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15話 五章 正反対の二人の刑事~宮橋~(1)下

 真由が、宮橋と同じく冷たい麦茶を口にすると、カヨは思い返すような視線を縁側へと向けた。


「私が見聞きした事……それでいいのであれば」


 それから、しばらく経った後、カヨが独り言のように口にして、テーブルへと目を戻して話し始めた。


「私は、二十歳に与魄家へ嫁いできました。夫の名は友之(とものり)。声を荒あげるなんて事をしない大人しい方で、お見合い結婚だった私にも初めから優しく、農作業以外はぼんやりとしているような人でした。時々声をかけても気が付かないくらい、のんびりとした人で」


 亡くなった夫との日々を思い出したのか、語るカヨの目元が柔らかく細められた。けれど、それはすぐに曇ってしまう。


「時々、ハッとしたように顔を上げて『ああ、君だったのか、ごめん』と言うのが彼の口癖でしたが、当初は気に留めておりませんでした。子供が生まれて話せるようになった頃から、『聞こえない問いかけはないか』、『あっても絶対に答えてはいけない』と、確認のように何度も言い聞かせる姿を見掛けるようになって、少し変だなと……」


 でもその頃は、まだ強い違和感を覚えていなかったらしい。冷茶の味も分からなかった真由は、カヨが語る話の続きでそれを知った。


「この辺りの地域では、丑三つ時に霊が声を掛けるという迷信がありまして、それに答えてはいけないと、私たちも幼い頃から教えられてきました。だから私は、てっきり子供に、その事を教えているのだろうと思ったのです」

「霊に名を呼ばれても、『応えてはいけない』という話は多いですね。初めの応答で、互いの存在を認め合うという行為は、自ら相手を招くようなものですから」


 宮橋が静かな微笑を口許に浮かべて、グラスに浮かんだ水滴を眺めながらそう言った。カヨが不思議そうな目を向けると、そっと目を閉じて「やはり、あなたは知らないか――いいえ、お話を続けてください」と優しい声色で促す。


 どうしてか少し寂しそうな気配を覚えて、真由はちらりと横目に見上げていた。彼は視線を返してはこなくて、気付かないふりでもするみたいに、グラスを手に取る。


「子供が五歳になった年の夏の、一際蒸し暑かった夜の事です。近くに住んでいた、彼の十歳年上のお兄様が騒ぎを起こしていると、深夜遅くに扉を叩く者がありました。私は子供が心配だったので、家で待っておりました」


 そう話だしたしカヨが俯いて、膝の上でぎゅっと、自身の手を握り締めた。


「しばらくして、夫は義兄を連れて帰って来ました。義兄は、ひどく気が動転しているようでした。心配する私にも『話しかけるな、放って置いてくれ』と普段の彼からは、想像がつかないほどの荒々しい声で言って、こちらの話を全く聞いてくれませんでした。夫とどうにか部屋に運ぼうとしましたが、彼は辺りを見ては始終叫び散らしておりました。『俺は決してしない』、『お前の魂胆は分かっているんだ』と」


 話を聞いていた真由は、その内容を想像して少し怖くなってしまった。つい、身体に力が入った事も気付かず、視線を落としているカヨを見つめていた。


「とうとう暴れ出してしまい、騒ぎを聞き付けた近所の方々も加勢に入ってくれました。けれど、本当に人間の力なのかと思うほど、物凄い力で彼は私たちを振りきって、家を飛び出していってしまったのです……。慌てて夫と後を追いました、近所の人たちも協力してくれたのですが結局、その晩には見付からず――翌朝に『自分で喉をかきむしって』死んでいる姿が見つかったのです」


 語り続けるカヨが、ぶるりと小さく震える。


「お義母様は、精神病が出やすい家系なのだと、おっしゃっていましたけど……何も語らない義父たちが帰った後、呪われているのだと夫がこぼしました。一族の血を引いた者たちは皆、姿の見えないモノに名を呼ばれて話しかけられるのだ、と」


 でも詳しくは語らなかったのだと、カヨは少し掠れた声で続けた。君に不安を覚えさせてすまなかった、大丈夫なんだ、こちらが何も答えなければそれで済む話なのだ、だから忘れてくれ……と夫は落ち着きが戻った頃に、そう語ったのだという。

 そこで話が途切れた時、唐突に宮橋が、補足するように「個人差はありますが」と口を開いた。


「聴覚で聞いているわけではないので、自分が作り出した妄想なのだと気付かないままの人もいます。――きちんと判断出来る人であっても、聞こえ過ぎて時々『どちらに呼ばれたのか』咄嗟に分からなくなる事もある」


 カヨがようやく顔を上げた。独り言のように後半を続けた宮橋が、ふっと視線を返して「すみません、よく分からない事を言って」と静かに見据える。


「あなたの夫の智之さんは、身体に外傷も無く亡くなった、とお聞きしています。彼が亡くなる前に何かが起こり、そして突然亡くなってしまった――そちらの話もして頂きたいのです」


 お聞きした、という部分は、まるで取ってつけたような言い方だと真由は感じた。けれど、調べれば分かる事であろうし、きっと自分の気のせいなのだろうと思った。

 どうか話を進めてください、と宮橋に促されたカヨが、戸惑いつつも「九年ほど前の事なのですが」と語り出した。


「あれは、自然災害に見舞われた不作の年でした。夫が一人、そこの縁側に座って、独り言を呟いていたのです」


 言いながら、カヨがそちらに手を向けた。


「夫は『出来るのか』『それは違う』『ほぉ、お前にも出来ない事があるのか?』と、まるで誰かを挑発しているみたいでした……怖くなって私が声を掛けると、こちらを振り返って、彼はにっこりと笑いました。『もう大丈夫だ』と、そう言うんです」


 まるで長年続いていた悩みがなくなったみたいに、あんなにスッキリとした優しげな笑顔を見たのは初めてだった、とカヨは言った。


「不思議な事に、その後、この地域に残されていた農家の畑は、全て例年にないほどの豊作となりました。おかげで、どの家の農地も潰れる事なく、全員で良かったと手を叩いて祝ったものです。……けれど、その最後の収穫を終えた翌日、いつものように起こしに行くと、夫は布団の上で息を引き取っていたのです」


 カヨの瞳から、ぽろぽろと涙が零れ始めた。真由もうっかり涙ぐんでしまい、慌ててポケットに入れていたハンカチを取り出して、彼女に「使ってください」と言って渡した。


 礼を言ってそれを受け取ったカヨが、サンカチを目元にあてて言葉を続けた。


「夫は、まるで眠っているみたいでしたよ。満足したような顔で微笑んでいて、少し揺すったら起きてくれそうなくらい…………昨日はあんなに元気だったのに、死ぬはずがないと、私はみっともなく泣き叫んでしまいました。信じたくなかった。しばらくは、あの人が死んだ事が受け入れられませんでした」


 泣き続けるカヨがいたたまれなくなって、真由は立ち上がって彼女の丸くなった背中をそっと撫でた。九年経ったとしても、大切な人の死は胸を抉るのだと知っていたから、軽い慰めの言葉は掛けられなかった。


 話を聞いた宮橋は、難しい表情を浮かべていた。顎に手を触れて、視線を縁側に向けたまま思案気に口の中に言葉を落とす。


「それが出来るのか問いかけていたという事は、挑発して、どうにかそれをやれるように誘導したのか? いや、それだと僕が知っているモノとは性質が逆だ。アレは奪うモノだから、何かを実らせたりは出来ないはずで…………」


 独り言を続けていた彼は、唐突に顔を上げて「そうか」と言った。


「僕は、なんて簡単な事に気付かなかったんだろう。性質が逆転するわけでもなくて、『彼ら』は元々二体で()るわけだ。『あの本』の絵にあった鏡は、それを示していたのかッ」


 真由が問うように顔を顰めると、そう呟いた宮橋が「カヨさん」と呼んだ。


「お義兄さんについて、何か知っている事はありませんか? たとえば彼の部屋に、何かの張り合わせがあったりだとかいう、特徴的な物や出来事は?」


 問われたカヨが、そっと泣き顔を上げる。ちょっとは空気を読んで配慮してあげたらいいのにと思って、真由はぐっと眉を寄せて尋ね返していた。


「突然どうしたんですか?」

「一部の血族は、それぞれ『物語』を引き継ぐ。お伽噺や童話と同じで、始めから最後までが書かれている定められた道筋と条件だ。与魄家にも勿論、血と共に代々それが受け継がれている」


 宮橋は一度話しを切ると、カヨを見据えて「夫か、もしくは一族の誰かから『人形物語』という言葉を聞いた事は?」と尋ねた。


「いいえ、ありませんけれど……それは一体なんですか?」

「契約を結ぶ事で、本来なら『こちら側』に出て来られないモノに魂と形を与える事が出来る特殊性について、童話風にまとめられているお話です。簡単に言ってしまうと、願いを叶える代わりに命を取られる、という残酷な童話ですが」

「命を、取られる…………」

「ご存知ないのであれば、それでいいのです」


 考え込みそうなカヨの反応に遅れて気付き、宮橋は視線を一度テーブルへと落としながら、さらりと言った。


「僕が幼い頃に読んだ、多くの中の一つの絵本だったというだけです。ツギハギに縫い合わられた人形が、ぽつんと置かれた絵が表紙にはあって、そこには一枚の鏡も描かれていました。鏡の向こうに映った人形だけが、傷もなく可愛らしい姿で座っている――そんな絵本だった」


 でもコチラ側には、そもそも存在していない一冊だったのだと、彼が悲しげに微笑んで僅かに表情を歪めた。時間を潰すようにぼんやりとソコにいて、勝手にめくられていくページを眺めていたものだった、と……


 真由は、ますます解からなくなった。すると、カヨが「ツギハギの人形、と言えば」と口の中で反芻し、思い出したようにこう言った。


「昔、夫がお酒の席で、陽気で活発な義兄も、人見知りをしていた時代があったと語っていた事がありました。『兄の部屋には手製の歪な人形があった、材料を統一すればいいのに全て不揃いで、作ってはバラバラにして、飽きもせずまた組み立てていたものだ』とか」

「――そう、ですか」


 ぎこちなく答えた宮橋は、「教えてくれて、ありがとうございました。お話は以上です」と言って話し合いの終了を告げたが、その表情はこれまで以上に硬かった。深く考えるように、どこかぼんやりとした眼差しを縁側へと向ける。


 もう話は終わったのだと教えられたせいか、カヨが肩から強張りが抜けたような表情で、真由に向き直ってハンカチを差し出した。


「ごめんなさいね、突然泣いてしまって」

「あっ、いえこちらこそ、お辛いのに色々とお話し頂いて、すみませんでした」


 真由はハンカチを受け取ると、カヨにつられて、色気もないぎこちない微笑みを返した。その時――



「――結局のところ、アレは物語のままに進むのか。一度失敗してしまったから、もう次は間違えないのだろう。だから、わざわざ不安定になった契約主の元へ一度戻って『自殺を未然に防いだ』わけか」



 不意に、そんな静かな呟きが上がった。


 口の中で呟かれる言葉はよく聞こえなくて、真由はこちらに横顔を向けている宮橋の方を振り返った。彼はどうしてか、縁側を鋭く睨みつけている。


「学校から出た時に、身体の方を動かしていたのは『彼本人』か? それとも戻った『アレ』の方なのか、どっちだ? ああ、聞き分けの悪い子供みたいに五月蠅いやつだ、数十年分の残像が煩くてかなわない、おかげで視え辛――」

「宮橋さん? どうかしたんですか?」


 尋ねると、彼がハッとした様子で口を閉じた。一瞬、咄嗟にこちらへと視線を返してきた鳶色の瞳が、光の反射でも受けたかのように、一際明るくなって瞳孔を開かせているように見えた。


 二人の視線を受け止めた宮橋が、躊躇うような間を置いて、それからふっと表情を消した。なんだか仮面みたいだと思っていると、落ち着いた表情で立ち上がった彼が「最後に一つだけ」とカヨに質問を投げかけた。


「ヨシノリ、という名に心当たりは?」

「義兄の名がそうですけれど……」


 宮橋は会釈をして「そうですか。――お話をありがとうございました」と、早々に立ち去ろうとした。呆気に取られて疑問符を浮かべているこちらに気付くと、怪訝そうに眉を寄せて「行くぞ」と声をかける。


「えっと、帰るんですか? というか『トモノリさん』というお名前は、また一体どこから湧いて出たんですか」


 そう尋ねて立ち上がった矢先、真由は宮橋に腕を掴まれていた。そのまま出口へと向けて歩き出す彼に引っ張られて、びっくりしながらも慌てて足を動かせる。


「ちょ、そもそも分からない事だらけなんですけど」

「どうせ忘れるから、言っておこう。はじめから謎のキーワードのうちの一つだ。現場となった場所にも、映し出された写真も、ずっと『トモノリ』だらけだった」

「はぁ? というか、どうせ忘れるってどういう意味ですか」


 連れ出された廊下で、真由が「私そんなに記憶力悪くないですよッ」と疑われている能力について反論した時、腰を庇うように廊下に顔を覗かせたカヨが「刑事さん、待ってッ」と呼び止めて、宮橋がピタリと足を止めた。


「子供たちの誰かに、何かあったのですね?」


 カヨへ視線を向けた宮橋は、しばらく黙っていた。しかし、少しすると、真由の華奢な腕を掴んだまま「そうです」と答えた。


「あなたのお孫さんです」

「いつか、誰かがまたそうなるのではと、ずっと恐れておりましたが、まさか孫だなんて……もう、どうにもならないのでしょうか? 孫もまた、トモノリ義兄さんや、夫と同じようになってしまうのですか?」


 人生が終わってしまうのか、とカヨは尋ねているようだった。


 真由は、痛みを与えないな力加減で、しっかり掴んで離さない大きな手の熱を覚えながら、宮橋の横顔とカヨへ視線を往復させていた。すると、彼が端正な顔を弱々しく横に振る。


「僕は、変えられるはずがない『物語』を騙し抜いた、一人の魔術師を知っています。けれど彼は、もうこの世にはいません。出来る限りの事はさせて頂きますが、この代々続く『物語』に終止符を打てたとしても、最後の一人である彼を助けられるかどうかは――……お茶、ご馳走様でした」


 カヨは目を見開いた後、悲しそうに微笑んだ。


 再び腕を引っ張られた真由は、彼女にがこちらに向かって深々と頭を下げる様子を、半ば彼に引きずられながら見た。戸惑いながらも「お茶をありがとうございました」と言ったが、その時は既に遠く離れてしまっていて、玄関に出た時には、カヨの姿は見えなくなってしまっていた。


「もうっ、ちゃんと別れの挨拶くらいさせてくださいよ」


 ようやく腕を離された真由は、さっさと靴を履いて外に出てしまった宮橋に気付いて、急かされるように革靴を履きながら愚痴った。


 こういう時、スカートにストッキングってちょっと面倒臭いなと思いながら、少し背を屈めて踵部分までしっかりと入れる。そして、「置いていかないでくださいよねッ」と顔を上げて飛び出したところで、ハタと足を止めた。


 どうしてか、てっきり先に行ってしまったと思っていた彼が、玄関の戸の後ろで待ちかまえていた。


「あれ……? 先に行ったんじゃなかったんですか?」


 ふと疑問を口にしたら、流れるように動いた宮橋の腕が、こちらの腰に回されてぐいっと引き寄せられていた。「あ」と思った時には、今にも腹同士が触れ合いそうな距離から見下ろされていて、真由は目を丸くした。


「ああああああのっ、宮橋さん!?」

「橋端真由。僕を見て」

「へ?」


 まるで恋人にかけるみたいな色気ある声だ、と思っていたら、目の前に彼の拳が差し出されて驚いた。それが人差し指、中指、薬指と開いていって、五本指がきっちり五秒をカウントするのを見届けてしまう。


 大きな掌の向こうに、全ての風景が隠れた。気のせいか、思考がカチリと止まったみたいに、頭の中に溢れていた雑念が消えて、抱き寄せられている腰に回った腕の温もりも感じなくなった。



「混乱する情報は、忘れてしまった方がいい」



 君は見なかった、君は聞かなかった……そう口にした彼の手が、再び目の前でゆっくりと拳を作っていき――真由の視界は、一瞬だけブラックアウトした。

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