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17話 五章 正反対の二人の刑事~三鬼~(3)上

 三鬼は苛立っていた。木材質の柵に寄りかかった姿勢のまま、一方的に切られた携帯電話をしばらく見下ろし、それから荒々しくワイシャツの胸ポケットに突っ込んだ。

 あまりの暑さに、長年の付き合いがあるスーツの上着を、近くの駐車場に停めてある愛車に脱ぎ捨てていたくらいである。昔から慣れない締めつけ感のあるネクタイを少しゆるめながら、忌々しげに後ろを振り返った。


 サンサンビル前に堂々と構えられている『カフェ・ハービー』のテラス席には、藤堂を含める四人の刑事が円を作るようにして立っていた。その中央にある丸いテーブル席には、オレンジのシャツと制服のズボン、という組み合わせの恰好をした少年が座っている。


 少年の名前は、マサルといった。例の不良メンバーの一人のN高校の一年生で、パチンコ店の前に座り込んでいたところを発見して保護に至った。


 短くカットされた天然パーマの頭は、額の左右が刈り上げられ、耳には銀色の大きなピアスがつけられている。細い瞳、少々厚ぼったい唇、やや膨れた四角い顔。しっかりと筋肉がついた体格は、十六歳と言われてもしっくりとこない。


 煙草をやっているせいで、マサルの歯は黄色くなっていた。大人に比べて、小柄で線が細いところは少年のもので、完全に怯えきって小さくなっている様は、堂々と映っている写真とは、まるで別人にも見えた。


 三鬼は、柵に尻を乗せるように身を預けて、ふんっと鼻を鳴らした。そもそも彼は、非行少年が大嫌いである。藤堂が「あんまり睨まないであげてくださいよ」と注意していなかったら、ピアスと学生ズボンの後ろポケットに入っていた煙草の説教を、問答無用で始めていたに違いない。


 宮橋のせいで苛々も増して、マサル少年から目を離して、ポケットからタバコの箱を取り出した。人や車が多く行きかう通りを眺めやったものの、更に暑苦しさを感じて、顔を顰めてしまう。


「三鬼先輩、宮橋さんはどうでしたか?」


 藤堂が隣にきて、そう尋ねてきた。三鬼はタバコを一本くわえたところで、後輩である相棒に視線を向ける。


「署を出る時と変わらず、与魄っていうガキを早急に探し出せ、だと」

「今まさに、その最中なんですけどね……」 


 乾いた笑みを浮かべる藤堂の横で、三鬼はタバコに火をつけた。それを見ていた彼が、人の良さそうな顔をきょとんとさせる。


「張っている時は、吸わないんじゃなかったんですか?」

「……もう二時間は吸ってなかったんだよ」

「三鬼先輩は宮橋さん絡みだと、いつもタバコを吸っちゃいますよね」


 三鬼は何も言い返せなかった。藤堂が表情を少し不安に曇らせながら、ちらりと捜査員たちに囲まれる少年を確認するのを見て、同じようにそちらへ目を流し向ける。


 同僚の捜査員たちは、宮橋の指示ということもあってか、警戒してしきりに辺りの様子を窺っていた。カフェの店内にいる数少ない客たちが、時々不審そうな顔をして、ガラス窓の向こうからスーツ姿のこちらに視線を送ってきていた。


「俺、宮橋さんと本格的に現場に立ったのって、二年前に配属されてから今回が二度目なんですけど、――ほら、いつもは俺たちが捜査をしている時に、通りすがり偶然近くに居会わせてヒントを言って解決、みたいな感じだったじゃないですか?」


 実に不思議ですよね、と、藤堂は思い出すように言って首を捻る。


「結構自由に動けて、普段何してんのかも分からない『L事件特別捜査係』の存在もそうですけど、あの人って一体何者なんですか? 俺の同期とかもそうですけど、みんな不思議がってますよ」

「小楠警部が当時から率いていた、俺らを含むベテラン組を除いて、な。大抵のメンバーは、あいつという人間と、あいつが絡む事件がどんなものかは、なんとなく理解してる」


 三鬼は通りを眺めながら、興味もなさそうな風で言い、タバコの煙を吐き出した。明るさが半トーンほど下がった町中に漂った煙は、生ぬるい町風に吹かれて消えていく。


「一番知っているのは、小楠警部だ。なんなら、あの人に訊け」

「でも三鬼先輩も、宮橋さんとは付き合い長いですよね? うちの部署、異動になったりで人がよく変わるらしいし、先輩の同期で、ウチのフロアに残っているのも宮橋さんだけで、他の先輩方とは話す機会も滅多にないですし」

「全員がこっちに固まっちまっていたら、いざって時に動きが鈍くなるだろうが。俺らは、個人や一チームだけで仕事をしているわけじゃねぇ。組織で動いてんだ。あいつの事を知っている奴らが、他の課にいた方がやりやすいだろ」


 三鬼は言いながら、さり気なく周囲の様子を窺った。仕事は、あくまでも少年の保護だ。しかし、何が起こるか分からないので、用心しなければならないのも事実だった。


 藤堂が、よく分からないなぁと困惑した表情を浮かべる。


「それ、どういう事ですか?」

「色々とあんだよ」


 話を強制的に打ち切るように言って、三鬼は荒々しくタバコの煙を吸い込み、まだ半分ほどの長さで、それを隣にあった西洋風の灰皿に押し付けた。


「あのガキを見てろ」


 親指を向けて言葉短く指示し、後ろポケットから携帯電話を取り出した。藤堂は納得いかないといった表情だったが、「分かりました」と答えて踵を返していく。


 その姿を三鬼は横目に留めて、携帯電話を耳に押し当てた。


「おい、そっちはどうだ?」

中富(なかとみ)(りく)と共に、デパートの飲食店コーナーにいます。サンサンビルの東です』

「与魄っつうガキの情報は、入っているか?」

『いいえ、ありません。目撃情報が一番集中しているのは、サンサンビルの西方面らしいですよ』

「西っつうと、やっぱ俺たちのところか……。今、中央を担当しているのは誰だ?」

柏木(かしわぎ)さんです。与魄君の捜索にあたってもらっています』


 三鬼は、滅多に仕事を共にする事がない、大先輩のベテラン刑事を思い起こした。刑事課に入りたての頃、指導にもあたってくれていた敏腕刑事で、小楠の右腕といっても過言ではない男である。


 昇進を断り続けている柏木は、上から声がかかっている現在でも刑事一筋だ。張り込みや突入など、彼は様々な事件の責任者として日々忙しく動いており、かなりの熱血で、時効間近の事件もまだ追っているという噂も聞いていた。


「おいおい、あの人は今、別件に携わっている真っ最中だろ」

『はぁ、小楠警部から直々に頼まれたみたいで……』

「…………まぁ、あの人の勘は警察犬以上だからな……」


 鍛えられた長年の勘というのは、ピンポイントで真実を解き明かすヒントを見付けたり、犯人に迫りもするものだから、恐ろしい。


 三鬼は、一年後輩との連絡を終えると、半年前の飲み会以来になる柏木に電話をかけた。コール音が三回鳴り終わらないうちに通話が始まって『柏木だ』と、小楠に負けず腹に響く声が返ってきた。


「柏木さん、三鬼です。お疲れ様です。今、マサルという少年を保護していまして、サンサンビル前――西方面のカフェのテラスにいます」

『俺は今、サンサンビルの裏通りの方面だ。与魄智久は、俺の直感だと絶対この辺にいるはずだ、お前も辺りを注意深く見ていてくれ』


 柏木はそれだけ言うと、一方的に電話を切った。


 三鬼はすっかり慣れたそれに、文句も言わず携帯電話を後ろポケットへとしまった。無駄なやりとりをしないところが、彼のかっこいいところの一つだと思っている。強くまっすぐで、彼は昔から憧れの先輩でもあった。


 時間が過ぎるに従って、歩道や道路は人や車が増え、混雑のピークのように埋め尽くされた。ここは都会のド真ん中だ。買い物へ寄る者もいれば、飲食店に入る者もいるし、そのままサンサンビルを真っ直ぐ抜けて、駅へと向かう者も多くいた。


 車の数は大通りいっぱいになり、信号で停まるたびに渋滞が起こる。学校帰りの学生や、会社での勤務を終えた大人たちが、一本道の大通りをぞろぞろと進んでいく姿がぐっと増えて、気付くとサンサンビルの大型モニター画面の時刻表示は、午後の五時四十五分を打っていた。


 しばしぼんやりと、人と車がごった返す大渋滞の様子に目を留めてしまっていた三鬼は、どこからか携帯の着信音が鳴り響く音を聞いた。目の端で、椅子に小さく縮こまって座っているマサルの両肩が、びくりと震えたのが見えた。


 ずっとだんまりを決め込んでいる不良少年に苛立ちを覚え、彼の座るテーブルへと歩み寄った。


 白い鉄製のテラステーブルには、藤堂が彼のために買ってきたミルクコーヒーが、一度も手を付けられていない状態のまま置かれていた。すでに中の氷はすべて解け、持ち帰り専用の紙カップは、大量の汗をかいている。


「おい。お前、与魄智久を知っているよな?」


 唐突に問われたマサルは、怯えた瞳で向かい側に立った三鬼を見上げた。後輩組である藤堂たちは、困惑の色を浮かべはしたものの、このチームの班長である彼の様子を見るようにして口を挟まず、引き続き辺りに注意を払う。


「他にも色々と、ちょっかいを出してカモにしているのが何人かいるだろうが、与魄とかいうガキには、中学時代からしつこく付きまとっているらしいな。一体これまで、どんな事をしてきたんだ?」

「あ、あいつとは中学校からの付き合いで、ただのクラスメイトですよ……い、今の事とも関係がないし…………」


 答えるマサルの目が、再び小さな困惑を滲ませてそらされる。先程から周りの大人たちに智久の事を訊かれるたび、どうして今のタイミングでその名前が出てくるのだろう、という理解し難い戸惑いの表情を浮かべていた。


 とはいえ、ある意味、自身の都合が悪くなる事を避けるため、口を閉ざしているところもある。そんなことは容易に分かってしまえるから、その行為を見て取るたび、三鬼は『不良のガキ嫌い』もあって苛立ちは三割増しで強まり、またしてもピキリと青筋を立てていた。


 もし『どうやったら、あの犯行が可能なのか』という、今回の事件の最大の問題を省いたとしたら、至極簡単な関係図は浮かぶ。ひどい苛めがあって、金銭まで関わっているのだ。動機は怨恨という説が自然だ。


 けれど、常識を逸脱するような、予測不可能なこの手の事件においては、単純的な犯人と被害者の構図が全く成り立たない事も多々ある。だから三鬼は、余計に苛々した。

 最近でいえば、数ヶ月に及ぶ合同捜査の連続殺人事件があった。どうにか一命を取り留めた被害者だと思われていた男が、最後に自らの手で家族を皆殺しにした。現場に駆け付けた三鬼たちの目の前で彼は、それではまたお会いしましょう、さようなら、と言って日本刀で自身の首を斬り落としたのだ。


 宮橋は、間違った事や意味のない指示は、決して口にしない男だった。捜査経験を経て知っている人間は、だからキーマンがあの少年であるらしいとは頭に入れている。しかし、何が一体どうなっているのか謎だった。


「ちょうどいい、今は時間がある。どんな風に暴行して金を巻き上げてんのか、話を聞こうじゃねぇか」


 考えても分からないという状況にプツリと切れて、三鬼が額に青筋を浮かべて、ドスの利いた声を上げた。凶悪犯のような殺気立った顔で、拳を掌に押し付けてゴキリと鳴らす様子を見て、マサルが一層怯えたように血の気を引かせて、半泣きの表情を晒した。


 周りにいた捜査員たちが、尋問のようにテーブルを叩こうとした彼に気付いて、後ろから羽交い締めにして止めた。


「三鬼さん、このタイミングではまずいですってッ、勘弁してあげてください!」

「よし行け藤堂!」

「お前が今は相棒で、ここじゃ一番の若手だからなッ」

「とりあえず三鬼さんを、元の場所に戻してこいッ」

「えぇぇぇぇぇ、そんな野良の捨て犬じゃないんだから、戻してこいって言い方はちょっと違うような――……って先輩ストップ! そのまま沢田(さわだ)さんごとぶん投げる気ですか!?」


 なんて迷惑な先輩なんだよッ、と藤堂が慌てて飛びかかり、無駄に有り余っている馬鹿力で引っ張って引き離す。三鬼は「ちッ、宮橋並みに馬鹿力な野郎め」と愚痴ると、引きずられながらも「おいクソガキ」と指を突きつけた。


「いいか、この事件が終わったら、これまでやってきた事を全部吐いてもらうからなッ」

「先輩、少し落ち着きましょうよ。ほら、また煙草でも吸ってください」



 そう藤堂に宥められながら、テラスの柵まで持って行かれる三鬼を見て、若い刑事たちは感心した様子で呟いた。


「さすが藤堂、スポーツ一筋なのに、脳筋を感じさせない仔犬属性男子だな」

「あの三鬼さんが、拳骨の一つもやらないもんなぁ」

「俺が同じ事やったら、ざけんなって言われて即拳骨もんだよ」

「多分さ、あの人、宮橋さんを拳振って追い駆け回しているから、拳骨か蹴りが癖になっているんだと思う」


 つまり問題児の同期の面倒役を任されているせいで、思わぬ副産物がオプションに付いてんだなぁ……と彼らはしみじみと口にした。

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