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3話 一章 捜査一課「L事件特別捜査係」(2)

 N県警捜査一課は、前触れもない修羅場に荒れたり荒れなかったりと、温度差が激しい場所である。


 昨日真由が挨拶に来た時には、全員が鬼のような形相で走り回り、怒号も飛んでいたのだが、今日は半分以上が空席で比較的静かだった。相変わらず資料や私物らしきものがごちゃごちゃとしている印象があるけれど、窮屈な室内には、ゆったりとした時間が流れている。


 小楠の後ろをついて歩くと、そこに残っていたメンバーの視線が、自然とこちらに集まってきた。昨日紹介された顔がちらほらとある。


 気のせいか、皆が自分を「まさか彼女が」という顔で見送っていく気がする。


「…………あの、小楠警部。例の彼、本当に変わり者みたいですね?」


 真由が思わずこっそり口にすると、図星で返す言葉もないと言わんばかりに、小楠が重たい溜息を一つ吐いた。


 途中、長身だが平均より細身で体力がなさそうな中年男が、小楠の姿に気付いて慌てて机から足を退けた。その隣には、幼い顔立ちをした二十代の若い刑事が立っており、「お疲れ様です、警部」と挨拶をしてきた。


「ああ、お疲れさん、藤堂(とうどう)


 小楠は疲れたように言い、ちらりと目を向けただけで済ませた。


 微笑み返す若い刑事の横で、椅子に座っていた中年男が、渇いた笑みを浮かべてこちらを見送った。小楠の視線がはずれた瞬間、彼が「なんでお前だけいいタイミングで挨拶するんだよッ」と若い彼に掴みかかる様子を、真由は横目に留めて訝った。


「警部……、あの人たち一体なんですか?」

「二年前から組んでいる刑事コンビだ。あの細いのはうちの古株で、実力はある男なんだが、L事件特別捜査係にいる『奴』の事を、ライバル視していてな……」



 小楠が小声でそう説明する様子を、その刑事コンビの中年男の方が、相棒でうる後輩刑事に掴みかかったまま首をぐいと伸ばして窺った。


 彼の名前は、三鬼(みき)(かおる)といった。今年で三十六歳になる。いつも連れているのは、二年前から彼の相棒である藤堂(とうどう)(つかさ)だ。藤堂は捜査一課で一番のベビーフェイスをしており、根が素直で愛想がいい事もあって、聞き込みを得意としていた。


「おい。あの女、確か橋端真由って言ってたよな?」

「昨日挨拶していましたもんね。可愛いなぁ」

「俺が聞きたいのは、そっちじゃねぇよ!」


 のんびりとした後輩に切れて、三鬼は、本格的に藤堂の胸倉に掴みかかった。


「あの新人、まさか、あいつと組まされるんじゃ……」

「あれ? 先輩、聞いてなかったんですか? 昨日、警部がそうおっしゃっていたじゃないですか」



 それを聞いた三鬼が「嘘だろ!? マジかよ」という叫びを課内に響かせた頃、小楠は元倉庫のような部屋の扉をノックしていた。


 少し斜めにずれた表札には、『L事件特別捜査係』と記されている。


「ここが、『彼だけの部屋』というやつですか?」

「そうだ。普段は開けているが、さっき見た細い方の古株刑事、三鬼薫が煩い時は閉められている事もある」

「はぁ、なるほど……?」


 そうなんですか、と真由が続けた時、扉の向こうから「どうぞ」と陽気な声が返ってきた。小楠が静かに頷いて、皮の厚くなった大きな手でドアノブを手前に引いた。


「小楠警部が真っ昼間にここへ来るとは、珍しいじゃないか。差し入れでもあるのかい?」


 すると、すぐに部屋の中から、まるで尋ねて来た友人を迎えるような口調で男の声が上がった。


 そこはこじんまりとしている部屋で、四方の壁には棚が並び、そこには資料やファイルが詰め込まれていた。埋もれるようにして、脇には二人掛けのソファと小さなテーブルがあり、扉の正面に窓が一つあって、そこには場に不似合いなくらい立派な書斎机が置かれている。


 内装は少々年代かかって古い印象だが、窓の上にある冷房機のおかげか、見た目ほどの埃臭さはなかった。扉を開けると同時に、紅茶と薔薇の良い香りが真由の鼻をついてもいた。


 扉の正面にある書斎机には、多くの本と印刷紙が積み重なっていたが、使用する机上のスペースはきちんと確保されているようだった。机の中央には、美しい造りの西洋カップが受け皿つきで置かれ、この部屋には似つかわしくないアンティークの金細工が入った椅子に、一人の男が優雅に足を組んで座っている。


 男は一見すると日本人ではないような、西洋人形のように整った顔をしていた。少し癖の入った栗色にも見える明るい髪は、見る者に清潔な印象を与えるようセットされている。体格は細身だが引き締まった印象があり、組まれた長い足や、座っても高い座高を見ると長身そうだ。


 部屋の主であるその美麗な男は、扇のように長い睫毛の下から、透き通るような明るい茶色の瞳でこちらを見据えていた。白い肌が高価そうな青いスーツから覗き、黙っていると、繊細な作り物の人形に見えなくもない。


 その男は、まるで夢物語から出てきた王子様を思わせた。彼はつい先程まで小説を読んでいたようで、手に持っていた文庫本を、机の上に開いたままうつ伏せに置くのが見えた。


 なんてキレイな男なのだろう。


 真由が呆気に取られて茫然としていると、彼がこちらの存在に気付いた様子で一瞬沈黙した。その表情は、次第に怪訝そうなものへと変わっていく。


「真由君、こちらがL事件特別捜査係の宮橋(みやばし)雅兎(まさと)だ」


 その時、小楠が先手を打つようにそう言った。すると途端に 捜査一課の問題児と言われている美貌の男、――宮橋が「やれやれ」とわざとらしく肩をすくめて見せた。


「おいおい、小楠警部。まったく勘弁してくれよ。それ、何十人目だい?」


 王子様みたいな人だと思っていた真由は、その馬鹿にしたような態度にむっとした。私だってこんなところに配属されるのは不本意だったんだけど、という視線を送る。


 宮橋は、呆れたような顔で上司と新人を交互に見やった。気分が台無しになったと言わんばかりの態度で椅子の背にもたれると、頭の後ろに両手をやっ姿勢を楽にした。


「何度も言っているように、僕に相棒は必要ないよ。つまりは足手まといなんだ、小楠警部。僕の忠告が聞けないような奴は、特にごめんだね。それが命とりにだってなる」

「うむ……。しかし、ウチでは単独行動は許されない。分かっているな?」


 宮橋と小楠が、互いの腹を探るように瞳の奥で睨み合った。気圧されそうな雰囲気に、真由は息を呑んでしまう。

 すると、小楠が先に動いてこう言った。


「真由君はとても優秀だ。仕事上のルールは守る、――そうだろう?」

「あっ、はい! 守りますとも!」


 小楠に睨まれて、真由は慌ててそう答えた。


 その様子を眺めていた宮橋が、怪訝そうに片方の眉を引き上げた。どこか探るように目を細めて、まじまじとこちらを見つめる。


「ふうん、なるほどね――じゃあ、これから僕が言う事を守れるかい? その一、僕の命令には絶対従う事。その二、勝手な行動を取らない事。その三、無駄な質問をしない事。どれも仕事の邪魔になるからね」


 わざわざ指を一つずつ立てて、宮橋が上司のような口調で告げてきた。


 真由は、反論するなという小楠の顔が目に入って、反論したい気持ちをどうにか堪えた。彼の貫録ある瞳が『黙って頷くように』と言っているような気がして、喉の奥から「はい」とだけ絞り出して唇を引き結ぶ。


「よろしい」


 そう言った宮橋の顔に、微笑が戻った。どこか納得した様子で足を組み直す様子を見て、小楠がややほっとしたように息をつき、改めて彼に真由を紹介した。


「宮橋、彼女は今日からパートナーになる、橋端(はしばた)真由(まゆ)君だ」


 どうして、小楠が『橋』という単語を強調した。


 すると宮橋が、椅子にもたれていた背を起こして、はじめて興味を持ったような目を向けてきた。美麗で大人びた顔に好奇心が浮かび、どこか子供っぽさが滲んで真由は戸惑った。どうしたことか、室内には一気に友好的な空気が漂う。


「へぇ、君の名字にも『橋』がつくのか」


 真由は、よく分からないまま小楠の方を見やった。

 食いついてくると思っていた、とでも言うように彼が「よし、いけるぞ」と小さくガッツポーズしているのが見えて、もしや名字だけで、長続きしない彼のパートナーに急きょあてられたのでは、という疑いが脳裏を掠める。


「同じ漢字がついた女刑事は初めてだよ。なかなか面白い偶然じゃないか。君もそう思うだろう?」

「えぇと、それはどうも……?」


 答える間も、宮橋が面白そうに観察してくる。端正な顔に浮かぶその表情や、好奇心に満ちた眼差しは若く見えた。まるで子供みたいだ、と真由は思った。


 L事件特別捜査係は、十数年前に設立したと聞かされていたので、自分よりも一回り年上という計算になるだろう。しかし真由には、彼がじゅうぶんな職務経験と、その歳月を超えているようには思えないでいた。


「あの、失礼ですが、宮橋さんはお幾つですか?」

「うん? 僕か? 三十六だ」

「えぇ!」


 その容姿も、離してみるところころと変わると分かったその表情も、二十代くらいに見える。

 真由が「三十六歳……」と口の中で反芻してしまった時、開いている扉から三鬼が顔を覗かせた。怪訝そうな三十六歳のやや老けた顔が、同期の宮橋を探し出して敵意をむき出しにする。


「お前、今回は邪魔してくれるなよ!」


 三鬼が唐突に、釘を刺すようにそう言い放った。小楠が「またか」というふうに溜息をつく。


 宮橋は直前までの友好モードをどこへやったのか、頬杖をついて煩そうに三鬼を見やった。しかし、ふと思いついたように真由に視線を戻して、彼を指差してこう言った。


「そうだ、いい事を教えてやろう、橋端真由。僕と奴は同期で、同い年だ」

「そうなんですか!?」


 真由は、失礼だという配慮も出来ないまま、思わず声を上げて振り返っていた。


 四十の貫禄さえ窺える三鬼が、「俺は老けてないぞ!」と新入りに先手を打つように言った。遺伝でもなければ歳を偽っているわけでもなく、苦労が多かっただけなのである。


 すると、宮橋が美麗な顔にニヤリと笑みを浮かべた。芝居かかった様子で「やれやれ」と肩をすくめて話し出す。


「橋端真由とやら――長いから、真由君と呼ばせてもらおう。どうやら彼は、僕よりも早く歳をとってしまったらしい。不思議だ、全くもって不思議だよ。僕と同じ年月を過ごしながら、一人だけ先へ先へと進んでいるんだから――」

「くそッ、それ以上言わせてたまるか!」


 今度こそぶちのめしてやる、と三鬼が飛びかかろうとした時、突然その後ろから「先輩、ストップ!」と後輩の藤堂が現われ、彼の両腕をしっかりと捕えた。先輩相棒の性格を熟知している彼は、慣れたように「仕事に行きましょうかっ」と早口で言って、三鬼をひきずって行った。


 遠のいていく三鬼の反論を聞きながら、小楠が静かに扉を閉めた。


「鍵をかけた方が良かったな」

「鍵を掛けたって、また壊して突破してくるに決まっている」


 宮橋はそう言って鼻で笑い、小楠に視線を戻した。背もたれから身体を起こし、長い足を自然な動きで組み変える。


「さて、小楠警部、そろそろ本題に移ろう。僕にやって欲しい事件が起きたんだろう?」


 一瞬、小楠の身体が強張った。彼は唇を一度引き結ぶと、「そうだ」と低く答える。

 宮橋が喉の奥で楽しげに笑った。椅子の背に持たれ、腹の下あたりでやんわりと手を組む。


「なら、話を聞こうか」

 L事件特別捜査係が担当する仕事分野を知るためにも、真由は今のうちにしっかりと話を聞いておこうと思った。これからしばらくの間は、宮橋と一緒に仕事をすることになるからだ。


 ふと、周りに『どうして刑事の方に進むの』と言われていた事を思い出した。実は初めて事故現場や殺人現場を見た時、ひどく狼狽して食事すら喉を通らなかったのだ。


 それでも刑事になろうと思ったのは、父が背負う正義感の強さに惹かれて尊敬していたからだった。だから頑張ろう、と、真由は勇気を奮い立たせるいつもの言葉を、胸の中で力強く繰り返した。

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