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7話 二章 第三の殺人(3)

 宮橋のスポーツカーに戻った真由は、車のエンジンをかけてハンドルに腕を乗せた彼に、カラオケ店をぼんやりと見やりながら指示され、藤堂の手帳に記載されている今事件の内容を声に出して読み進めていた。


 車内の冷房はすぐに利いてきて、日光の熱を遮断するシートでも貼られているのか、窓からの日差しは痛くはない。カーナビから切り替えられたモニターには、生放送のニュース番組が流れている。


 ニュースの報道番組では、隣町で起こった交通事故とコンビニ強盗、そのあとほんの少しだけ都内の高校生が二人亡くなった事が報じられて、すぐに話題が切り変わった。


「たったこれだけ……?」


 つい、ニュースを見てしまっていた真由は、そう呟いた。高校生二人が亡くなった事だけがあっさり知らされただけで、最近頻発しているバイクのひったくり事件と、隣の県で起こっている女子大生連続殺人事件が重点的に述べられ始める。


 すると、運転席からカラオケ店を見つめている宮橋が、「報道規制がかかっているからな」と物想いに耽った声で、つまらなそうに言った。


「まぁ、確かにそうは聞きましたけど、なんか実感がないと言いますか」

「現時点で報道したとしても、勝手な不安を煽るだけだろう。短い間に三人が殺されて、ほとんど何も特定出来ていない中で馬鹿正直に『まず凶器はなんだ?』『犯人は一人か複数か?』『どうやって生きたまま人間を切断できる?』なんていうキーワードをぶちこんでみろ、あっという間に大騒ぎになるぞ」


 真由は、君は馬鹿か、というような表情を向けてくる宮橋を見つめ返した。確かにその通りだと思ったので、嫌味とも受け取らず「私、ちょっと思うんですけど」と続けた。


「あの被害者は、どうして一人でこのカラオケ店に入ったんですかね?」


 そう自分で尋ねておいて、ふと直観的な閃きがあって「あっ」と声を上げた。


「そっか! きっと誰かに呼び出されたんじゃないですか? 入店記録は一人ですけど、後でこっそり来たその呼び出し人が、犯人なんじゃないでしょうか?」

「確かに、彼の携帯電話には非通知で二回、着信が入っていた。――でも彼は、呼びだされたわけじゃない。知らず逃げ道を狭められて、ここに『追い込まれた』んだよ」


 まるで狩りだね、と宮橋は独り事のように言い、また物想いに耽ってハンドルの頬杖をついた。


 被害者の携帯電話に、非通知の着信が入っていたなんて初耳だ。そういえば、現場で手に取っていたっけな、と遅れて思い出していると、彼の胸ポケットから、どこかで聞いたような陽気な音楽が小さく流れ始めた。


 真由は、視線をそろりと動かし、宮橋の端正な横顔を窺った。


「宮橋さん、この着信音って……」

「子供番組であった、『皆一つ~皆仲間なのさ~』のヤツだよ」


 宮橋は口笛でその音程を再現しながら、薄い折り畳み式の携帯電話を取り出した。着信画面を確認したところで、「おや」と意外そうな表情を浮かべ、しばらくそれを眺めた後、電話に出る。


「やぁ、さっきぶり」

『チクショーさっさと出ろよな! てめぇは毎回、俺の電話だけいちいち妙な空白を置きやがってッ』

「ははははは。で、どうしたんだい?」


 受話器からもれてきたのは、三鬼の怒号だった。真由は、聞き耳を立てながら、太腿の上に置いていた手帳を、意味もなく握ったり背表紙に触ったりしていた。


『被害者の名前は、秋沢(あきざわ)(のぶ)だ。入店時の様子を聞き出した。藤堂の手帳に、第三の被害者大沢伸って書いとけ』


 宮橋が、こちらにチラリと目配せする。


 真由は頷き返して、普段から胸ポケットに入れているペンを手に取った。タイトスカートの上にしっかり手帳を置いて、カナカタで「オオサワノブ」と読みやすい字で記した。


『書いたか?』

「ああ。で、入店時はどうだった? 何かに追い込まれたような様子だったと思うんだが」

『お前の言っている通りだが、どうして分かった?』

「さぁね。で、その時の被害者の様子は?」


 肩をすくめる宮橋を、真由は静かに見つめた。電話をする様子もさまになっていて、こんなに綺麗な日本人男性もいるんだなぁと、どこか西洋風の顔立ちにも見えるその美麗な横顔を、つい目に留めてしまう。


 すると、不意に、彼の整った綺麗な顔がこちらを向いて、ドキリとした。一体なんだ、と問うように彼の瞳がくいっと細められて、真由は慌てて『なんでもないです』と口パクで答えて顔の前で手を振った。


『防犯カメラの映像を見たが、ひどく怯えた様子だったな。お前、もう何か掴んでいるんだろう? 一体なんだ』

「ビデオには、他に何も映っていなかったのか?」


 途端に宮橋が、まるで落胆するみたいな調子で声を落とした。シートへ身体をもたれると、分かりきっているような言葉を待つかのように、一度目を閉じる。


『画質がしばらく下がったが、特に問題はなかったぜ。そもそも、お前がビデオチェックしないなんて珍しいな』

「ちょっとした諸事情でね、推測される範囲の危険は、今は回避しておこうかと」

『なんだそりゃ?』

「君が昔に言ったんじゃないか。あの事件で、馬鹿みたいに僕を引き留めて」

『…………』

「そして僕は、君の今の『なんだそれは』の質問には答えない。――肉眼よりも、君らの場合は、防犯カメラというフィルターを通した方が、色々と見えると思ったんだけどなあ」


 シートにもたれたまま、宮橋はぼんやりと車窓から青空を見やって、そんな言葉を紡いだ。三鬼の『はぁ?』という疑問の声を無視し、優雅に長い足を組んで、右手で柔らかな髪をかき上げる。


「まあ、よく分からなくてもいいさ」


 宮橋は、話題を変えるように言って、声の調子を戻してこう続けた。


「そういえば、被害者はかなり気性の激しい集団だったみたいだね。君は知っているのか? 彼らのせいで、どれだけの人が迷惑を被ったか」

『ちっ、相変わらず嫌なところだけピンポイントでついてくるよな。聞きこみで、いちゃもんをつけられた金を取られた、という話は散々聞いてる。ちなみに事件が発覚してまだ一日も経っていない。容疑者像も、まだ上がってねぇ』

「そんなのは予測済みさ」

『けっ、そうだろうな』


 その時、話していた彼が、シートから背を起こして、こちらを向いて足元の手帳を指してきた。ちょっと見せろ、とでも指示しているようだ。


 そう思って手帳を広げて見せると、宮橋が長い上体を、ずいっと寄せて手帳を覗きこんできた。綺麗な顔がすぐそばまで迫って、真由は不意打ちのようにドキリとしてしまった。


 平然とした態度を心がけたものの、手帳へと視線を落とした宮橋の、睫毛の一本一本が見えるほどの距離に緊張を覚えた。しかも、彼がおもむろにしっかりとした男性らしい、それでいて長い指を伸ばしてきてページをめくり始め、その振動が太腿に伝わってきて、更に落ち着かなる。


 というか、乙女の膝の上を平気で覗き込むなんて、普通やらないような……


 真由は、どうしてか、いつものタイトスカートが気になってきた。少しゆとりがある物だったので、恐らくあまり足の形は出ていないはずだけれど、と普段は微塵にも思わない事を考えてしまう。


「先の二名の被害者共に、金回りが良かったみたいだな。時々カツアゲするくらいじゃ、こんな頻繁には遊んでいられないんじゃないか?」

『お前が言いたい事は分かってる。金を持っている特定の人間を恐喝、暴行しているんだろうと踏んで、俺たちも聞いて回っているところだ。第一の犯行が行われる直前にも会っていた可能性はあるし、そいつにも話が訊けたらいいんだがな』

「その人物が特定出来たら、すぐに連絡をくれ。それと例の不良メンバーは、判明次第に身柄を保護しろ。僕の予想が正しければ、次に死ぬのは、そいつらのうちの誰かだぞ」


 宮橋は断言すると、返事も待たずに電話を切って、携帯電話を胸ポケットにしまった。顔を上げかけて、ふと、同じ目線の高さから真由と目があったところで、怪訝な表情をする。


「どうした。変な顔をしているぞ?」

「……いや、別になんでもありません」


 真由は、近い距離であるとますます威力を発揮するらしい、恋に憧れがなくとも目が吸い寄せられてしまうくらい美麗な橋宮から、ぎこちなく視線をそらした。咳払いを一つすると、運転席へと背を戻した彼に言う。


「電話でのお話からすると、やっぱり怨恨の線が強いんですかね?」

「事態は、もっとややこしい」


 橋宮は唇を尖らせ、ニュース番組を元のカーナビに切り替えて、愚痴のように続ける。


「署に駆けこんでくれたら、話は早いんだがなぁ。いつも一緒につるんでいるメンバーが立て続けに死んでいて、自分たちが狙われている可能性を、考えたりはしないのか?」


 その口調には苛立ちが含まれていて、真由は返答に困った。


 手帳をジャケットの外ポケットに入れ、カラオケ店の周りを固める警察官たちの様子を、なんとなく目に留めた。日陰になっているものの、夏の熱気に当てられているせいで、びしっと着込んだ制服の間から汗を覗かせている。


「次に狙われるのも不良メンバーの誰かだ、と宮橋さんは言いましたよね。それって、つまり被害者になるのは、特定の誰かを苛めていた『いじめっ子メンバーのグループ』なんですか?」


 ふっと思ったままに、真由は宮橋へ視線を戻して問い掛けた。彼は腕を組んでシートに身を預け、ちらりと視線だけを寄こす。


「そうだ。そのメンバー全員が死ぬまで、事件は終わらない。そして、彼らが全員死ぬまでは、きっと驚くほどあっという間だぞ」

「全員!? 確かにもう三人目の被害者も出てしまっているけど、また一体どうして――」

「僕もまだ推測を絞り込めていない。情報は足りないし、確認したい事も複数あるからな。ただ、これだけは言っておくぞ。いいか、僕の命令には絶対従え。従えないのなら、今すぐ君をこの事件の捜査から外す」


 宮橋の瞳は、刺すように鋭かった。本気なのだと分かって、真由はなぜか心苦しくなり、気を紛らわそうとどうにか苦笑いを浮かべて、「そんなの分かってますよ」とだけ答えた。


 難しい顔をしたまま、彼がシートに身を預けた。思案に耽る顔で、ポケットからガラスの何かを取り出して右手で転がす。


 その様子をしばらく見つめていた真由は、それがガラス細工のチェス駒である事に気付いた。先程、署にある彼の机でも灰皿のような形をした駒を見たが、それは馬の形をしていた。


「それ、チェスの駒ですよね? 好きなんですか?」

「ああ。部屋には、僕専用のやつが置いてある。見ていると落ちつくんだ」


 けれど、すぐに会話は途切れた。


 時間がないと言う割にすぐ動く様子がなくて、真由はそわそわと落ち着かなくなった。直前に叱られたみたいな雰囲気もあったせいか、ピリピリとした空気が続いているような気がして、払拭するように「あの」と声を出していた。


「これから、どうするんですか……?」

「僕が考える。今まさに考えているんだ。……手帳を貸してくれ」


 目を向けないまま左手を差し出され、真由はしまっていた手帳を慌てて取り出した。

 宮橋は左手で手帳を受け取ると、右手で駒を動かしながら器用にめくり始めた。ぼんやりとした様子で手帳のページを眺めていく様子を、真由は背筋を伸ばしたまま黙って見守っていた。


 不意に、先程の殺人現場が脳裏をよぎって、彼女は「あ」と声を上げた。三番目の事件現場で、一つの違和感に気づいたのだ。しかし、それを伝えようとした時、手帳を眺めていた宮橋の表情が変わった。彼はあるページで手を止めて、眉間に皺を寄せる。


「どうしたんですか?」

「…………いや、気になる苗字が」

「苗字?」


 名前じゃなくて? と真由は小首を傾げる。


「知り合いってわけでもないですよね?」

「この年頃にはいないぞ」


 こちらを見ないまま答えた宮橋が、眉根を寄せて「カタカナじゃなぁ」と独り言を口にし、考えるように窓の外を見やった。


 少し気になってしまって、真由は身を乗り出して「どれですか?」と尋ねてみた。ほんの先程までのぎこちなさを忘れたみたいに、きょとんとした顔で自身が持っている手帳を覗きこまれた宮橋は、珍しそうに彼女の頭を見下ろし、それから開いたページを見せて、チェス駒を持った手でそこを指した。



『ヨタク トモヒサ』



 そのページは、先程読み進めながら真由が、全部カタカナで書かなくても、と思った部分だった。被害者と関係がある友人や知人の名前がびっしりと並んでいて、罫線にきっちりと詰められたそれは、藤堂がマメな男であることを主張している。


「宮橋さんは、この『ヨタク』って苗字が気になるんですか?」

「出来れば漢字を知りたい」

「ふうん?」


 彼の方に身を乗り出したまま、真由は小首を傾げた。変わった苗字なんて他にも色々あるし、そんな気に留める事でもない気がする。


眞境名(まじきな)って苗字もあるくらいですし、珍しいのって沢山ありますよね」

「いや、そういう事じゃないんだが――まぁいい」


 宮橋が話題を打ち切るように言って、何事か決めたように手帳を閉じた。チェス駒をポケットにしまうと、手帳を真由に渡してこう続けた。


「これから聞きこみに行こう」


 突然、シートベルトを締めて車を動かした宮橋を見て、真由は素早く手帳をしまうと、慌ててシートベルトをしめて「安全運転でお願いしますっ」と伝えた。


 彼は後ろに視線を向け、慣れたようにハンドルを操作して車の頭を道路に出したところで、怪訝そうに彼女を見やる。


「僕を誰だと思っているんだ。捜査一課でも一番の、安全運転だぞ」


 説得力なく続けられた言葉の後、車は前触れもなく急発進していた。車内では本日二度目の、全く色気もない真由の抗議の悲鳴が上がった。



 事件現場となったカラオケ店から、車で十五分ほど離れた活気溢れる商店街にて、午後二時過ぎの穏やかな空を仰いだ何人かの人間が、どこからともなく鈍く響いてくる荒々しい車の音を聞いたのだった。

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