第一話 ユリウスとイセリナ
『ティルノーグ大陸』。
魔術と科学が共存する世界『オリヴ』に存在する大陸の名だ。
ティルノーグには複数の国があり、諸国は自国の大義と正義の下、日々争い続けている。長引く戦いは各国の国力を疲弊させ、足りない兵力を傭兵で補うということが日常的に行われている。
そんな大陸のほぼ中央に、城塞化された一つの街があった。それが、傭兵たちの帰る街『ウィッカーマン』だ。
傭兵たちも寝静まる深夜零時。街灯の淡い光が、満足に舗装されていない通りを照らし、木の葉のせせらぎと梟の声が物悲しく響いている。
そんな中を、一人の女性がゆっくりと歩いていた。まだあどけなさが残る顔つきと、お世辞にも女性的とは言えない身体つきをしてはいるが、彼女もこの街にいる以上、立派な傭兵である。
名を、イセリナ・イングバル。没落した貴族『イングバル家』の忘れ形見だ。三年前に家が取り潰しとなり、現在は病気がちな母と、イセリナが幼いころから付き従っている妙齢のメイドの三人で、この街に住んでいる。
イングバル家の特徴とも言うべき藍色の髪は肩甲骨あたりまで伸ばしており、仕立てのいいコートを羽織っている。季節は春めいてきているが、やはりまだ夜は冷えるのだ。
「眠れないからと言って外に出るべきじゃなかったわ……。逆に目が覚めちゃいそう」
どうやらイセリナは、眠りに就くことができなかったようだ。気分転換のつもりで少し散歩していたらしい。
そんな中、彼女は遠くの方から聞こえる、ある音に気付いた。
「……この音。ようやくご帰還ね」
イセリナは微かな微笑みを浮かべると、ウィッカーマンの北門に足先を向けた。
―◇―◆―◇―◆―◇―
遠くに見慣れた街明かりが見える。少し表情を柔らかくして、ユリウスはマナバイクのメーターに内蔵されている時計を一瞥した。
「もう零時じゃねぇか……。街に着いたところで、こりゃ誰も起きちゃいねぇな……」
やれやれといった感じで前方を見ると、すでにウィッカーマンの城門が目と鼻の先だった。彼は夜間警備中の門番の前でマナバイクを止め、そのままエンジンを切った。
マナバイクというのは、オリヴでマナカーとともに一般的に浸透した乗り物で、その名の通りマナを燃料として動くバイクだ。
マナはすべての力の源であり、これを操ることで魔術を行使することもできれば、カートリッジやタンクにマナをチャージして、動力源にすることもできる。ある意味無限エネルギーではあるが、マナを使用するとその搾りカスであるオドが発生し、一定量を超えた濃度のオドは、瘴気となってすべての生命に等しく害を成す。
顔なじみの門番だったので、ユリウスは他愛ない話とともに門を開けてもらった。そしてマナバイクの方に視線を向け、指を弾いた。
すると瞬く間にマナバイクは粒子のようになり、跡形もなくなった。正確には、アビスヤードと呼ばれるあの世とこの世の境界にアクセスして、そこにマナバイクを収納したのだ。
――ちなみに、その気になれば軍隊丸ごとアビスヤードにしまうことはできるが、これは飽くまでも理論上。机上の空論でしかない。
ユリウスが街の中に足を踏み入れると、本能が反射的に危険を察知した。その直感に従い、右腕で防御の構えをとる。
次の瞬間、右腕にちょっとした衝撃を感じる。それに合わせ、ユリウスは弾くように右腕を素早く振り抜く。
「え? キャっ!!」
女性の短い悲鳴と、地面に落ちる音が同時に耳に届く。ユリウスは不敵な笑みを浮かべつつ、悲鳴の主に声をかけた。
「なぁにやってんだイセリナお嬢サマ。そんなに気ィ張ると不意打ちの意味がねぇぞ?」
「お嬢サマって言うなー! あーもー今回もダメだった!」
わざとらしく不機嫌な表情を浮かべ、イセリナが声を上げる。弾かれた拍子に尻もちをついたようだ。それをにししと笑いながら、ユリウスが手を差し伸べた。イセリナがムスッとしながらその手を掴むと、グイっと引き上げられ、彼女は立ち上がった。そして埃を払い、改めてユリウスに向き直る。
「おかえりなさい義兄さん。お仕事、お疲れ様」
穏やかな微笑みとともに、イセリナは義兄を労った。ユリウスとイセリナは、過去の仕事をきっかけに義兄妹の契りを結んでいるのだ。それからというもの、まるで本当の兄妹のように仲が良く、共に出た戦場では二人で同率一位の武勲を上げたこともある。
不意にイセリナが欠伸をした。急に眠気が襲ってきたらしい。どうやら彼女が眠れなかった理由は、ユリウスにあったようだ。
「義兄さんの顔を見たら急に眠くなってきちゃった……。私、帰って寝るね? 明日の朝、ご飯は作りに行くから」
「わかったわかった。さっさと帰って寝とけ寝とけ。肌荒れになっちまうぞ?」
何度も欠伸をするイセリナに、ユリウスは帰るように促した。多少ふらふらしてはいるが、まぁ大丈夫だろう。
「さて……と。俺もとっとと帰るか。寝酒になるようなモンはあったかねぇ」
ユリウスは、静かな街並みをぼんやりと眺めながら、街のはずれにある自宅へと向かった。