第二話
第四章 二話です。
誰もよりつくことのない建物に囲まれた空間にそびえる古びた屋敷。
薄暗く、年代を感じさせる洋館は、以前まではあまり良い噂がしない場所で街の人々に避けられていることで有名ではあったが、最近になってその印象は変わりつつあった。
「お掃除の時間ですよぉぉぉ!!」
それはこの異様な屋敷に場違いなほどに明るいメイドが住み込むようになったからだ。
口元に布を巻き、髪を後ろに結ったメイド、ローラはその手に雑巾のかけられたバケツと箒を携えながら、扉を吹き飛ばすような勢いと共に館の主、ライルの寝ている寝室へと突入をかました。
「いつまで寝てるんですか!!」
「……朝からうるせぇなぁ……」
「もう昼です! さっさと顔洗って、ご飯食べてください!! 用意してありますから!!」
呻くライルに構わず、バサァ!! としめきったカーテンを勢いよく開け放つローラ。
天気は雲一つない快晴。差し込む太陽の光を煩わしく思いながら、彼はぶつくさと文句を口にしながら起き上がる。
そのまま大人しく顔を洗い、用意してあったサンドイッチをぼそぼそと食べる。
「……公爵家の婚約、冒険者ギルドのシルヴァン・エリヘルドの竜討伐……」
彼の手元にあるのは、オディールで発行されている新聞である。
近年になって普及した魔具により印刷技術が向上したことから、都市で起こる事件や吉報などを多くの人々に伝達することが可能になった。
彼がそれに目を通している理由は単純に都市内部で起こった事柄——その裏に何かが潜んでいないかを確認するためだ。
しかし、それでも新聞の内容自体は普通のものであったが、その中で一つ気になるものを見つけた。
「少女の消える路地……。戻ってきた時、記憶を失っていた……?」
それは新聞の隅にある小さな記事。
そこには、ごく最近起こった事件が記されていた。
一般人ならば、くだらない話と片付けられるものだが、ライルからしてみれば直感的な怪しさがあった。
「……確認してくるか」
サンドイッチを口に詰め込み、早速目的の場所へと向かうため準備を進める。
しかし、それよりも先に屋敷の中に呼び鈴が響く。
それに合わせ「はいはーい! 今出ますよー!!」というローラのけたたましい声と足音が聞こえてくる。
どうやら、来客のようだ。
ローラが街の人々に吹聴したおかげで、不可思議な事件に関する依頼を受けるようになってしまったので、今回もそうなのだろうと、溜息をつく。
「ラ、ララ、ライルさーん! お客さんです!!」
「やっぱりな……」
手に持ったコートを戻した彼は、客間へと足を運ぶ。
客は既にいるのか、扉の前では引き攣った表情のローラが紅茶を乗せたトレイを手に持ちながらライルを待っていた。
「で、誰が来たんだ?」
「す、すっごく大きい人です。杖を持っている方で……」
「杖?」
首を傾げながら客間の扉を開き、足を踏み入れる。
普通サイズの椅子が小さく見えるほどの大柄な体の男性が座っており、傍らには金色の装飾が施された黒色の杖が立てかけてある。
「久しぶりだな。友よ」
「今すぐ帰れ、この筋肉達磨」
「ハッハッハッ、予想通りの返答。どうもありがとう」
あれ? 知り合い? 悪態をつくライルに予想を裏切られたローラ。
とりあえず、大柄な男に紅茶を振る舞いながら、彼女もライルが座った椅子の隣に腰を下ろす。
メイドのはずなのにナチュラルに主の隣に座るローラを不思議に思いつつも、大柄な男は彼女へ向けて自己紹介をする。
「失礼、俺の名はフィネガン・ギルファルド。悪魔を専門とする狩人で、ここにいる彼とは友人という間柄だ」
悪魔と聞いて、ローラは自身とハルト・アレクサンドラを思い出す。
外法により人間のゴーレムへと変貌させる黒魔術の書を、悪魔は作り出した。
そんな存在を専門とする者達がいてもおかしくはないので、彼女はそれほどの驚きはなかった。
「私はローラ・アレクサンドラ。ライルさんの屋敷で働いているメイドです」
「メイド……?」
驚いたように目を見開いた大柄の男、フィネガンは肘をついて不機嫌そうな様子のライルへと視線を向ける。
「お前は見ない間に、いい人を見つけていたのか」
「んなわけねぇだろ。こいつが押しかけてきたんだよ。それより、どうしてここに来た? お前達の拠点は隣国の方だろ」
「俺達の使命を考えればすぐに分かるだろう? 悪魔だ」
悪魔、と聞きライルの表情が変わる。
気だるげな様子から、瞳を鋭いものへと変えた彼は、背もたれに背中を預け事の次第を問う。
「少女の消える路地。あれはお前達の仕業か」
「そうだ。悪魔に憑りつかれた少女を逃がさないために結界を張った」
「で、始末できたのか?」
「当然だ。しかし、排除こそできたんだが、あと一体、より厄介なやつが残っている」
「名前付きか?」
「“惑わせ狂いのケケル”」
「聞いたことがあるな。……たしか……人を惑わし、正気を失わせる悪魔か?」
ライルの言葉にフィネガンが頷く。
傍から聞いているローラは、悪魔の名前なんてほとんど知らないので訳知り顔で頷くことしかできない。
「そいつはどうやら、ここで黒魔術を広めようとしていたらしいな」
「随分と大胆な野郎だな。それで、下っ端をやったんなら当然、そいつの情報は掴んでいるんだろうな?」
「悪魔に憑りつかれていた少女から情報を得た」
黒魔術は人の精神を歪める凶器だ。
善良な人間を惑わし、悪へと転じさせるそれは病のように人の精神を蝕んでいく。
多くの場合、欲に駆られて知識を独占しようとし、自滅するものが多いが———それを広めようとすれば、惨事は免れない。
「少女は暫し前に父親と共に都市を出ていたらしい。その矢先で悪魔に憑りつかれ、この場に帰ってきたという」
「その親父が怪しいな」
「同感だ。実のところ、既に仲間が一定範囲へ逃げられぬように監視を行っている」
「……俺、いらねぇんじゃねぇか? お前でも十分にやれるだろ」
邪険にはしているが、ライル自身はフィネガンという男の実力は認めている。
「いいや、相手は名前付き。用心に越したことはない。何より、お前は悪魔に対しての“切り札”だ」
「たかが魔力なしを大袈裟に言いすぎだ。……分かった。その話、受けてやるよ」
「もっと渋られると思ったが、案外すんなり受けてくれるんだな?」
素で驚かれるフィネガンに、ライルは苦々しい顔になる。
「面倒な奴に付き纏われているからな。寛容にもなるさ」
「誰が面倒な奴ですか」
ジト目睨むローラをライルは無視する。
「場所を教えろ。そこで合流する」
「ここで待ってるぞ? 共に行けばいいだろう」
「お前がいると目立つだろ。俺は目立つのが嫌いなんだ」
たしかにフィネガンは背丈も大きく、紳士的な態度とは違い見た目がいかつく、怖い。
そんな人物と街中を歩きたくないライルの気持ちは分からなくもないが、ローラとしては彼が気分が害さないか、心配になった。
「お前は相変わらずだな。それでは、今から伝える場所で落ち合おう」
「おう」
場所を伝えたフィネガンは杖を持って立ち上がる。
「では、またな」と短く言い放ち、そのまま去っていくフィネガンの背中を見送りながらローラは、今一度悪魔について考える。
人にとっての恐怖の存在。
大衆が想像する悪の象徴。
ゴーレム・幽霊・妖精ときて幾分か慣れてきた彼女であるが、敵対する悪魔との遭遇はローラにとって未知のものといっても過言ではなかった。
次回の更新は明日の18時を予定しております。




