純粋なる思惑5
「……よし、できたか」
俺は顔を上げて、太陽の光が降り注ぐ部屋を見渡した。ルームメイトであるカムトが気を遣って持ってきてくれた軽食と水だけで生き延びていたため、少しよどんだ空気が漂っている。薄暗い部屋で一心不乱に宝石に向かう俺は、さぞや怖かったことだろう。彼には感謝しなければならない。
およそ二週間の間こもりきりで作り上げた魔術陣は、俺の自信作でもある。太陽の光に透かして見れば紅玉に複雑精緻な陣が刻まれているのがわかる。この魔術陣はこれだけでは効果を発動しないが――
チャポン、と革袋が揺れる。その袋に入っている液体のことを思い、俺は顔をしかめた。あと500年くらいあれば、このようなものを用意しなくても陣や魔文を開発できるだろうが、今は現物に頼るしかない。
(嫌な予感がするんだよな……)
こんな手段を、本当に用意しておく必要があるのだろうか。保険も保険、しかも使うかどうかわからないし使いどころもよくわからない。強いて言うのならば、俺ではない誰かを救うために使うことになるだろう。
『復元魔術』の、再現。
俺自身が陣を描くのではなく、触媒となる吸血鬼の血液と、『生体探査』や『査魂』などの魔術を組み込んだ簡易的な復元魔術だ。これがあればいちいち陣を描く必要もなく、魔力を込めるだけで発動できる。小さめの革袋を10個用意したので、そのすべてに血液を入れて持ち歩くことにする。少し鬱陶しいが、それでも準備するに越したことはない。祭りの武闘会に関しては、とてもではないが負ける気がしない。トニのような魔法使いが参戦してくるなら話は別だが、おそらく参戦してくることはないだろう。王族の護衛があるし、トニが出場してしまって優勝をかっさらうという事件があった以上、無理に参戦してくる魔法使いはいないと思われる。
ならば、俺に負ける要素はない。なにせ積んできた経験と、身体能力が違う。
「さて、と。そろそろ、祭りの時期か」
結局開拓科が祭りで何をするのかは聞いていない。武闘会の開催まではあと5日。俺はとりあえず、部屋を片付けて俺自身に浄化の魔術を使うと、陽光に目を細めながら開拓科の教室へと足を向けた。
二週間もの間世間から隔絶されていた俺を出迎えたのは、驚愕と畏怖の混じった視線だった。少しばかり憐憫の目線もある。俺はそんな視線を不思議に思いながら、妙に生徒の数が多い廊下を進んでいく。
「……ああ」
納得した。様々な科の生徒が、祭りの準備で忙しく動き回っているのだ。授業もしておらず、ひたすら自分たちの学科の出し物のクオリティをあげているのだろう。識者科は論文発表の形にするようだし、戦略科はエリシューク先輩に聞いていた通り、盤上遊戯を作るらしい。まあそのサイズが尋常ではなく、本当に教室一つを丸々潰して疑似戦争をするようだ。
その準備に動き回っているせいで、普段より人が多く見えるのだろう。俺は納得すると、ひょいひょいと人混みをすり抜けて開拓科の教室に進んでいく。途中で俺に話しかけようとして、結局話しかけずに口を閉じる人間を数人見たが、いったいなんの用だったのだろうか。
「まあ、いいか」
話しかけてこないということは大した用ではなかったのだろう。だが、開拓科の教室に着く寸前、ついに声をかけてくる人物がいた。というか、そいつらはどうやら俺のことを教室の前で待ち伏せしていたらしい。一度自分の眼を疑うかのようにこすると、もう一度俺を見る。
「あ、あ……?」
「そこどいてくれませんか、先輩。ここは開拓科の教室ですよ」
「二週間も出てこなかった奴が言うセリフか!?」
悲鳴を上げる様に叫び、先輩方は道を塞いできた。ふむ。
「騎兵科の先輩方ですかね」
「そうだ。今日はお前に用があって来た」
「今日だけですか?」
「いいや、昨日も一昨日も一週間前も張り付いてた。なんで来ないんだお前は! ていうか男子寮の入り口でも張ってたのになんで男子寮から出て来ないんだ!」
「忙しかったもので」
「理由はどうでもいい!」
なんでって聞くから答えたのに、ひどい返しである。俺の前に立ちふさがる3人の先輩方は全員が筋骨隆々で、身体強化も使えるようだ。おそらく騎兵科の中でも精鋭中の精鋭だろう。そんな彼らが俺のところに来るなんて、予想できる理由はそう多くない。
「武闘会の話ですか」
「そうだ。お前、棄権しろ」
「嫌です」
「よし、賢いお前ならそう言ってくれると……なに? 嫌?」
「嫌ですけど」
『聖魔戦争について』の本を手に入れるために、俺は武闘会で騎兵科の連中の鼻っ柱を叩き折らなければならないのだ。今叩き折ってもいいんだが、それはさすがに問題行為になりそうなので自重する。
「……ご主人様」
「ああ、ティエリ。久しぶり。元気だった?」
「……はい。それで、これはなんの騒ぎですか?」
胡乱なまなざしで教室の中から現れたティエリは、面倒くさそうな表情で俺と騎兵科の先輩を一瞥した。なんというか、少し見ない間に迫力が増してガラが悪くなっている。何か嫌なことでもあったのだろうか。
「げっ、ティエリ……!」
「ご主人様に害を為すというのであれば。私が相手になりますが?」
静かな気迫を込めてティエリが先輩を睨みつける。いったいいつの間に有名になったのか、騎兵科の先輩がそろそろと後ずさっている。俺が世間から隔絶されていた二週間の間に、一体なにがあったのだろうか。これ幸いと、近くを通りがかった男子生徒に聞くことにした。
「ねぇ、この二週間なんかあったの?」
「げっ、ティエリの主のルイド!?」
「おいマジで何があったんだ」
俺よりもティエリに対して怯えているように見える男子生徒に、俺は若干予想がつきつつも訊ねた。すると、男子生徒は見るからに「信じられない!」という表情をすると、小声で俺に経緯を教えてくれた。
つまり、グファリと呼ばれていた例の絡んでくる生徒が、ついに俺と直接対決をしようとしたらしい。そしてどこからか開拓科期待の新人が武闘会に出るという情報を手に入れた騎兵科の上級生がそれに便乗。この機会に叩き潰してしまおう、という計画が生まれた。この計画の穴は3つあった。
まず、自分をすっ飛ばして俺と戦おうとするグファリに対してティエリがキレて決闘を申し込んだこと。
続いて、なぜか主人である俺が寮の部屋に籠って出てこないこと。
そして、グファリがあっさりとティエリに負けてしまったことである。
ちなみに、そのときのティエリは『この程度の実力で、あの男に挑もうというのですか。命をあと50個ほど持ってればかすり傷ぐらいはつけられるんじゃないですか?』と言い放ったという。やっぱりガラ悪くなってるな……精神が荒んでいるのだろう。いったい誰のせいだ。
……半分ぐらいは俺のせいかもしれない。
この一件で、水面下で争っていた騎兵科と開拓科の抗争が激化。騎兵科は諸悪の根源であるルイドという男を探し、叩きのめすことで一つのけじめとしようとしていたようだ。だが俺が寮から出てこないからさあ大変。張り込みは長引き、ティエリの機嫌は下降し、開拓科の雰囲気は最悪。騎兵科も徐々にうんざりとした空気になっていったという。
「ティエリ、大変だったみたいだな。お疲れさま」
「引きこもりにいろいろ言われる筋合いはありません。たいしたことではありませんので」
「……」
すごく言葉の端々が刺々しいんだけど。気にしてるというよりも俺の好感度がすごい勢いで下がっている感じなんだけど。
「あ、あー……その、すまんな、ティエリ。ところで、ニムエはどこにいる?」
「ニムエなら、教室の中ですが、会わないほうがいいかと思いますよ」
「……え?」
「激怒してますので。ご主人さまの姿を見たら間違いなく本気で襲い掛かってきますね。今回ばかりは肉でも許さないと言っていました」
「……マジか」
「この件に関しては、ご主人様が出てくるのも面倒なので私が蹴りをつけます。ご主人様は武闘会で蹴散らしてくれればそれでいいです」
俺は少なからずショックを受けた。肉を与えていればたいていのことは許してくれていたニムエがそんなに怒るとは。俺はたった二週間も閉じこもることも許されないのか。
しかし、そんなに怒り狂っているのならほとぼりが冷めるまで会わないほうがいいだろう。俺はティエリにそっと謝ってから、そそくさとその場を後にした。野次馬も集まってきていたし、対処するのも面倒になってきたので、全てティエリに投げることにする。本人もそれを望んでいるようだし、俺は教室に入ることを諦めて練習場に向かうのだった。
† † † †
練習場についた俺は、ストレス発散も兼ねて槍を振るった。剣でもいいのだが、剣を握るといまだに少し違和感があるので、それならば、と槍も握ってみたのだ。武闘会が近いというのもあって、練習場には多くの人間が存在し、練習に余念がないようだ。騎兵科の生徒も、開拓科の生徒も、それぞれが自己鍛錬に励んでいる。そんな中の一人が、赤い髪を振り乱してこちらに走り寄って来た。
「貴様ッ! ルイドッ!!」
「なんでしょうか、キュロム様」
「貴様、今度という今度は許さんぞ! さあ構えろ!」
いったい今度は何が彼女の癇に障ったのだろうか。
「なにか気に入らないことがありましたか?」
「とぼけるな! 貴様のせいで《朧影》様は……! 構えろ!!」
《朧影》? そういえば最近、トニを見ていないが、どこにいるのだろう。
「貴様が出てこなかったせいで、《朧影》様も閉じこもってしまったのだ! さあ、まずは私と戦え! この怒り、この憤り、貴様と決闘をしなければ収まらん!」
「――決闘? 俺と?」
俺は少し気持ちが昂るのを感じた。よくないと分かっていても、その衝動に身を任せてしまう。
――俺が何をしようと勝手だ。
――どいつもこいつも意味不明な理屈を。
――この女にいたっては、決闘の意味も知らない分際で。
決闘だと?
「そうだ! 私、キュロム・ル・フェシュラスは、貴様に決闘を申し込む!」
「――いいだろう。身をもって、その言葉の重みを知るがいい」
俺は、自分でも驚くほど低い声で答えると、槍を構えた。それに反応したキュロムは、まさか俺が受けるとは思わなかったのか、一瞬呆けた顔をして、すぐに剣を構える。身体強化をした気配を感じ、俺がわずかに警戒を強めた瞬間、キュロムは大きく名乗りをあげた。
「キュロム・ル・フェシュラス! 参る!」
片手剣。オーソドックスな装備だ。動きを邪魔しないための革鎧に、おそらくキュロムの身体強化は足を重点的に強化する移動強化型。その証拠に――。
「くっ!?」
背後に回り込んで剣を振り下ろしてきたキュロムの剣を、振り向いて弾き飛ばす。渾身の振り下ろしをはじかれたキュロムが体勢を崩すが、俺の槍の薙ぎ払いはかろうじてかわした。そのまま後ろに跳んだキュロムは再び剣を構えると、今度は慎重に俺との間合いを測り始めた。その様子を見て、俺の脳もようやく戦闘モードに切り替わる。
これが決闘であるならば、俺は真剣に相手をしなければならない。
今までもそうしてきたし、これからもである。
それが、あの時代の過酷さを知る俺の義務でもある。
過去の英雄たちが屍の上に築き上げた繁栄を、誇りを、俺自身が汚すわけにはいかない。
だが、あの時代を知る者として、決闘の意味をはき違え、そこに自分の都合や意思を混ぜ込んでいる人間に、多少の怒りを覚えるのは仕方がない。
「ルイド! 貴様だけは絶対に許さん!」
なにが、キュロムをここまで激昂させているのかはわからない。それこそ、幼少期になにかトラウマがあるのかもしれない。だが、そんなことはどうでもいい。決闘とは自分の要求を相手に飲ませるための武力行使であり、彼女のように立場ある人間が軽率に使っていモノではないのだ。
そもそも決闘とは――後ろ盾が何もない冒険者たちが、それでも越えないための最後の一線として産まれたシステムなのだから。
俺は、迫る剣をかわすと、木製の槍で強かにキュロムの足を打ち据えた。




