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第2話 代償と取引


「……ただし、僕を鳴らせなかったら、その時は君に、それ相応の対価を払ってもらうけど?」


玲は、獲物を鑑定する蛇のような瞳で、

花音の瞳の奥を覗き込んだまま、低い声で続ける。


「練習後にもう一度ここに来なよ。見せてあげるよ。

……君が今、無謀な場所に立っているのかをね」


――放課後。

昼間の喧騒が嘘のように静まり返った第一練習室。

約束通り現れた花音を待っていたのは、

窓の外の藍色を背負って立つ玲と、彼の手元で鈍く光るヴァイオリンだった。


玲は何も言わず、花音が昼間に見せたあの『カノン』の旋律をなぞり始めた。

 

星城が重んじるシルクのような滑らかなレガート。

だが、その一音一音の芯には、花音がぶつけた「叫び」のような熱が、正確に、そしての深く宿っている。


玲は花音の音を解釈し、

生きた音とレガートを高密度で両立させてみせた。


扉の側で立ち尽くす花音に、

玲は弓を止め、静かに向き直る。


「君の音は、Aオケにおいてはただの『ノイズ』だよ。

技術は申し分ない。発想も解釈もいい。……だが美しくない」


練習室の空気が一段冷え、重くなる――


「ここは星城だ。カラヤンの亡霊が支配するこの箱で、君の音は調和を乱す不純物でしかない。」


玲は、窓辺にあるのカウンターを指でゆっくりとなぞる。

その仕草はまるで、這いずる黒の蛇のようだった。


「要するに――今の君には、居場所がないんだ」


花音が眉を寄せ、言い返そうとするが、

玲はそれを冷徹な視線で制した。


「だから、学園祭までの期間、

君にはBオケでヴァイオリン・ソリストを務めてもらうよ。」


花音は息を飲んだ。

微かに震える体を押さえつけることしか出来なかった。


「あそこは、音楽の解釈を間違えた谷底だ。」


花音は喉を鳴らして呟く。

「学園の正解を追い求め、身動きが取れなくなった人たちの場所……ですか……」


玲はふっと笑って言う。

「そう、そこで君がソリストとして、地に足つけて居られるか。僕はそれが愉しみで仕方ないね――」


そうだ……と、重い空気に溶けるような音が鳴る。


「葉月さん、取引をしよう」

玲は窓辺から離れ、ゆっくりと花音の正面に立った。

傲慢に、唇の端を吊り上げる。


玲は弓をゆっくりと持ち上げ、

花音の顎の下に弓先を滑り込ませた。


冷たい毛が肌を軽く撫で、強引に上向かせる。

その弓から放たれる吐息に、花音の心拍数が一瞬跳ね上がった。

 


「学園祭の本番、君の演奏で……この僕の心を、揺らしてみせてよ」


花音の周囲には蛇が這いずり回るかのように、

重く鈍い空気がまとわりつく。


玲は弓をゆっくり下ろし、唇の端を吊り上げる。


「――もしそれができれば、序列末席のプルト……君の席を、僕のすぐ後ろに用意する」


一歩、逃げ場を奪うように距離を詰め、彼女の瞳の奥を覗き込み、毒を流す。


「勘違いするなよ――僕はコンサートマスターだ。今の君に、選択肢は存在しない。……僕を鳴らしてみせろ」


ニコリと笑ってみせる玲の表情からは温度を感じなかった。


ここは、混じり物を許せる場所じゃない。

そうあるべき場所だと、誰よりも彼自身が望んでいた。


それでも――少しだけ、興味が湧いてしまった。



私は玲の気迫に押されて思わず唾を飲み込んだ。

「……分かりました。あなたを、鳴らしてみせます」


声も足も震えていた、

だけど目だけは逸らさず言ってやった。


「今の、星城は弱いです」


その一言で、玲の眉が僅かに動いて見えた。

 

「弱い……?」

唸るような低い姿勢の音が練習室の床を這った。


「型をなぞって、顔色を窺って。

……それで一位が獲れる音楽なら、要らないです」


花音は一歩踏み出す。

「何より貴方が大好きな、今の星城に失礼だと思いませんか?」


花音は踵を返し、練習室を出る。


玲の瞳が、僅かに揺れる。

「……いいね……面白い。本当に、面白いよ。葉月花音」

 

廊下に出た瞬間、膝が崩れそうになるのを必死で堪えた。


壁に手をつき、荒い呼吸を整える。

拳の中には、古びたヴァイオリンが、まだ温もりを宿していた。

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