スリガオ海峡海戦 第一夜戦
二十四日深夜、西村艦隊はレイテ沖への最後の関門であるスリガオ海峡の入口へ到達した。ここを抜ければそこはすぐレイテの敵上陸地点である。だが、スリガオ海峡は狭隘で魚雷艇の待ち伏せも十分あり得る危険地帯だ。
戦艦『山城』に座乗する西村提督は、駆逐艦『時雨』を戦艦隊の直掩に残し、他の三隻には先行して海峡を偵察するよう命じた。駆逐艦隊は三〇ノットに速力をあげ、闇夜のなか戦艦隊から離れていった。周辺にはいつの間にか雲がでて、あちこちにスコールが降りだしている。
二十三時ごろ、戦艦隊がスリガオ海峡入口のパナオン島を通過している時、駆逐艦『時雨』から無線電話が飛び込んできた。
「敵魚雷艇見ゆ。方位三〇度」
西村提督は直ちに『時雨』に対して照射を命じた。
「魚雷艇を照らせ。照射始め!」
直ちに『時雨』は主砲から星弾を発射。弾の軌跡にそって照明剤が散布され、あたりを明るく照らし出す。
敵魚雷艇は島陰から姿を現し戦艦隊へ突撃してくる。数は六隻、速力は二十四ノット。突撃を阻止すべく『時雨』の十二センチ砲が猛然と砲弾を吐き出す。今、三隻の巨艦を護っているのはこの『時雨』ただ一隻。水雷艇駆逐艦の面目躍如、次々と魚雷艇へ主砲弾を叩き込んでゆく。敵魚雷艇は弾幕に阻まれ接近できない。
その後も二波にわたって魚雷艇隊が襲来したが、『時雨』の防戦と三戦艦の副砲射撃によって肉薄しきることができず、戦艦隊はすべての魚雷を回避することに成功した。敵魚雷艇隊は、状況不利を悟ったのか遠巻きに戦艦隊を追跡するのみで攻撃してくる気配がない。回避運動の余地のない地点まで仕掛けないつもりだろうか。
一方の先行した駆逐艦隊は、海峡の中程まで到達したあたりで戦艦隊と魚雷艇隊の交戦を確認して引き返した。その途中で魚雷艇二隻と交戦するも損害はなかった。
日を跨いで二十五日一時半。偵察に出ていた駆逐艦隊と戦艦隊が合流、接敵序列を形成して二〇ノットで進撃を再開した。駆逐艦『満潮』『朝雲』『山雲』が傘型に並び、駆逐艦『時雨』戦艦『山城』『扶桑』『陸奥』の順に単縦陣で傘の柄を形成する。いよいよスリガオ海峡最狭部へと突入するのだ。
スリガオ海峡は幅三〇キロ、長さ八〇キロの狭い水路である。海峡を抜けきるまで、艦隊が出し得る最大速力で突っ切っても二時間と少しかかる。この間、艦隊はろくに回避運動も取れない状態が続く。ここを抜ければレイテ島の敵上陸地点は目と鼻の先である。だが、それは強烈な歓迎委員会が確実にこの海峡で待ち構えていることを意味していた。
しかし、かといって臆する訳にはいかない。西村提督は艦隊針路を零度に設定、艦首を真北にむけてレイテ沖へ直進するよう命じた。この直後のこと。
「敵影見ゆ。方位三二〇度、距離八〇」
傘陣の頂点に占位していた『満潮』より報告が入る。再び魚雷艇が攻撃を仕掛けてきたのだ。これに対し、西村艦隊の各艦は探照灯を照射、防御砲火を浴びせた。雷撃こそ許したものの、遠距離からの攻撃であり命中弾はないまま撃退した。実は、彼らは実戦経験をもたない練度の低い部隊であった。そのため、探照灯に眩惑されて魚雷を命中させることが出来なかったのである。結局魚雷艇隊は戦果をあげることなく撤退した。
魚雷艇隊の波状攻撃をくぐり抜けた西村艦隊を待ち受けていたのは、駆逐艦の群れだった。無線電話によって魚雷艇に撤退するよう命じた駆逐艦隊は、魚雷艇隊が撤収して空いた隙間に艦体を滑り込ませるようにしながら煙幕を張りつつて西村艦隊に肉薄し、魚雷をはなった。
もちろん西村艦隊も手をこまねいていた訳ではない。既に傘型に展開させていた駆逐艦隊を単縦陣に組み換え、水上砲雷撃戦に向いた陣形としている。だが、魚雷艇の何倍も魚雷を抱え、何十倍もの排水量をもつ駆逐艦が艦隊の両側から迫ってくるのを全て阻止するには至らない。何隻かの駆逐艦に効果的な位置を占めさせてしまった。
「『満潮』被雷! 轟沈します!」
駆逐艦から放たれた魚雷のうち、四本が『満潮』の左舷に、三本が『扶桑』の左舷に命中。駆逐艦『満潮』の華奢な艦体は一瞬で真っ二つにへし折られ、あっといまに波間に消えていった。魚雷三本を食らった『扶桑』は、全電源を喪失し左によろめきながら戦列を離れてゆく。だが、西村艦隊が歩みを止めることはない。最後尾の戦艦『陸奥』が無線電話も発光信号も沈黙したままの『扶桑』を右にかわすと、何事も無かったかのように『扶桑』を置き去りにして前進を続ける。
海面には、駆逐艦隊が退避する際に展張した煙幕がもうもうと立ちこめている。視界は最悪だ。そこへ、敵駆逐艦隊の第二波が突入してきた。
第二波の攻撃は先頭の駆逐艦に集中した。第一波を撃退した直後で体勢の整っていない西村艦隊はこの攻撃に対応しきれず、魚雷の肉薄発射を許してしまう。この雷撃で先頭を行く駆逐艦『山雲』『朝雲』が被雷。『山雲』は前部に被雷し艦首を切断され、『朝雲』は機関室に被雷し航行不能、それぞれ艦隊より落伍することとなった。
駆逐艦の四分の三を失い火力密度の低下した西村艦隊は、さらに第三波の駆逐艦隊にも攻撃を許してしまう。ただ、今回は煙幕が晴れつつあったことと、比較的練度の低い部隊であったことから旗艦の『山城』が魚雷一本を食らったのみで、航行に支障はなかった。
この時点で、西村艦隊に残された戦力は戦艦『山城』『陸奥』と駆逐艦『時雨』のみとなっていた。
落伍した『扶桑』と駆逐艦二隻は、既に敵駆逐艦の追撃をうけ沈むか沈みつつあった。中でも、戦艦『扶桑』がさらに魚雷五本を食らい艦全体が篝火のように燃え盛りっていた。その後、火だるまになりながら漂流していた『扶桑』は、真っ二つに折れながら大爆発をおこし、乗組員全員とともに沈没したとされている。
戦艦『扶桑』が爆沈したちょうどそのころ、西村艦隊はいよいよスリガオ海峡の出口に差し掛かりつつあった。
スリガオ海峡出口を固めていたのは旧式戦艦六隻、巡洋艦八隻の艦隊であり、海峡の出口を半円状に取り囲むように展開していた。海峡の出口に差し掛かったということは、彼らの十字砲火を受けることになった、ということを意味する。しかも、こちらは海峡を突破する都合上、敵艦隊の横腹に突っ込んでゆく形となる。西村艦隊は、いわゆる丁字の縦棒を描く圧倒的に不利な位置取りであった。
だが、西村提督のレイテ突入の意思は変わらず、麾下の艦隊に対し最後の命令を下した。
「全艦損害を顧みず前進し敵を攻撃すべし」
この決死の命令からしばらく後、この戦争最後、つまり史上最後となる戦艦同士の砲撃戦が開始された。
こちらの戦艦が前部の四門しか使用できないのに対し、すべての砲門を使用できる米艦隊。当然、命中弾を先に得たのもアメリカ側であった。戦艦六隻のうち『ミシシッピー』以外の五隻は真珠湾で大損害を受けたものが復活したものだった。そのため、全艦が近代化改修時やビアク沖海戦の損傷修復時に高性能射撃レーダーを装備していた。これが、後世この戦闘が“スリガオ海峡の虐殺”と呼ばれることになる主要な原因であることは間違いない。
砲戦開始からほどなくして、旗艦『山城』の艦橋付近に火災が生じた。『山城』は、戦艦『ウエストバージニア』『メリーランド』『ミシシッピー』の集中砲火を艦の中央部に浴びており、あっという間に三、四番砲塔を叩き割られて戦闘能力を失っていった。もちろん負けじと前方の主砲四門で砲撃を続けたが、有効弾は得られなかった。
一方の『陸奥』も『テネシー』『カリフォルニア』『ペンシルベニア』の猛撃を受けていたが、海軍休日時代に日本の誉れとされた意地かはたまた幸運か、火災を生じながらもその装甲に護られた重要区画に致命的な損害を受ける前に『ミシシッピー』へ三発の命中弾を得ることに成功する。この砲撃が『ミシシッピー』の艦首と前部主砲弾薬庫に命中。迅速なダメージコントロールにより最終的に沈没こそ免れたものの、速力と火力は半減し戦闘続行は不可能となる損害を負わせることに成功した。
だが、彼女らの奮闘もここまでだった。
戦艦群の砲撃によって大火災を生じた『山城』『陸奥』は巡洋艦隊の接近を許してしまった。近距離から雨あられと降り注ぐ中口径砲弾に、両艦はもはやなすすべもなく打ちすえられるしかなかった。燃え盛る火炎の中に『山城』の名状し難い艦橋は脆くも崩れ去り、『陸奥』も満身創痍で立ち往生してしまっていた。
回避能力も失ってしまった両艦にとって、最後のとどめとなったのは駆逐艦の魚雷攻撃であった。九隻からなる駆逐艦隊が両艦に肉薄。艦全体を溶鉱炉のようにしながら砲撃を続けていた『陸奥』に四本、特徴的な艦橋を失って惰性で前進していた『山城』にはなんと六本の魚雷が命中。両艦に最後の時が訪れようとしていた。
今や西村艦隊唯一の生き残りとなった駆逐艦『時雨』は、巧みな回避運動の結果、奇跡的にほとんど損傷を負っていなかった。『山城』『陸奥』の両戦艦が凄まじい火柱をあげるのを見た『時雨』の西野駆逐艦長は、西村艦隊は既に戦力の大半を失いレイテ突入は不可能となったものと判断。独断で反転し撤退を開始した。
戦艦の全てと駆逐艦の四分の三が戦闘不能となり、艦隊司令部との連絡も途絶えた今、駆逐艦一隻に出来ることはもはや何もない。ここにスリガオ海峡海戦第一夜戦は終結し、この『時雨』を含めた西村艦隊全艦がスリガオ海峡に消えることとなった。
そして、戦艦『山城』が断末魔をあげるように大爆発を連続して起こしながら水底に沈もうとしていたちょうどその頃。スリガオ海峡南口に新たな艦隊が姿を現した。
志摩清英中将率いる第二遊撃部隊は、既に軽巡『阿武隈』が魚雷艇の雷撃により、また回避運動中に軽巡『鬼怒』と駆逐艦『浦波』が衝突して既に落伍していた。そのため、志摩艦隊は重巡『最上』『那智』『足柄』『鞍馬』駆逐艦『潮』『霞』『曙』『不知火』が単縦陣をとって、西村艦隊の全滅を知らぬままスリガオ海峡へと突入を開始したのだ。
かくして、スリガオ海峡海戦第二夜戦の幕があける。