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竜の花嫁  作者: あまがみ
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ひとひらの蝶

 鎌鼬の足は速い。今の白銀なら、一里行くのに三分とかからないだろう。到底人の足では追いつけない。


 白銀は木立の間を縫うように駆け抜けていく。三人は抵抗を抑えるために頭を低くし、白銀の背にしがみついていた。


 ごわごわとした毛は獣そのものだが、揺れないので獣に乗っている感覚はない。また、風を割くというよりは、風になったような気分だった。ごおおという音が耳の横を通っていく。ちらと目を上げると、木々が飛ぶように過ぎていくのが見える。


 三が、周りを確認しようと目を上げた。その瞬間、叫んだ。


「だめ! 止まって!!」


 声は風に流れて届かなかった。


「ぎゃんっ!」


「きゃあっ!」


「わっ!」


 バアンッと車と車が衝突するような凄まじい音と衝撃が走り、娘たちは宙へ投げ出された。


 二ノは空中で体制を整えて見事に着地すると、近くに飛んできた三の身体の下に自分の腕を滑り込ませた。衝撃を吸収して抱き、地面に膝をつける。


「ありがとう、二ノ」


「一は……」


 すぐさま一姫を探したが、一姫の姿はなかった。


「たぶん、結界の中じゃないでしょうか。一は結界をすり抜けるから……」


 三は二ノに放してもらいながら、白銀が阻まれた前方を見た。二ノも視線をやる。


 白銀がぶつかったためか、空気の歪みが如実に表れていた。あまり目のよくない二ノにも見える。二ノは見えた空気の歪みに近づき、手を出した。見えない壁に、手が触れた。


 木々の間。何の変哲もない空間に、壁がある。ぐっと強く押してみるが、微動だにしない。ただ、空気が波紋を描くだけだ。


 結界だ。それも強力な。


 猛進していた白銀は目前の目に見えぬ壁に気づかず、ぶつかってしまったのだった。


 一姫を失い、元の姿に戻った白銀は頭が痛いのかしきりに頭を掻いている。二ノは白銀の前で手を振って白銀を戻した。小さな風が起こり、白銀の姿が消える。


「青梅様か……」


「おそらく」


 三が頷く。


「儀式の行われる谷から半径五百メートルといったところか」


「この結界は今の私では解くのに時間がかかり過ぎます」


「この強さの結界を広範囲に渡って張られるとは……さすが、青梅様だ」


 三は悲しそうに、二ノは悔しそうに呟く。この結界を破って碧緒の元へ行くことは出来そうになかった。


 三は結界を張るとか破るとかいった類は得意である。しかし、今日は辺りを監視するために力を使いすぎている。この状態では解くこともできるかどうか分からなかった。いずれにしても、解いている間に碧緒は谷底へ落ちてしまう。


「仕方ない。この先は一に任せよう。きっと結界はドーム型だろう。私たちは上から機を狙おうか」


 三がこくりと頷く。


 二ノが右手を高く上げると、その手の上にぱっと獣が現れた。二ノの身体に大きな影が降りる。


 影は傘のような形をしていた。大きな翼がはためいて、周りの草木を大きく揺さぶる。翼の背は黒々としていて、腹のあたりは白く、黒いまだら模様がある。全長三メートルはあろうかという、巨大な隼だった。


 三が隼の近くまで来ると、隼は何も言わずとも上体を低くした。二ノが手伝ってやり、三は隼の背に乗った。


「大丈夫。一だって足垂の子だ。やる時はやるさ。今までも、そうだったろう」


 自分も三の後ろに乗りながら、声をかける。表情が見えなくとも、二ノには三が浮かない顔をしているだろうことが分かった。それだけの付き合いをしてきている。


「えぇ、分かっています。一なら力を尽くしてくれるでしょう。でも、一はやりすぎるきらいがあるから……。自分のことを二の次にして、身を投じてしまうから……。私はそれが……もし……」


 三はそこで口を切った。口に出してしまったら現実になってしまいそうで、はばかられた。


 言葉は呪いをかける。


「それは、私も、思っているよ……」


 隼が羽を広げ、宙を一掻きする。


 身体がふわりと浮き上がる。


 翼が宙を掻くたび、二人を乗せた隼は浮き上がり、天高く、上がっていく。


「一…」


 不安そうな三の声が空気に溶けた。


「ん……」


 三の声に呼応するかのように、一姫が茂みの中で目を覚ました。あまりの衝撃に少しばかり気を失っていたらしい。


 一姫は頭を振ってむくりと起き上がった。それから辺りを見渡し、自分の置かれている状況を確認した。


 何が起こったのか、一姫には理解できない。彼女は結界をやすやすと破ることが出来るが、いつもそこに結界があるということを知らない。一姫は自分が、姉青梅が張った結界をすり抜けたことを知らなかった。ただ、そこに、二ノと三、それから白銀の姿がないことしか分からない。


 はじめはどこかぼんやりしていた頭の中が、急に火が付いたようにカッと鮮明になる。


「雲雀っ雪しろ!?」


 思わず二人の本名を口走ってしまう。けれども咎める者はいなかった。


 一姫は茫然とした。それから数秒考えた。考えて、もう一度辺りを見渡した。


 自分がどこにいるのか分からない。


 愕然とした。


 自分が儀式の場へ向かっていることは承知していたが、必死に白銀の背に掴まって下を向いていたのでどこまできたのか分からない。山の地図はなんとか頭に叩き込んでいたが、紙の上とはまるで違う。右を向いても、左を向いても、同じような木が立っているだけで何の目印もない。方向さえ、地理に疎い一姫には分からなかった。


 涙が一姫の頬を伝った。


 心細いからではない。不甲斐ない自分が、無力な自分が悔しかったのだ。


 一姫は涙をぬぐいながら立ち上がる。


 ぬぐってもぬぐっても、頬は濡れる。


「ふうぅ……」


 声を押し殺して、泣きながら、それでも一姫は歩を進めた。


 どこに向かっているのか分からない。どちらの方向に行けばいいのかわからない。けれども一姫は全く諦めていなかった。


 ふらふらと歩いていると、目の端に何かがちらついていることに気づいた。涙でいっぱいになった目を拭いてそれを見る。


 黒い蝶だった。黒い蝶が頭の周りをまとわりつくように飛んでいる。


 一姫は足を止めた。


「半分しかない……」


 奇妙な蝶だった。黒い翅に虹色に光る模様が入っている様は美しいが、左半分しか翅がない。


 見つめていると、蝶は一姫にまとわりつくのをやめた。そうして右前方に向かってふわふわと飛び始めた。上がったり下がったりしながら、蝶はどこかに向かって進んでいく。


 一姫はきゅっと唇を引き結び、蝶の後に続いて歩を進めた。


 蝶に追いつこうと、歩みを速くする。


 追い付けない。


 小走りになる。


 追い付けない。蝶は一姫と一定の距離を保ったままゆらゆらと飛んでいる。


 遂に一姫は駆け出した。


 それでも追いつけない。蝶は優雅に、一姫の数メートル先を飛んでいく。蝶の飛ぶ速度が増しているようには思えないのだが、蝶は一姫の前を飛び続けた。


 一姫は蝶を追って走る。


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