表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/8

第6話 蛇の導き


「じゃあね花音、また明日」


花音は、静寂に戻った練習室で、

じっと自分の手を見つめていた。


 

心の奥に張り付いた霜柱を払うようにして、学園を後にして寮に戻る。


この夜は、眠りにつく間際まで、

頭の中で繰り返しリズムを思い出していた。

 


冷たい夜に装飾された星達は眠りにつき、

陽の光が練習室のカーテンから漏れだしていた。

 

朝のミーティング。

Bオケの面々は、昨日の惨劇を引きずり、重苦しい沈黙に包まれていた。


コンマス席に座る鳴宮玲は、退屈そうに指先で自身のヴァイオリンを叩きながら、足を組み替え、莉穂を見やる。


「昨日の試奏の反省から、莉穂。……正直に言って、今の君たちには全てが足りない。フィジカルも、テクニックも」


玲は冷たい目をしていた。


「しかも、それを短期で補うのは、不可能だろうね」


玲の言葉は、矢のように、事実を深く突き刺した。

莉穂は唇を噛み、俯いた。


「では、不足するリソースをどうするのがいいと思う?」


玲からの突然の問いに、莉穂は言葉を詰まらせた。

「えっ……と……」


「……いや、いいんだ。ここで君に正解を言って欲しいわけじゃない」


玲はフッと目を細め、笑みを浮かべる。

その笑みは、期待よりも計算に近かった。


「足りないなら、足せばいいだけの事だよ、莉穂。Bオケにいる金管、木管セクションの者を、午後、ここに全員集めてくれないか」


玲の瞳に宿る不敵な光を見た瞬間、

莉穂の指先が微かに震え、口元には微かな笑みが零れていた。



午後。

玲は集まった面々を前に、淡々と宣告した。


「僕の、星城の美学には反するが……」


「君たちの技術やフィジカルの不足分は、今日から『2人1バディ』で解決してもらうよ」


練習室にざわめきが広がる。


「一人で足りないなら、二人でやればいい。それだけだよ」


玲は席から立ち上がり、腰に手を当てた。


「スタッガーブレスを使いなよ。交互に吹き、決して旋律を切らすな。二人分の肺があれば、昨日よりは余裕が出る」


そう言って、二本の指を立てる。


「それに、カンニングブレスも混ぜられる。……君たちでも、ね。莉穂なら意味は分かるだろう?」


玲のアイデアは、星城の伝統からすれば、あまりに「邪道」だった。


「莉穂、君がバディを選びなよ。……ここで選ばれなかった者は、研鑽が足りないだけだ。一人、練習室で励みたまえ」


玲はそれだけ伝えると、誰にも目もくれず、練習室を後にした。


「……じゃあ、それぞれ指名していくから、今後練習は相方とするように」


練習室に集まる者達に、俯いているものはいなかった。


三日目の夜。


花音は弓を走らせなかった。

メトロノームの針が、135を刻んでいる。

それでも、彼女の音は拍に噛みついていた。


弓を持つ指先に力がこもっていた。


「……止めないんですか」

玲は、何も言わず窓の外を見ていた。


五日目。


莉穂は、息継ぎの合図を出さなくなった。


隣のクラリネットが、自然に先を取る。

フレーズの切れ目で、音は落ちなかった。


莉穂は、他の組にも目を配る。

その目には――安堵があった。

 


玲は、練習室に毎日現れたわけではなかった。


ある日は、練習室の隅で腕を組んでいただけ。

ある日は、途中で姿を消した。


「……ふぅん、ノイズが減ったね」


その一言が落ちるたび、

Bオケの音は、確実に変わっていった。


そうして、星城の夜は何度も更け、

Bオケの練習室から、少しずつ「ノイズ」が消える。


練習室の隅には、

いつの間にか使い切った松脂の欠片が溜まり、

メトロノームのネジは緩んでいた。


135の位置に、指の油が残っている。

玲は、油を自らの指でぬぐい、冷えた目でそれを見る。


誰も、今日は何日目かを覚えていなかった。

――鳴宮 玲以外は。


そうして、

彼らが、自分たちの音が変わったことにすら気づかなくなった頃、顧問のチェックの日がやってきた。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ