第九話
第九話となります。
壁に背を預けるような形で絶命している彼女に、ライルは目を見開きながらも近寄っていく。
女性は既に絶命しているようで、くすんだ金髪と濃い隈の浮かんだ目に色はなく、既にこと切れていることが分かる。
「こいつは……やつれているが肖像画に映っていた女性だな」
「うっ……レクスター家のご婦人ですか?」
「ああ、しかも殺されてからそう日が経っていない」
異様に老け込んだ顔からして見る影もないが、輪郭と面影から肖像画に描かれていた女性だと判断した。屋敷の主であろう女性がこの場にいることはなんらおかしくはないが、一際目を引いたのは女性の腹部を貫通し、背後の壁までを貫いている赤色の棒―――槍のように形作られた結晶にある。
この結晶をライルは知っていた。
怪物と化したハルトの体内から飛び出してきた血で作られた結晶と、女性の腹部を貫いた槍は同じものであった。
「兄さん、どうしてこんなことを……」
「……」
口元を押さえショックを受けているローラを見つつ、女性を見やると右手に何かを持っていることに気付いた。
死の間際でさえも握りしめていたのか、皺が刻まれているそれをゆっくり取り上げると――それは年季のはいった黒い表紙の本と手帳であった。
かなり昔に作られた本のようで、縁がボロボロになっている黒い表紙の本を見たライルは嫌な予感を抱きながら、軽くページを捲り———嫌な予感が的中したとばかりに悪態をついた。
「クソ。そういうことか……」
「ど、どうしたんですか?」
「こいつだよ」
黒い表紙の本をローラに見せる。
それを手に取ろうとした彼女だが、その前にライルがそれをひっこめる。
「触るな。こいつは黒魔術について記された呪いの本だ」
「くろまじゅつ? なんですか、それ」
「理から外れた力を引き出し、絶大な効力をもたらす。……悪魔によってもたらされた外法だ」
「?」
「……こいつを使えば大抵の願い事は叶う」
「ええ!?」
ローラのアホさ加減に呆れながらも、簡潔にまとめる。
しかし、大抵叶うといっても、あくまでその黒魔術の内容の範疇のみだ。
「願い事が叶うってすごいじゃないですか!」
「ただ願いを叶えてくれるだけならな」
「え?」
「お前、悪魔が人間の願いを叶えるための本を無償で配ると思ってんのか? この呪いの本は願いを叶える本なんかじゃない。叶えたように見せる紛いもんだ」
ライルが汚らわしいものを見るように本のページをめくり内容に目を通す。
「富を求めたのならそれを消費する肉体に危険が降りかかる。憎い相手を殺したいと願ったのならその相手と周囲を巻き込んだ虐殺が起こり、術者自身が命を落とす。あと考えられるのは——」
そこで一旦区切り、躊躇するような表情を見せた後に絶命している女性を見る。
「死んだ人間を蘇らせたい、とかな」
「それって、まさか……」
「レクスター夫人は死んだ夫を蘇らせようとしていた」
「……可能、なんですか?」
「こいつに記されていたのは『魂と肉体を変質させる魔術』。こいつを使えば死者蘇生もできるが……うまく蘇らせることができたとしても、それは見た目だけ同じ別人……いや、もっと悪いことになっているかもしれん」
「もっと悪いこと?」
「人間ですらなくなっているかもしれないってことだ。今のお前の兄貴のようにな」
黒魔術の本が見つかった時点でハルトは、黒魔術によって怪物に変えられてしまったと分かった。
あの人間を超越した身体能力に、驚異的な再生能力、血液を結晶化させる能力。
それが黒魔術によるものだとしたら、辻褄が合う。
大体は目を通したのか、黒魔術の本を閉じたライルは不安な面持ちのローラの方を向く。
「この本によれば死者を蘇らせる儀式には生贄が必要だ。お前の兄貴は運悪く生贄に選ばれちまったんだろうな」
「でも、どうして兄はあんな風に……」
「黒魔術が悪い意味で正常に作用したか、そもそもの死者蘇生に失敗しその対象が生贄にされた兄貴に移っちまったって考えられるが———ん?」
その時、ライルは自身の頬を撫でる温かい風を壁の本棚のある方から感じ取った。
一見何の変哲のない大量の本が並べられた棚だが、確かにそこから隙間風のような何かが吹いてきている。それを見逃さなかったライルは、黒魔術の本を懐にしまいつつ本棚へと近づく。
「……ここは……」
「この先に、なにかありそうですね。……むー、これとか怪しそう。埃被ってないし」
「おい待て、勝手に―――」
そう言って、適当に緑のカバーの本をローラが取り出そうとすると、金具が動いたような音が扉の奥から響くと、ゆっくりと本棚が横へずれていく。
本棚の裏には、下へ続く階段への入り口が隠されていた。
暗闇に包まれた階段の下を見たライルは、驚きながらローラへを見る。
「……お前、初めて役に立ったな」
「えへへ、そうですか?」
素直に褒められて嬉しいのか、頬を染めてはにかむローラに、ライルは何かを思い出したのか僅かに顔を顰めつつ近くの椅子の足を折り、簡単な松明を作る。
松明に火をつけ、明かりを確保したら開け放たれた扉から下へ続く階段を下りていく。
隠し通路は頻繁に使われていたのか、それほど埃っぽくはなかった。その代わり、奥からは生温かい風が吹き、不気味さを際立たせている。
警戒しつつ階段を降りていくと地下室らしき空間へとたどり着く。
「まともじゃねぇな……まるで拷問部屋だ」
壁に取り付けられた松明に火を着けてみれば、そこは石畳が敷き詰められた灰色の空間があった。
部屋の中央には幾何学的な模様で描かれた魔方陣と、その上に設置された二つの寝台。一つは綺麗なままで、もう一つは夥しい血にまみれその下には大量の血の結晶の欠片が散らばっている。
二つの寝台に共通している点があるとすれば、拘束具がつけられていることだろう。
奥の通路には牢屋のようなものがあり、地下室の片隅に無造作に捨てられている白骨化した死体。
「これは……ここで儀式が行われたってことでいいんでしょうか?」
「だろうな。レクスター夫人はこの場で儀式を行い失敗した。……片方の寝台が綺麗なままだとすると、血まみれの方が生贄に捧げられたんだろうよ。それよりも、この先だ」
「先って、牢屋の方ですか?」
ローラの返事を聞かずに牢屋のある方向へと進んでいく。
貴族の住む屋敷に不必要なほどの重厚な鉄製の扉が、八つほど並んでいるが最初の一つを覗いてみれば、そこには誰もいない。
人間を閉じ込めるには十分すぎる牢屋だ。
まるで、怪物や魔物を閉じ込めるために作ったもののように思える。
「——おーい、誰か生きているかー?」
近くにのみ届く程度に声を呼びかける。
一瞬の静寂に「駄目か」と呟き歩を進めようとしたライルだが次の瞬間、彼が次に覗き込もうとした鉄製の扉の格子にガシャン、と音を立てて何者かの手が飛び出してきた。
ローラの「ウェッ!?」という裏がえった悲鳴を聞きながら、ライルは動揺しつつも懐に手を差し入れ武器を取り出そうとして——その手を止める。
「助けて!」
年若い少女の声。
彼女は牢屋から手を引っ込めると、必死な面持ちで格子に顔を寄せる。
顔全体が見えたわけじゃないが強気な瞳に特徴的な赤髪に、確かな人間だと判断したライルは警戒を解き、驚きの表情を浮かべた。
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