14話 五章 正反対の二人の刑事~宮橋~(1)上
宮橋の黄色いスポーツカーの助手席に座った真由は、一通りの連絡や確認作業を電話ですませたあと、車窓から流れていく風景に目を留めた。どうやら彼は、これから真っ直ぐ与魄智久の祖母である女性に、話を聞きに行くというのだ。
時刻は四時三十五分。国道に乗った車は、速度制限が比較的に速い道ばかりを選んで走っているのが幸いしているのか、暴走のないまま既に隣の市へと踏み込んでいた。
「僕がもっとも気になっているのは、与魄智久の行方が分からない事だな。彼とも直接話し合わなければならない」
「学校側に確認したら、四時前には帰るところを見たらしいです。でも、家は学校から十分の距離のに、近くの捜査員が訪ねてもいなかったって連絡も、さっきありましたよね」
車に乗り込んだ時に、真由は真っ先に学校へ問い合わせをしていた。その直後、宮橋の携帯電話に連絡が入って、運転手である彼の代わりに電話に出て話を聞いたのだ。
「他の少年たちと同様に、急ぎ捜索すると言っていましたし、きっと大丈夫ですよ」
そう続けながら、どことなく自分に余裕が生まれていることを、少し不思議に思った。署を出る際、先輩である彼についていけば大丈夫だと感じて、右も左も分からない新人なのだからと、まずはごちゃごちゃ考える事をやめてみたせいだろうか?
赤信号で車が止まった。不意に、宮橋がくるりとこちらに顔を向けてきて、真由はドキリとしてしまった。端正な顔立ちをした彼に真っ直ぐ見つめられ、じぃっと切れ長の茶色い瞳に射抜かれて、つい落ち着かなくなる。
「えぇと、なんでじっと見てくるんですか……?」
「君は、何も訊いてこないな。分からない事だらけだと、そう感じてはいないのか?」
信号が青に変わって、車が緩やかに発進した。滑るような心地良さで進み出す中、真由は少し考える。
「うーん、私はあんまり賢くはないので、うまくは言えませんが……なんだろ。宮橋さんに付いていけば、なるようになるかなぁって?」
「ははは、つまり君は馬鹿なんだな」
カチンときた真由は、馬鹿ではないです、と反論しようと視線を戻したところで、咄嗟に口をつぐんでいた。
正面に視線を戻した宮橋の横顔には、少し困ったような、それでいてどこか泣きそうな微笑みが浮かんでいた。車は一見すると、荒々しく走行するように次々に前方車を追い越し続けてるのに、まるでこちらに負担をかけまいとするように滑らかだ。
「――ありがとう」
ふと、宮橋が小さな声で言った。
彼に感謝されたのは初めてで、大人びた美麗な微笑は、横顔だけでもドキドキしてしまうくらいキレイだった。子供みたいに迷惑をかける普段の様子とギャップも覚え、真由はどう言葉を返していいのか分からなくなって「別に」と歯切れ悪く答えて顔をそむけていた。
そもそも、どうして『ありがとう』なんて、言われなくちゃいけないんだろう?
よく分からないけれど、なんだか背中がむずがゆいような気がして落ち着かなくなった。眉間と額に、先程初めて彼に触れられた温もりまで蘇ってきて、意味もなくシートベルトをチェックしてしまう。
車は県警所在地から、二つ隣の市へと突入した。所々に緑や畑が顔を覗かせ、築年数の古いスーパーや住宅の数が多い風景に変わっていた。
「与魄君の、おばあちゃんの家に向かっているんですよね?」
沈黙が続くのも慣れなくて、なんとなく尋ねてみると、宮橋が前を見据えたまま肯定するように頷いた。
「実際に会って話を聞くとは決めていたが、意外と近くだと聞いて安心したよ。確認しない事には、対策も立てられないならね」
それが一体なんの対策であるのか、真由には検討も付かなかった。
とはいえ、彼なりに何か考えがあっての事なのだろう。ほとんど役に立てていない自分を思って、真由は彼を呼んだ。
「宮橋さん」
「ん? なんだ」
名前を口にしてみたら、なんだか愛想の良い美麗な表情を向けられた。
身長が高いせいで座高もあるから、運転しながらも少し背を屈めるみたいに、彼がこちらを覗きこんでくる。
「私に、何か出来る事はありますか?」
「ふむ、そうだな。猫の手も借りたいと思った時には、君の手を貸してくれ。猫より、手先が器用な方がいい」
きっと自分の思い過ごしだろうけれど、相棒として信頼されてきているような気がして、真由は嬉しくなって笑ってしまい「了解」と調子良く答えていた。
黄色いスポーツカーは、国道から左へと道を折れて市の大通りへと抜けた。途中で中道にそれると、左右は畑風景に染まって、車は場違いな美しい外観を見せびらかして時速規制の標識も車もない一本道を走る。
同じような田園風景が真っ直ぐ続いていたため、どうやら自分の速度感覚は鈍っていたらしい。
路肩近くを走っていた自転車を追い越した時、一瞬で車窓から消えて、真由はギョッとした。もしやと思って車の速度メーターを見ると、六十キロは軽く越えていた。
「宮橋さんッ、スピード出し過ぎ!」
「それは君の気のせいだ。おっと、目的の家はこの辺だな」
音を消してあったカーナビを見やり、宮橋が平気な顔で話をそらすようにそう言った。車の速度を落として、荒れた細いアスファルトから砂利の畑道へと乗り上げる。
凸凹道をゆっくりと走行して十分ほど、一軒の家の前で車は停車した。そこは、低いコンクリート塀のある古い民家だった。
家の敷地を囲う壁は、かなり痛んではいるものの、きちんと手入れされて掃除も行き届いているようで、寂れたような様子はどこにもなかった。敷地内の右手には、青々と茂る桜の木があり、西に傾きだした太陽の光を浴びて葉を揺らせている。
「ふむ。やはり緑があると、空気も違うな」
屋根の低い玄関前に立ったところで、宮橋が満足そうに呟いた。
蒸し暑さの中、心地の良い風が田園から吹いてきている。彼の隣でそれを感じていた真由は、玄関の引き戸を叩こうとした宮橋が、ふとこちらを見下ろしてきた事に気付いて「なんですか?」と尋ね返した。
「用件は手短にすませる。君は黙っていてくれたまえよ?」
宮橋は、わざとらしい口調で告げてきた。どこかの探偵みたいな感じ、やめてくださいよ、と真由は目で指摘する。
「はいはい、分かってますよ。私は口を挟みませんし、助手としてしっかり大人しくしています。携帯電話に連絡が来たら、私が取ればいいんですよね?」
「よく分かっているじゃないか。それにしても、助手と言うと、まるでどこかの探偵に付き合っているみたいに聞こえるぞ」
真由は、宮橋から音が消された携帯電話を受け取りながら、まさにそんな感じじゃないですかね、と胸の内で呟いた。自分の携帯電話もマナーモードに切り替えている間に、彼は引き戸を軽く叩いていた。
「すみません。先程に連絡をした宮橋と申しますが、与魄カヨさんはいらっしゃいますでしょうか?」
「はいはい、少しお待ちになって」
引き戸の向こうから、細い柔らかな声が聞こえてきた。
しばらくもしないうちに戸を開けたのは、小柄な八十代くらいの女性だった。豊かな長い白髪を、後ろで一つに丸く束ねるようにしてまとめていて、ゆとりある柔らかなズボンと、割烹着に似た上着に身を包んでいた。小動物のように丸い瞳には、控えめな気性と人の良さを感じる。
彼女は、ふっくらとした健康そうな顔を二人に向けると、皺を柔らかく緩めるように微笑んだ。
「こんにちは。お待ちしておりました」
「こんにちは。僕は宮橋と申します、隣の彼女が、あなたとお電話した橋端真由です。あなたが与魄カヨさんですか?」
「はい。私が、与魄カヨにございます」
尋ねたい事がある、としか電話で知らされていなかったのに、カヨの笑みが少しだけ悲しげになった。彼女は、宮橋の隣にいる真由にも会釈をしたあと、彼に視線を戻して中に入るように勧めた。
古い家の廊下は、足を踏みしめるたび小さく軋んだ。木材の色は褪せてしまっているが、やはり掃除はきちんとされて行き届いている。通路はこじんまりと造られていて、長身の宮橋は少々窮屈そうに肩身を狭めていた。
カヨは、玄関から近い畳間に二人を案内し、冷茶をコップに注いで二人の前にそれぞれ一つずつ置いた。正座した宮橋は、真由自身から見ても更に長身に見えて、カヨが「まるで外人さんみたいねぇ」と笑った。
「あなたが、小さい女性のせいかしら?」
「うっ、確かに平均より、ちょっと小さいのは認めますけど……」
「確かに、君は小さいな。これで平均に近いというのは、君の認識不足じゃないのか?」
ひどい。そんなズバっとストレートに言う!?
真由は、チクショーと悔しくなって、隣からしげしげと見下ろしてきた宮橋に「手でわざわざ計らないでくださいッ」と涙目で訴えた。警察学校で鍛えようにも、全く太くならなかった華奢さは、彼女のコンプレックスだったのだ。
すると、テーブルを挟んで向かい側に、カヨがゆっくりと腰を降ろしながら「外人さんなのですか?」と尋ねて、宮橋がコンマ二秒ほど固まった。彼女は膝か腰を痛めた経験でもあるのか、重ねられた座布団の上に慎重に腰を降ろす。
少し遅れて、宮橋が「いえ、僕は生粋の日本人ですよ」と小さな苦笑を浮かべて答えた。
「家族も皆、黒髪黒眼なのですが――僕はちょっとばかし、色素が薄いんです」
そう言った彼が、出されたグラスにも手を付けないまま「カヨさん」と言葉を続けた。
「僕に話してくれませんか? あなたが知っている与魄家の事を」
「…………何かあったんですね?」
カヨは悲しそうに微笑んだ。その瞳が、何事かが起こってしまったのだろう、と尋ねているが、宮橋はそれについては何も答えなかった。
「私は嫁いできた身ですし、……亡くなった夫も寡黙な方で、実のところ一族の歴史を深く知っているわけではありません」
「あなたが現在までに、実際に見聞きしてきた事で構いません。そちらの方が、今の僕にとっては有益ではある」
宮橋は、事前にどれほどの事を調べたのかとも言わず、冷茶を半分ほど喉に流し込んだ。じっと見ているのも緊張を煽ってしまうのかもしれないと思って、真由も一旦カヨから視線を離して、彼に習うようにグラスを手に取った。