侍女の憂鬱2
ティーダに到着したティエリは、目を見張る。周囲の人間に活気がなく、その目は暗く澱んでいる。ティーダはウルベルグとディラウスを繋ぐ宿場町であり、ウルベルグを経由してディラウスに向かう開拓者でにぎわっているのが普段の光景だった。まあもっとも、一度ディラウスに行けば、あまりの魔獣の強さに心が折れるのがお決まりのパターンではあったが。
人類唯一といってもいい、最前線――聖魔戦争の際に失われた、人類の領域。そこを取り返すために戦う開拓者たちは、人類の最先端を行っていると言っても過言ではない。その理念は気高く、その仕事は果てしなく、その役割は重い。
「えーと……」
「なんか……暗いね……?」
「そういう時は道行く人に聞くのが一番! すみませーん!」
「えっちょっ――」
考えなしで行動したミュローネが、さっそく近くを通りがかった男性に声をかけた。男性はゆっくりと三人の方を振り返ったが、その顔に生気はなく、何かに絶望したように目は澱んでいる。周囲にいる人も、関わり合いになりたくないと言わんばかりに距離をとった。
「みなさん元気がないようですが、何かあったんですか?」
「……君たちは、ディラウスから来た開拓者だね……? 悪いことは言わない。ここを通り抜けて、次の町に向かいなさい。まあ……ベルムスも、いつまで無事かはわからないけどね……」
「ちょっと、不吉なことだけ言ってないでもうちょっと具体的に! あれ、おじ……おにいさん待ってー! 話を聞かせてー!」
ミュローネの頑張り虚しく、ふらふらと体を揺らしながら男性は行ってしまった。
「何か異常事態が起きているのは間違いないようですね……」
「……ルイドたちも、関係しているのかしら?」
「まあ、状況証拠的には黒だよね」
ティエリの呟きに、ミュローネとマトが意見を述べる。
「関わっているにせよいないにせよ、ここにいるかどうかがわかるまでは移動できません。とりあえず宿を借りて、作戦会議にしましょう」
「了解~」
ティエリは少し考えて、方針を決めた。3人の目的がはっきりしているため、意思の統一はさほど難しくはない。だが、慣れないリーダーという役割に、ティエリは割と疲弊していた。それはティエリ自身がわきまえているとおり、彼女は人の上に立つ器ではないのだ。
こればかりは生まれ持った性質なので、彼女にもどうしようもない。
(私はもう少しこう、命令された方がやりやすいのですが……仕方ないですね。二人はアホですし)
侍女の服を纏っているティエリは、おとなしめの容姿も相まって、非常に優しそうに見える。だが中身はわりと容赦がなく、激昂することも少なくない。けれど怒りや不満をため込む性格をしているので、マトやミュローネは、内心怒りが爆発するタイミングを計っている。そして彼女は小者っぽい――つまり、非常に根に持つ性格をしているので、ニムエのように肉で許すタイプではない。それはそれ、これはこれ、と機嫌をとろうと不満が解消されるわけではないのだ。
「……はぁ」
(私、絶対リーダーとか向いてないんだけど……)
それがティエリの正直な気持ちだった。やりたいやりたくないという話ではなく、あくまでも性格として向いていない。客観的に自分を見据えた考えだった。そしてそれは、正しい。
「どうしたのティエリちゃん? 疲れた?」
「ええまあ、そうですね。疲れました」
こちらを見る年上の女性、ミュローネ・ル・エリシューク……ヴィリス王国の貴族にして、戦術科の学生だった女性。歴史の真実を突き止めるという目的のもと、ルイド探しに同行している。操心族に関する情報は即座に戒厳令が引かれ、ミュローネが事件の真相を掴もうとウロウロしているところで、学院から脱走しようとしていたティエリに遭遇。あの手この手で目的を聞き出し、強引についてくることになった。
だが戦術科にいた関係で、体力はある。また、集団戦に長け、もっとも効果的なタイミングでマトの雷を放つ戦術眼もある。だが、それ以外が致命的だった。求心力、冷静さ、常識。そういったものが欠けている彼女は、もしかしたら戦時中には優秀なリーダーになり得たかもしれない。足りない部分を周囲がフォローしたくなるような魅力はある。
だが、無難なリーダーにはなりえない。戦っていないときのほうが圧倒的に長い今の旅で、彼女の常識不足は決定的だった。
「結構、歩いたもんね。早く宿を探そう」
気楽そうに言う青年、マト。ディラウスに向かう途中で出会い、目的をともにしていることから旅に同行することになった。ティエリとしてはまっっっったくいい思い出がないのだが、決戦兵器として雷の魔法は有用である、という判断から同行を許可した。失われてしまった魔法ではなく、魔術を人類社会に復活させるため、唯一といってもいい魔術の使い手であるルイドに会おうとしている。だが、この男、雷の魔法以外は役に立たない。村人であったころは旅などしていなかったうえ、轟雷だったころは周囲の人間にすべてをやらせていた。
控えめに言って、ティエリからの評価は『かろうじてクズから人になった男』である。リーダーを任せられるはずもなかった。
理性的に考えて、やはりこの3人ではリーダーができるのは自分しかいない、という現実を認識したティエリは、再び大きく溜息を吐いた。普段怒られている二人は、その溜息になにかやらかしたかと若干慌てるが、ティエリのこの溜息は、今さらのことを再認識した故の溜息なので、特に声を荒げるつもりはなかった。
気持ちを切り替え、ティエリは顔を上げた。やれることをやるしかない、と。
「では宿を探しましょう。私の記憶が確かなら、こちらにあったはずです」
「……ティエリの記憶が確かじゃなかったこととかあったっけ?」
「いや……ティエリちゃん、ほんとしっかりしてるよね……年下なのに……」
世間知らずの貴族のお嬢様、ひたすら甘やかされ続けた魔法使いさまでは、スラムという環境で生きていたティエリには敵わない。いい意味でも悪い意味でも、彼女は世間慣れしているのだ。
「お二人にはもっと生活力をつけてもらわなければ。行く先々で、『あのお二人は貴族様ですか?』って聞かれるんですよ。痛くもない腹を探られるので、もう少し泥臭くなってください」
二人の呟きを拾ったティエリが嫌味をいう。
((いや……それは侍女服のせいもあるんじゃないかな……))
賢明にも、ミュローネとマトは、思ったことを口には出さなかった。
† † † †
「早く、この町を出たほうがいいよ」
「それはもう聞きました。いったい、ティーダに何が起きているのですか?」
「……私も詳しいわけじゃないんだけどねぇ……出るんだよ、今のティーダには」
「出る、とは?」
「――吸血鬼だよ」
宿の女主人が周囲を窺うようにして告げた言葉に、三人の顔が厳しくなる。その吸血鬼こそが彼らが旅をしている理由であり、探し求めている人物でもある。
「この間、王都で嫌な事件があっただろう? 討伐されたって言われてるけど、実際のところ本当かどうか……そのときの吸血鬼がこっちに来てるんじゃないか、って噂なのさ」
「その噂が出るからには、被害が出てるんですね?」
「ああ、もう10人ほどね。ただ、狡猾なんだよ、犯人は。死体は一個も見つかってない。ただ行方不明者が出ただけさ……」
溜息をつく女主人。だが、ティエリは違和感を覚えて訊ねる。
「死体が一個も見つかっていないのに、吸血鬼の仕業だと言われているのですか?」
「ああ、その辺は私もよくわからんよ。さあ、あんたらは客かい? 冷やかしかい?」
「これは、すみません。ティエリといいます、2部屋、1泊で」
「食事は?」
「要りません」
「銀貨6枚だよ」
料金を支払い、三人は部屋へ移動した。それぞれ男性女性に分かれて荷物を置くと、ひとつの部屋に集まって会議を開始した。
「で、どうするよ」
「ルイドの仕業かどうかは、まだわかりません」
「そこのところ、どうだろうな……」
「私は、彼は吸血鬼なのですから、それくらいしてもおかしくないと思いますが……」
ティエリは慎重に切り出した。前の二人はなぜかルイドという吸血鬼を信用しており、人間相手に残虐なふるまいをしない、と信じているのだ。ティエリの記憶では、彼は傍若無人で、身勝手で、望んでいない訓練を脅してでもやらせてくる男なのだが――。
「いや、この事件の黒幕がルイドってことはないよ」
「どうしてですか?」
案の定ルイドを庇うマトに、ティエリは噛みつく。人類の敵である吸血鬼にたいして同情的なのが、ティエリの気に障る。そして、マトの瞳に浮かぶ、わずかな憐憫の情にも。
「――ティエリには話しただろう。今の君は操心族に記憶と感情を操作されている。死んでも解けない、なんて悪質な呪い以外の何物でもない。その呪縛は強力だ」
「それは、わかっては、います」
確かに、そのとき言われてみるまで気づかなかったが、今のティエリにはルイドという男と出会った記憶がない。思い出そうとすると凄まじい頭痛に襲われ、ティエリの記憶にあるのはルイドという男がしてきた様々な嫌がらせ、嫌味、そして屈辱。この記憶と、ルイドを恨むこの憎しみの感情が、操心族によって操作されたもの――。
理解はできる。だが納得はできない。
「だいたい、根拠はあるんですか、マト」
「うっ、それは、ないけど……」
ただ、『そうであってほしい』という思いから言ったのだろう。それを察したティエリは、吐きそうになる溜息をこらえた。だがそこで、ミュローネがマトに同調する。
「私も、マトくんと同意見。ルイドくんの仕業じゃないよ~」
「それは、根拠があるんですか?」
「一応、ね。だって彼――血を吸う必要、ないでしょ?」
ティエリとマトの頭にクエスチョンマークが浮かぶ。彼は吸血鬼であり、吸血鬼は血を吸い、眷属を作るもの。その先入観から――二人は大事なことを忘れている。
「だって、今の彼は森人族。なら、血は吸わなくてもいい、はずよね?」
ミュローネの言葉に、マトとティエリの思考が止まる。三秒ほど経ってから再起動したティエリの頭は、ミュローネの言い分を分析し、そこに一定の理があると納得した。
「――確かに。今、吸血鬼のルイドになる理由は薄いし、もしなんらかの必要があって吸血鬼になったとしても、ばれないようにやるはず」
「そう。だからルイド君が犯人の可能性は低いんじゃないかなぁ、って」
ミュローネの言葉に、一応は納得するティエリとマト。
「じゃあこの犯人は誰か、って話なんだけど……違う吸血鬼か……」
「吸血鬼を騙る何者か? って感じ?」
「――まあ、ルイドである可能性が低い、とわかったいま、関わる理由はありません。ルイドを探して、いなければベルムスに向かいましょう」
そう告げたティエリの顔を、マトとミュローネが見つめる。
「……なんですかその目は。余計な事件に首を突っ込めば、それだけルイドに追いつく可能性が減るんですよ? 私たちにそんな余裕はありません」
「いや、僕たちもそう思うんだけどさ」
「なんか、巻き込まれそうな予感がするというか。犯人ではないけど、ルイドくんが関わってはいそうな気がするんですよね……」
二人は不吉な言葉を漏らし、ティエリの頬がひきつった。それでは、ルイドの行方を調べれば調べるほど、巻き込まれるということではないか。冗談ではなかった。
「……ともあれ、今日はもう疲れていますので、明日ですね。聞き込みをするとしましょう」
「そうだね。おやすみ、ティエリ、ミュローネ」
「は~い。おやすみなさーい」
ティエリは部屋を出ながら、考える。ルイドという男が、自分の記憶を埋められる。ルイドとティエリが出会ったきっかけは、ミュローネもマトも知らなかった。ということは、知っているのはルイドとニムエだけ、ということになる。記憶を取り戻す――それができれば、もう用はない。部屋に入ったティエリは、着替えもせずにその身をベッドに投げ出す。
ティエリは襲い掛かる嫌な予感を振り払い、眠りについた。




