始まりの少女6
王都に行くには、色々と準備が必要だ。まず旅費――まだ金貨が10枚くらい残ってるからこれはいいだろう。食料――は、途中で魔獣を狩ればなんとかなるか。水――は魔術で出せる。服――は買った。武器――もあるな。あれ? もしかしてあんまり準備いらない?
木漏れ日亭で栄養補給をした俺たちは、リルに王都への行き方を聞く。
「私、情報屋じゃないんだけど……」
「まあいいじゃないか。ほら、お得意さんだろ?」
「まだ3回目の来店なのに図々しくない!?」
城塞都市ディラウスは東と南にへベル大森林、北と西に大き目の街道を伸ばしている都市だ。そのうちの北の街道は王都へと伸びていて、西の街道は城塞都市ディラウスの領主である都市につながっているらしい。王都に向かう俺たちが使うのは北の街道だ。北の街道は2つの都市を挟んで、王都へと伸びているらしい。
ティーダと、ベルムスというのがその2つの都市の名前だという。
「なんかあるのか?」
「いや、ティーダとベルムスは本当に普通の町よ」
普通らしい。まあ確かに、あんなに魔獣がうようよしてるへベル大森林のそばに作られている、この城塞都市がおかしいのだろう。俺の見たところじゃ、今のところ均衡を保っているみたいだが深部の魔獣が数体現れるだけで看過できないレベルの被害が出ると思うし。
「なあリル、魔術って知ってるか?」
「知ってるけど、あれって伝説でしょ? 大昔の人たちはみんな魔法みたいな力を使えた、っていう」
「……ああ、そうだな」
どうやら、魔術の存在は本当に忘れ去られてしまっているらしい。俺たちが躍起になって作り上げた叡智の結晶。脆弱な人間がこの世の理をほんの少し曲げて、便利に暮らすための技術は、とうに歴史の中に埋もれてしまっているようだ。
「ていうか、あんたたち王都に行くの?」
「ああ、そのつもりだ。ニムエが学園に行きたいと言うんでな」
「え? 学園って、王都にあるヴィリス王立学院のこと?」
「ニムエ、それか?」
頷くニムエを確認して、そうだ、と告げる。王立学院、か。王家が作った学院となると、格式が高いかもしれないな――それこそ、貴族でなければ入れない、とか?
「あそこ入学費用バカ高いわよ? 金貨20枚とかよ?」
「き、金貨20枚……?」
ニムエが震える声で確認すると、リルは重々しくうなずいた。
「見学とかはできるのか?」
「無理ね。入学条件は貴族もしくは貴族位の人の推薦状、入学料金貨20枚よ。中には貴重な蔵書とか、高位の貴族の方もいらっしゃるから、不審者を中に入れるわけないわ。身元不明の人間なら即逮捕よ」
わーお、厳しい。
「詳しいな?」
「女の子なら一度は憧れる場所だもの! 貴族様たちとの恋愛! イケメン! 玉の輿!」
「玉の輿の部分に一番感情がこもってたな」
「わ、私は……違う……」
リルという人間の本質を垣間見て納得する俺の服の裾を引っ張り、ニムエが懸命に抗議する。
「ね、だから外から見るくらいならなんとかなるけど、中を見るんだったら入学するしかないわよ。無理でしょ?」
「うーん……お金はなんとかなるが、貴族の推薦状か……」
「なんとかなるんだ……ね、ねぇあなたもしかしてどっかの豪商の息子だったりしないわよね?」
「しないな」
「……ほっとしたわ……」
まあ確かに金貨20枚をなんとかなる、と言えてしまう俺はおかしいのだろう。いろいろと物価を確認したところ、金貨が1枚あれば家族4人が1か月は暮らせる生活費になる。つまり金貨20枚は4人家族の約2年分の生活費になるわけだ。それは大金だ。
地竜の鱗という存在はそれだけの価値を持つ。魔術が発展していた400年前も、地竜という魔獣は異様なタフネスと防御性能を持つことで危険視されていた。帝級魔術師ならば一発だが、そんな存在はそう多くはない。竜種の狩りは、たいていは師級魔術師のチームで狩るのが基本だった。
懐かしい、膨大な数の魔術が竜の体に殺到するのは、思い出しても最高の光景だった。
「わ、私、外から見る、だけでいいです!」
「いや、それだと俺が困る。中には歴史書みたいな本もあるんだろう、リル?」
「実際に見たわけじゃないけど、あるって聞いているわ」
「じゃあ、なんとしても入学しないとな……」
人類の歴史を調べるのに、それほど最適な場所はない。いや調べたらあるのかもしれないが、とりあえず目指すべきはそのヴィリス王立学院への入学だろう。
「貴族の推薦状、ねぇ……」
悩む俺の耳が、かすかな悲鳴と鐘の音を捉えた。
「避難指示!?」
リルが驚愕の悲鳴を上げると同時に、外の喧騒が直接木漏れ日亭に飛び込んでくる。
「《飛竜》だああああ!!」
「逃げろ! 建物の中に、早く!」
「開拓者ギルドは何やってんだよ!」
阿鼻叫喚、というほどではないが悲鳴が響き渡る。
「なんだ、どうしたんだ」
あっ。
「ごめん、リル」
外の様子を確認しようと、ドアを開けた俺は、こちらを見つめる《飛竜》とがっつり目が合ってしまった。すぐに俺を敵、もしくは獲物として認識した《飛竜》が唸り声をあげて突進してくる。
「きゃああああああッ!」
木製のドアを粉砕して、《飛竜》が木漏れ日亭に侵入した。多くの客を収容できるように大きな作りをしている木漏れ日亭だが、それは逆に《飛竜》が動きやすい空間となってしまっている。俺たちの食事場であった木漏れ日亭は、一転して《飛竜》の食事場となってしまったようだ。
「『願え、流転する――』」
一撃で決めようと陣を刻んだ石に魔力を通しかけるが、自重する。ここで魔術を使って《飛竜》を吹き飛ばすのは簡単だが、それをした場合の後々の処理が非常に面倒なことになりそうだ。俺はあきらめて槍を手に取ると構える。
昨日の経験が生きたのか、ニムエもダガーを引き抜き油断なく構えている。及び腰だが。
「ニムエ、こいつはお前には無理だ。リルを守れ」
「わかり、ました!」
足手まといが27人、俺には敵意の視線を向けてきていた男たちはすっかりビビって役に立たなそうだ。数人いた開拓者らしき人影も、相手が《飛竜》とわかるや否やこそこそと逃げ出していた。
「グルルグルルルルゥッ!」
「おーおー、吠えるねぇ亜竜の分際で」
《飛竜》は唸るのをやめて、俺と視線を合わせる。その瞳は真紅に染まっており、およそ理性というものを感じられない。俺はその光に違和感を覚える。真紅の瞳――……?
「お、おい、あんたら等級は……?」
「……? 7だけど?」
恐る恐るニムエにたずねた男が卒倒する。7等級では《飛竜》に対抗できないと思ったのだろう。男が倒れたその音がきっかけになったのか、《飛竜》の前脚がピクリと動き――。
次の瞬間、勢いよく頭を殴り飛ばされて、《飛竜》の視界は天井で埋まっていた。凄まじい速度で迫った俺が、槍の柄で下から《飛竜》の頭を殴ったのだ。そのまま槍を回転させると、呼気を吐き出す。
「『纏技・穿』」
纏技とは魔力を武器に纏わせ、形を整えることで強度を上げる技。穿はさらに魔力そのものを武器の形に固定することによって威力を大幅に引き上げる、龍人族の技だ。《飛竜》は竜とはいえ、魔力も知恵も持たない所詮は亜竜。その鱗は硬いが、魔力を反射する『反魔鱗』ではない以上、真なる龍の戦士が鍛え上げた技を耐えきれるはずもない。
「貫け!」
ヴァンパイアの膂力も相まって、目にも止まらぬ速さで繰り出された槍は、《飛竜》の腹を食い破り、体組織を破壊し、絶命させる。木漏れ日亭をあまり壊されたくなかったので、手加減する余裕がなかった。勢い余って繰り出した槍は、《飛竜》の奥深くまで突き刺さってすぐには抜けそうにない。
「っ、ふぅ――」
槍を使った実戦は久々だったので、無駄に体に力が入っていた気がする。昨夜の《闇夜狼》? あんな雑魚、実戦とは呼べない。今も俺はいとも簡単に《飛竜》を殺したが、魔力の扱い方も知らない人間では、あの強靭な筋肉と硬質な鱗を切り裂くことはできないだろう。それこそ寄ってたかってタコ殴りにして動きを止めて、首を落とすか眼球から脳を破壊するしかないはずだ。
――外で新たな悲鳴が響く。
どうやら、城塞都市ディラウスに侵入した魔獣は一匹ではないらしい。
「ニムエ、お前はここにいろ」
「ルイド様は?」
「なに、ちょっと名をあげてくる」
素手で飛び出すと、どうやら城塞都市ディラウスを襲ったのは《飛竜》の群れであることがすぐにわかった。上空を飛び獲物を見定める《飛竜》が五頭。そして俺の前には一頭の《飛竜》が今まさに襲った女性を空へ連れ去ろうとしているところだった。
とっさに砕けている石畳の欠片を拾い、《飛竜》に投げつける。自身に向けて飛来する物体に気づいた《飛竜》は、広げていた翼を縮めて防御の姿勢をとる。そのまま広げていれば裏から貫通できたのだが、外側の鱗は石程度では貫けないので、弾かれる。
――だが、マークはつけた。
「『移ろい行く楔/大地に刻まれた轍/歪む風景/灼熱の記憶/怨嗟の声/溶け行くは/我らが夢を/捧げる』!」
俺の右手に炎の弾が出現する。
「『突き進む/矢に非ず/馬に非ず/汝の姿は槍』!」
炎の弾が渦巻き、槍の形になって待機する。噛みつかれていた女性は、とっくに絶命している。はっきり見られているわけじゃなければ、いくらでもあとでしらを切れる! ごまかす!
「魔文――『焔の槍』」
不穏な気配を感じたのか、《飛竜》が飛行体勢になり空中へとその身を躍らせる。だが、最初に投げた石によって俺の魔力の残滓が《飛竜》の翼にはこびりついている。そしてそれにむかって飛んでいくように、魔術を編んだ。
「行け」
俺の手から放たれた炎の槍は勢いよく空中を飛翔すると、別の獲物を探しに行こうとしていた《飛竜》の左翼を撃ち抜き墜落させた。片翼を失い飛べなくなった《飛竜》は回りながら石畳の地面に墜落し、そのまま動かなくなった。
「これで二頭目、か。数が多いな」
さすがに亜竜種の鱗の硬さになると、生半可な魔術や武器では通じない。俺のストック魔術のなかには、五頭と言わず三十頭くらいの《飛竜》ならもれなく消失させる大魔術もあるにはあるのだが、それを使うと城塞都市ディラウスの通りに大穴が開いてしまうので、使えない。
『瞬滅雷光槍』
「――は?」
俺は見た。遥か彼方から飛来した、雷の槍が、空中で五本に分裂し、飛翔していた五体の《飛竜》を貫くのを。
「魔、術……か? いや、違う……の、か!?」
魔術は融通が利かない。最初に設定したあとはこちらから弄ることはできない。一度手を離れたら、あとは最初に刻んだ命令通りに動くことしかできないのだ。それを遥か彼方から撃って、寸前で五本に分裂させてそれぞれが的確に《飛竜》を貫くだと? 未来予知じゃあるまいし、そんな魔術はあり得ない。マーカーもつけずに、超遠距離狙撃をできるような便利な魔術は存在しない――!
「魔法使い様だ……」
「魔法使い様、万歳!」
「たすかりました!」
町のあちこちからそんな歓喜の声が上がってくる。
魔法。
確かに目の前で起こった奇跡は、人が叡智と研鑽の末にたどり着いた魔術ではない。
奇跡を起こす力。それはまさしく、魔法と呼ぶにふさわしいのだろうか。
「俄然興味がわいてきたぜ、魔法使い様……」
俺は獰猛に笑う。絶対に魔法使いの正体を暴いてやる、と心に決めて。