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6話 二章 第三の殺人(2)

「入店していた客には、すでに聞き取りを済ませてあります。平日の正午ではありますが、被害者を除くと、他には十組の客しかいなかったようです」


 部屋の前で警察官の話を聞いた真由は、平気な顔で立つ宮橋の隣で、残酷な事件現場を確認して絶句していた。


 少ない人数の客を入れるという、こじんまりとしたそのカラオケボックスには、辺り一面に血飛沫が広がっていたのだ。


 正方形の白いテーブルの、ほとんどを染める赤、赤、赤……。そこには、捻じ切られた腕が乗っていて、残りの『部位』がちぎり捨てられたみたいに散乱している。

 換気のトラブルもあったようで、冷房さえ止まってしまった室内は、むっと蒸せるように生温かい空気が漂っていた。真新しい血の匂いが溢れ返っていて、嘔吐してしまいそうになる。テーブルからは、未だに血が滴っていた。


「死後、数十分ってところだろうな。入店記録は、今から五十分前だ」


 三鬼は、苦い顔でそう言った。情報を提供された宮橋が「そうか」と静かに答えながら、入口に立ったままじっと室内を眺めている。


「こんなの、尋常じゃねぇよ。第一、第二と、続くほど酷くなってやがる」


 実際にどちらの現場も見ていた三鬼は、悔しさを滲ませた。目の前に広がる光景は、どれも人間の犯行を思わせないでいる。


 黒いソファに、色も分からない液体がてらてらと光っていた。室内にぶちまけられた大量の血液が、薄暗い照明に重々しく浮かび上がっている。大型テレビの上には、どこの部位なのか分からない肉片もあった。


 それを彼らと共に見つめている真由の足は、そのおぞましさに、知らず次第に小さく震え出していた。

 人間が座っていたと思われるソファの中央の壁には、花を咲かせた血飛沫が描かれていて、テーブルの下にある切断された頭部の一部分を見て、それがどこの一部であるかが分かって、吐き気を堪えて口に手をやった。


 それでも、彼女は目をそらす事を忘れてしまっていた。本能はその光景を拒絶していても、おぞましさと恐怖は身体から自由を奪って、瞳すら他人の物のように自由にならないでいる。


 テレビの乗った台の下にある、半袖がついたままの腕。棚の上に転がる、靴を履いたままの足首の塊。食いちぎられたような太腿の部分、ソファの端にぽつんと立つ胴体――

 その時、目の前に大きな手が現われて、不意に、その光景が遮断された。


「あまり、見ない方がいい」


 目を向けてみると、こちらに手を伸ばした三鬼がいた。宮橋同様に入口から室内を見つめたまま、顰め面ながら神妙な横顔でそう言っってくる。彼のぶっきらぼうな物言いには、「無理をするな」という言葉が隠れていて、気遣われているのだと分かった。


 我に返った真由は、「すみません」とどうにか頷いて、硬直しかけた身体を扉の横に少しずらした。なんとも情けないと気分は沈んだが、三鬼が続けて「ベテランだって吐くやつはいる」と追ってかけてくる言葉を聞いて、ほんの少しだけ救われるような気がした。


 真由は、赤く染まった室内がわずかに覗く位置から、先程組まされた先輩刑事の後ろ姿を見守った。相変わらず宮橋は、美麗な顔で涼しげなまま現場をじっと観察していた。恐怖も嫌悪感も、何も感じていないようだった。

 

 戻ってきた藤堂が真由に「大丈夫ですか?」と声をかける間に、宮橋と三鬼の短いやりとりは行われた。


「何も触れていないだろうな?」

「ああ。扉の前を通った客から知らせを受けて、店員がすぐに通報した。そのあと、俺がそこに入ったぐらいだな」


 三鬼は扉から入ってすぐの、わずかに血が踏まれた場所を指した。宮橋が「よろしい」と言って室内に足を進める。彼は血を踏むことも構わず、部屋の中央に立って室内を見回した。


 後ろからそれを見守っていた藤堂が、うっと顔を歪める。


「それにしても、どうやったら天井まで血がつくんですかね…………」


 そう続けて目を凝らしたところで、藤堂がハッと顔を強張らせて、三鬼の袖を掴んだ。「なんだよ」と顔を顰める彼に、「先輩」とかすれた声で続ける。


「あの天井の血痕、飛び散ったにしては変じゃないですか? なんか……」


 言葉が続かない藤堂に苛立ち、三鬼は入口から顔を覗かせて天井を見ようと頭を動かせた。すると、中にいた宮橋が眉根を寄せて振り返り「まだ入ってくるなよ」と注意する。


「分かってるって、入らねぇよ! くそッ、いっつもこんな感じだ」


 そう愚痴りながら、改めて天井を見上げた三鬼は、罵倒を続けようと口を開きかけたまま硬直した。天井に目を凝らした彼は、大声で警察官を一人呼ぶと、受け取った携帯用懐中電灯でその天井部分を照らし出した。


「……なんじゃ、こりゃ」


 三鬼は、呆けてそう呟いた。食欲をすっかり失った藤堂ほどの衝撃はないものの、訝しんで目を細めている。


 天井には、中央部分から斜め直線に向かって、太い血痕が伸びていた。懐中電灯の眩しい明かりが、ゆっくりと血痕を追い、それは北側の横壁でぴったりと途切れているのが確認された。

 その部分の壁には、一滴の血も付着していない。まるで、血液がつかないようにシートを張っていたとしか思えないほどの不自然さがあった。


 すると、宮橋が振り返って、当然のようにこう述べた。


「引きずったんだろ。見れば分かるじゃないか」


 途端に三鬼は、彼の顔に灯りを当てると、宮橋が眩しそうに目を細めるのも構わず「どういう事だよ」と説明を迫っていた。苛立ちと怒りの板挟みに遭い、今すぐにでも怒鳴り散らしそうな気迫だった。


 秀麗な眉を顰めた宮橋は、面倒そうに頭をかいた。


「だから、持って行かれたんだよ。被害者の身体の一部がね」


 これはもう確定だな、とぼやいた宮橋は「そのクソ眩しいライトを消すように」と言った。灯かりに照らし出された切れ長の瞳孔は、日本人にしては明るくも見えた。

 三鬼は懐中電灯の電源を切ると、それを警察官に返して再び室内を覗きこんだ。その目に焼き付けようとするかのように、辺りをじっくりと観察していく。藤堂は、そんな先輩の姿に「俺にはまだまだ真似出来そうにないです」と、尊敬の眼差しを注いだ。


 真由は、どうにか身体の震えは収まってきたので、口に当てていた手を下ろした。深呼吸を繰り返していると、藤堂が三鬼と同じように室内を見回し始めたことに気付いた。


 私よりちょっと年上かな、と彼の細い立ち姿を見てぼんやりと考えてしまう。すごいなあ、私も頑張らなくちゃいけないのに、なんだか全然役に立っていないや……


 その時、宮橋が入口に立つ三鬼と藤堂を振り返った。


「第一の現場、第二の現場に、君たちは行ったんだよな?」

「ああ、行ったな。しかも二番目の現場は、俺らが第一発見者みてぇなもんだ」


 三鬼がぶっきらぼうに答え、藤堂が首を上下に振る。


「現場にあったもので、何か気になる物はかったか? 例えば……」


 言いながら、宮橋が辺りを見回し、ふと、胸ポケットから白い手袋を取り出した。それを慣れたように片方の手にはめて、テーブル下に転がっていた血だらけの小さい携帯電話を取り上げる。そばにある腕など、まるで気にならないようだった。


「携帯電話とか。あと、被害者の荷物にしては、変だなと感じた物だとか」

 問われた三鬼は、思い出そうと苦戦しつつ「どうだったかな」と腕を組んで呻った。宮橋は、被害者の携帯電話に電源が入る事を確認していたが、藤堂が「覚えてますよ」と挙手すると、顔を上げて彼の方を見やった。


「公園では、財布だけでしたね」

「他は何もなかった?」

「はい。今時の若者にしては、荷物がたったそれだけというのも、ちょっと変だなぁって思っていたんですけど」


 そう答えた藤堂に、途端に三鬼が「バカヤロー」と呆れたように言った。


「携帯電話が、二キロ離れたゴミ捨て場から発見されただろうが。自分で壊したのか、壊されたのか分からない破損したヤツがな」

「あ、そうでした」


 藤堂は、すっかり忘れていたと言わんばかりに、愛想のいい瞳を丸くした。


「そうでした、じゃねえよ。ったく、何が『覚えてますよ』だ」

「で、第二現場では?」


 宮橋の尋ねる声を、真由は三鬼と藤堂の背中越しに聞いていた。一体、彼は何を知りたがっているのだろう? 一人そんな疑問を思い浮かべる。三人の会話を聞いているうちに、気分はだいぶ落ち着いてきていた。


 しばらく考えるように黙っていた三鬼が、難しそうな顔で頭をかいた。


「第二現場は、被害者の部屋だったんだ。色々とありすぎて、分からん」

「君ならそう言うと思ったよ。藤堂君、君はどうかな?」


 宮橋はそう言い、続く三鬼の愚痴を完全に聞き流して、携帯電話を元の位置に戻した。

 二人の刑事が、第二現場の様子を思い出そうと首を捻る後ろで、真由は学生の部屋にある物を想像して、彼らに少しでも協力出来るように指折りあげてみた。


「パソコン、携帯電話、財布、勉強机、コンポ、勉強道具、とか『色々』?」

「その通りなんだがな、他にもゲーム機だとか、よく分からない小物も結構あった」


 三鬼が彼女を振り返り、宮橋相手の時とは違って叱り口調で言うわけにもいかず、困ったようにそう口にした。


「大人が持っていそうな物を除いた全部、って感じみたいな部屋でしたよね」


 そう先輩に相槌を打った藤堂が、ふと思いだしたような顔で「そういえば」と宮橋に続ける。


「財布には、新しいお札が入っていましたね。五千円くらいかな。バイトもしていなかったらしいし、お小遣いをあげた覚えもなく、親御さんは心当たりがないそうです」

「カツアゲしたお金かな」


 宮橋はさらりと推測を口にして、顎に手をやった。視線を落として室内を見渡し、短い範囲をゆっくりと歩く。


 それを見た三鬼が、顔を顰めて同期の彼に声を掛けた。


「おいおい、あんまり血を広げんなよ。お前に与えられている権限だって、内容がちっと特殊ってだけで事情によりけりだし、他の連中にはあまり知られてもいないんだぜ」

「ああ、分かってるよ」


 物想いに耽っている様子で、宮橋が条件反射のような返答をし、三鬼が「ホントかよ」と呆れたように言った。


「三鬼、見つからない身体の一部は特定出来たか?」

「はっきりしているのは、一番目の両目と片方の腕、二番目は、今のところ右足だけだが――つか、今回の事件は異常だな。生きたまま内臓の一部を取り出されているって報告が、さっき入った。どの臓器か、分かったらすぐ伝える」


 その時、不意に宮橋の足がぴたりと止まった。


「ああ、なるほど。補い行為か」


 独り言のように口にした橋宮は、疑問の声を上げようとした二人の間に割り込んで足早に室内から出た。警察官から、血を拭うための濡れタオルを受け取り、慣れたように靴の血を拭き取ると、彼はそれを三鬼に投げ渡す。

 投げられた三鬼が条件反射で受け取り、血が付いた濡れタオルに「おわっ」と短い悲鳴を上げるのも無視して、宮橋は藤堂に「現在分かっている情報が欲しい」と告げた。


「宮橋さん、それって手書きのやつでもいいですか?」

「ああ、構わないよ。三鬼のような、ひどく汚い字は勘弁だが」

「あははは、俺のなんで安心してください」

「おい。そりゃあ、どういう意味だよ」


 三鬼は憮然と呟いたが、同期の宮橋にも後輩の藤堂にも無視された。藤堂が、どこのページに書かれているのか手短に説明して、使い古した手帳を宮橋に渡す。


 異動してきたばかりの部署で立ち回りが掴めていない真由は、相棒を望んでいない刑事なのだという小楠から聞いた話を思い出して、役に立たないし帰れって言われるかも……と想像した。さすがに、コンビを組まされて一時間もせずに戦力外通告をされたら、ショックが大き――


 その時、宮橋がくるりとこちらを振り返って、思わずビクリとしてしまった。美しい顔を真っ直ぐ向けられたかと思ったら、目の前に手帳を突き出されて、真由はびっくりした。


「真由君、情報を叩きこめ。僕らは、早急に動かなければいけないぞ」


 一瞬、真由はぽかんと呆けてしまって、目の前に立ったすらりとした彼を見上げていた。美麗な顔が顰められて、形のいい唇が「どうした」と怪訝そうに問う。


「いえ、あの、これって藤堂さんの手帳ですよね……?」

「今回の件の情報が書かれている、大事だから預ける。僕は失くさない自信がない」


 宮橋が、偉そうにきっぱりと言った。三鬼がすかさず「いや堂々と言い放つ事じゃないだろッ」と突っ込み、持ち主である藤堂も「あとで返して欲しいです」と苦笑を浮かべる。


 大事だから預ける……と思わず口の中で反芻した真由は、押し付けられるように手渡された手帳を慌てて受け取った。尋ね返す暇もなく宮橋が歩き出してしまい、急いでその後ろを追った。


 けれど歩き出して数歩、不意に首筋から全身に向けて、真由は得体の知れない悪寒を感じて振り返っていた。

 無線で鑑識らを呼ぶ三鬼の隣で、同じ表情を浮かべて辺りを見回していた藤堂と目が合って、知らずお互い息を呑むのが分かった。後ろから、宮橋が急かす声がして、真由は逃げるようにその場を後にした。

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