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12話 四章 第四の殺人、のち(2)

 智久(ともひさ)の毎日は、中学時代からずっと、登校から下校まで痛みと煩わしい言葉に溢れていた。しかし、ただただ振り回される日々だったのに、今日はいつもと違っていた。

 彼にそんな世界を与えていた少年たちが、一時間目の授業が始まっても登校してこなかったせいだ。休み時間は静かなもので、邪魔されない穏やかな空気が流れていた。ずっとこんな学校生活を送りたいと考えていたのに、どこか心が空っぽになった虚無感を感じていた。


 安堵はない、ただただ無心だった。


 何気なく空を見上げて、当たり前のように授業を受ける。そんな些細なものにでも動かされていたはずなのに、どうしてか今日に限っては、心に何も響いてこないでいた。ただ息を吸っていて、ひどく足元もふわふわとして現実感が薄い。


 同じ学校に通う二人の生徒が死んだという知らせがあったのは、昼休み前のことだった。その後に、クラスメイトの一人も亡くなったのだと聞かされて、再び教室が騒然となった時も、智久はぼんやりとその様子を眺めていた。


 毎日のように自分を殴っていた生徒たちだったから、全く知らない仲というわけでもなかった。けれど死んだと聞いても、良い感情も悪い感情も感じなくて、まるで事前に死を知っていたような感覚も頭の片隅に湧くしまつで、――どうして自分が、そんな風に感じるのか分からないまま教師の報告を聞いた。


 午前中に死亡の知らせをもらった生徒のうち、公園で死んだと言う松宜(まつぎ)俊平(しゅんぺい)は、いつもこちらをからかっては面白がっていた生徒だった。強く暴力を振るう事はなかったが、リーダーの筒地山(つつじやま)(りょう)の隣に張り付いて鑑賞するのが好きだった。


 午後になって知らされた、どうやらカラオケ店で事件に巻き込まれて死亡したらしいクラスメイトの西盛(にしもり)(のぼる)は、拳に自信を持っていた生徒だった。腹部に受けた右ストレートの拳は重く、いつも呼吸が詰まるような苦しさと口に広がる酸味があったのを覚えている。


 彼のパンチ力は、メンバーの中でも一番だった。ボクシング部の兄貴がいるのだと、彼はよく誇らしげに口にしていた。担任教師は、死亡時の詳細を語らなかったけれど、智久はどうしてか、『真っ先に自慢の腕を切断されてテーブルに落とされた』イメージを抱いた。


「皆さん。本日の放課後の講座と部活動は無しです。速やかに、真っ直ぐ帰宅しましょう」


 担任教師が、手短にそう告げてホームルームを終わらせた。智久は、生徒達がすぐに教室を出ず「事件のせい?」と騒ぐ中、今日の昼食で初めて、一人で過ごした屋上をもう一度見たくなって足を向けた。


 まだ鍵はかかっていなくて、屋上は風が通り抜ける音ばかりで誰もいなかった。しばらく高いフェンスの前に立って、どこまでも続く青い空を目的もなく眺めていた。

 普段なら心の中で「青い空だ」とぼんやり思うと、返答に似た思いの一つでも過ぎるのに、何一つ返ってこない事に気付いた。胸の内側には、やけに静寂が広がっているような気もして、つい手を当てて少し考えてしまう。


「これが普通なんだ。返事を期待するほうが、おかしい」


 あれは、きっと話し相手もいない自分の、独り言みたいなものなのだろう。人は、一人で勝手に自問自答するものだ。ほとんど声を出す事もなくなってしまっていたから、いつからか癖になってしまったのだと思う。


 そう思案して納得したはずなのに、不意に突然世界がぐんと広く感じた。


 自分がその中で、ぽつんと取り残されたような、生まれて初めての疎外感と心細さを覚えた。

 


 どうして、僕はここにいるんだろう。


 

 ふと、生きている事への強い疑問が込み上げて、広い孤独の荒野に取り残されたような恐怖に近いものを覚えた。そのタイミングで、午後四時過ぎの鐘の音が校舎中に響き渡って、一気に不安感が増して爆発しそうになった。


 智久は、自分の喉をかきむしって叫び散らしたい衝動に駆られた。心臓が不規則に脈打って、胸のあたりが絞られるように苦しくなって、息が詰まった。


 産まれ落ちた世界への違和感が、急速に強まって胸の辺りを圧迫した。この世界に『たった独り』生きている事が耐えられない。そんな強迫観念に襲われて、今すぐにでも自分を殺してしまいたくなった。

 


 空っぽだ。僕は、今、『空っぽ』なのだ。



 半ばパニック状態のようになって混乱し、両手で頭を抱えた。彼は叫びたい衝動を堪えて、あまりの苦しさに髪をむちゃくちゃにかき乱していた。もう耐えられそうになくなって、勢いのまま自分の喉に、爪を立てて掻き毟ろうとした時――


 ストン、と胸にナニかが降りてきた。


 その直後、唐突に静寂と虚無感が戻った。途端に身体から力が抜けていくのを感じ、智久はフェンスに身を預けていた。


(トモヒサ、トモヒサ)


 静まり返った胸の内側から、そんな問い掛けが聞こえた。普段の冷静さが、冷たく心地良く指先まで広がっていく感覚を追いながら、智久はゆっくりと視線を上げた。

 広々とした青い空が目に留まって、ああ長閑でキレイだ、と思った。自分と対話をしているだけなのに、先程あれだけ取り乱していたのが不思議なほど、落ちつきを取り戻しているのを感じた。


(チョット、離レテタ。大丈夫、マタ少シだけ離レル、ケド、今度はスグ戻ル)


 不意に、強い眠気が込み上げた。身体を支えていられなくて、フェンスに押し付けた姿勢のまま、智久の身体はゆっくりと滑り落ち始める。


 智久は、瞼が重くなっていくのを感じた。こんなところで眠ってはいけない。そう思うものの、その思考も静かな闇に沈んでいくようだった。


(スグ、戻ルヨ、トモヒサ。スグ、スグニ……)


 閉じた瞼の裏に、何故か数日前の央岬(おうざき)(まこと)とのやりとりが浮かんだ。彼は筒地山亮の親友で、一番暴力の加減を知らない男だった。


 中学の頃、彼にバットで強打されてから、智久は右耳の聴力が著しく弱くなった。その時は、自転車で転んでしまったと両親に伝えていた。亮と誠が「連れ添って送ってくれた友達」として、家に来ていたのを覚えている。


 誠は、こちらを転がして蹴り踏みつける事が好きだった。ひどい時は、二時間も彼に殴られ続けた。「お前ら、見張ってろよ」と聞き慣れた言葉は、すっかり耳にこびりついて離れない。

 眠るように意識が深い闇に沈んだ。身体の感覚がなくなって、五感も遠のいたのに思考は消えてくれず、気付くと智久は闇の中で瞬きを繰り返して、黒一色の空間の中に立ち尽くしていた。


「……僕は、夢を見ているのだろうか」


 再び、ぽつんと独りぼっちになったような虚無感に襲われたが、すぐに胸が満たされるような感覚が戻ってきた。


 その時、唐突に一つの答えが湧き起こった。その理解は化学反応のように連鎖して、魂に刻み込まれた『物語』と自身の全てを悟らせた。


「――そうか。そうだったのか、あれは『僕ではないモノの声』だったのか」


 そう呟いた智久は、三メートルほど離れた場所に見慣れた学生靴が見えて、ゆっくりと目を向けた。


 それは、N高校の制服に身を包んだ一人の少年だった。鼻先から上は闇に包まれて霞んでおり、女性のように小さくふっくらとした厚みがある血色の赤い唇が、やけにハッキリと色鮮やかに浮かび上がって、弧を描いている。


 背丈は、智久と全く同じくらいだった。けれど左右共に、手足の大きさや質感が違っていて、ややアンバランスにも思えた。まるで、首から下が『つぎはぎ』みたいだった。


「ああ、君だったんだね」


 思わず問いかけると、ソレの赤い唇が上品に微笑んで「トモヒサ」と、あの子供みたいな、作りものじみた歪な声で呼んできた。


「トモヒサ、トモヒサ。僕、イル。ズット、一緒」


 少年の姿をどうにか取ったソレが、歩み寄ってこちらに手を伸ばしてきた。頬をなぞった指先は、死人のように青白く冷たくて、やけに分厚い黒い爪をしていた。


「トモヒサ、叶エル。ソシタラ、『向こう側』でズット一緒――うふふふふふふ、今度ハ失敗シナイ、大切、大事ニスル」


 赤い唇がにぃっとほくそ笑んだところで、智久の思考は、プツリと途切れた。

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