第五話
第三章 五話です。
小走りになりながらも彼の隣に並んだミラは、彼がどこへ向かおうとしているか問いただそうとする。
「ついてこいとは、どういうことですか?」
「六階だ」
「へ? ここの六階ですか? でも、ここに六階はないんじゃ……」
大図書館は、六階建ての大規模な建物ではあるが、階層における表記は七階まで存在する。
建設された当時の不敵際により表記上、一階から七階の間にある六階が存在しないからである。
「表向きではそう言われているが、事実は違う」
五階の次が七階とされており、書物に振り分けられた階層を示す番号すらも六階を示すものはない。
しかし、ミラの疑問を無視しながら五階へと到着したライルは、そのまま古びた蔵書が保管された人気の少ない区画へと進んでいく。
その先に上へと続く階段を見つける。
「ここだ」
空気が重く、薄暗い階段の先の光景に少しだけ怖くなりながらも、ついていった先は行き止まり。
ただただ埃と煤で汚れた本が棚に並んでいるだけの場所がそこにあった。
だが、その場所は彼女の知る七階の書庫ではなかった。
「お前が調べていたのは、事実から程遠い眉唾もんだ。本当のことが記されている本は、別の場所に保管されることになる」
「別の、場所?」
ライルが懐から取り出したのは、受付の男性から受け取った錆色の鍵。
それを本棚にかざした瞬間、霧が晴れるように本棚が消え、木製の両開きの扉が現れる。扉には薄く輝く魔法陣のようなものが浮かび上がっていた。
「6という数字は悪魔、それか不吉を象徴としている数字ではあるが、裏を返せば邪なモノを集め、引き止める数字でもある。隠された“六階”に集められるのは、人が触れるべきではない禁忌の知識。そんな厄ネタを詰め込みに詰め込んだ場所だ」
錆色の鍵を鍵穴に差し込み、木製の扉を開け放つ。
少しのカビ臭い空気と、暖かな風が吹き込んだ先には本が敷き詰められた棚が並んだ空間がそこにあった。
広さはそれほどでもないが、保管されている書物や資料などに見境がない。
棚の間に大量に留められたメモ用紙。
中央に設置された机には、使い古された羽ペンとインクがあり、何重にも敷き詰められた用紙の束が放置されている。
これまで足しげく通い、自分の庭同様とさえ思っていた大図書館の未知の領域にミラは表情を強張らせた。
「こ、こんな空間があったなんて……」
「厳密には、魔術によって隠された空間だ。邪悪を払う結界と、鉄製の壁、魔除けの刻印が刻まれた壁面。こと魔除けに関しては、この世で最も強力な領域には違いないだろうな」
恐る恐る室内へと踏み込んだミラに、ライルは続けて言葉を発する。
「今後、お前に調べ物を頼むことになる」
「調べもの?」
「俺はそれほど得意でもないし、その時間もないからな。ここを任せられるやつがいるならそれでいい」
「ここは貴方の所有物なのですか?」
「いいや、ここは俺達“狩人”と呼ばれる集団のための空間だ。この都市にいるのは俺しかいねぇから、他の狩人は利用しねぇがな」
「……狩人」
ライルの言っている狩人と、ミラの考えている狩人は全く違うものなのだろう。
そして、その組織の規模は彼女が思っている以上に大きく、昔から存在している。
「あの、調べものをするということは、ここに出入りしていいということですか?」
「働いた分の金は出す。だが、調べる上での制限は設ける。のめりこみすぎれば、帰ってこれなくなるからな」
「帰って、これなくなる?」
「ここに記されているのはこの世界の隠された真実、その一部だ。怪物、形無きもの、外なる世界に存在する上位存在、各地で祭り上げられる神聖存在、そして―――悪魔。それらは、物理的な意味で目に毒だ。特に……お前のような好奇心旺盛な小娘にはな」
レクスター夫人のようにはなりたくないだろう? と言われ、ミラは顔を青ざめさせながらこくこくと頷く。
彼女とて、人間をゴーレムに変えるような常軌を逸した行動をする外道になるつもりはない。
ただ、心にぽっかりと開いてしまった穴―――知識欲を満たせればそれでよかった。
それならば、ライルの提案は自分にとっても好都合なものであった。
「……分かりました。それで、私に何を調べて欲しいんですか?」
「今、俺達が関わっている事件についてだ」
了承したミラに、貴族のアランから依頼された不可解な事件について説明をする。
一連の不可解な殺人事件と、ライルの考察を聞いたミラは唖然とした様子で、古びた椅子に腰を下ろした。
「……そんな不思議な事件がこの都市で……」
「そういう事件は、認識できないだけで常に起こっているもんだ。何も知らなけりゃ、不可解な事件だと片付けられちまうがな」
「ライルさんの見解は」
「俺は音に関する怪物、もしくは現象だと睨んでいる。どうにもしっくりしねぇ部分もあるがな」
未だに憶測の域を出ないことに加え、今回は現場での証言意外に有力な情報が少なすぎた。
何よりも、依頼人であるアランに一種の不信感を抱いている状態では、迂闊に結論を出せないとライルは考えていた。
一度頷いたミラは眼鏡をかけなおすと、ゆっくりと立ち上がった。
「それじゃ、まずは本の位置を把握することから始めます」
「ああ、まずは文献の位置を教えとくか」
「はいっ」
本そのものに触れること自体、嬉しいのかミラは喜色の笑みを浮かべた。
調べるは、“音”に関する怪物。
屋敷に潜み、鋭利な刃物で人を殺傷せしめる、というのが現状の情報ではあるが、人間に危害を加えている時点で、精霊や人間に無害な生物ではなく、怪物や悪霊のような性質の悪い存在には違いない。
そう考えたライルは、ミラに怪物について記されている棚の位置を教えながら、手近な資料を手に取り目を通していく。
「わぁ、すごい……えぇ、ほわぁ」
すぐ隣で浮ついた反応をしながらページを捲っていくミラ。
そうなるのも無理はないが……と思いつつライルも情報集めに集中する。
棚に保管されているのは、本だけではなく、羊皮紙を紐で束ねただけの粗雑なものまである。中には少し雑に扱うだけで、破れてしまいそうなほど古いものもあり、扱うには注意が必要となっている。
「……今いち、しっくりこねぇな」
暫し、資料に目を通したライルは目ぼしい情報の乗っていなかった資料を棚に戻しながら腕を組む。
「そもそも音に関する怪物自体少ないみたいですね」
「ああ。幽霊って線もあるが、あの場には霊が関わっているような痕跡はなかった。だからこそ、怪物だと思っていたんだが……」
情報をまとめながら、ライルは近くの椅子に腰かける。
「何かが足りない。それか見落としている」
それが何かは分からない。
しかし、確実に堪えにたどり着くまでに必要な情報が不足している。
「いや、待て」
情報が不足しているのではなく、足りすぎているとしたらどうなのだろうか?
根拠のない情報を真実と勘違いして、証拠と考えてしまっているのなら答えが出ないのも当然だ。
なにせ、違っている部分から導き出されるはずの答えが歪められてしまっているのだから。
「それなら、まずはあいつの発言を疑うのが自然か……」
そこまで考えたライルは、今一度これまでの情報への真偽を確かめようと手帳を取り出そうとしたところで―――彼らのいる第六階層の扉が開け放たれる。
「失礼します」
丁寧な仕草と共に入ってきたのは受付の男性と―――きょろきょろと周りを見回し呆けているメイド服の少女、ローラであった。
「うわ、なんですかここ! 陰気!」
なんてことを口にしているんだこいつ、とため息をつきながら立ち上がったライルは、ローラを連れてきた受付の男性に頭を下げる。
「ありがとうございます」
「連れてくるのは、こちらの方でよろしいでしょうか?」
「はい。このアホ面の小娘で間違いありません」
「アホ面とは誰のことだ、おい」
さりげないアホ面呼ばわりに食って掛かろうとするローラだが、その前にライルに睨みつけられ黙り込む。
その様子を見た受付の男は、確認するようにローラを一瞥する。
「間違いはありませんか?」
「ええ。怪しくはありますが、危険はないと思います」
「貴方がそう仰るのならば、私共はなにも言いません」
そこまで口にした受付の男は丁寧な仕草でお辞儀をすると、そのまま扉から出て行ってしまった。
一人、訳も分からず部屋まで案内されたローラは、屋内をきょろきょろと見回していると、いつか会った青髪の冒険者、ミラの姿に気付く。
「え、どうして貴女がライルさんと?」
「えと、私は……」
「情報集めを手伝ってもらってたんだよ。これからも世話になるからお前も覚えておけ」
「はい! よろしくお願いします! えーと、ミラさんでしたよね!」
「は、はい……」
口調こそ似ているが、自分とは違う快活なローラに押されながらも頷くミラ。
そんな二人の様子に構わず、ライルはミラへと話しかける。
「おい、随分と時間がかかったようだが……まさかどっかで道草食ってたんじゃねぇだろうな?」
「そんなわけないでしょう! あ、でもちょっと美味しいお菓子とか、紅茶とかご馳走にはなってしまいましたけど」
「道草じゃなくて、菓子食ってんじゃねぇか……」
えへへ、と照れたように微笑むローラに毒気を抜かれ、ライルは席に座り込む。
しかしそれだけではなかったのか、握りこぶしを作ったローラが意気揚々とライルとミラへと口を開いた。
「むしろ私は、アランさんの妹、エレナさんから重大な秘密を教えてもらったんです!」
「重大な秘密だと?」
「ええ、あの館に昔から潜んでいる存在についてです!」
昔から潜んでいる。
予想すらしていなかった言葉にライルは目を丸くする。
館に潜むもの。
彼女の話が本当だとすれば、ライルとミラが調べている怪物の正体だけではなく―――依頼主であるアランへの疑念が確かなものになる。
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