第六話
本日、六話目の更新となります。
見た目は傷だらけの人間。
しかし、獣のように唸るその姿は普通の人間とは言い難く、その瞳からも人間性を感じ取れない。纏っている服は冒険者由来のものなのだろうが、それは見る影もなくボロボロになり果てている。
その手に握られているのは、首をへし折られ血のあぶくを吐き出しているグールの亡骸。グールはどれほどの力で引きずり回したのだろうか、足の関節が逆に折れ曲がり片方の腕が欠損していた。
――ハルト・アレクサンドラ。
ローラ・アレクサンドラの兄であり、ランクBの冒険者。
彼女から聞き出した情報をもう一度頭の中でまとめた狩人、ライルはクロスボウを突きつけながら、できるだけ静かな声で目を血走らせるハルトへと語り掛け、意志疎通を試みた。
「ハルト! ハルト・アレクサンドラ! 俺の言葉を理解できるか!」
「ゥゥアアア!!」
返されたのは理性なき叫び声。
衝撃を感じそうなほどの圧に、ローラは怯えたような声を漏らす。
ライルの方は、怯えこそはしないが言葉とは思えない声に背後の彼女を見やる。
「……お前の兄貴、元からあんな感じ?」
「そんなわけないでしょう!?」
「だよな。一応訊いてみただけだ」
すぐに前へ向き直り、クロスボウの照準にハルトを捉えつつ懐から取り出したボトルを取り出す。透明な液体が入っているボトルのキャップを開いた彼は、それを装填された矢の切っ先へと振りかけた。
続いて腰の矢筒に残りの液体をかけた後に、ボトルを乱暴に地面へと投げ捨てる。
彼の不可解な行動を後ろから見ていたローラは、声を震わせる。
「あ、あの、兄に毒を使うんですか?」
「毒じゃない。聖水だ」
「聖水って……ただの水じゃないですか!?」
「悪魔には効果があるんだよ! お前の兄貴に憑りついているんだったらなおさらな! 口出しせずにそこらへんに隠れてろ!」
前触れもなく飛び出してきた悪魔という単語に言葉を失う。
ライルの調達した聖水は、都市の教会で正規の手順で清められた特別なものだ。長年愛用している場所での道具なので、確実に効果があるのは確認している。
一応の準備は整った――しかしその瞬間、眼前のハルトが凄まじい挙動でその場を飛び出した。人間には到底出せない力で、接近してくる彼にライルは冷静にクロスボウの狙いを定め、その引き金を引いた。
「動くなよ!」
放たれた矢は真っすぐ突き進みハルトの肩へと直撃する。
肩への衝撃に足を止める彼だが、矢も聖水も効いた様子はなく、それどころか先ほど以上の怒気と共にライルを睨みつけ肩から矢を引き抜いてしまった。
「ぐぅ、るる……!」
矢じりごと無理やり引き抜いたからか、傷口を広げ血が噴き出す。その様子にローラが悲鳴を漏らすが、次の瞬間にはその悲鳴も驚きのものへと変わることになる。
噴き出した血は一瞬のうちに結晶化し、砕け散ると共にまるで逆再生するように傷口が塞がれてしまったのだ。
「まじかよ……!」
「オオオォォォ!」
すぐさま次の矢を装填して放とうとするライルだが、ハルトが十数メートルの距離を一度の跳躍で詰めてきたことで、クロスボウを諦め回避へと意識を向ける。しかし、彼の背後の未だに逃げていないローラがいることに気付き、苦悶の表情を浮かべながらもハルトが無造作に放った拳を手元のクロスボウで受け止めた。
「ッぐ!」
「オオォ!!」
クロスボウの粉砕する音が手元で聞こえた瞬間、彼の体はボールのように弾き飛ばされた。人間を超越した力に、声すらも上げられずに彼は近くの家屋へと背中から突っ込んでしまった。
ガラガラと粉砕される壁と、足だけが放り出される形で瓦礫に埋まったライルに、ローラは悲鳴を上げることもできなかった。
「あ、え……ライル、さん?」
起き上がらない彼に呆然とそう呟いた彼女は、次に眼前で血走った瞳で睨みつけてくる兄、ハルトへと視線を移す。
彼はローラを凝視したまま動かない。
その瞳は、以前と変わらず綺麗な碧色ではあったが、光はなかった。
「兄さん? 私のこと、分かりますか?」
「ォ、ア……ロォ……ア」
「分かるん……ですね……?」
微かに自分の名を呼んだハルトに、ローラは恐る恐る会話を試みる。
しかし、彼女が一歩近づいたその瞬間、ハルトは大きく取り乱しながら頭を抱えた。その様子は何かに抗っているようにも、恐怖しているように思えた。
それを打ち消そうとでもしているのか、駄々っ子のように大きく腕を振り回しだした。
「ヒ、ヒィ!? ォ、アア!?」
「兄さん!? や、やめて!」
「オオオオオ!」
人間を容易く肉片に変えられるほどの剛腕がローラに迫るその瞬間――彼の背後から銀色に輝くナイフを掲げた男、ライルが頭から血を流しながらも彼の体にそのナイフを突き立てた。
ぐずり、と不快な音と共に心臓にあたる位置にナイフが突き刺さり、ハルトという名の怪物は苦痛による悲鳴を上げた。
「イギッ、ギィアアアアア!?」
「銀製だぞ、このクソッたれ!」
背中に手を伸ばそうとしているハルトを横から蹴り飛ばしたライルは、ローラを自身の背後へと移動させつつ、懐からもう一本、ナイフを取り出した。
「ライルさん!?」
「いいか! この際言っておくぞ! 次は必ず俺の指示に従え! さもなきゃ死ぬぞ!」
「で、でも兄は……!」
「今のアレは話が通じる状態じゃねぇ! そのくらいもう分かってんだろ!」
一触即発の状況の中、先に動いたのはハルトであった。
唸り声をあげ、ゆっくりと後ろへ下がった彼は最後にローラを睨みつけた後に、暗闇が支配する森の中へと走り去っていった。
十数秒ほどローラを庇いながらナイフを構えていたライルは、気配が完全に消え去ったことでようやくナイフを懐へと戻す。
「……銀が効いた、のか? いや、それとも心臓か……? どちらにせよ、完全な不死身ではなさそうだ」
そう呟き、肩を押さえながらライルは膝をついた。
彼にとっても先ほどの一撃はよほど堪えたようだ。
「ライルさん……」
「ここを片付けたら、朝まで休む。嫌でも手伝ってもらうぞ」
「……はい。朝になったら、私は帰らされるん……ですよね……」
ローラは終始、ライルの足を引っ張っていたのだ。
その決定が下されてもおかしくはないだろう。それに彼が今、膝をついている理由も早く逃げなかった彼女の責任でもあるのだ。
ローラがいなかったら、怪物じみた身体能力を持つハルトとも互角に戦えていたかもしれない。
「いいや、それは撤回する」
「撤回って……どういう意味ですか?」
「さっきの怪力野郎がお前と顔を合わせた時、明らかに動揺していた。もしかするなら、お前の兄を元に戻せるかもしれない」
「本当ですか!?」
「あまり期待はするな。最悪、お前を囮にして罠にかける可能性も考えている」
不貞腐れたように言葉を付け加えたライルにローラは、思わず笑みを零してしまった。
最初は性格最悪の男だと思っていたが、ライルという男はローラを見捨てるようなことをせず、まるで当然のことのようにローラを守っていたのだ。
それだけで、最初の悪い印象が帳消しになった。
「それでもいいです! 私、兄を助けたい! そのためなら、どんな危険にも飛び込んで見せます!」
ローラにとっては願ってもない状況であった。
自分はここまでじゃない。
それだけで、彼女の陰鬱だった心情は明るさを取り戻した。
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