侍女の憂鬱
視点を入れ替えながら進んでいきます。
少女はイラついていた。彼女のいらだちの原因のほとんどが、頼りない同行者に向けられている。自分だってそこまで旅慣れているわけでもなく、いたって普通の人生をーーとは言えないが、それにしたって旅の経験値が高いわけではない。だというのに、
「え? 泊まるのにお金を取るの!? ごはんとかはいいから、そこら辺の寝床貸してくれるだけでいいんだけど……」
「えぇー!? 私、ベッド以外で寝たことないですよ!?」
少女は自分の額に、怒りの青筋が浮かぶのを感じた。どうしても、と言うから連れてきた少女のお惚けっぷりと、成り行きで同行者となった青年の常識知らずにいらだちを隠せない。
「それではお二人は野宿で結構です。私は泊まりますので、一人分お願いします」
「あ! ずるい! でも、私は女の子だから一緒に泊めてもらお~」
「え!? じゃあ僕一人かい? そ、それはちょっと不安だから、二部屋お願いできないかなぁ? いや、一緒でもいいよ?」
「それは私が嫌です。……では、二部屋お願いします」
少女が告げると、厄介そうな客が来たと不安そうにしていた宿の人間があからさまに安心した表情で手続きを始めた。旅に無理やりついてきた少女はともかく、一人旅をしていた青年が、どういう風に旅をしていたか非常に気になるが、少女は胃が痛くなる可能性を予見して、追及はやめた。ただでさえ頭痛に悩まされているのだ、これ以上苦しむ必要はない。
「じゃ、じゃあ、僕は目撃情報の聞き込みに……」
「あ、私も行きます~!」
「ご自由にどうぞ」
少女が告げると同時、不機嫌な空気を敏感に感じ取っていた二人は風のように消えた。要らないところで察しがいい二人に、少女の苛立ちはさらに高まった。
「お、お嬢ちゃん、大変そうだねぇ。ところで、代表者の名前を書き込む必要があるんだけど、お嬢ちゃんでいいかい?」
「はい。ティエリ、と。そう書いておいてください」
「ティエリちゃんね。……ちなみに、あの二人は貴族なのかい?」
「はい。ただ、二人とも訳ありですので、余計な詮索はしないほうが。害は及ぼしませんので、ノータッチでお願いします」
「は、はは。そうか、わかったよ。まあこの町は、素性を探ったりしないからね。……ああ、そうだ。こいつを言うのを忘れてた」
宿の主人らしき男性は、ガシガシと頭をかくと、にっこりと笑って告げた。
「ようこそ、開拓と城塞の町ディラウスへ。ここは猫の額亭、狭くはあるが、サービスには自信がある宿屋さ。よろしくな、お嬢ちゃん」
「……これはご丁寧に。こちらこそ、短い間ですがよろしくお願いします」
ティエリは軽く頭を下げると、荷物を背負って部屋へ向かう。途中で思い出したように振り返り、主人に向かって問いかけた。
「黒髪の少年と白髪の幼女の姿に、心当たりは?」
「うーん……? 白髪の幼女っていうと、心当たりはあるけどなぁ。でも、片割れは金髪の少女だぞ?」
「――詳しく、教えていただけますか?」
さほど期待せずに投げかけた問いかけだったが、思った以上に引っかかったティエリは少し勢い込んで訊ねた。その様子に主人が少し身を引いたが、聞かれた質問には答える。
「あ、ああ。最近――つっても一か月ほど前にだが、突然現れてめきめき頭角を現した開拓者だ。大物の魔獣を狩っては売りさばき、今や有名人さ」
「名前は……?」
「金髪の少女の方は、確かルーシャって名乗ってたかな。白髪の方の名前は聞いたことないなぁ。やたら可愛らしかったのは覚えてるけど……」
「――見つけた」
ティエリは呟き、荷物を背負ったまま勢いよく反転し、出口へと向かう。
「ちなみに、ご主人。どのあたりで活動してるか、などは聞いたことが?」
「いや……あ、そういえば、木漏れ日亭っていう食事場所によく行ってるって聞いたけど……」
「十分です。ありがとうございます――」
ティエリはそれだけ聞くと、宿の入り口のドアを開けて、外に出ようと――した瞬間、宿の中に人が入って来た。
「いやぁ、聞いてよティエリ。今そこで、金髪のものすごい美人に会っちゃってさぁ。なんていうの、こう、幻想的? な感じの、まるで人じゃないような――」
「間抜け! そいつだ――!」
「ええっ!? どうしよ、もうここを出るって言ってた――ってティエリ!?」
間抜け面をさらして立ち尽くすマトを置き去りに、ティエリは力強く地面を蹴って駆けだした。重さ的には問題ないものの、行動するのに邪魔になる荷物を投げ置き、マトが歩いてきた方向に向かって走る。身体強化を用いて、視力や皮膚の触覚を鋭敏化させる。その強力になった視力が遥か彼方、城門を出る二人組の姿を捉えた。白髪の幼女に、金髪の少女。金髪の少女に見覚えはないが、白髪の幼女――ニムエの後ろ姿を見間違えるわけがない。
「見つけた――」
ティエリは身体強化を重点的に足に回し、勢いよく跳躍する。ざわめく群衆を無視し、侍女服をたなびかせてティエリは駆ける。屋根の上を。
下の道路を歩く人々が次々と指さし何事かを叫んでいるが、ティエリの耳には入らない。屋根を飛び越え、一目散に門を目指す。が。
「くっ……!」
かすんでいく。門の外に出た二人が、魔力を纏ったのが感覚でわかる。ティエリが門にたどり着いたときは、すでに二人は強化されたティエリの眼でも点としかとらえられないほどに進んでいた。
ティエリがいくら身体強化が使えると言っても、あの速度には追いつけない。だが、ここにいたってようやく見つけた吸血鬼――ルイドを逃がすつもりもない。
(なんとしてでも――私の記憶を……ぐぅっ……!?)
余計な思考を挟んだティエリの頭を、痛みが襲う。真紅に明滅する瞳は、操心族に記憶の操作を受けている証。元魔法使いであるマトから、自分が操心族に記憶を操られていることは聞いている。そして、そのときのすべての正しい記憶を持つ者が、自分が倒そうとした吸血鬼――ルイドであることも。
ティエリは厳しい目つきで遥か彼方の二人組を睨むと、踵を返した。荷物を置いてきてしまったし、マトとミュローネも置き去りである。すぐに彼らの後を追うつもりではあるが、曲りなりにも協力してくれている二人をないがしろにすることはできない。ミュローネの戦術で危機を切り抜けたことも多く、マトは一応王の命令を受けてルイドを探している。無断で学院を抜け出したティエリとミュローネを黙認してくれている以上、機嫌を損ねるのはよろしくない。
「いつか、必ず追い付く……」
ティエリは呟くと、地面に降りた。周囲のざわめきと、囁き声が聞こえてくるが、努めて聞こえないようにして通路を歩く。
――恥ずかしい。
ティエリは急上昇する体温が表情に出ないように必死に制御しながら、なんでもないことかのように宿まで歩いて帰ったのだった。
宿に戻ったティエリは、宿の主人に謝罪をすると即座に荷物を背負って移動を開始した。ミュローネはどうせ適当な本屋を巡ればいるだろうと思って、片っ端から捜索して見つけ出したので、そのまま三人で吸血鬼――ルイドを追って移動を開始する。
「しかし、意外とあっさり見つかったね」
「もうちょっと徹底して姿を隠してると思ったのですが……」
マトとミュローネが不思議そうにつぶやくが、吸血鬼ルイドの隠蔽は、ほぼ完璧だったと言っていい。白髪の幼女、ニムエの姿を知っている者は多くはなく、白髪というのは多くはないが決して少なくはない。そして隣にいるのが金髪の少女ともなれば――男としてしか表舞台に出てきていない、ルイドの姿を連想する者は少ないだろう。さらに王都での一件で、ルイドという吸血鬼は恐ろし気なイメージがついて回っている。優しげで、人間離れした美貌を持つ少女と結びつけるのは難しい。
「でも、間違いないです。あの男は、森人族だったこともあると言っていました。なら、金髪の美少女になれても不思議はないです」
「う……確かに、それはそうだが……」
棘のあるティエリの言い方に、マトが言葉に詰まる。言葉の節々から、『同じ情報を持ってたのに、なんで直接会ったお前が気づけないんだ間抜け』――と、そう言われている気がしたのだ。まあおおむね合っている。
「でもまぁ、行先はわかったのよね? じゃあ、追いつけるんじゃないかしら?」
ミュローネが髪を弄りながら告げる。ティエリが箱入り娘だとばかり思っていた彼女は、戦術科に所属していたため、軍隊に従軍する訓練も受けていた。この三人のなかで一番体力がないのは、ただの村人であったマトだ。轟雷として生活していたときも、自堕落一直線だったため、体力がない。
「行先はおそらくティーダでしょう。普通の町です、そこで滞在するなら追いつけると思います。幸い、まだ向こうはこちらが気づいたことに気づいていません」
「そうだね。じゃあ、少しでも急いで歩かないと。ちなみにティエリ、君の予測だと、ルイドたちは何日後に到着しそうだい? あと、僕たちの到着予想時間も伝えてくれると嬉しいな」
マトの質問に、ティエリが悩む。ルイドたちと一緒に旅をした経験があるので、本気で移動したときの移動速度は知っている。あの時の三人の中ではティエリが一番遅かったので、実際はもう少し速く移動できるだろうが。
「――今日中、ですね。で、私たちが到着するのは、どんなに急いでも3日後です」
マトが太陽を見上げる。その位置は、頂点ではないが、それなりに頂点に近づいていた。あと半日ほどで、ルイドたちはティーダの町に到着するという。尋常ではない速度だった。
「は、はは。吸血鬼、半端ない……」
「そしてこれは、道中魔獣が出なかった場合です。私たち三人ならそうそう苦戦することはないと思いますが、当然交戦のたびに速度は落ちます」
「マトさん、なんか移動速度が上がる魔法使えないんですか?」
「無茶言わないでくれ……」
轟雷、と呼ばれた男は、操心族から記憶操作を解除された影響で一度、魔法を失った。だが、強烈な自己暗示により、一度だけ轟雷の魔法を取り戻すことができるようになった。その身に秘めた膨大な魔力を注ぎ込み、ようやく一発撃てる程度の力だが、それでも魔法の力は優秀だった。いざというときの切り札として、行動をともにしている。
ぶっちゃけた話、ティエリは使い捨て決戦兵器程度にしか思っていない。
(やはりこう……従うなら、迷いも見せず、外道で……でもどこか茶目っ気がある人が……こんな優男では……たまにスケベな目でミュローネを見てますし……)
頭の中は自由だ、と言わんばかりにマトに対する罵詈雑言を並べ始めるティエリ。どこかほわほわとしているミュローネは気づいていないようだが、マトが何度か情欲を含んだ眼でミュローネを見ていたことをティエリは知っている。まあミュローネは客観的に見て美人ではある。言動はわりと残念な感じだが。
「というわけで、急ぎますよ。一刻も無駄にはできません」
「はーい」
「了解です」
そして、3人は出会うことになる。
彼らの人生を大きく変える、最悪の人物と――。
超越者たちの目覚めは近い。




