4話 世界の見え方、魔法の在り方
『はい。こんにちユグドラ! みんなの魔法先生のミスティだよ』
画面に表示されたコメントが流れる。
《こんにちユグドラ!》
《今日も可愛ユグドラ!》
《ユグドラ!》
『おーー、結構聴講者さんも増えてきたね。ふふーん。それもこれも僕のカリスマかな?』
《ドヤ顔かわゆすw》
《昼間で同接三桁か!伸びたねー》
『今日はまず報告かな? この僕に弟子ができました! いずれはこのチャンネルを一緒にやっていくつもりだから、皆さんにとっては副担みたいな感じと思って欲しいね』
《え!? 弟子とってたんだ!》
《まてまて、まずは清らかな俺こそが!》
『ごめんね? 弟子は一人って決めてるんだ。それと君たちは弟子というより、生徒だから! ここは魔法学校だからね』
『その弟子はねぇ。今は魔法の訓練中だよ。多分、今頃魔法の楽しさと怖さを味わってるんじゃ無いかな?』
《ひぇっ! なんか、冷笑が怖い》
《弟子さんは何をやらされてるんだろう。ガクガクブルブル》
一歩踏み締めるたびに、乾いた落ち葉ががさりと音を奏でる。泉美は、ミスティアが用意した伸縮性のある黒のトレーニングウェア姿で、獣道を彷徨っていた。汗と泥で汚れ、靴底は何度も土にまみれている。
「はぁ……はぁ……こ、ここはどこですかぁぁぁぁ! 師匠ぉぉー!」
絶叫にほど近い声は山々に木霊するだけで、返事はなかった。
(訓練って……聞いてたのと、全然違うじゃない!)
ミスティアの言葉が脳裏をよぎる。
「まずは君にはこの世界を感じてもらう。野生に帰ってもらうが正しいかもしれない。動物が本来持っていたものを取り戻すところからね」
「(君が今いる場所は、僕らが引っ越した家から見て、北の方角だよ。君はただそこから家に帰り着くだけでいい。簡単でしょ?)」
ミスティアからは念話で一方的にそう言ったっきり、泣こうと叫ぼうと返答はない。
唯一の手掛かりは、ミスティアから渡された手のひらサイズの小さなざらついた石だけ。泉美は立ち止まり、深く息を吸い込んだ。
(これを……魔力で満たす?)
胸の奥に感じた「魔力の器」と、手のひらの温かい石を意識で結びつける。温かい何かが、外から体内へ、そして握った石へと、ゆっくりと流れ込んでいく幻想的な感覚。激しい疲労感が和らぎ、体中に活力が満ちてきた。
──ビクッ!
その瞬間、石が脈打つような強い振動を放った。淡い青白い光の筋が表面に走り、内部が夜空の星を閉じ込めたようにキラキラと輝き始める。
「これなら……まだ、動ける!」
魔力の回復に、泉美はかすかな喜びを覚えた。少し余裕ができたのか。石を通して魔力を循環させると、目の前が不思議な光景に包まれる。
「オーロラ……じゃない? 何これ?」
森の中を流れるように透き通った光の皮が至る所を流れていた。木々からはまるで花粉のような。埃のような光が舞っては、光の流れに飲まれて溶けてゆく。
(もしかして、これって……魔力?)
流れを指で触ると、自身の中にあるものと似た感覚が指先をくすぐっていくのが感じられた。
少し夢心地になりながらも、再び獣道を歩き始めた泉美は、一つのことに気づいた。
(師匠は、ただ私をいじめているわけじゃない……)
「まったく……やり方が強引なんだから……!」
そう思いながらも、彼女の口元には微かな笑みが浮かんでいた。困難を乗り越えるたびに体と心が強くなっていく、確かな手応えがあった。
それからどれぐらい歩いただろうか? 魔力のおかげか、身体こそ疲れは感じないものの孤独感と森の中という異界ゆえか。精神が疲弊するのがわかる。
──ザザザッ
不意に藪の奥から、乾いた草を小さな音が連続して聞こえた。無意識に、泉美は魔力を満たした石を強く握りしめた。
「誰!?……って、動物?」
藪から現れたのは、一匹の白い子猫だった。その子猫の頭上には、まるで角のように、二本の淡い青白い光の線が揺らめいている。子猫は泉美の足元に体を擦り寄せた。
(この子、普通の猫じゃないの……もしかして、魔力を持った生き物?)
泉美が子猫の頭上の光に手を伸ばそうとした瞬間、子猫が「ニャン」と鳴いた。その鳴き声は、泉美の脳裏に一つのイメージを流れ込ませた。
「(お腹、空いた……)」
言葉ではない、純粋な飢えの感情と、温かい食べ物を求めるイメージだ。
「え……今の、なに? 私の、頭の中に……?」
驚きと好奇心に目を見張る泉美に、子猫は再び「ごはん」のイメージを送ってきた。
「わ、わかった! ちょっと待っててね! 師匠のところに帰ったら、ご飯、あげるから!」
泉美は子猫を抱き上げ、再び歩き始めた。もう孤独ではない。しかし、彼女は気付いていなかったが、その方向は家とはかけ離れた西に向かっていた。
子猫と出会ってから何時間が経ったのか。微かな月明かりが頼りなく木々の隙間から降り注いでくる。体力の疲れはないが、精神的疲労と「この道で合っているのか?」という疑念が、心を削りにきた。
暗闇が増すにつれ、泉美の心に重い不安が影を落とし始めた。
ザワ……ザワ……
風もないのに、近くの藪が不自然に揺れる音がした。
脳内に複数の話し声と、暗さを感じさせる嘲笑の笑い声が木霊する。悪意の色が強く、地の底から響いてくるような重さがあった。
『美味そうな匂いじゃ。香ばしい香ばしい』
『腑を喰ろうてやろうか』
『手足を捥いで煮よか』
「誰か、いるの……? 師匠ですか?」
足が止まる。昼間に感じたポジティブな感覚は影を潜め、冷たく粘着質な何かの気配を感じていた。それは嫉妬、憎悪、諦念。人間の負の感情を煮詰めたようなドロドロとしたものが、木々の隙間から滲み出てくるようだ。
泉美は、無意識に手のひらの石を強く握りしめた。
「落ち着いて、泉美。ミスティア師匠なら、こういう時、どうする?」
『魔法使いはね。この世界を識る者だ。嬉しさ悲しさ怒り苦しみそれは全てを内包するのが世界であり、君自身なんだ。まず、君は自分と世界の在り方を識り、世界を楽しみ尽くすんだよ』
震える足に力を込め、もう一歩踏み出す。
その瞬間、子猫が再び強く「ニャン」と鳴き、今度はより鮮明なイメージを泉美の脳内に送ってきた。
それは、泉美の足元にある、一本の古びた木の根の映像だった。その根の先には、まるで巨大な眼のような、暗く、禍々しい塊が横たわっている。
(この根っこ?この先に何か、いる…?)
子猫はさらに鳴きながら頭を振る。
「(いっちゃだめ! そっちじゃない、ニゲテ!)」
「わ、わかった!逃げる、逃げるよ!」
泉美は来た道を急いで戻ろうとした。しかし、その直後、足元の古びた木の根から、ズズンッという、大地が脈打つような振動が伝わってきた。
──グチャリ。
泉美がたった今まで立っていた場所の地面が、突然、湿った泥水のように泡立ち、大きな口を開いた。
『喰わせろ!喰わせろ!』
「ひぃっ…!」
子猫を抱きかかえたまま、泉美は後方へ飛び退いた。口は、泉美が持つ石の淡い青白い光に引き寄せられるように、粘着質な舌を伸ばしてきた。舌先が泉美の足首にかすめる。
その瞬間、泉美の体から魔力が一気に吸い取られるような、激しい脱力感が襲った。手のひらの石の光が急速に弱まっていく。
「子猫ちゃん…どうすればいいの!?」
子猫は、泉美自身が、握っている石に向かって過剰なまでに魔力を注ぎ込むイメージを送ってきた。
(循環させるんじゃない! ただひたすらに魔力を注ぎ込む!)
泉美は頭で考える余裕もなく、子猫のイメージに突き動かされるように、体内の「魔力の器」に溜め込んだ力を、石に向かって注ぎ込む。反発する感覚を、力技のように無理やり押し固めていく。
バチッ!
泉美の手のひらから、青白い魔力が雷のような音を立てて弾けた。周囲の闇を一瞬だけ青白く照らし出す。
その光に怯んだのか、地面の口が「キィ」という甲高い音を上げ、一瞬だけ動きを止めた。
「そんなに食べたいならこれでも食べてなさい!」
泉美は、青白い光を帯びた石を、その口に向かって勢いよく投げ入れた。
──ドゴンッ!
魔力の塊が、地面の口の中心に、まるで小型の爆弾のように炸裂した。粘液と土が飛び散り、一瞬の静寂の後、口はドロドロと溶けるようにして地面に沈み、消え去った。
泉美は、初めて自力で「魔法」を使ったことよりも、未知の恐怖から逃れられたことに、安堵の息を漏らした。
(師匠……容赦ないなぁ……)
しかし、彼女の口元には笑みが浮かんでいた。この、命をかけた非日常が、彼女のOL時代の灰色の日常を、完全に塗り替えていた。
「さあ、子猫ちゃん。もう少しだけ、頑張ろう」
泉美はゆっくりと子猫の温もりを感じながら、改めて、森の奥深くへと足を踏み入れた。
彼女はまだ、西に進んでいることに気づいていない。
──驚いたなぁ。まさかこの世界にもケットシーの幼体がいただなんて、まだまだ、世界には驚異と不思議があるんだね。
ミスティアは遠く離れた家で、リスナーと一緒に予想外の出会いと泉美の成長に驚いていた。
《師匠ぉー!弟子がマジで遭難しかけてるぞ!》
《あれ、今の光……?弟子ちゃん、なんか魔法使った?》
《まさかの師匠のドSっぷり…これはスパルタ教育》
『ふふーん。みんな、心配いらないよ。彼女はちゃんとやっている。僕が言ったでしょ?魔法の楽しさと怖さを味わっているってね』
《あの猫、師匠が仕込んだのか?それとも天然?》
『いや、これは弟子の才能と運によるものだ。どちらにせよ、彼女は素晴らしい弟子だと、生徒のみんなも認められたんじゃないかな? 流石にそろそろ迎えに行かないと後が怖いから行ってくるよ! 本日の教室はここまで! 次の放送はまたSNSで告知するので、高評価と登録してくれたまえ! それでは最後の挨拶だよ!』
《きりーーつ》
《れーーい》
《かいさん!》
キーーンコーーンカーーンコーーン




