芽衣ちゃんの永続的不幸の法則
そろそろかかってくる頃かな、と思ったらかかってきた。芽衣ちゃんからの電話。
ぐずぐずと泣く芽衣ちゃんに、僕はうんうんと相槌を打つ。いつも通りの結末を迎えたらしい芽衣ちゃんに、僕はいつも通りの冷静さで対応する。
ひとつ恋愛ごとが終了するたび、芽衣ちゃんは僕に電話してくる。ぐずぐずがいくらかおさまり出してから、僕に今週の予定を尋ねる。僕は学校以外なんの予定もないと言う。じゃあ明日会いたい、と芽衣ちゃんは言う。僕はいいよ、と答える。
ありがとう紘、と芽衣ちゃんは少しだけ元気を装った声で言う。僕は、うん、と言って電話を切る。それからバイト先に連絡して、適当な嘘をこしらえて今週末までのシフトを全て欠勤に変更する。
スマホを放り投げてベッドに倒れ込んだ。今頃一人の部屋で、使い捨てられた雑巾みたいにぐしゃぐしゃになっているだろう芽衣ちゃんを思う。自分のバカさにちゃんと傷付いてほしいと願いながら、僕は目を閉じた。
久しぶりの芽衣ちゃんは髪が伸びていて、集合場所のコンビニ前で僕を見つけて手を振った。綺麗なはずの顔をバカっぽく崩して笑うのはいつもの通りだったけれど、いつもより腫れた瞼のせいでずいぶん幼く見えた。
今日ちょっとあったかいね、と芽衣ちゃんは言った。もうすぐ春だしね、と僕は返す。一年早すぎるよ、と芽衣ちゃんは笑った。
転がり落ちる鈴みたいな笑い方。それは芽衣ちゃんがよくない時の笑い方で、その音が高ければ高いほどよくない。今回も、ちゃんとよくない。
恋愛ごとに関して、芽衣ちゃんは破滅的に不器用だった。それは気の毒な先天的欠陥とも言えるし、宿命的な不治の病とも言える。
自分のそれを、芽衣ちゃんはちゃんと理解していない。そういう所が致命的にバカだから、自分を客観視できなくて、すぐに感情にとらわれて、周りが見えなくなる。恋愛なんて、芽衣ちゃんには難しすぎるのだ。
なのに芽衣ちゃんは飛び込む。きらきらと魅惑的に見えるそこに、無邪気に、あるいは今度こそと縋り付くように、あるいは絶対的な幸福を夢見て、飛び込む。
結果、溺れる。苦しくなって、僕に助けを求める。だから僕はその手を掴んで、息ができる場所まで引き上げてやらなければならない。それを繰り返している。
何が悪くて別れるに至ったのかとか、どんな風に傷付いたのかとか、部外者でしかない僕にはわからない。たぶん毎回相手によって経緯も原因も違うのだろうけど、芽衣ちゃんがいつも芯の抜けたもやしみたいになるのは同じだった。
おかえり芽衣ちゃん、と僕は心の中で言う。皮肉でもあるし、安堵でもあった。芽衣ちゃんは僕のそれには気付かず、とろろ蕎麦なら食べれるかもしれない、と変な呂律でつぶやいて手を伸ばした。
どんな思考の結果かは知らないけど、結局芽衣ちゃんは明太子スパゲティを買った。僕はゆで卵のサラダとおかかおにぎりとクリームパンとチョコレートと甘い紅茶を買った。
芽衣ちゃんは僕の部屋に来ると、迷わずソファーの真ん中に座る。そこは普段の僕の定位置だけど、芽衣ちゃんには譲ることにしている。僕はローテーブルを挟んだ、その向かい側に座る。
元気にしてた?と芽衣ちゃんが聞く。僕は、普通かな、と答える。紘っていつも普通だよね、と芽衣ちゃんは笑う。平凡な人間だから、と僕は言いながら紅茶のペットボトルを開けて芽衣ちゃんに渡す。あぁそうだ、これ買うの忘れてた、と言って芽衣ちゃんはこくりと飲む。それから、ありがとう、と言ってしんと数秒黙った後、水分を含んだ何かが突然ひねり潰されるみたいにして泣き始める。
今回もまた、きちんとぼろぼろだ。脈絡もなく泣き出すのは、あらゆる感情が生産過多の状態で、正しい回路で排出することができていない証拠。
僕は芽衣ちゃんの隣にいって、背中をとんとんとたたく。過呼吸になるといけないから、落ち着かせるためにそうする。
本当にバカだな、と僕は思う。どんなに泣いても、どうせ何も学ばないくせに。ほとんど憎らしくすら思いながらも、僕は芽衣ちゃんの背中を優しくさする。それが、僕が芽衣ちゃんにできる唯一のことだからだ。
「紘を彼氏にできる女の子は幸せだな」
まだ夏の始まり頃。月の夜に、コンビニで買ったアイスを舐めながら芽衣ちゃんは言った。
例によってひとしきりぐずぐずした後のことだった。少し元気を装えるようになってから、芽衣ちゃんは月に照らされながら僕に笑いかけた。
「彼女できたらすぐ言ってよ。そしたら私もこんなふうに夜中に呼び出したりしないから」
それは芽衣ちゃんらしからぬ真っ当な発言だった。そんなふうに自分を客観視したかのようなセリフ、芽衣ちゃんには似合わない。余裕もないくせにまともな女の子ぶる様子に少し腹が立ったので、僕も定型文を吐く。
「いいよ別に。彼女とか、できないから」
「なんでそんな自分を卑下するかな。紘のよくないとこだよそれ」
「いいよ。自分のことは自分が一番わかってるから」
芽衣ちゃんは僕を振り返ると、なぜか憐れむような目で見てくる。芽衣ちゃんには、僕の本当の気持ちなんか解読できない。僕はそれをわかっている。だから探るようなそんな視線も、僕は真っ直ぐに受け取れる。
どんな解答を得たのかは知らないけど、芽衣ちゃんはやれやれとでも言いたげな大きな溜息をついた。それからはっと僕の背後を指さして叫ぶ。
「流れ星!」
とっさに僕も振り返るけれど、見逃した。夜空があるばかり。
「紘に彼女ができますように。鼻水だらだら流して泣いたりしない、ちゃんと可愛い彼女」
芽衣ちゃんは祈るようにそう言ってから、自分でおかしくなって笑っている。僕は全然おもしろくなかった。
「流れ星ってあれ、ただの塵だよ。ゴミ。それが大気と衝突して高温になるから光って見えるだけ」
僕の発言に大きくため息をつき、そういうロマンチックさのなくなる情報はいいから、と苦笑してから、芽衣ちゃんはしばらく夜の向こうを見たまま黙った。それから続ける。
「紘といると落ち着くっていうの、ほんとはこういうことなんだよね。ほんとは、なんにも綺麗なものなんてないんだよ、そう見えるだけでさ。紘はいつもそれをちゃんと見てて、私に、そうじゃないことをそうじゃないよって教えてくれる。それってやっぱ、ほっとするって言うか、安心するって言うかなんか、そういう、その、そういうの。はは、なんだろ」
芽衣ちゃんはバカだから、思考がまとまらないうちから、思ったことを口にする。それが誰かを身動き取れなくしているだなんて夢にも思っていない。傲慢だけに振り切っていてくれたなら、僕はちゃんと芽衣ちゃんを嫌いになれていたかもしれない。
恋愛に関して不器用すぎて、人を見る目のない芽衣ちゃんは、もちろん僕のことも見誤っている。僕が芽衣ちゃんのことを好きだなんて、きっとずっと気付くことはない。
芽衣ちゃんは一旦沈んだ後に来る妙にハイなテンションに突入していて、よくわからない歌を歌って笑い、僕にも何か歌うように言って、僕の適当な鼻歌を聴いて大笑いしていた。
笑うばかりで全然食べないので、芽衣ちゃんのアイスはどんどん溶けた。バニラ味のそれは点々と夜のアスファルトに落ちた。青い夜でも影は黒いんだ、なんて、僕はいつも通りつまらないことを考えていた。
夏が終わって冬が過ぎた。春も近いというのに、僕は相変わらず芽衣ちゃんにティッシュを差し出している。
鼻水をだらだら流す芽衣ちゃんは、どう客観的に見ても可愛くはない。泣くという行為は、消費エネルギーとしては嘔吐することに近いんだと思い知る。芽衣ちゃんはいつも、それくらい苦しそうに泣く。
芽衣ちゃんがバカなのは、芽衣ちゃんのせいじゃない。そういうふうに生まれついたのだからしょうがない。それは自然界における物理法則と同じだ。リンゴが引力によって地面に落ちるとか、光の散乱によって空が青く見えるとか、そういう物理法則レベルの不変で、抗えない摂理みたいなものだ。
僕らはそういう、自分ではどうしようもできない法則に縛られていて、生まれる感情にも為す術はなく、時々こんなにも苦しんだりする。流れ星は、願いを叶えてくれる魔法の光なんかじゃない。
きっと芽衣ちゃんはこのまま一生バカで、ずっとそのバカさに傷付き続けるだろう。いつまでも幸せな結末を掴めずに、ずっと不幸であり続ける。そうであってほしいと、僕は思う。
だめになるたびに僕に頼って、僕なしでは呼吸もできない生き物でいてほしい。そしてそんなふうに思っている僕にまったく気付かずに、バカみたいに、ありがとうと笑ってほしい。
テーブルの上に、ゆで卵のサラダとおかかおにぎりとクリームパンとチョコレートを置く。芽衣ちゃんの好きな物セットだ。これがあれば、とりあえず胃が空っぽのままということは避けられる。そのうちに落ち着いて、美味しいもの食べに行こうと言い出すのだから。
芽衣ちゃんの永続的不幸の法則が乱れない限り、僕が永久に芽衣ちゃんを失うことはない。そのことにどうしようもなく慰められるだけの、僕もきっとバカなんだろう。




