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竜の花嫁  作者: あまがみ


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月夜の逢瀬

 遠くの空で星が光っている。空には満月の輝く、美しい晩であった。


 碧緒は読んでいた資料を一旦閉じ、ふと隣を見た。布団が敷かれている。先程まで一姫がすうすう寝息を立てて寝ていた布団だ。一姫は泣き疲れて眠ってから数時間で起きた。目覚めた一姫と話をしてから碧緒は眠れず、昨日新しく送ってもらった資料を読んでいたのだが、少し疲れた頃合いであった。それでも眠気はやってこない。


 仕方なく、碧緒は立ち上がった。肩にかけた羽織を直し、部屋に一つだけある小さな格子窓の前まで歩く。


 眠れぬ夜はいつも裏口から裏庭に出て月を眺める。しかし今は部屋から出られないので、格子窓から庭の様子でも眺めようと思ったのである。残念ながら格子窓から月は見えない。


 碧緒は鍵を外して窓を押し上げた。あまり使われていないからか、窓は固く開けにくい。力いっぱい押し上げるとようやく痛々しい音を立てて開く。


 ふぅ、と息を吐くと息が白くけぶった。冷気が部屋に入ってくる。ぶるりと一震いする。月の銀色の光と部屋の橙色の灯りに照らされてぼんやり庭が見える。いつも庭に潜んでいる本家の人間は見当たらなかった。碧緒はゆっくりと視線を右から左に動かしていく。


 ぎょっとした。それから心臓が跳ねた。驚いた。窓の近くに人が立っていた。最初はあまりにも気配がなく気づかなかったので驚いたのだが、その後はその人物があまりにも意外な人物だったので驚いて心臓が跳ねたのだった。


 切れ長の赤い瞳をした、男である。薄い唇は艶めいていて、陶器のように白く滑らかな肌が橙色の光を受けて浮かび上がって見える。至極美しい、整った顔をしているが、刺すような怖ろしさがある。


 竜臣だった。


 ふいにあの時会った時よりも綺麗で、怖いと碧緒は思った。儚い印象を受けとった青年の頃とは違う。その瞳には強い光が煌めいていて、彼の頑強な意思を表している。まるで別人のようだった。


 じっと碧緒を見つめていた竜臣がふいに空を見上げた。きっと月を見上げたのだろう、と碧緒は思った。


 竜臣は再び碧緒に視線を戻し、口を開く。


「綺麗だ」


 どくんと、碧緒の心臓が大きく跳ねた。


「……今宵は満月にございます。さぞ、美しいでしょうね」


 言葉が白い塊になって空気に溶けていく。熱が逃げていくはずなのに、身体が熱い。


 竜臣が見つめている。無言でじっと、自分のことを見ている。碧緒は沈黙に耐えられなくなった。


「ここは山の中腹ですから、月も大きく見えますでしょう?」


「そうだな」


 堪らなくなって呟くと、竜臣も答えた。視線は己に向いたままである。碧緒は二、三度素早く瞬いて視線を下げ、次の言葉を探した。


「水面に映る月も美しいですよ」


「そうだな」


 竜臣は碧緒を見ている。


「竹林を抜けたところに池があるのです。わたくしはそこに映る月がいっとう好きなのですよ」


「そうだろうとも」


「池には鯉もいるのですよ」


「そうか」


「綺麗な錦鯉です。竜臣様にも見ていただきたいくらい」


「見せてくれるか」


 手が伸びてきた。指が長く細いが、節々がしっかりした男の手である。碧緒は思わず動きそうになった手を胸に当てて目を反らし、ドクドクと煩い心臓を押さえながらぼそぼそと唇を動かした。


「……わたくしは、ここから出られませぬ故……」


 竜臣は答えなかった。


 心臓が早鐘を打っている。竜臣の顔が見られない。


 身体が震える。手が震える。唇が震える。


「寒いか」


 竜臣の大きな手が伸びてきて震えている碧緒の手を取った。


「い、いえ! 寒いのではなく……」


 碧緒はぎょっとして声を上げた。震えが止まる。身体の底から熱が噴出してくる。身体は寒さを忘れ、徐々に熱くなってくる。


 竜臣は碧緒の手の甲を親指で撫でた。それからちらと碧緒を赤い瞳で見つめ、手を引っ張った。前のめりになる碧緒の頭にもう一方の手を添え、引き寄せる。碧緒の耳に当てられた竜臣の唇から、白い吐息が上がる。碧緒は腕の中で青みがかった瞳を大きく開いた。


 ややあって竜臣は身体を離した。竜臣の指が碧緒の長い黒髪を一房持ち上げ、夜の闇へ連れていこうとする。


 するり。髪が指をすり抜け、碧緒の胸を叩いた。


 竜臣の姿は消えていた。碧緒の目には月夜に照らされる草木ばかりが映っている。


「……このことは誰にも言ってはいけないわよ」


「……分かった」


 どこからともなく雲雀の声がした。


「……一姫には、もう一働きしてもらわないといけないみたいね……」


 碧緒はきゅっと唇を結んだ。


 ぶるりと身体が震える。肩にかかっている羽織をぎゅっと握りしめ、ぴしゃりと窓を閉めた。

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