始まりの少女5
カモフラージュ用に俺は槍を、ニムエにはダガーを買い与えた。まだ少女であるニムエにまともに振るえる武器など多くはない。そもそも戦わせるつもりもないので、本当にいざというときに使える武器であればいい。ニムエもそれをわかっているのか、特になにかを言うこともなくダガーを受け入れた。
「さぁて、身分証も武器も手に入れたし……どうするかな」
「もう、夜です」
鉄製の槍を時間をかけて吟味して手に入れたのだが、正直俺が使っていた槍に比べるとランクが落ちる。《龍牙槍》に見合う槍なんてそこらへんに転がっていては困るのだが、不満は隠せない。
「夜こそ俺の時間だ」
さてさて、どうしたものやら……ニムエはどうやら農村の出身だったらしく、あまりこの世界の情勢に詳しくない。かといって、元兵士や元商人の奴隷は高くつくし、死にかけの奴隷にするにしても、『復元魔術』の存在を知っている者はできるだけ数を少なくしておきたい。ニムエは子供なのであの魔術の貴重さに気づいていないが、大人の人間なら間違いなく気づいて、俺を疑うだろう。それは困る。煩わしい。
「が、頑張ります!」
ん?
「そういや、ニムエ。眠くないのか?」
「へ? 眠い、いや、眠くないです……?」
時間的には深夜に近づいているというのに、ニムエは眠い様子を見せない。しかも今日は相当歩き回ったので、疲れていてもおかしくないはずなのに――元気だ。むしろ日が落ちてからのほうがニムエの言動に活力が出ているような……
「……まさか。『生体探査』――っ!?」
人間用の探査魔術が弾かれる。きょとんと首を傾げているニムエに口を開かせ、歯を確認する。
「はが……んむ……?」
「牙にはなっていないが……『探査』」
今度はヴァンパイア用の探査魔術を放つが、こちらも弾かれる。お手上げだった。
「人でもヴァンパイアでもないのか……? 俺の血のせいか……?」
呆然と呟く。『探査魔術』は種族ごとに術式を組み直さなければならないので、今わかったことはニムエの存在は人間の種族でも吸血鬼の血族でもなくなったということだ。眷属であるならば俺が把握できるはずなので、ヴァンパイアの眷属ですらない。
やばいやつを作ったかもしれない。
「ニムエ。太陽の光をどう思う?」
「久しぶりだったから、眩しかった」
「にんにくは?」
「美味しい」
「川は?」
「かわ?」
わからん。ヴァンパイアになったわけじゃなさそうだが、人間のままというわけでもない。ましてや眷属でもない。
「仕方ない……これから見定めていくしかないか」
ハテナマークを浮かべて首を傾げるニムエ。もしも俺の血を使用した『復元魔術』が彼女の体に影響を及ぼしているのなら、その影響は調べなければならない。それが、昔呪護族であった、研究者としての俺のプライドだった。
「ニムエ、眠くないか?」
「さっきも聞いた、よ……? 大丈夫!」
なら、実地調査と行こうか。
ニムエを抱えて一足飛びに空中に飛び立つ。ヴァンパイアならではの身体能力で石畳に足跡を残して、街灯の明るい人の世界から魔獣蠢く夜の世界へと跳ね跳ぶ。
「ふえっ……?」
「部分変化『黒翼』」
柔らかいものが擦れる音が響いて、俺の背中に蝙蝠の羽が展開される。『吸血』という同種の特徴を持つ蝙蝠は、もっとも変化しやすい生き物だ。その気になれば蚊とかにも変化できるだろうが、やる気はおきない。潰されそうだし。
「えっ、は、羽!?」
「飛ぶぞ」
そして俺はヒラヒラと飛行を開始した。最初は目を白黒させて騒いでいたニムエだが、しばらく飛んでいると顔面を真っ青にして口を押さえた。ああ、蝙蝠飛行は酔いやすいからな。だが安心しろニムエ、もう着く。
「『黒翼』解除」
翼を解除すると、俺とニムエは一緒になって地面へと墜落していく。黒白の流星。夜闇の種族であるヴァンパイアと、白い長髪をなびかせて奴隷の少女が降り立つ。着地する瞬間俺の足元で風が渦巻き、落下の衝撃を和らげる。
「さて、到着だ」
気配を探ると、周囲からこちらを見つめる獣の気配がする。唸り声なんてものはあげない。獲物に気づかれる前に仕留めるには、音など邪魔なだけだ。
「《闇夜狼》……この辺は狼系の魔獣が多いな」
《群狼》が群れで狩りをする灰色の狼ならば、《闇夜狼》は漆黒の毛皮を持つ夜行性の一匹狼だ。その隠密性、単独で狩りを行う戦闘能力の高さから、危険視されている魔獣。
「ニムエ、見えるか?」
「は、はいっ……!」
夜目確認、と。普通の人間には全く見通せないはずの闇夜のはず。それを見透かすとは、間違いなくヴァンパイアの血がなんらかの影響を及ぼしている。次だ。
「武器を構えろ――来るぞ」
完全に自分に気づいている俺より、そばにいる少女のほうがくみしやすいと判断したのか、音もなく《闇夜狼》が迫り――ニムエの左足に喰いついた。少女の柔肌を牙が食い破り、鮮血があふれだす。
「ぎっ……!?」
ああ、いい血の匂いだ。だが食欲はそそられない。それが、おかしい。
「あああああああっ!!」
痛いだろう。その痛みの素を取り除こうと、ニムエは左足を振り回す。それに合わせて《闇夜狼》の体が暗闇を舞う。いくら《闇夜狼》が比較的小型の魔獣だと言っても、その体重はニムエとほぼ同等のはず。それを一方的に振り回すなど――。
「膂力の強化、確認」
ヴァンパイアの力に、他ならない。
「う、ううッ……うう……!」
へたり込んでいたニムエが立ち上がる。その右手にはダガーが握られている。さらに、《闇夜狼》に噛みつかれた傷跡が煙を上げて再生されていく。
「復元能力確認――しかしヴァンパイアに比べると遅い、か」
再生スピード、膂力の強化も、純正のヴァンパイアや眷属に比べるとレベルが低い。それでも、間違いなく人間はやめている。
「私の、敵ッ……!」
「そうだ、ニムエ。あの狼はお前の敵だ。だから――」
エメラルドグリーンの瞳が引き絞られて《闇夜狼》を見据える。先ほどまでは間違いなく獲物であったはずの少女の眼光に、《闇夜狼》が怯む。痛みからの立ち直りの早さは奴隷時代の経験ゆえか。こればかりはヴァンパイアの血は関係ない、ニムエ自身が持つ“強さ”だ。
「――殺せ」
「死ねェッ!」
ニムエが走る。夜闇の中を、まるで足元がはっきりと見えているかのように。その疾走は不格好で、まだ直りきっていない左足をわずかに引きずって走る。
怯んでしまった自分を戒めるように、《闇夜狼》が一声吠えた。それはニムエがなんらかの手段で自分の姿を目視できていることを確認したがゆえの威嚇。闇夜に生きる狼が、正面から戦うことを決意した咆哮である。
先手を取ったのは《闇夜狼》。走り寄るニムエに向けて飛びかかり、その喉元を食いちぎろうと迫る。迷うことなくヴァンパイアを殺し得る最善手を選び取ったのは野生の本能だろうか。それに対してニムエが取った行動は真正面からの拳だった。
「ぁっ……!」
《闇夜狼》の開いた口に、ニムエの左拳が突き刺さる。牙によって拳の表面が裂けるが、そんなかすり傷は煙を残して即座に直る。《闇夜狼》はとっさに口の中の異物を噛みちぎるべく口を閉じるが、その隙にニムエの右手が閃いた。闇に銀色の刃が走る。
ガギン、と硬い音を響かせてニムエが握っていたダガーが《闇夜狼》の脇腹に深々と突き刺さった。それは少女の腕力では決して為し得ない一撃。
先ほどまで光を放っていた《闇夜狼》の両目が、ゆっくりと光を喪って閉じる。それを見てニムエは――
「……うっ、ひえっ……うわああああああああああんっ!!」
号泣した。
「えっちょっと待ってごめんニムエそんなに怖かった?」
「うううっ、ぐすっ、びえええええええええ!!」
止まらない涙と鼻水。《闇夜狼》の骸に、少女の涙と鼻水が流れ落ちていく。ジワジワと地面に広がっていく血の水たまり、煙を上げて治癒していく左腕、号泣する少女と、それはかなりホラーな光景だった。
「……あっそうか、ニムエって精神は普通の女の子だった」
ヴァンパイアの血を使った『復元魔術』の影響を調べることに夢中になって、すっかり忘れていた。最低である。
「怖かったよぅ…………!」
こちらを向き直り抱き着いてくるニムエ。その頭を撫でてやる。罰が悪い。実は自分はとんでもない悪人なんじゃないだろうか――だが、この力は凄まじい。これならこちらの戦力を大きく底上げでき――
「ん?」
こちらの戦力? 底上げ? 俺は、何と戦おうとしている――?
考えるな、と脳がそれ以上の思考を拒むように頭痛が襲う。なんだ――何かを、忘れてる――?
「あっ」
声と血の匂いに引き寄せられたのか、新たな《闇夜狼》が近寄ってきていた。俺が適当に『水弾』の魔術を放つと、驚きつつもそれを回避した。そして警戒した瞳でこちらを見つめている。やれやれ、とっとと逃げればいいものを。
「ニムエ、ちょっとここで待っていてくれ」
「ふえっ、はい……?」
背中から槍を取り出し構える。
ああ、なんだか無性にむしゃくしゃする。先ほどの頭痛が原因なのか、ニムエを危険な実験に巻き込んだ自己嫌悪なのか――。
「死ね」
今度は反応する暇も与えない。地面を蹴ると同時に『黒翼』を展開した俺は、上空から《闇夜狼》を串刺しに地面に縫いとめた。一瞬で獲物が消えたことに動揺していた《闇夜狼》は、死ぬ瞬間まで自分が何を相手にしているのかわからなかっただろう。闇夜に生きるヴァンパイア相手に、獣風情が敵うはずもない。
「さて、怖い思いをさせたねニムエ」
「う、ううっ……はい……怖かったです」
怯えて縮こまるニムエは、幻想的な見た目も相まって愛らし――
「あっ」
今日購入したばかりの水色のワンピ―スが、血やら体液やらでグチャグチャになっているのに気づいた俺は、かなりショックを受けた。
ついでに俺のシャツにも黒翼のせいで穴が開いていた。やりきれん。
「……?」
思いつきで行動しない。うん。これを今生の俺の指標にしよう。
なんとなく、どこかで誰かが笑っているような気がした。
† † † †
「学園?」
「はい……憧れ、なんです……」
昨夜の罪滅ぼしに、ニムエのやりたいことを訊いてみたところ、王都にある学園を見てみたい、とのことだった。王都までどれほど距離があるのか知らないが、今の俺は人間社会に対して無知もいいところ。王都という場所は、あらゆるものが集まる場所と相場が決まっている。人も、物も、情報も、である。これで図書館のようなものがあればいいんだが、さすがに本は貴重品なので期待はしていない。400年、人類がどのような歴史を歩んできたのか、調べたい。
いったいどのような経緯で魔術が衰退し、魔法使い様なんて存在が産まれたのか。
「あいつらのことが、どんなふうに伝わってるのかも、興味があるな。よしわかった、王都に行くとしよう」
「本当、ですか!? ありがとう、ございます!」
こちらに頭を下げるニムエ。奴隷の立場で、無理を言った自覚はあるらしい。
だが俺にとって、ニムエはもうただの奴隷ではない。俺の血でなんらかの変容を起こした、新種族と言ってもいいだろう。そんな存在をほっぽりだせるほど、薄情であるつもりはない。
昨夜はうっかりだ、もう二度とやらない。そう決めた。
「ルイドだ」
「ふえっ?」
「自己紹介をしていなかったと思ってな。俺の名前はルイド。長い付き合いになりそうだし、これからもよろしく」
「はっはい! ニムエと言います、ルイド様!」
――もし、俺の血がニムエにヴァンパイアの特性を与えているなら。
「知ってる。じゃあ、さっそく王都に行く方法を調べに行くとしようか」
「はっ、はい!」
――きっと、彼女は人間と同じスピードでは成長しないだろう。
「ところで、腹減ったか?」
「うっ……おなか空きました……」
――責任くらいは、取るべきだろう。
「木漏れ日亭に行くとするか……」
「お肉っ!」
――俺の勝手な都合で巻き込んだのだから。