魔王の鼓動3
「あら、目が覚めたのね」
「――ああ。おはようございます、フルーシェさん」
俺は起き上がろうとして、体が動かないことに気付いた。両手をベッドについて、上半身を起こす――という簡単な動作ができない。そんな馬鹿な、と思いながら必死に体を動かそうとしていたら、昨日の夢のことを唐突に思い出した。
体の大きさが違う、腕の長さが違う。まだ、ルイドの魂はこの体に慣れていないのだ。
「起き上がれないの?」
「いや……」
腕を動かす。動かなくはないが、違和感がある。手をつこうとして手首をぶつけた。それでも、自分の手の動きを見ながら微調整を繰り返し、俺はようやく上半身を起こすことに成功した。
「うん。大丈夫じゃないけど、大丈夫そうね」
俺の悪戦苦闘を眺めていたフルーシェは、ニコニコと笑いながらそう告げた。俺は恥ずかしくなりながら、ベッドから降りるべく下半身を動かし始め――
「あっ」
「どうしたの?」
裸だ、下半身。いや、上半身もなんだけど。
「あ、あの、フルーシェさん」
「なあに?」
笑顔でこちらを眺めるフルーシェは、絶対にわかっててやっている。何が何でも俺に言わせるぞ、という強い意思が感じられる。俺はあきらめて頭を垂れた。
「……服を、ください」
「あら、もっと早く言ってくれればいいのに~」
フルーシェは嬉しそうに立ち上がると、軽い足取りで別の部屋へと消えていった。俺はなんとか精神を立て直し、必死に平静を装う。これは仕方がないことだ、服がなければ(少なくとも見た目は)妙齢の女性の前で全裸を晒すことに――
フルーシェが、別の部屋へと消えて、ドアが閉まる。瞬間、
「――ッ!」
襲い掛かる寂寥感。そして憎悪と悔恨の思い。
(殺せ殺せ殺せ殺せ!!)
(滅ぼすんだ……人間を! 裏切者を!)
(どうして俺は! 俺が何をした!)
(恩を忘れた奴らに復讐を!)
(操心族を許すな! 滅ぼすんだ!)
「は、はは……ッ! なるほど、こいつは、キツイ……!」
俺は必死に胸中で荒れ狂う感情をなだめる。ルイドとしての記憶と感情が俺を揺さぶり、ろくに動かない体を動かしてでも復讐に向かおうとする。
――だが、それはだめだ。
(なぜ動かない!?)
「そりゃ……お前が、俺だからだよ……」
憎悪の波が、ゆっくりと引いていく。納得したわけでも、理解したわけでもない。ただ、なぜか、この男の話を聞かねばならぬ、と彼らは判断した。ルイドが持っているいくつもの負の感情は、迸る自らの激情を押さえつけ、冷静であろうとしていた。
――それはある意味、『千魔』ルイドという男の生きざまなのかもしれない。
「忘れやしねぇ……だから、もうちょい待て……このままじゃ、復讐もままならん……」
自分の胸中を荒れ狂う、感情の渦。ともすれば飲み込まれそうになる、そのあまりにも強い感情に目をつむる。彼らは一様に復讐を叫んでいた。見返さなければならぬ、と。お前たちが間違っていたのだと、知らしめねばならぬ、と。
「はは、筋金入りだな、俺……」
俺は俺のあまりにも強い感情に乾いた笑いを漏らす。そうだ、俺は『千魔』ルイドだ。俺を裏切った愚かな人々と、卑劣な操心族には復讐しなければ――
「落ち着けよ、俺。方法を考えなきゃいけないだろうが」
俺は自分の感情を説得する、という奇妙な感覚に襲われながらも、丁寧に現状を確認していく。まず圧倒的に不足しているのは情報と生活基盤。このままではヒモ男になってしまう。復讐するにしろなんにしろ、まずは自分の脚で立たなければなるまい。
そう考えると復讐心や後悔の念が少しばかり弱まった。
「――ふう」
荒れ狂う感情は、全てが収まったわけではない。だが、何とか表情には出さない程度には落ち着いた。まだまだ俺の感情は人々への復讐を叫んでいるが、今はとりあえず俺の行動を見守るつもりらしい。全く、自分の思い通りにならない感情がこんなに厄介だとは。
「これでいいかしら、ルディアスくん?」
「――ああ、ありがとうございます」
いつの間にか服を持ってきていたらしいフルーシェが、服を着せてくれる。久しぶりに清潔な服に袖を通した俺は、ほっと一息を吐いた。なにせ最後の方は牢に閉じ込められて二週間飲まず食わずの幽閉状態からの処刑だったから――
おっと。また騒ぎ始めたか。落ち着けって。
「待ってて、すぐに下も持ってくるからね」
「お願いします」
むしろなんで上だけ持ってきた?
「……あら、お客さんかしらね」
「えっ」
「弓の! 入るぞ!」
「君はもう少し遠慮というものを……」
おいおいおいおい! 俺下半身裸なんですけど!?
「むっ?」
「邪魔するぞ、フルーシェ……ん?」
入ってきたのは豊かな髭を蓄えた偉丈夫と、冷たい理知的な瞳をした青年だった。
「あらあら」
困ったようにフルーシェが笑うが、俺はそれどころではない。
なぜなら、冷たい理知的な瞳をした青年に、見覚えがあったからだ。
「こいつ、何者だ? フルーシェ。新しい男でも見つけたのか?」
「不倫か?」
「あらあら槍の。貴方、死にたいの? 私は独身でしてよ」
「むぅ、そうだったなっ! すまんすまん!」
にこやかにほほ笑みながら殺気を放つフルーシェに、『槍の』と呼ばれた偉丈夫が冷や汗をかきながら謝る。おいおい、それじゃまさか、この男が……!?
「まずは自己紹介でもしたらどうかしら?」
「……それもそうだな。儂は魔族の一柱、《槍》のハーイッシュだ」
「私は第6代魔王、クドムだ。名を名乗れ、見知らぬ魔族よ」
魔王、クドム。何度か遠くにその姿を見ただけだが、その身に秘められた魔力量――とてつもない。さすがは、四つの武の一族を従えるだけはある。銀色の髪に緋色の瞳は、冷徹にこちらの考えを見透かすように投げかけられている。
「ルディアスと、申します。ハーイッシュ様、クドム様」
「ルディアスか! いい名前じゃないか!」
「――それで、貴様はなぜここにいる?」
「それについては私から説明してもいいかしら?」
「許す。話せ、フルーシェ」
俺が呆然としている間に、フルーシェから現状の説明が行われた。俺の名前以外の記憶がないこと。街道で裸の俺を拾ったこと。体がうまく動かせないこと――
俺がルイドの記憶を隠していること以外は、全て真実だ。実際、今もベッドから降りることはできない。いや、下半身裸だから絶対降りないけど。
話を聞いていたハーイッシュが肩を震わせる。さすがに話しが胡散臭すぎるか。信じてもらえるとは思えないが、それでもこの場で襲い掛かられるのは勘弁してほしい。
「……なんて可哀想なやつなんだァ……!! おい、お前! 俺の息子になれ!! 俺が槍を教えてやる!!」
めっちゃ信じてた。
「ちょっと槍の、ルディアスくんを奪わないでくださる? だいたい貴方、息子いるでしょう」
「まだ3歳だから槍を教えられん! いや教えてるけどな!! 手ごたえがない!」
そりゃ3歳じゃな。
「うおおおお! 何か困ったことがあれば俺に言えよ、ルディアス! 妻と一緒に、お前の助けになってやるからな!」
「は、はい。ありがとうございます……」
めっちゃいい人だ。
「お、おい。そう、簡単に……グスッ、人を信じるな。あ、怪しいやつめ……ズビッ、私は信じないぞ……」
こちらに顔を見せないような角度から、俺に疑いの言葉を投げかけてくる魔王様。
泣いてませんか?
「た、確かに……もし! もしも、ズビッ。本当なら、こんなに悲しい話はない……」
あ、袖で鼻かんだ。その服高そうだけどいいのか?
「だ、だが! お前の話が本当だという証拠はない! 本当だと言うのなら、言ってみろ! お前は本当に、体がうまく動かないのか!?」
「動きませんね」
「ぐ、ぅっ……信じよう……!」
マジか。信じちゃうのか。
というかよりによってその質問を選んだのか。記憶がないというのは部分的な真実だし、街道で裸で倒れていたかどうかは俺は知らないし。唯一俺が自信を持って『本当です』と言える質問を選んだのは、いったい――
「究極の戦闘種族である、魔族が……! 体を自由に動かせず、積み上げてきた経験も忘れる……そして体も自由に動かない……それほどつらいことが、ほかにあろうか……!」
そのまま、魔王――クドムに釣られたように、ハーイッシュが泣き出す。ちらっとフルーシェを見ると、フルーシェもまなじりに涙をためていた。そうか、それほどに――魔族にとって、戦闘という行為は重いのか。身体的自由こそが、魔族の矜持。強さこそがすべて。
ルイドだったころに外側から魔族たちを見て、一通りわかった気にはなっていたが、内側から見るとこんなに面白――じゃなかった、興味深いものなのか。
「ルディアスよ。困ったことがあれば、私にも頼るといい。魔王の権力を使って、手助けをしてやろう」
「あ、ありがとうございます……!」
あれ、魔族の一番偉い人と繋がりを持てちゃったけど、いいのかな。ルイドだった時代にも、クドムと面識を持てたことなんてなかったんだけど、魔族になればわりと簡単に会えるのだろうか。
「――大丈夫よ、ルディアスくん。貴方は私が守るから」
「お、おい、フルーシェ。私は?」
「貴方はもういいでしょう、あとは自分でなんとかしてください」
「そんな……」
打ちひしがれる魔王クドムを見て、思わず俺の口から笑い声がこぼれた。3人がこちらを見ているにも関わらず、俺はこらえきれない笑い声を部屋に響かせ続ける。
「お、おい大丈夫かルディアス? どこか痛いのか? フルーシェが変なものを食事に入れたんじゃ……」
悪気なく失礼なことを言ったハーイッシュに、フルーシェの無言の蹴りが炸裂し、ハーイッシュは脛を押さえて悲鳴をあげた。くくくっ!
これが、これが魔族か!
「い、いや……! 魔王というからには、魔族の王というからには、もっと、恐ろしい人を想像していたのですが……! ど、どうやら、ずいぶんと親しみやすいお人柄のようで……! うれしくなってしまいまして!」
俺の笑いをこらえながらの言葉に、3人は顔を見合わせ、全く同時に首を傾げた。それを見て俺はさらに笑い声をあげる。本気で心配してくるハーイッシュに、憮然とした表情で佇むクドム、布が落ちないように支えるフルーシェと、とても奇妙な空間が出来上がっていた。
一国の王を前にして笑い転げるなど、処刑されてもおかしくないレベルの不敬だが、目の前の王は決して俺を処罰したりしないだろう。
彼らの気楽さ、楽しさは、間違いなく俺を復讐心から解放してくれていた。
それが一時的なものだとしても、彼らのおかげで。俺は、少しだけ過去の人間を受け入れる余裕ができていた。忘れられるものではないにしても、今、少しだけ俺は過去を乗り越えた。
「ありがとう、ございます」
なんにせよ、二度目の人生である。
「これから、よろしくお願いします」
楽しむべきなんじゃないか、俺?
体を動かそうとして多くの体力を使ったのか、ほとんど動いていないのに強烈な眠気が俺に襲い掛かる。
俺は、無数の腕と呪詛が渦巻く、地獄のような光景に対して、笑いかけた。
忘れはしない、そして、決して、飲まれはしないとも。
俺は確かにまだ、人間を愛しているのだから。
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