魔王の鼓動2
ルイドの両足に刻まれた青黒い紋様が光り輝き、魔術の起動を知らせる。その光景を見たルディアスは、即座に地面を蹴り飛ばし、横に身を投げ出した。
「避けるよな、そりゃあな!」
「くっ……!」
振り下ろした剣が当たらないことを確信していたルイドが笑い、ルディアスは悔し気に呻きを残す。
ルディアスの中には、『千魔』ルイドの記憶がある。ゆえに彼が体に刻んだ無数の魔術陣の意味を知っている。身体強化に魔力吸収、挙句の果てには炎弾の魔術なども刻んでいる。魔術の才能でも、剣の才能でもなく、ただただ魔術を愛し、その狂気に身を沈めたからこそ至れる、魔術師の最終形。
「――穿て/求むるは水雲/通り過ぎるは刹那/認めよ/流れよ/吠え猛れ/世界を見つめるまなざしで/小部屋を埋めよ!」
――あまりにも早い詠唱。一足飛びに距離を開けられただけで、魔術の起動を止められない。高速で動き回りながら魔術を扱うルイドに、ルディアスは追い付けない。
放たれた水の矢はルディアスの脚の肉を抉り、彼方へと飛んでいく。足に一瞬走った激痛を堪え、ルディアスは魔術の射線上から逃れる。だが逃れた先には、
「おせぇよ」
剣を振りかぶったルイドがいた。
愚直な振り下ろしを、ルディアスはとっさに右腕でガードする。これで腕を失った、もうルディアスに勝ち目は――
剣が、弾かれる。
ルディアスは今起こった現象を信じられない気持ちで眺めながらも、体は勝手に動いていた。剣を弾いた腕を払い、さらに連続で拳を放つ。近距離戦では分が悪いと思ったのか、それともルディアスが起こした今の現象を突き止めるためか、ルイドが距離をとった。
「……魔族の体か」
ルディアスの体が薄く紫色に発光し、その膨大な魔力が彼の動きをサポートしている。皮膚を硬化させ、筋力を増大させ、体力を回復させ、魔族が『大陸最強の戦闘種族』とまで謳われた力を存分に発揮させていた。
「これが……俺の力……?」
「俺はお前で、お前は俺だが、こと今に関しては、俺がルイドでありお前はルディアスだ。だから、俺はお前の力を使うことはできない」
ルイドはそういうと、右手に握りしめていた剣を投げ捨てる。通じないと分かった今、剣など重石でしかない。どこまでも冷徹に、合理的に、ルディアスを屠る算段を整える。
「……どうして」
「ん?」
「どうして、互いに殺しあうんだ? お前は俺で、俺はお前なんだろう?」
「……そうだな」
ルディアスの問いに、ルイドが考え込む。その問いは確かに核心だった。同じ人間同士は殺しあえない。
「答えは一つだ。俺はお前の体を乗っ取りたい。そして俺を殺した人間と操心族に復讐する! 魔族の体を得た今なら容易いことだ! だからルディアス、俺の復讐を止めるな。俺の嘆きをかき消すな。お前は俺だ――だから、わかるだろう? この憎しみが! この哀切が!」
ルイドの叫び声に呼応して、ルディアスの胸が痛む。
(そうだ、わかる。わかるとも。その悲しみが。その憎悪が。まぎれもなく、俺は感じ取れる。俺はお前だ――)
「復讐、か……」
「……そうだ」
ルイドが構え、ルディアスが走る。魔族の魔力により強化された体は、容易にルイドの速度を上回る。その圧倒的なまでの身体能力こそが魔族を最強足らしめる要素であり、ルイドたちをして『二度と戦いたくない』と言わせしめるほどの実力を持つ。だが。
「まだはえぇよ、お前にはな」
「ぐっ……!」
その強大な身体能力も扱う技量があればこそ。その点において、ルディアスは素人だ。ルイドの記憶も知識も経験もある……だが、体の大きさが違う。腕の長さが違う、一歩の歩幅が違う。ルディアスの体では、ルイドの経験を十全に生かしきれない。
「違う、だろ……?」
勢いそのままに地面にたたきつけられたルディアスが言葉を投げる。ルイドは無言で、魔術陣を輝かせた。
「復讐? はは、おかしいだろ……?」
至近距離で叩き込まれる無数の炎弾。だがそのすべてがルディアスの防御を突破することができずに、全て魔力の鎧の外側で炸裂し、炎をまき散らす。無表情でルディアスに魔術を放ち続けるルイドは、ただひたすらに腕に刻まれた魔術陣を光らせている。
「俺はお前だから、わかる! お前は人に裏切られ、操心族に嵌められてもなお――」
炎の中から伸びた手が、ルイドの腕を掴む。ルディアスの体には、傷ひとつついていなかった。
「お前は、人間が好きなんだ……!」
至近距離から放たれた炎弾が、ルディアスの顔面に炸裂する。だが、ルディアスは怯まない。それが正解だと知っているから、答えは自分の中にあるから。
決して腕を離さず、ルイドに話しかける。
「最期だってそうだ! お前は憎しみや恨みは抱えていても、実行する気はなかった! そしてその願いは人ではなく操心族に向いていた! だが、操心族だって、自分がつついて出した災厄だ! 自分が操心族に気づきさえしなければ、彼らは自分を殺さなかったかもしれないとすら思っている!」
「っ、この……!」
無表情だったルイドの表情に罅が入る。焦り、後悔――様々な負の感情が入り混じった複雑な表情だ。そして、その表情のまま何かをこらえるかのように息を止め、
「お前が――」
そして、一気に崩れた。
「お前が否定したんだ! 俺の人生を! ルイドという男の生涯を! 『無駄だった』と、『なかったことにしたい』と! そんなことが認められるか! 俺はお前なのに! お前が『もうあの名前で呼ばれたくない』と! 俺を否定したら――」
ルイドが、崩れ落ちる。
「……お前しか、いないんだ。誰もがルイドは死んだと思っているこの世界で、俺自身が俺を否定したら、俺はいつか消えてしまう。『ルイドが転生した男』ではなく、『ルディアスというルイドの記憶を持つ男』になってしまう。お前の名乗りは、そういう意味だ」
ルイドから感じる、憎悪と諦めの感情。ルディアスは、その感情を心地よく受け取っていた。それは自分に対する憎悪であり、人間に対する憎悪ではなかった。今、ルイドは自分を消し去ろうとしている、ルディアスという自分自身に対して憎しみを抱いている――。
なら、方法はある。
「落ち着けよ、俺。俺はルイドだ」
「……あ?」
「だから、一緒に来い。魔族の体に二つの人格――悪くない話だろ?」
「……お前……いや、だめだ。同じ記憶を持つ二重人格なんてものは長くは続かない。そもそも俺とお前は同じ存在なんだ。ゆっくりと人格が統合されて、やがて一つになるだろう」
「ああ、そうだろうな」
二人は同じ記憶と同じ思考回路を持っているのだ。考えた末の結論は同じ。
「だったら、俺の体をくれてやる。お前が奪え」
「は? そんなことしたら、お前は消えるぞ?」
ルディアスは笑う。心底面白くてたまらない、といわんばかりに、大口を開けて笑う。さっきまで主導権をとるために殺そうとしていたのに、今度は敵の心配である。やはり、記憶にある通り、このルイドという男は相当にお人よしらしい。もちろんルディアスも、自分の体を明け渡そうと言うのだから筋金入りのお人よしである。
「……俺は一時的なものだ。そうだろ、俺?」
「……ああ、そうだな。ルディアスという人格は、俺の魂に刻まれた負の記憶を、『一時的に他人の記憶にする』ことで精神崩壊を防ぐための人格のはず」
「だからお前がしっかりと過去のことと向き合って乗り越えれば、俺は用済みだ。そして、過去の英雄であるお前が乗り越えないわけがない」
記憶を覗いても、それは確信できる。いつだって彼は、彼らは絶望的な戦況をひっくり返してきた。まるで物語を読むかのように、ヒントを集め、解決策を探し、鮮やかな逆転を決めてきた。そんな彼が、この程度の試練を乗り越えられないわけがない。
「だから、俺と来い、『千魔』ルイド。お前が記憶に耐えられない間は、俺が変わってやる」
「……そんな。ここで死んでおいた方が楽だぞ? それは俺が背負うべき罪だ」
「馬鹿野郎。お前は、俺だって、言ってんだろうが――」
ルディアスが、ゆっくりと手を離す。そして今度は、ルイドの右手と自分の右手を組み合わせた。ルイドは戸惑うように目線を泳がせたが、ルディアスはしっかりとルイドの眼を見て告げる。
「――だったら、お前の罪は、俺の罪だ。いいから黙って来いって言ってんだよ。背負ってやるから」
「……いいのか? わりと、地獄だぞ?」
「地獄か。ああ、いいぜ」
ルディアスは笑い、ルイドを引き寄せる。二人の頭がぶつかり、全ての感情が溶け合う。知識も経験も全てが融合し、ひとつの魔族の男として再構成されていく。これはつまり――
「夢が覚めるぞ」
「ああ、そうみたいだな」
「目が覚めたら、俺はルディアスだ。だが――」
「忘れないさ。お前の記憶は俺の記憶で、お前の憎しみは俺の憎しみで、お前の悲しみは俺の悲しみだ」
「……俺は、納得したわけじゃないからな」
「わかってるさ。俺がお前を消しそうになったら、いつでも乗っ取れ」
「……チッ、馬鹿正直なヤツは扱いづらい」
「ディリルとか?」
「……ま、そうだな。あいつはバカで正直者だ」
ルイドの口からこぼれた言葉は、万感の思いが込められていて、ルディアスは返事に詰まった。それほどの密度のある時間を彼らは過ごしてきたのだ。記憶としてわかってはいても、まだまだ理解が浅い。
「んじゃあな。起きてる間、俺はお前の意識の底にある。俺の言葉は届かないが、お前がなにをしているかは把握できるから、また夢の中で会うとしよう」
「ああ。……そういえば、ここは結局どこなんだ?」
ルディアスの問いかけに、ルイドは少し考える。やがて結論を見つけたのか、かすかにほほ笑みながら言葉を返した。
「名前はないから、名付けよう。ここは、『安息所』だ。俺とお前にとってのな」
「安息所、ねぇ。殺されかけたけど」
「お互いさまだっての」
そして、二人の意識は一つになり、安息所から去っていった。
安息所に光り輝くは、いくつかの宝玉。
彼らはまだ、出番を待っている。
いずれ来る自分の運命を待ち、安息所の時は流れていく。
† † † †
頭上に大量のクエスチョンマークを浮かべるニムエを見て、俺は苦笑する。このあたりの話は、俺自身あまりわかっていないし、頭で理解しているわけではない。そのときはこれが正しいと思って行動したし、今でもその選択は疑っていない。
「けっきょく……ルイドさまは、どっちなんです? ルディアス、っていう人も、ルイドさまなんですか……?」
「ああ、まあ、そういうことだな。俺は、絶望の記憶から自分の精神を守るために生み出された、『俯瞰人格』がルディアスなんだと思う」
「ふかんじんかく……?」
ニムエが理解できるような言葉に置き換えるのは、わりと難しいな。
「鳥が飛んでるだろ?」
「うん」
「あの鳥が、ニムエだとしよう」
「……うん」
「鳥から見て、俺が怪我しても、鳥は痛くない」
「うん」
「俺は鳥になって、俺自身の痛みから身を守ったんだ」
「……ルディアスは、鳥?」
「うん、まあ、そうだな」
あながち間違いでもない。つまりは緊急回避的な措置だったわけだ。ルディアスという人格を作ることで、『千魔ルイドとしての記憶』を『実体験』ではなく『物語』に置き換える。物語の中の主人公に共感はすれど、身を引き裂くような憎しみや苦しみを体感することはない。物語の主人公の人生が辛すぎるので、自殺をします、という人はいないだろう。
だが、そうした結果、ルディアスという俺は、自分を守るために『ルイドとしての記憶』否定した。この記憶は俺が生きていくうえで不要であり、むしろ感情を引きずられるとして『他人事』として処理しようとしたのだ。それをされると、千魔ルイドとしての人格が消えてしまう。なぜなら、もはや千魔ルイドはこの世に存在しないはずの人格なのだから。
ま、結局耐えきれずに自殺とかしてるんだけどな。3回目の人生とかは。
「それで、どうなったんです?」
「ああ、そうだな。この後は――」
先を急かすニムエに従って、俺は記憶を思い起こす。この後しばらくは、平和な時間が続いたんだよな、と思いながら。




