぎ取り、『シュロップシャー』に命中した二本はその船体を三等分にしてしまった。当然、大型軽巡『ボイシ』は艦首を失い大破、重巡『シュロップシャー』は轟沈し、ブルックリン級とロンドン級の水中防御の脆弱さを最悪の形で証明してしまった。バーケイ艦隊は、このとき回頭にはいっており側面投影面積が減少していた『フェニックス』以外の巡洋艦全てが戦力外となってしまったことになる。

 これに驚いたバーケイ少将は、急ぎ煙幕を展開し退避行動に移った。敵の戦力が不明な上に、彼の座乗する『フェニックス』以外の巡洋艦が“ロングランス”と呼ばれる酸素魚雷の餌食となったのであるからやむをえまい。もちろん志摩提督は追撃に入ろうとしたが、重巡『鞍馬』が新たな艦影を報告してきたため追撃をあきらめることとなった。


「電探に感あり。海峡出口付近に戦艦級複数の反応!」


 それと同時に北方に巡洋艦とは比べ物にならないほど激しい発砲炎が巻き起こり、志摩艦隊各艦の周辺に巨大な水柱を立てる。精度はあまり良くないが明らかに戦艦の砲撃だ。

 この瞬間、西村艦隊がレイテ突入に成功したという淡い希望は完全に断たれた。発砲炎の数からして敵戦艦は二隻や三隻ではない。巡洋艦一個戦隊と一個水雷戦隊の兵力で、戦艦三隻からなる西村艦隊を撃滅した敵艦隊の守る海峡を突破するのは不可能だ。事態ここに至って志摩提督は完全に突入の意思を喪失。駆逐艦は手近な目標に、重巡隊には電探照準で戦艦に対して魚雷発射を命じると、各艦各個に海峡を南下、スリガオ海峡南口にて集合することとして戦場を離脱し始めた。

 離脱を決定した時、志摩艦隊は旗艦『那智』以下『足柄』『鞍馬』の隊と木村提督の『不知火』以下駆逐艦隊、そして単艦はぐれてしまった『最上』の三つの隊に分かれていた。この各隊は、重巡『那智』『足柄』『鞍馬』が敵戦艦に、駆逐艦『不知火』が煙幕に隠れた巡洋艦『フェニックス』にそれぞれが遠距離雷撃を敢行すると、艦首を南にめぐらし遁走を開始した。志摩艦隊の誰もが激しい追撃を覚悟したものだが、意外にも追撃は駆逐艦の襲撃のみであった。その理由は、重巡が電探のみを頼りに放った雷撃にあった。

 重巡の発射した酸素魚雷は二万メートルをひた走り、戦艦群に命中――――しなかった。そのかわり、戦艦隊を逸れて当てもなくさまよっていた一本の魚雷が付近にいた不幸な巡洋艦に命中した。その艦の名はノーザンプトン級重巡洋艦『ルイビル』。スリガオ海峡に展開していた全艦艇を指揮していたオルデンドルフ少将の座乗する総旗艦である。追撃がなかった理由は、突然総旗艦が轟沈したことによる混乱によるものと、夜間の遠距離雷撃に対して日本の別動隊が付近に存在すると誤認し戦力を幻の日本艦隊捜索に割いたためとの二つがあったのだ。

 スリガオ海峡を離脱した志摩艦隊は、夜明けから二波にわたる艦載機の空襲を受けるも沈没艦は先に落伍した軽巡『阿武隈』と駆逐艦『曙』のみであった。のべ一二〇機にわたる空襲を受けたにしては、沈没艦以外は重巡『那智』『最上』の中破と重巡『足柄』の軽微な損傷で切り抜けられたのは僥倖というほかないだろう。志摩提督は傷ついた艦の修理のため、速力の低下した二隻を守りつつ工作部のあるマニラへ向かうことを決定した。


 かくして、南側からのレイテ突入は完全に破城し、残るは北方からレイテを目指す栗田艦隊のみとなった。だが、皆さんご存知のとおり栗田艦隊のレイテ突入は失敗に終わる。

 原因は、かの有名な“小沢ターン”である。


 小沢冶三郎提督率いる機動艦隊にもはや往年の作戦能力はなく、猛将ハルゼー提督率いる米機動艦隊を北方に吊り上げ水上艦艇のレイテ突入を図るための囮として運用されることになっていた。そのため、大和型戦艦改装の装甲空母『信濃』、改飛龍型の新造空母『雲龍』『天城』、マリアナ沖を生き延びた装甲空母『大鳳』、そして開戦以来ほとんどの空母決戦に参加した歴戦の空母『翔鶴』『瑞鶴』と、真珠湾以来の大型空母六隻編成にも関わらず、搭載機数は二〇〇機を下回り、発艦するのがやっとという低い練度の搭乗員が過半数を占めるという目を覆いたくなる状況だったのだ。

 レイテ沖海戦当日、小沢機動部隊は予定通りフィリピン東方エンガノ岬沖に進出し、予定通りハルゼー機動艦隊に発見された。艦隊が触接されたことを知った小沢提督は練度の低い艦載機を陸上基地に退避させると全艦隊に反転北上を命令。これがいわゆる小沢ターン、早すぎた反転である。

 確かに、ハルゼー提督は栗田艦隊へ大打撃を与えたと判断したこともあって、一旦は栗田艦隊への攻撃を取りやめ指揮下の全艦艇を率い、シブヤン海の出口であるサンベルナルジノ海峡をがら空きにして小沢艦隊を追って北上した。だが、小沢艦隊が多数の大型空母で構成されているにも関わらず、消極的で散発的な攻撃に終始していることを知ると彼の脳裏にある疑念が浮かんだ。この時点でハルゼー提督は機動艦隊から高速戦艦と巡洋艦を抽出してリー提督の指揮下に集め水上打撃部隊を編成するとともに、後方で補給中のミッチャー提督率いる空母群に対し補給を切り上げて前線に向かうよう命じている。翌朝、ハルゼー提督の依頼で警戒を続けていたキンケイド艦隊の偵察機は、いまだ戦力を残した栗田艦隊がサンベルナルジノ海峡を抜けてレイテ突入を目指して南進しているのを発見したのである。疑念が確信に変わった瞬間だ。


「あの空母は囮だ。卑怯なジャップめ! そんな小細工に騙されはせんぞ!」


 直ちにハルゼー艦隊は北進を中断、リー提督率いる新鋭戦艦六隻を中核とする艦隊をがら空きのサンベルナルジノ海峡に向かわせ、補給地であるウルシー環礁から急行中のミッチャー艦隊に栗田艦隊を全力で攻撃するよう命じた。既に完全に騙されているなどと言ってはならない。この迅速な判断により栗田艦隊は大打撃を受けることになったのだ。 志摩艦隊から、西村艦隊壊滅せり、の報を受け取った栗田提督は内心の不安を押し殺しながら艦隊を南に進めていた。囮となっているはずの小沢艦隊からはうんともすんとも言ってこない。小沢艦隊はハルゼー艦隊が反転南下し囮作戦が失敗したことを掴んでいた。だがそれがなぜか栗田艦隊に伝わっていなかったのだ。

 この結果、栗田艦隊はサマール島沖で護衛空母群と交戦中にミッチャー艦隊の空襲を受け、基地航空隊の特攻機によるものとあわせて護衛空母四隻と駆逐艦五隻を撃沈したものの、重巡『鈴谷』『熊野』『利根』『筑摩』や軽巡『阿賀野』などを失い、他の戦艦や巡洋艦も多くが傷つき撤退を余儀なくされた。


 ここに一連の海戦は日本側の大敗北という形で終了した。だが、戦闘がすべて終了した訳ではなく、断続的な空襲を受けながらの撤退戦が数日続くことになる。その道のりは、特に損傷により速力の出ない艦にとってはつらく、厳しいものとなった。

 そして、ミンダナオ島への輸送支援任務で台湾にて別行動をとっていた駆逐艦『若葉』『初春』など三隻と合流しマニラへと撤退する志摩艦隊に対し、上級部隊である南西方面艦隊より一通の命令文が入電する。


《第二遊撃部隊は重巡一および第一水雷戦隊を分派し、シブヤン海を撤退中の第一遊撃部隊損傷艦の援護にあたるべし》


 この命令に、志摩提督は重巡で唯一損傷していなかった『鞍馬』と駆逐艦『不知火』『潮』『霰』を艦隊から分離。四隻の分艦隊は駆逐艦『不知火』座乗の木村昌福提督の指揮の下、敵機に付け狙われながら苦しい撤退行を続ける戦艦『大和』の救援へと向かった。

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