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始まりの少女8

 そもそも、魔術とはいったいなんなのか。それは、千年以上前に偶然見つかったものとされている。陣に意味を込め、言葉に魔力を詰め、この世界の理をほんの少し歪める技術。

 『要素』と呼ばれる物、例えば《熱》や《水》などの陣は長年の研究により解明されている。あらゆる要素を組み合わせて、様々な事象を引き起こすのが魔術の基本だ。


 《熱》と《水》の要素を組み合わせることでお湯を作り出したり。

 《水》と《槍》と《形状固定》と《変化》を組み合わせることで水の槍を作り出したりすることができる。


 この陣や魔文は複雑多岐にわたり、人間が研究していたもの、魔術師個々人が開発したものなど、未判明の部分も多い。中には一子相伝の秘宝の陣とかもあったりしたのだ。


 陣は、物質に刻み、魔力を流し込むことで発動する。

 メリットは、即時発動が可能なこと。

 デメリットは、事前に準備しなければならないこと、魔力の通りが悪い物質だと使えば使うほど摩耗していくこと、刻まれたものしか発動しないので応用性に欠けること。

 咄嗟の発動には向いているが、それが状況に適した魔術かどうかまでは本人が用意した陣の内容による。


 魔文は、魔力を込めた音の並びで、空中に魔術を作り出す技術だ。

 メリットは、言葉さえ知っていればその場で最適な魔術を作り出せること、魔力が持つ限りは何度でも使えること。

 デメリットは、発動までに時間がかかることだ。しかも言い間違いをすると変な要素が混じって、どんな魔術が完成するかがわからない。しかしそういった言い間違いで新たな魔術が産まれたりするのだから、人間はたくましい。

 


「そして、ニムエに渡したのは『濃霧』の魔術だ。発動したら、五分くらいの霧を発生させる」

「……きり?」

「もやもやした煙みたいなものだ」

「……なるほど、かくれんぼ」

「そうそう」


 俺はまだ八歳の少女に魔術用具を与え、さらには魔術を教えようとしている。400年前であれば、あり得ない。子供のころから魔力を扱い、魔術を運用するのは困難を極める。それは子供のころの魔力は多くない、という理由もあるし、子供の好奇心の高さも問題なのだ。


魔術による怪我や死亡事故は中級者によく起こる。初心者は魔術がよくわからないので慎重に扱う。この時期は教えた人物も見学しているので事故が起こりづらい。だが中級者になり、ある程度魔術を扱えるようになると、知らない要素同士を組み合わせたくなるのだ。いったい、何が起こるのだろう、と。好奇心の強い子供ならなおさらである。


 結果、予想外の魔術が完成し、事故が起きる。


 魔術師と呼ばれる上級者たちほど、使う魔術は一本化していく。基礎の魔術を除いて、彼らは自分が最も信頼する魔術を使う。それは、とっさに組んだ魔術は暴発の危険があることをよく理解しているからだ。

 そういった理由で、魔術は基本的には成人する直前から習うのだが。ニムエは魔術のエキスパートである俺がそばについているし、ヴァンパイアの血の影響なのか魔力量もかなり多い。魔力とはそれだけで力になり得る危険な力だ。意識していなければ、魔力量が少なければたいしたことは起きない――せいぜい、危機的な状況で信じられない膂力を発揮する、『火事場の馬鹿力』が発動するだけなのだが――ニムエの魔力量を、なんのセーブ装置もなく感情のままにぶっぱなすと普通に人を殺しかねない。


 というわけで、俺はニムエに魔術を教えることにしたのである。


 ――決して、魔術のことについて話せる相手が欲しかったわけではない。決して。



「これが《水》だ」

「……えーと……こう?」

「だめだ、線が歪んでる。先端が丸まってる。もう100回」

「う、ううっ……」

「頑張れニムエ、お前ならできる」

「ルイド様厳しいよぅ……右手が痛いよぅ……」


 ポロポロと涙を流すニムエに一瞬心が揺らいだが、ぐっと我慢する。最初が肝心なのだ。魔術の陣を正確に写し取れなければ、自分で魔術用具を作成することができない。《水》の魔術用具などいくらでも作ってやれるのだが、それは面倒――否、それではニムエのためにならない。この《水》の陣さえ覚えてしまえば、いくらでも魔術用具を作り、それで魔術の起動の練習をすることができるのだ。


 というわけで、ニムエは今《水》の要素を持つ陣を書き取り練習中だ。もう300回は写しとっているはずだが、まだまだ正確には程遠い。実は魔術を発動させるのに簡単なのは陣ではなく魔文なのだが、魔術師の基礎にして最終はあらゆる状況に対応した魔術用具の展開である。いつか苦労しなければならないのなら、今のうちに苦労しておいたほうがいい。


「頑張れ、ニムエ。《水》が書けるようになったら、何か美味しいものを買ってやろう」

「ほんと、ですか!?」

「本当だ」


 ちょろい。まだガキだな、と優越感に浸る裏で、本当に食い物を餌にすれば即誘拐されそうなほどのちょろさが心配になる。一応今は俺が保護者なわけで、というか誘拐されると人間にはあり得ない回復力とか身体能力とかもろもろバレる可能性があるので絶対に誘拐されるわけにはいかない。


「ニムエ、俺以外の人間に美味しいものあげるって言われたからってついていっちゃだめだぞ」

「わかって、ます! ニムエ、ルイド様の奴隷!」

「お、おう」


 そんなに堂々と宣言しなくてもよかった。どや顔をするニムエだが――


「ニムエ、この線が曲がってる」

「あう……」


 がんばれ。俺も辛かったから、それ。




「ん……そろそろ時間か」


 泣きながら書き取り練習をするニムエだが、残念ながら今日のうちに《水》の陣を習得することはできなかったようだ。まだ子供である以上繊細な手の動きは難しいし、一朝一夕で身につくモノでもない。俺でも初めての陣を刻めるようになるまで3か月かかったのだ。一度コツを覚えてしまえば、あとは割とスルスル行くのだが。


「終わらなかった、です……」

「大丈夫だ、ニムエ。よく頑張った。時間をかけていいから、ゆっくりやれ。ヒントをあげるなら、陣を写すんじゃなくて、自分の手と相談してみるんだ」

「手と、相談……?」


 首をかしげるニムエ。だがこればかりは口で説明しても意味がない。自分でそのコツに気づければ練習はとても捗るだろうが、口で言われてもなんとなくわかったような気になるだけだ。


「まあそれはそれとして、買い出しに行くぞ」

「はいっ!」


 先日の《飛竜ワイバーン》の群れの襲撃で、被害を受けた木漏れ日亭。その買い出しに付き合うことを約束させられているので、ニムエの手を取り外出する。あとすっかり忘れていたが槍を買わなければ。埋め込んだ槍は、死体と一緒に持っていかれてしまった。


 まだまだ喧騒が響く夕暮れの町に足を進めると、町の何か所かで復旧作業をしている様子が見て取れる。開拓者らしき人たちも見え、図らずも仕事が生まれているようだ。あ、大工っぽい人に開拓者が怒鳴られてる。そんな風景を見ながら待ち合わせ場所に向かうと、リルがすでに待っていた。


「遅い」

「まだ夕暮れだからセーフだろう、細かいぞ」


 指定の時間は夕暮れ時だったから大丈夫のはずだ。しかし夕食時であるこの時間は飲食店は忙しいはずだが……?


「さぼりか?」

「人聞きの悪いこと言わないで。休業よ、休業。半日だけ開いてたの。うちにも常連さんがいるんです」

「ああ、俺もだな」

「いや、まだ言うほど来てないでしょ……しかも《岩猪ボアム》の煮込みしか頼まないし……」


 ぶつぶつと文句を言うリル。まったく店にお金を落として、しかもこうして買い出しに付き合っている俺になんという言い草か。


「帰っていいか」

「だめに決まってるでしょ」

「そうですか」


 可愛らしい服をひらりと翻したリルは、ピョンピョンと跳ねながら進んでいく。それを追いかける俺とニムエ。リルと一緒にいると、ニムエが黙り込む。まだまだ、心を許せる相手が少ないのだろう。


「お前、その服で椅子を運ぶつもりか? 汚れるぞ」

「運ばないわよ。4つ全部ルイドが持つのよ?」

「そうですか」


 まあやれなくはないが。


「あなた、何が目的なの?」

「は?」


 リルは夕暮れの町を跳ねるように歩きながら薄暗い路地裏を進んでいく。少し警戒心を強めた俺は、それでもリルについていく。こんな道を選ぶのには理由があるはずだ。近道だとか――後ろ暗いことがある、とか。


「すごい失礼なこと聞いていい?」


 こちらに顔を見せないまま、リルが立ち止まる。


「どうぞ」


 リルが何をしかけようが、対処は可能。周囲に人影も隠れるような物陰もない。俺はそう判断して、リルの言葉の続きを待つ。


「なんでそんなに優しいの?」

「は?」


 リルの声は震えていた。まるで何かを拒絶するように、信じたくないかのように、それでも助けを求めるかのように、どうしようもなく震えていた。


「ごめんね。助けてくれたのに、疑うようなこと言って。でも、おかしいよ。《飛竜ワイバーン》なんていう強い魔獣を倒して、私たちの命と命の次に大事な店を救ってくれて、片付けも買い出しも快く引き受けてくれて――何が、狙いなの? 何を差し出せばいいの?」

「俺は、疑われているのか」


 頷くリルの後頭部。


「ごめん、でも私も昔いろいろあったから――簡単に、信じられるほどお子様ではないつもり」


 思わずニムエの顔を見るが、よくわからなかったようで首を傾げられる。……ニムエに関してはほとんど餌付けしたようなものだし、ノーカンでいいか。


「欲しいのはお金じゃないんでしょう? だったら――私?」

「お前の中の男像は金か女かしかないのか」

「そんなことないわ」

「そりゃよかった」

「あとはお酒ね、たまに賭博」

「最悪だな」


 リルの声の震えは止まったが、代わりに体が震えているように見えた。客を相手に明るく振る舞い、男たちを手玉に取っていた女性はいない。そこにいたのは、恐怖と不安で怯える一人の少女だった。


「見栄を張るなら、俺にとっちゃ《飛竜ワイバーン》なんて大した相手じゃないからだ。そこの荷物取って、取ったよ、ありがとう。その程度のことだったから、謝礼は言葉で十分」

「見栄を張らないなら?」

「――なにせ俺は世間知らずでな。今まで人間と話す機会なんてほとんどなかった。だから、楽しいんだよ。話すのが。それが女の子ならなおさらだ」

「……ふふっ、つまり私が狙いなのね?」

「いや違う」

「それはそれで傷つくんだけど」


 でも、と緊張した声音で呟いたリルは俺のほうに向きなおる。その顔は今まで見たあきれ顔や、弾けるような笑顔ではない。緊張でこわばった、歪な笑み。だが、それもまた美しい人間の本音の発露。


逢引デートのお誘いをうかつに承諾すると、女の子は勘違いしちゃうわよ?」


 奪い取るように顔を急接近させてくるリル。

 その意表をついた動きに俺は対応できず、唇が重なる――






 なんてことにはならない。


「ちょ、ちょっと! どういうつもり!? 私が決死の覚悟で――!」

「いや、俺はやめとけ。お前は勘違いしているだけだ、吊り橋効果って知ってるか?」


 俺の右腕がリルの頭を押さえつける。上から襲い掛かってきたリルの唇だが、ヴァンパイアの膂力と夜目をもってすれば襲撃を防ぐことなど容易だ。


「ちょ、ちょっとまるで私がルイドに恋してるみたいな言い方やめてくれる? これはあくまでお礼だから」

「お前、自分が今やったことを男女逆にして考えてみ?」

「絶世の美少年に笑顔でキスされるなんて最高じゃない」

「お前実はすごい自分に自信持ってるな!?」

「当然。私はリル、木漏れ日亭の看板娘よ!」


 自信満々に言い切る少女。調子を取り戻してきたのか、先ほどのしおらしい態度は消え、いつもの強かなリルが戻ってくる。


 ――そうしなければ壊れてしまう、とでも言うように。リルは、急速に強靭な精神を取り戻した。


「お前の過去に何があったのかは知らんが」


 ビクッ、と体を震わせるリル。


「自分を安売りするな。そして、よければこれからも話し相手になってくれるとありがたい」

「あら、口説かれてる?」

「違う」

「残念」


 まだ少し震えている声を戒めるように、リルは笑みを浮かべた。まだ完全には調子が戻らないのか、その笑みはいつものはじけるような笑顔ではなく、どこか歪な笑みだった。本音を隠すための笑顔は、いつだって目を逸らしたくなるほどの傷を突き付けてくる。


「俺は、力はあるが優しくはない。お前のその心の傷を癒すのは俺ではない誰かだ」

「――会えなかったら?」

「探せ。愚痴とかならいくらでも聞いてやる。お願いも状況によっては聞いてやる」

「お願い聞いてくれるの!?」

「おい、俺は今『状況によっては』って言ったよな? 耳ついてるか?」

「じゃあ私のために経済力があって包容力があってイケメンで優しくて高身長の婚約者様をルイドが見つけてくれるのね?」

「ハードル高いな!」


 二人でぎゃあぎゃあと言い合う。そのすっかりいつも通りの雰囲気に安堵する俺。少しばかり変な雰囲気になったが、リカバリーには成功したらしい。言い方は酷だが、そこまで背負うほどの覚悟は俺にはない。あくまでも、行きつけの店の従業員とその客という関係で――


「……椅子はどうするん、ですか?」

「「あっ」」


 ニムエが呟くまで、二人ともすっかり時間と椅子のことを忘れていた。


「急ぐわよルイド! もう閉まってるかも!」

「は!? それは困るぞ、こんなん一回で十分だ!」

「こーんな可愛い女の子との逢引デートをこんなん呼ばわり!?」

「自分で言うな!」


 言い合いながら、俺はニムエを抱き上げた。急ぎで移動するときはいつもニムエは俺に抱きかかえられているので、そのことがわかっているニムエはおとなしくその体を預ける。


「どうした、ニムエ?」

「なんでもない、です」


 ニムエの視線が若干の敵対心を込めてリルの背中を見つめていた。それに気を取られた俺は、リルの唇が漏らした呟きに気づけなかった。


「――十分……るほど、優……から。諦……な……よ――」






「絶対、渡しま、せん」

「ニムエ、どうした? おなかすいたか?」

「違い、ます」

「そうか、喋らないほうがいいぞ。舌噛むから」

「……はい」

恋愛もの死ぬっっっほど苦手なんですよ!

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