19話 六章 消えた五人目(1)上
「え、事故ですか!?」
真由は助手席で、宮橋の携帯電話を耳に当ててすぐ、素っ頓狂な声を上げた。
時刻は、ちょうど午後の六時。黄色いスポーツカーは、制限速度六十キロの国道の速度表示を完全に無視して走っていた。数分前まで、恐々とシートベルトにしがみついていた真由は、宮橋の胸元から流れた着信音を聞くなり、事故られては大変だという使命感じみた責任感で、素早くそれを取り上げたのである。
『詳しい事は分からん、場所はサンサンビル近くだ。おかげでコーヒータイム通りは現在、車で入れない状況だそうだ』
かなり場の混乱と忙しさがあるのか、小楠からの電話はそれだけで切れた。真由は思わず携帯電話を見つめて、「一体何がどうなってんの」と疑問の声を上げてしまう。
コーヒータイム通りとは、美味しいカフェが多く並んでいる事からつけられた通り名で、レストランと大型ショッピングセンターの入ったタワービルは、通称「サンサンビル」と呼ばれていた。
「…………なるほど。これは想定以上の速さというか――まずいな」
宮橋が、独り言のような呟きをもらした。それを尋ねようと口を開きかけた真由は、車が急に進路方向を変えるようにカーブを切られてしまい、短い悲鳴を上げた。
またしても走行の暴走に入るのかと文句を言おうとした時、自分が電話に気を取られている間に、サンサンビル近くまできていたことに気付いた。そこは、コーヒータイム通りまで続く交差点があって、入口が既に事故現場用のブロックで封鎖されていた。
ハンドルを切ってそこを避けた宮橋が、スピードを落とさないままスポーツカーを国道へと無理やり戻して、サンサンビルのある大通りと並行して敷かれているそこを数分ほど走った。それから迂回するようにして道を折れ、トラックが突っ込んだと騒ぎになっている建物から、五メートル手前の封鎖口で車を停車させた。
やってきた警察官に警察手帳を見せつつ、宮橋が慣れたようにシートベルトを外す隣で、真由は車窓の先を見つめて「何これ!」と驚いた声を上げてしまった。
ボーナス時に友人と来る事もある、通りでも有名な大型ブランド店のガラス面が全て砕け散っていた。枠にそって割れたガラス片を残すばかりで、破片を散乱させて遮る物が何もない状況になっており、そこからフロント部分が大破した大型トラックが、後輪だけを店内に残した状態で車体を突き出している。
反対側の通りまで一直線に吹き抜けになってしまった店内は、嵐が通り過ぎた跡のように、棚や服が脇に押しやられていた。白い大理石に似た床には、大きなタイヤ痕が残されていて酷い惨状である。
「…………本当に、トラックが突っ込んだんだ」
現実感がなくて、呆気に取られて呟いてしまう。すると、先に車から降りた宮橋が「見れば分かるだろ」と素っ気なく言った。
真由は「置いてかないでくださいよ」と慌てて外に出て、ツカツカと長い足で歩く彼の後を追いながら通りを見回した。
「こんなに見晴らしがいいのに、どうして突っ込んだんでしょうか……」
「ハンドルを取られたんだろ」
宮橋は、それだけで話題を切った。
交通量が多い時間帯のせいか、事故で通行が一部規制されたばかりの通りは、ひどく混雑して人でごった返していた。向かう現場近くは、どうやら被害者と救出者でまだ騒がしくもあるようで、居合わせた人々の多くが野次馬のように立ち止まってもいる。
騒がしい通りを、彼がまるで空気のようにすり抜けて行く中、真由は人にぶつかりながらも、人々の頭から飛び出た長身の彼の、茶色い後頭部を見失わないよう必死に追った。警察官が立ち入りを規制している事故現場に足を踏み入れて、正面から問題の場所を眺めところで、思わずヒュッと息を呑んだ。
目に飛び込んできたのは、車から降りた時にも見えた、ガラス張りの店内から突き出た大型トラックだった。信号待ちで縦列していたらしい車が、トラックに押されて様々な方向へ押されている。
それを目に留めた宮橋も、厳しい表情を浮かべていた。数秒して「行くぞ」と固い声を出して早足に歩き出し、真由もそのあとを急いでついていった。
事故現場となった店の隣の壁に、背をもたれるように座り込んでいる二人のスーツ姿の人間がいた。負傷した彼らの正面には、疲労の色を浮かべた三鬼が立っていて、腕まで捲くられた彼の白いシャツの右袖には、少し血痕がついている。
それを見て驚きの声を上げると、彼らがようやく気づいた様子でこちらに顔を向けてきた。真由は思わず、宮橋の脇を小走りで追い抜いて三人に駆け寄った。
「あの、怪我をしたんですか? 大丈夫ですか? 事故が遭ったと小楠警部から報告を聞きましたが、ってうわああああ確か田中さんですよね!? 片方の目に押し当ててるタオルが血だらけッ――」
その時、半ばパニックになった真由の口を、宮橋が後ろから手を回して塞いだ。一気に問われ続けていた田中たちが、助かったと伝えるように小さく息を吐く。
「一体何があった?」
続けて冷静な面持ちで尋ねられた三鬼は、宮橋をジロリと横目に見ると、不機嫌を隠さずにこう言った。
「ケンというガキを保護して連れていた田中たちの後ろから、突然トラックが突っ込んで来やがった」
「運転手はなんと言っている?」
「ハンドルが勝手に動いて、慌ててブレーキを踏み続けたが全く効かなかったらしい」
三鬼は投げやりに鼻を鳴らし、皮肉な笑みを口元に浮かべる。状況に関しては見た方が早い、とでも言うように、ある方向へと視線を流し向けた。
その先を辿った真由は、数人の捜査員たちに囲まれるマサルと、彼に話し掛けている藤堂の姿を見付けた。蒼白した藤堂の顔には、どうにかマサルを落ちつかせようとする表情が見て取れた。
同じ方向に目を留めていた宮橋は、静かになった彼女の口から手を離すと、三鬼へと視線を戻した。
「現場にはタイヤ痕がしっかり残されているし、確かに運転手は、ブレーキを踏み続けていたんだろう。もしブレーキを踏んでいなかったら、被害はこれだけじゃすまなかった事くらい、君にだって分かるはずだ。ぶつけられた車も完全に潰れておらず、トラックもあの位置で止まっている。つまり、スピードは確かに落ちていたんだ」
「そうは言うけどな…………。ブレーキに対抗するように、タイヤだけが強い力で回され続けたって事か?」
「そんなの、到着したばかりの僕が知るはずがない」
ふいと顔をそらした宮橋は、血が染みこんだタオルを頭に当てる田中と、その隣で伸びた足先に血を滲ませる竹内へ視線を向けた。
「田中、竹内、大丈夫か?」
「僕は大丈夫です。でも、まだケン君が見つかっていなくて……」
「俺は足をやられて、しばらくは動けそうにない」
がっしりとした筋肉質の大柄な竹内が、悔しさに顔を歪めて言葉を吐き出した。
田中はタオルを当てたまま、片目だけでしっかりと宮橋を見上げて、言葉を続ける。
「他の二人は、なんとかかすり傷ですみました。今、ケン君の捜索と、事故の対応に協力してもらっています」
「そうか。救急車が来たら、お前も乗っていけ」
「はい……。僕はここでリタイアですね、すみません」
申し訳なさそうにはにかんだ時、ふと、田中の顔に恐怖するような影が差した。宮橋が僅かに片眉をピクリと動かせて、それから膝を折って彼と目線の高さを合わせる。
「何か、見たのか?」
尋ねた宮橋の言葉に、後ろにいた三鬼の顔が強張った。思い出した竹内が「俺は、少しだけしか見えなかったが、あれは……」と言葉を濁して、相棒と先輩を交互に見やる。
状況がまだ飲みこめない真由が見守る中、田中は俯き小さいて震えた。
「あの、よく分からないんです。後ろから衝撃が来て脇に弾き飛ばされて、僕は近くに倒れたので、すぐにケン君の姿を探したんです。トラックの下に彼が横たわっているのが見えて、そしたら、その身体が突然引きずられて、嫌な音が…………」
そう語る田中の表情は、ますます青くなり、今にも卒倒しそうだった。引きずられたという表現について想像してしまい、真由はまさかと思いながらも、脳裏にホラー映画のようなワンシーンを浮かべてしまっていた。
トラックのハンドルが勝手に動いたというのは、本当なのだろうか? そしてケン君は、一人で倒れていたトラックの車体下から、消えてしまったという事……?
その時、宮橋が「分かった」と言って、混乱した様子の田中の肩をそっと叩いた。続いて、苛立って拳を固める竹内の肩をポンポンと叩いて立ち上がる。たったそれだけで少し落ち着きを取り戻したような、まるで憑き物でも落ちたみたいな表情を浮かべて、二人はどことなく不思議そうに彼の動きを目で追った。
真由は、振り返った宮橋と目が合って、知らず背筋を伸ばした。彼が歩み寄ってくるのが見えた途端に、怖気づいた事を怒られるんじゃないかと思って咄嗟に身構えたら、通りがてら、同じように肩をそっと叩かれた。
「ひとまず、突っ込んできたトラックについては考えるな。さっきも言ったが、ハンドルを取られたんだろう」
そう言った彼が、目の前を通り過ぎて三鬼の前に立った。
「三鬼、お前はトラックの下を覗いて見ていたんだろう? それから藤堂もだ」
確認のように尋ねられた三鬼は、場が悪そうな顔をして斜め下へと視線を逃がした。察して確信しているのなら、わざわざ訊くなよな、と不満を口の中で愚痴る。
そんな彼の隣で、藤堂は青い顔ながらも、しっかりと宮橋を見つめ返して「はい」と答えた。
「確かに見ました。俺が一番にトラックの後ろを確認しに行きましたが、でも、ケン君の姿はどこにもなかったんです」
「血痕も、途中からプツリとキレイに途切れていたわけか」
宮橋が、視線をそらして思案気に呟く。
自身が言う前に告げられた藤堂が、少し遅れて「あ。はい、そうです」と答えると、三鬼が仏頂面を上げて「おい、宮橋」と探るように目を細めて言った。
「トラックの後ろに回っても、何もなかった。血はそこでキレイに途切れていて、中にいた店員は誰も出て来なかったと証言している。……なら一体、あのガキはどこに消えたっていうんだ?」
「さてね。それは現場にきたばかりの僕が、知り得るはずがないだろう。とにかく、今は何があったか話してくれ、現在の状況を確認したい」
問われた三鬼は、苛々した様子で口を開く。
「田中の考えで、一旦情報の共有がてら、合流しようって事になった。そうしたら、馬鹿でかい電話の着信音みたいなやつが聞こえて、トラックが突っ込んできた。――これで満足か?」
「ふむ。君にしては簡潔的な説明で、安心したよ」
宮橋は普段と変わらぬ様子で、相槌を打って腕を組んだ。しばし藤堂とケンのやりとりに気を取られていた真由も、その説明が聞こえて彼らの方に顔を向けていた。
「おい、宮橋。まさかこの事故も、今回の事件と関連するなんて言わないだろうな?」
「その『まさか』さ。君たちだって、ケン少年がいなくなった瞬間を見たんだろう。はじめから、彼が次のターゲットだった」
とはいえ、と宮橋は明るい鳶色の瞳を、物想いによそへ流し向けつつ口にする。
「別に理解してくれなくていい。調べたとしても、あれは原因不明・もしくは運転手の不注意による事故だったという結果しか出ない。ただの事故だ」
「だから考える必要はねぇって事か? いつもの、お得意の辻褄合わせみてぇな一般論だな。お前はいつも説明を放り投げる」
「言っただろう、僕は『質問に答えるつもりはない』――そうだよ一般論だ。そして、それがもっとも『この世の常識』に沿っている」
二人は、ほぼ同時に数秒ほど沈黙した。
三鬼が仏頂面で見つめる中、宮橋は視線を返さずに「佇んでいても、時間は待ってくれない」と冷静な口調で切り出した。
「ただの事故だった、だから君たちは何も言わなくていいんだ。藤堂にも、あとでお前の方から伝えておけ。…………戯言とされるのは、僕だけでいい」
歩き出した宮橋が、通り過ぎる際に視線をそむけたまま、三鬼の肩をポンと叩いた。二人のやりとりを見守っていた真由は、一瞬その横顔がひどく寂しいものに思えて、状況も分からぬまま、パートナーである彼のあとを追っていた。




