21話 今までとこれからと
(そういえば師匠は、どうやってこんな山奥でこの家を見つけたんだろう?)
引越しに向けた大掃除の最中、泉美はふとそんな疑問を抱いた。
この家に移り住んでから、およそ四ヶ月。ミスティアと出会い、激動の日々を過ごしているうちに、気づけば年の瀬が迫っていた。
場所は日光の山奥。例年より暖かく。されど暖冬とはいえ、外気には肌を刺すような冷たさが混じっている。だというのに、家の中はまるで春のような陽気に満ちていた。
隙間風一つなく、電気・ガス・水道もなぜか完備されている。以前、そのインフラ事情についてミスティアに尋ねたことがあったが、彼女は曖昧な笑みを浮かべるだけで答えてはくれなかった。きっと、ここにも魔法的な何かが働いているのだろう。
泉美はテレビをつけっぱなしにしたまま、畳の上を掃き清めていく。
魔法を使えば、部屋中の埃など一瞬で消し去ることができるはずだ。けれど、『便利さに流されて、過程にある楽しみを見失ってはいけないよ』というミスティアの教えに従い、彼女はあえて自分の手足を動かしている。
湿らせた茶殻を撒き、箒で掃き集める。
サッサッ、という小気味よい音が静寂に響き、茶葉の爽やかな香りがほのかに鼻腔をくすぐる。
掃除機のような騒音もなく、魔法のような味気なさもない。体力は使うが、その心地よい疲労感が、今の泉美にはむしろ贅沢に感じられた。
(師匠は『引っ越し』としか言わないけど、一体どこへ行くつもりなんだろう)
集めた茶殻を縁側へと掃き出しながら、泉美はまだ見ぬ新居に思いを馳せた。
一通りの作業を終え、ふぅ、と大きく息をつく。
縁側から差し込む冬の日差しは柔らかく、舞い上がった埃が光の粒子となってキラキラと遊んでいる。
「ニャーン」
足元で甘えるような声がした。見下ろせば、黒猫の姿をしたケットシー、ルーナが泉美の足に体を擦り付けている。
「こらルーナ、今掃除したばかりなんだから。毛を落とさないでよ」
「ニャッ!」
『失敬な!』という抗議の意思を感じる鳴き声に苦笑しつつ、泉美はその小さな体を抱き上げた。腕の中に伝わる温もりが愛おしい。
本当に、怒涛の日々だった。
数ヶ月前までブラック企業で心身を摩耗させていた彼女が、今や世界的な大魔法使いの弟子となり、こうして使い魔と戯れている。
契約を交わした夜のこと、レンのライブで見た幻想的な光の海。すべてが夢のようで、けれど確かな現実としてそこにあった。
(これから、どうなるんだろう……)
ルーナの滑らかな毛並みを撫でながら、思考は未来へと飛ぶ。
師匠は冗談めかしていたが、国連への招聘はほぼ確定事項らしい。既存の科学を覆す「魔法」が認知された今、世界が彼女を放っておくはずがないのだ。
歴史が変わる瞬間に立ち会える期待。だがそれ以上に、師匠が遠い存在になってしまうのではないか、世界中の悪意に晒されるのではないかという、漠然とした不安が泉美の胸をよぎる。
「……ま、私が悩んでも仕方ないか」
泉美はルーナを畳に下ろすと、急須にお湯を注いだ。
湯気と共に茶の香りが立ち上る。
ズズズ、と熱いお茶をすすり一息ついてから、何気なくテレビのリモコンを手に取り音量を上げた。
画面に映し出されていたのは、ワイドショーの討論番組だった。
『――続きましてのテーマです。急速に広まる“魔法”技術。その安全性と法的規制について』
画面上のテロップを見た瞬間、泉美の眉がピクリと跳ねた。
スタジオには司会者の他に、数名のコメンテーターと、専門家と称する大学教授らしき人物が座っている。
『えー、先日、動画サイトで大規模な配信が行われ、汚染物質を消滅させるというデモンストレーションがありましたが……これについて、大河内先生はいかがお考えですか?』
話を振られた白髪の教授が、さも不愉快そうに口を開く。
『極めて危険ですね。科学的なプロセスが全くのブラックボックスだ。消えた物質が本当に無害な“マソ”とやらに変換されたのか、誰が証明できるんです? 今は良くても、数年後に人体へ深刻な影響が出る可能性も否定できない。こんなものを無邪気に広めるのは、テロ行為に近いですよ』
『確かに、得体の知れない力ですからねぇ……』
タレントのコメンテーターが、困り顔で相槌を打つ。
続いて、街頭インタビューの映像が流れた。
『魔法? いやぁ、なんか怖いっすよね。洗脳とかされそうだし』
『ウチの子が真似して怪我でもしたらどうするんだって思います。学校で禁止してほしいです』
『便利なのは分かるけど……裏で何か大きな代償を払わされてるんじゃないかって、不気味で……』
不安を口にする人々。スタジオに戻ると、別のコメンテーターが得意げに語りだす。
『そもそも、このミスティという人物の素性が一切不明でしょう? もしかしたら、どこかの国が開発した新兵器の実験かもしれない。我々はもっと疑ってかかるべきなんです。安易に称賛する今のネットの風潮は、異常ですよ』
「はぁ!?」
ダンッ! と、泉美は湯呑みをちゃぶ台に叩きつけそうになり、寸前で踏みとどまった。
「何よそれ! 何も知らないくせに!」
腹の底から、熱い塊がせり上がってくる。
師匠があの配信で、どれだけの汚染を取り除いたと思っているのか。
光魔法によって、どれだけの人が夜道の恐怖から救われたと思っているのか。
そして何より、自分が死にかけていた時、損得勘定なしで手を差し伸べてくれたのは誰だと思っているのか。
「科学的に証明できないから危険? だったら調べてみればいいじゃない! あんたたち学者が! 最初から『怪しい』って決めつけて、見ようともしないなんて……!」
師匠はいつだって、みんなのためを思って魔法を教えている。
世界を綺麗にしたい、みんなに幸せになってほしい。その純粋な想いは、一番近くにいる自分が誰よりも知っている。
それなのに、テレビの向こうの大人たちは、理解できないものをただ「怖い」という理由だけで排除しようとしているのだ。
「……悔しい」
自分のこと以上に胸が痛む。
師匠ならきっと、こんな批判など意に介さず笑って流すだろう。
でも、泉美は許せなかった。
この理不尽な言葉の数々が悔しくて、彼女は思わず乱暴にリモコンを握りしめた。
「テレビのリモコン、壊れちゃうよ? 泉美」
ふわり、と。
茶殻とは違う、どこか懐かしい花の香りが鼻先をくすぐった。
ハッとして振り返ると、いつの間にか背後にミスティアが立っていた。その手には湯気の立つマグカップが握られている。
「あ、師匠……! い、いつの間に!」
「『何も知らないくせに』って、泉美が怒り出したあたりかな」
ミスティアは悪戯っぽく微笑むと、強張った泉美の手から優しくリモコンを抜き取り、電源を切った。
プツン、と画面が黒くなり、不快な雑音が消える。部屋に静寂が戻り、ルーナが安心したように喉を鳴らす音だけが響いた。
「だって……! 悔しいじゃないですか。師匠はあんなにみんなのことを考えているのに。あの人たち、何も見てない!」
「ふふ、ありがとう。私のためにそこまで怒ってくれるなんて、泉美は本当に優しいね」
ミスティアは泉美の隣、縁側に腰を下ろすと、遠くの山並みに目を細めた。
「でもね、泉美。彼らの反応は、生物として至極真っ当なんだよ」
「真っ当……ですか? あんなに偏見まみれなのに」
「未知のものに対する『恐怖』は、種を守るための防衛本能だ。火を初めて見た人類も、きっと最初はあんな顔をしていただろうね。熱くて、眩しくて、触れれば火傷をする。……危険だと警鐘を鳴らす者がいなければ、無闇に触れて焼け死ぬ者が増えるだけだ」
いつのまにか淹れられていたお茶の入ったマグカップへ口をつけて、穏やかに微笑む。
「疑うことは、悪いことじゃない。盲信することの方がよっぽど怖い。彼らのあの言葉は、社会が魔法という『異物』を消化しようとしてもがいている証拠さ。健全な拒絶反応だよ」
「……師匠は、大人ですね」
「五千……あー、いや、長く生きてるからね」
あ、今さらっと年齢をごまかした。
「それに、理解者がゼロってわけじゃない。君やレン、ワルプルギスのメンバー、そして何億人もの視聴者がいる。時間をかければいいさ。焦って無理やり飲み込ませても、お腹を壊すだけだからね」
諭すような優しい声に、ささくれ立っていた心が少しずつ凪いでいく。
そうだ、この人はいつだってこうだ。世界の全てを受け入れて、その上で導こうとする。
自分が勝手に焦って、傷ついていただけなのだ。
「……すみません、取り乱しました」
「いいよ。その情熱は君の武器だ。……さて、それよりも」
ミスティアは空になったマグカップを置くと、ニヤリと楽しげな笑みを浮かべて泉美を覗き込んだ。
「気持ちを切り替えてもらわないとね。引越しの荷造り、まだ自分の分しか終わってないだろう?」
「あ、はい。……で、結局どこに行くんですか? そろそろ教えてくれてもいいじゃないですか。まさか本当に、海外とか……?」
泉美は冗談半分で聞いたつもりだった。
けれど、ミスティアはあっけらかんと言い放った。
「うん、とりあえずは日本の外かな」
「……は?」
思考が停止する。
日本の外? 海外!?
「えっ、えええええ!? 日本の外って海外ですか?! 私、パスポート持ってないんですけど!」
「そう。この日本も過ごしやすくて好きなんだけどね。僕がいることで、これ以上日本政府に迷惑がかかるのもあれだし」
「日本政府に迷惑……。話の規模が違いすぎる」
あまりのスケールに目眩がする。
山奥の古民家から、いきなり海外へ? ジェットコースターにも程がある。
「で、でも、住むのはどこの国になるんですか? やっぱりアメリカとか……」
「あー、日本の外ではあるけど、どこの国でもない。特定の国家には属さないよ」
ミスティアは腕を組み、小さな胸を自慢げに張った。
「国連との話し合いが終わったら、僕が総力を挙げて南太平洋上に建造した人工島――『魔法都市・アヴァロン』に、お引越しだよ!」
「…………はい?」
じんこうとう。
魔法都市。
「え……えええええええ!!??」
泉美の絶叫が、山奥の古民家に木霊した。
ルーナが「うるさい!」と言わんばかりに、泉美の足へ鋭い猫パンチを繰り出す。
「さあ、これから忙しくなるよ!」
「いや……あの……ちょっと待って……」
「泉美は以前、『平穏なんて要りません』と言ってくれたよね! その言葉、信じてるから!」
楽しそうに立ち上がるミスティアの背中を見ながら、泉美は呆然とするしかなかった。
テレビのコメンテーターたちが心配していた「安全性」だの「法的規制」だの。そんなものがちっぽけに見えるくらい、彼女の師匠は、世界を丸ごと変えようとしていたのだ。
(……ついていけるのかな、私)
不安はある。足がすくみそうになる。
でも、それ以上に。
この人と見る新しい世界が、どんな色をしているのか。
胸が高鳴り、ワクワクしている自分がいることも、彼女は否定できなかった。
「……はい! 師匠、今すぐ片付けます!!」
泉美は拳を握りしめ、高らかに宣言した。




