続いていく旅の途中で3
古城にくしゃみの音が響いた。
「はて、こんなになってもワシの噂をする奴がいるのか……? くだらん感傷か」
老人は呟くと、右手に持ったアメジストに魔力を込める。この古城用に開発した『浄化』の魔術が起動し、城全体を一気に浄化した。
周囲の知性ある生物たちからは『吸血鬼の古城』と呼ばれる、ヘベル大森林の奥地に建つ古城。かつて呪護族であったイルムシルは、寿命と魔術の研究を天秤にかけ、寿命を捨てた。吸血鬼の真祖にその身を捧げることで、魔術の研究に生涯以上の時間を割くことにしたのだ。
「ルイド、か……まさかな……」
魂という干渉が難しい要素に干渉するのは賭けだった。特異的な能力を持たないかわりに魂の容量が大きい人間――特に、英雄の器を持つ者に魂を詰め込むという実験はなかなか面白い結果を生み出した。
魂に情報がある以上、その魂に存在する情報が死に書き変わらない限り、世界は魂の情報を遂行するために肉体を再構築する――そんな結果は予測していなかった。
「つまりこの世界には、いわゆる修正力と呼ばれるものがあるのか……反動と言ってもいいが……」
「極論、無限の寿命を誇る吸血鬼たちが、皆がみな最終的には暴走からの自殺を選ぶのも、修正力によるもの、とすることもできるのか?」
世界に刻まれた情報は、書き換えることはできない。唯一それができるのは、『操心族』と呼ばれる一族のみ。呪護族たちが暮らす里を焼き払われたのは痛手だったが、それがわかっただけでも収穫だった。
『操心族』たちは、かつては自分の記憶を他者に共有する、という種族だった。それがいつの間にか心を読む種族として迫害を受け、彼らの特異能力は変質した。
共有という穏やかな能力から、生き残るために改竄という攻撃的な能力に変化したのだ。
「この世界には面白いことが大量にあるからな……まだまだ死ねないのう……そうでしょう、ラディレ様」
イルムシルは歩きながら呟き、古城の最下層にある宝物庫に到着する。ルイドがちょこちょここの宝物庫の宝石をかすめ取っていることは知っていたが、仮にも師匠とその弟子という関係性であったのだ。そして一目見たときから『操心族』による記憶干渉を受けていることは明らかだった。脳を操作する単純な記憶封印ではなく、転生した後も記憶を封印するために魂ごとの封印を受けていたのだ。
まあ、バカげた感傷で甘く見ていたところはあった。長い人生の中で、唯一イルムシルが共感を覚えた人物でもあるのだ、『千魔』ルイドという男は。
甘いところはあるが、魔術の深奥に迫るためなら己の体すら犠牲にする、というその精神は好きだった。イルムシルは宝物庫の小さな宝石を手に取り、起動言語を呟く。幻を見せる魔術が消え、宝物庫のさらに奥に進むための通路が現れた。
「ラディレ様。そろそろお目覚めですかね?」
吸血鬼の真祖、ラディレ。この古城の真の主であり、イルムシルを吸血鬼にしたもの好きでもある。彼女は今は棺に入り、眠りについている。だが、彼女は眠りにつく前にイルムシルに一つの命令をしていた。
「『早く私を起こしなさい』だなんて――全く、面倒な要求です」
吸血鬼は、親である真祖には逆らえない――どころか、崇拝・恋愛・情動の形として行動を縛られる。どうしようもなく、惹かれてしまうのだ。それが恋愛や崇拝になるかは、個々人の資質によるようだが、イルムシルが彼女に抱いているのは父性愛だ。
可愛い娘のためならば、自身の研究の時間を多少削ってでも、真祖の眠りの研究をするのもやぶさかではない。イルムシルも、その程度のリスクは承知の上で吸血鬼になっている。
「しかし、研究は成功です」
真祖の眠りの時間を早めることには成功した。それこそ100年単位で、である。棺が動く。
持ち上げられた棺の蓋が重い音を立てて床に落ちた。
「おはようございます、ラディレ様」
「……あら、イル。お久しぶりね」
「せいぜい300年程度ですよ、ラディレ様」
「えぇ!? っていうことは、200年くらい寝不足じゃない! ちょっと、寝不足はお肌の敵なのよ!」
「しかし眠る前に『寝てる間は退屈だから早く起こせ』とおっしゃっていましたが」
「……そんなこと言ったっけ?」
「追加で申し上げますと、吸血鬼の真祖であられるラディレ様は肌の調子も復元なさるので問題ないかと」
「それもそうね! で、何か面白いことあった?」
真紅のドレスに身を包んだ少女が、勢い込んでイルムシルに尋ねる。白銀にきらめく髪に、どこまでも深い黒の瞳。白黒の対比のような少女は、自然と派手な色合いの服装を好んでいた。イルムシルがラディレを
見下ろすと、ラディレは期待に満ちた目で自身の眷属であるイルムシルを見上げる。
これが、吸血鬼の真祖――存在するだけで様々な波紋を呼び起こす、『自然の災害』とは思えない。
しかし、イルムシルは知っている。彼女の挙動の一つ一つが、世の中によくも悪くも多大な影響を及ぼすことを。その身に秘められた魔力は凄まじく、イルムシルでも――ルイドでも、敵わない。
「その様子だと特になかったのね?」
「申し訳ありません。私自身、研究に忙しかったもので」
「まあ、いいわ。寝てる間は好きにしてって言ったもんね。あれ、言ったっけ?」
「言いましたね」
「じゃあ、そういうことで! さっそく、面白いことを探しに行きましょう!」
筋肉が軋む。ラディレが魔力を開放し、種族特性である『変身』を発動させたのだ。一瞬で肥大化した右腕は天井を破り、背中に生まれた翼が空気を叩く。崩れ落ちてくる岩の隙間をすり抜けて飛翔するラディレと、岩を蹴り上げて跳躍していいくイルムシル。
「さあ、イル! ど派手に行きなさい!」
「承知」
ラディレの剛腕が次々と天井をぶち抜いていき、ついに古城の頂点まで達した。そこでラディレは、最後は譲ると言わんばかりに身をかわし、イルムシルは懐にある宝石を取り出して魔力を込めた。
「弾けろ、『噴火』」
長年この世界を研究してきたイルムシルが放つ魔術は、自然現象を再現している。今回であれば、煮えたぎるマグマの噴出を再現した、噴火である。イルムシルの前の空間から現れた灼熱の岩とマグマが勢いよく古城の頂点を貫く。さらにはじけた岩が大きく飛び、ヘベル大森林に墜落していった。
何か所かで火災が発生し、暗い夜の世界にいくつかの光が灯る。
「素晴らしいわね、イル! なんかこう、興奮するわね!」
「そうでしょうか」
「まあ私が楽しければいいんだけどね!」
森から野生動物たちの悲鳴が聞こえてくる。イルムシルとしても、このあたりの生物はあらかた研究しつくしたので、特に思うことはない。だが、久しぶりの覚醒に興奮しているラディレは違ったようだ。
「うるさいわね」
収まっていたはずの右腕が、一瞬で肥大化する。巨大な槌となった右腕が振り下ろされ、次の瞬間鋭利な刃となって薙ぎ払われた。それだけで、生物たちの悲鳴は収まった。なにか巨大で得体のしれない脅威が、自分たちを狙っていることを知ったのだ。
「よろしい。ってあら?」
大地より放たれる火球。おそらく知性を持たない地竜あたりが放ったブレスだろうが、そんなチャチな攻撃は、吸血鬼たちには通用しない。ブレスの狙いは正確で、ラディレの頭を焼き払った。左半分だけが残った顔で、ラディレは嗤う。
「消えなさい――『閃熱』」
ラディレの正面に現れた炎の槍――さらにそれを昇華させた、光のレーザー。イルムシルが開発した、炎の魔術の到達点ともいえる究極の魔術。線状に放たれた熱線は、反魔鱗を簡単に貫いて一撃で地竜を死滅させた。
「やっぱりこれ便利ね、イル!」
「お気に召していただき光栄です、ラディレ様」
今まで遠距離攻撃手段を『変身』しか持っていなかったラディレは、イルムシルを眷属とすることで魔術という攻撃手段を得た。吸血鬼たちは多かれ少なかれ魔術の嗜みがあるものだが、ラディレのもとにはかつて呪護族であった、魔術の達人がいる。
吸血鬼の真祖が持つ、膨大な魔力を使って放たれる、極まった魔術たち。その脅威は、言葉では計り知れない。
「じゃあ、行きましょうかイル!」
「どちらへ?」
「気ままに! どこへでも!」
ラディレが翼をはためかせて移動を開始すれば、イルムシルも翼を広げて後を追う。
その気になれば、一人で人類を滅ぼせるとまで謳われる吸血鬼の真祖と、イルムシルの旅が始まった。
† † † †
「で、どこまで話したっけ?」
突然襲い掛かって来た『群狼』の群れをニムエに任せて殲滅させると、俺はニムエに問いかけた。ニムエの戦い方も随分と安定してきて、バーサーカーのような戦い方はなりを潜めている。必要になれば使うだろうが、まあそうそう必要な事態は起きないだろう。
「えーと、そのウェリティア? さんの依頼を受けたところ、です」
「ああ。そうだな、これ以上は俺もきついからさらっと流すが、結果から行けばその女性が『操心族』だったんだ」
「えっ」
「まあ、向こうも勘付いてたっぽくてな。先に始末しに来たってわけだ」
気づけば俺は国家転覆をもくろむ最悪の魔術師である。おあつらえ向けに革命集団まで用意されていたときは、あまりにも用意周到な準備に感心したものだ。
おまけに革命集団の全員が『リーダーは千魔ルイドだ』と記憶を改竄されているのだからもう、どうしようもない。あっという間に俺はおたずね者になり、信じていた人々にもれなく裏切られ、殺された。
「幸いだったのは、俺の仲間たち――シェリルやディリルには手を出されなかったことだな。あいつらには『操心族』の存在は伝えてあったし、あいつらを洗脳するのは並大抵の仕事じゃないからな……」
「そ、そんなにですか?」
「シェリルはともかく、ディリルやヴィリアなら速攻気づくな。あの二人の勘というか超感覚みたいなのはえげつないから」
「なるほど……で、でも、『操心族』って男の人じゃなかったですか?」
「ああ……たぶんまだ、生き残りはいるよ。ついでに言うなら、あいつらは一族の記憶を代々引き継いでいる。つまり、全員がほぼ同じ記憶を持っている種族なんだ」
それなんだよなぁ。『操心族』の絶対数は少ないと思うが、まだ生き延びているヤツはいるだろう。だからこそ人間社会から身を引き、もしもう一度人間社会に『操心族』の影が見えたなら、俺が殺す。
「俺の復元魔術があれば記憶の封印は解けるからな。よっぽど油断してなければ、大丈夫だろう」
俺が記憶の封印を破る方法を手に入れたというのは大きい。
「る、ルイドさま。それで、そのあとは……?」
「ん、ああ。俺の次の転生先は、魔族だった」
俺は遠い目をして過去を思い出す。脳に関する記憶封印を受けていても、魂の封印を受けていなかった俺は、魔族に転生したあとは記憶があったのだ。操心族も、まさか謀殺した相手が記憶を残したまま転生するとは思わなかったのだろう。
「ま、魔族……」
「ああ。魔族は――」
俺は思い出しながら、自分の魔族としての人生を話し始めた。こればっかりは、最初から説明しなければならないだろう。