純粋なる思惑1
《轟雷》マト・ル・ヴィリス。もとは普通の平民の男であった。だが膨大な魔力と魔法使いとしての才能が、彼の人生を捻じ曲げた。世界は変わり、マトを見下していた人間はみんな怯えと尊敬の念を向けるようになった。
女は媚びるようになり、男は陰でぶつぶつ言いつつも、少し威圧するだけでおとなしくなった。ヴィリスの姓を与えられ、魔法使いの末席に抜擢されたのは、14歳の時。そのとき、マトは悟ったのだ。
この世は結局『力』が全てなんだと。
村に襲い掛かってきていた《群狼》の群れを雷で一掃してから、村の人間がマトを見る目は変わった。腫物に触るように、恐る恐る話しかけるようになった。何も言っていないのに、少し『可愛いな』と思って見るだけで、その夜にはその女が家を訪ねるようになった。女自身の意思で取り入るために来ることもあったし、周囲の圧力で嫌々来ることもあった。
お金などの捧げるものがない村では、強者には女性か食料を捧げるしかなかった。
魔法使いといえども人間である。そのような暮らしをすれば、堕落していく。マトは自分の精神が腐っていくのを感じながら、それを止めることはしなかった。今のマトを見て、元は誠実で朴訥な少年だったことを信じる者など、果たしているのだろうか。
魔法使いは、多かれ少なかれ、その精神を試される。人を信じられなくなったマトもそうだし、人に信じられなくなったトニもそうだ。良くも悪くも、彼らは普通の人間であった。強靭な精神を持つ《爆焔》や《劔》、そもそも人との関わりを断っている《落天》とは比べるまでもなく、どうしようもなく人間であった。やがて、その弱さは自らが持つ魔法の才への依存として歪んでいく。
《轟雷》マト・ル・ヴィリスは、そうして生まれた。雷の力に溺れ、その力だけをよりどころにした哀れな青年。労せず手に入れた力と権力で、好き放題に生きてきたツケが、今回ってきたのだ。
「まあ、天罰ってヤツなのかもしれんな」
マトは薄暗い部屋で自嘲した。願えばその両手から放たれていた雷は、今や何も起きない。もう、どうやって雷を放っていたのかすらわからない。否――そもそも、わかってなどいなかったのだ。ただ、自分を妄信し、自分は雷が使えて当然だ、と無意識に信じ切っていた。
だが、もう、信じられない。
《轟雷》マト・ル・ヴィリスは殺され、今ここにいるのはただの村人マトである。莫大な魔力こそ残っているものの、その使い方はわからない。いや、雷以外に使ってこなかったからこそ、その魔力にほかの使い方があるなど想定していない。
「神に与えられた奇跡の御業、か……あの男一人にすら勝てないのに、よくもまあ思い上がったものだ」
自分が雷を使えなくなった理由に、予想はついている。だが予想がつく故に、誰にも話せない。今までの行動が災いし、もはやマトに完璧な味方などいなかった。なにより、マトが知った真実は重すぎて、荒唐無稽すぎて、常人なら一切信じないだろう。これを雷の力を失ったマトが話しても、気が狂ったと思われるのがオチだ。
(いや、強いて言うならば。なにもかもが規格外の、あのルイドという男ならば、信じてくれることも、あるかもしれん)
戦った最後に、ルイドがマトに残した意味深な言葉。敗北の味を噛みしめながら意識を失う直前に降ってきた言葉を、マトは一言一句違わず覚えている。
――そうやって、自分を騙しているのか。なるほど、魔法使い、か。
そう呟いたルイドの言葉の意味は、いくら考えてもわからなかった。だが、魔法を失い、全てを知った今ならばわかる。
もはやリヒト・ウルベルグに相談することすらできない。一つ、わかることがあるとすれば、奴の狙いはルイドであり、奴に対抗するには、ルイドに頼るしか方法がないということだ。奴は人間や魔法使いなどなんとも思っておらず、唯一ルイドだけを危険視していた。
それだけ、あの男は強く賢いのだ。そしておそらく、マトが魔法を失ったことで、奴の思惑通りに事は進む。奴は――あいつは、追い詰めている。確実にルイドを葬る手段を取り、その隙間を埋めている。
「ルイドは嫌いだが……」
マトは薄暗い部屋で呟く。無力感はいつの間にか消え失せ、純粋な怒りだけが心を埋め尽くしていた。
「なにより、あっさりと騙されていた自分が許せない……!」
止めようがない。防ぎようもない。ただの村人であったマトに、奴の干渉は防げない。だが、真実を知った今、それでも取るに足らぬと放置されていることが許せない。それは雷の魔法を失った村人マトには、何の力も影響もないと軽視されているからに他ならない。
事実、今はその通りだ。だが、時間はまだある。
「まだ、僕にできることがあるはずだ……」
薄暗い部屋で、村人マトは明るい茶色の瞳を光らせた。
† † † †
グファリという男について、俺は情報収集をしていた。色々な人に聞き込み調査、ということで話を聞いてみると、なんだか俺が想像していたイメージ像とは違った。
いや、あったこともない人を相手に失礼な話だが、こう、『従者が貴族様に逆らうのか~!』みたいな人物像を想像していたんだが、話を聞いていくとどっちかというと『ふん、力のないヤツは俺の後ろに隠れてろ!』みたいなタイプだった。
評価をまとめるなら、『バカだが悪いヤツではない』って感じか。強い人間と戦うことを喜びとするバトルジャンキーで、その肉体もよく鍛えられているらしい。身体強化を使える17歳で、その将来性もかなり高いんだとか。そんな人間が、ティエリとニムエに目を付けた? 自分で言うのもなんだが、バトルジャンキーが目を付ける相手なら俺だろ、って感じなんだが。少なくとも、この間の開拓科の訓練で、俺の強さは学院内で噂になっているし、探ろうとしてくる面倒な貴族や抱き込もうとしてくる面倒な貴族の相手も増えてきた。
すごいのは、そんな面倒な貴族より、絡んでくるキュロムの方が数段面倒くさいということだ。
話がそれた。
どういう状況になっているのかわからないが、ティエリから手出し無用と言われているので、直接的な手段に出るのは最後の手段だろう。とりあえずこの三日で情報を集めつつ、魔術の陣を刻んだ矢を20本ほどティエリに渡しておいた。殺す気で放てば、人間一人吹き飛ばして余りある兵器である。俺が人間時代であったころの最強の弓使いの術式を模倣しているので間違いない。一回深夜にこっそり学院を抜け出し、発動させて王都の外に投げ放ってみたが、綺麗に丸いクレーターができたので、使用する際は注意するように伝えておいた。使わないことを願う。
というわけで、俺はさっそく暇になった。ちょこちょこ食事の時にティエリに進捗を聞いているのだが、しつこく聞いてくる俺に嫌気がさしたのか、挙句の果てには「なにかあったらこちらから言いますから」と言われてしまった。
「ルイド、暇、なの?」
「ああ、恐ろしいほどに。思わず使わないつもりだった魔術陣を宝石に刻んでしまうほど暇だ」
復元魔術も魂に干渉する術式である。魂の情報を精査し、その健全なる状態に存在を刻み直す――つまり存在の再構築と言ってもいい。この術式に関する情報は複雑すぎて、呪護族の【瞑眼】がないと解析できないが、行使だけなら問題なくできる。だが結局ニムエに施した復元魔術の影響は調べきれていない。
「ちなみに、どんなの?」
「秘密だ。たぶん使うことはない」
判明していることは、一定周期で復元魔術が再行使されているらしいことだ。半吸血鬼としての再生力と、復元魔術による回帰が、定期的に行われている。ニムエの髪を切って整えても翌日には元の長さに戻っている。いや、これに気づいたときは本当にびっくりした。言われてみれば俺の髪も、伸びない。些細な違和感だとは思うが、これに気づかれると正体にも気づかれる恐れがある。気を付けよう。
「……けち」
「魔術師にとって、手の内は大事な生命線だからな」
『大鋏』を一人で撃てると知られたら、国に危険視されてしまった人間時代が懐かしい。全く、そうほいほいと撃たないよ、あんな危険で美しくない魔術。まあ危険視する気持ちはわかるけど。
「そういえば、ルイドは、武闘会、どうする、の?」
「出ないよ。面倒だし、優勝するに決まってるし」
「魔術、なし、でも?」
「まあ、負けることはないだろうな」
剣の扱いも最近ようやく思い出してきたし、問題ないだろう。ただ、一本だけ剣を握っていると、不意に違和感が走る理由がわからない。俺の記憶では、俺が使っていた武器は片手用の剣か両手剣、あとは槍しか存在しないはずなんだが、無性に左手が寂しく感じることがある。これは、《猿魔王》と戦った時にも感じた違和感だが、思い出すに連れて違和感が増していっている。だが、思い出そうとするとまた頭痛だ。全く、忌々しい。
「でも、」
「でも?」
「ルイド、もう、申し込み、されてた、よ?」
「――は?」
は?
「なんか、開拓科の、先生が。申し、込んでた、よ?」
「は? なんだそれ?」
「知らない、けど。『騎兵科に目にもの見せてやれ、ルイド……!』って、言ってた」
「トニ、今区切らないで長文喋った?」
「喋って、ない」
「喋ったでしょ」
「喋って、ない」
喋ってないのか。しかし、勝手に申し込むとは迷惑な。まあいい、適当に負けてそれで終わりでいいだろう。武闘会なんてものに興味はないし、卒業資格も別に今すぐほしいわけではない。もしも騎兵科の連中が出てきたらこの前の意趣返しでついボコボコにしてしまうかもしれないが、それはまあ気まぐれということで勘弁してほしい。
「ちなみ、に。この祭り、一般参加、できる」
「それが?」
「これ、ルイドに来てた、手紙」
「封切られてるんですけど」
「危険物、チェック……」
絶対嘘だが、まあいい。差出人を見ると、そこにはリルとゲルキオとリットの名前が記されていた。懐かしいな、城塞都市ディラウスの人たちだ。
リルからは一言、『そこで待ってろよ』とだけ。リットからは特に問題なくヘベル大森林の魔獣たちを退けていること、木漏れ日亭にハマってしまて通い続けていることが書かれていた。
ゲルキオさんも近況報告が書かれてあり、最近いい雰囲気になった女性が美人局だったこと、拾った銀貨が贋金で取り調べを受けたこと、いい店を見つけたと思って酒を飲んでいたらぼったくり店だったこと、仕事でよかれと思って魔獣の生息区域を教えたら、警告した新人が大けがをして帰ってきてクリエに叱られたことなどが書かれていた。ゲルキオさんが不憫すぎて涙が出てくる。
そして、三人ともお祭りの時には王都に見物に来るらしい。年に一度のお祭りなのでいつかは行きたいと思ってはいたが、なかなか機会がなくていけなかった。けれど、今年は知り合いもいるし行くことに決めたそうだ。なるほどね。確かに、知り合いがいるかどうかは大きいな。
「あと、ヴィリスの、姓を持つ人……雷も、王族も、魔法使いも、全員、集まる」
「は? マジかよ、そりゃ……凄まじいな……」
「王族の、護衛も、兼ねてる」
「ああ、そりゃ、魔法使いが5人もそろえば安全だよな……」
こっちをじっとりとした目線で眺めるトニ。なんだよ、何か言いたいことがあるのか。大丈夫だよ国王暗殺とか考えてないから。
しかし、そうか。あの三人が見に来るのか。うーん……再会できるのは素直にうれしいが、適当に負けると主にリルとリットに文句を言われそうだな。ゲルキオさんは察してくれそうだが、リルもリットもあれで根は単純だからな。あんな奴ら《飛竜》より弱いでしょ! とか言われると、俺としてもあまり言い返せないのだが。
「楽し、み?」
「ああ。また会えるのは嬉しいが……リルと会うのは、少し怖いな」
確実に恨まれている。
まあ2か月後のことは、2か月後の俺に任せることにしよう。今の俺は適当に手を抜いて勝つ練習でもしておくか。本気を出して勝つと、確実に面倒な事態になりそうだ。




