ヴィリス王立学院 -査魂-
身体強化が使えない人間は、まだ幸せかもしれない。
新入生であるルイドという少年と、ニムエという少女の異常さに気づけずに済むのだから。
教官ガゼットをはじめとする教師陣は、二人の戦いの異常性を肌で感じていた。まだまだ粗削りだが、回避不能に見える攻撃を、柔軟な体と恐ろしい反射速度で回避するニムエという少女。その様子から、ルイドの攻撃を予測して対処しているわけではない、ということはすぐにわかる。
(反射だけであれだけの回避ができるものか……!)
武術とはすなわち経験であると考えるガゼットにとって、ニムエの動きはでたらめだった。後先考えずに猛スピードで突進し、ピンチは反射で切り抜ける。剣が動き始めてからそれを視認し、最適な方法で回避するなど、思考速度が追い付かない。
だが、彼女はそもそも考えてなどいないのだろう。
攻撃がくる。だから躱す。避ける。防ぐ。隙があれば、反撃する。一連の行動が流れるように躊躇なく、迷いがない。
「天才、か……」
そう言わざるを得ない。圧倒的なまでの才覚。身体強化の影に隠れてはいるが、使えなくても間違いなくひとかどの戦士となるだろう。だが、そんな少女の猛攻をなんなく防いでいるルイドという少年。こちらもまた、異様だった。
ニムエの攻撃は速度も相まって相当重い打撃となっているはずである。それをなんなく防ぎ、かわし、的確な反撃を打つ。その動きに特に目立った異様さはない。ニムエのほうがよっぽど、見栄えのするアクロバティックな戦闘を披露している。
(その年で……完成しているのか……)
だが、ガゼットにはわかる。経験こそが武術の真髄と定めた戦士には、ルイドの動きは理想そのものだった。才覚は、おそらく平凡。いったいどれだけの修羅場を潜り抜ければ、あのように完成した剣術が産まれるのか。
経験に裏打ちされた完璧な対処。攻め過ぎず、守り過ぎず、相手の隙を見つけては攻撃し、相手の攻撃はきっちりと守り切る。決して倒れない不動の要塞。
(もし俺が戦って勝てるとしたらニムエの方だろう。ルイドは……倒れる姿が、見えない……)
不倒の英雄。そんな言葉が脳裏をよぎる。
ルイドの対処は的確で、基本を忠実に守ってニムエの相手をしている。その動きは教本にしたいほど、剣の理を学んだ者の姿だった。
特筆するべきところはない。
突出した技があるわけではない。
ただ、忠実に基本の剣術を磨き続けた者の姿が、そこにはあった。
おそらく、ルイドの境地には誰でもたどり着けるだろう。ニムエのような天性の才覚は必要ない。
もちろん、そこに至るまでの努力ができる者に――限られるが。
(あの二人……末恐ろしいな……)
ガゼットは、英雄の芽を思わせる二人の戦いを必死に目で追いかけていた。そしてそれはガゼットだけではなかった。あの二人がいなければ確実に一目置かれていたであろうキュロム・ル・フェシュラス。弓術の名家と名高いヘストス家の次男、クラム。今年の新入生は楽しみだと噂になっていた二人がかすんでしまう。幅を利かせている騎兵科を見返そうと、開拓科の教師たちも意気込んでいたが、あれではルイドとニムエに教えられることなど何もない。
(強いて言うならば、だが……)
ニムエになら、戦闘の基本という戦術や考え方の仕組みを教えられるかもしれない。だが、それを学んだ彼女があの天性の戦闘法を失う可能性もある。見るだけで天才とわかる少女の才覚を潰すリスクを、いったいどの教師が背負うというのか。ルイドにいたっては、教師が見本とするべき動きを完璧に再現している。とても口出しできるものではない。
(これは、驕った騎兵科の連中の顔が楽しみだな……)
年に一度ある、学院で一番のイベント。そこでは、各科の代表が競い合うことになる。戦術科、弓兵科、近衛科、開拓科、騎兵科など、腕に覚えのある者が出場できる武闘会。近衛科と騎兵科は家柄をかさにきて常に開拓科の人間を下に見ている。ガゼットに言わせればろくに出番のない近衛科や騎兵科よりも、最前線で戦う可能性の高い開拓科のほうが重要度は高いのだが、何度言っても貴族の子弟たちは理解できないらしい。
ガゼットは、2か月後にやってくる武闘会を思って、意地の悪そうな笑みを浮かべた。
† † † †
開拓科の戦闘訓練終了後、騎兵科の授業に出てみたらどうか、ということで出てみたんだが。いや、あいもかわらず低レベルだし、実戦で使えなさそうな技の練習ばかりしているし、なによりこちらを無意味に見下してくる態度がやたら気に喰わないので普通にやめた。訓練後質問攻めにしてきたり、模擬戦を申し込んで来たり、教えてほしいと頭を下げてきた開拓科とはえらい違いである。
教師からは謝られ、騎兵科の生徒たちからは逃げただのなんだの言われたが、あいにくとお前らに構っている時間はないのでスルーである。俺は精神年齢的に君たちの遥かうえだからいちいち怒ったりしないんだぜ。ボコボコにする機会があればするが。俺の心がいくら広いと言っても、言ったこととやったことがゼロになるわけではないのだ。
後ろから、「なんでこんなとこに岩があるんだ!?」「う、うわああ! 馬が、馬が急に……!?」みたいな悲鳴が響いている気がするが、俺は何も聞いていない。本物そっくりの幻影を作れる魔法使い様の存在なら知っているが、俺は何も言ってないからな。
「ルイ、ド。あいつら、殺す?」
物騒極まりないな。
「ほっとけ、雑魚だし」
「わかっ、た」
俺の隣に急に出現したトニは、俺の隣を歩こうと早足で歩いているので、少し速度を落としてやる。ゆっくりと廊下を歩きながらトニと雑談をする。
「そういえば、武闘会がどうとか言ってたけど、武闘会ってなんなんだ?」
武闘会では覚悟しろよ! みたいなことを言われたんだが。
「2か月後、の、お祭りの、イベント。腕自慢が、戦う」
「へぇ。それ強制参加なのか?」
「ううん。出たい、人だけ」
「じゃあ出なくていいか」
優勝間違いなしだし、面倒くさい。
「ちなみに、優勝、すると、卒業資格げっと」
「そりゃすごいな!?」
「去年、私」
「……ん?」
「去年の、優勝者、私」
「ああー……」
「でも、今年は、出れない。王様に、だめって」
「まあ、そうだろうな……」
魔術が失われたこの時代では、《朧影》の幻影に対処する手段がほとんどない。今日の訓練を見た感じだと、死角から不意打ちしてくるトニに対処できる人材はいないだろう。
「あ」
「あ」
そんな会話をしながら廊下の角を曲がると、見覚えのある銀髪が姿を現した。俺とトニの姿を見て、わかりやすく慌てている。
「あわわわ、ルイドくんに《朧影》様! ごご、ごめんなさい! い、今道を譲りますので……!」
本を数冊持っていた彼女は、慌てるあまりその本をいくつか落としていた。何をしているんだろうな、この人は。
「エリシューク先輩。新しい本ですか? 運ぶの手伝いますよ」
「ルイド……どう、したの……? 優し、い……」
いや、俺は俺とトニの戦いで図書室をグチャグチャにした負い目があるんだが。実際に荒らしたのはトニなんだが、そこはこの国屈指の権力を持つ魔法使いだ、『ごめん、ね?』の一言ですべてを許されていた。しかしいくつかの蔵書を切り裂いたことは事実であり、俺はあまりこの先輩に頭が上がらないのだ。俺が切り裂いたわけじゃないんだけど。
「い、いえ、大丈夫ですよルイドくん! なので《朧影》様とのデートをどうかお楽しみください~!」
ミュローネ・ル・エリシューク先輩は慌てて本を集めると、バタバタと廊下の向こうに消えていった。なかなかの速度だったな。
「これデートなのか?」
「違う、と思う」
俺もそう思う。俺とトニは友人であり、特にお互いに恋愛感情はない。少なくとも俺はない。なのでこれはデートではない。
「そう、いえば。あの二人、は?」
「ああ、ニムエとティエリか? なんか教師に呼び出されたって言ってたな……なんだっけな、ルメイン教頭? だっけな」
「ああ、あの……」
「どんな人なんだ?」
「生徒から、人気が高い。かっこいいから」
「なるほどね」
ふーむ? なんでニムエとティエリだけなんだろうか。自分で言うのもあれだが、この学院に入学してから一番悪目立ちしているのはおそらく俺である。その従者と奴隷だけを呼び出し、俺を省くとは……少し嫌な予感がするな。
厄介ごとの匂いである。まあ何を言われたのかは夕飯の時にでも聞けばいいだろう。とりあえずは、騎兵科の授業にはもう出ないことに決めたので、突然暇になったのだが……どうしたものか。
「ルイド、暇、なの?」
「ああ、そうだな……普段はなにかしらトラブルが舞い込むから、急に暇になると困るな。寮に戻ることにしよう。やりたいことも思い出した」
「そう。じゃあ、ばいばい?」
「ああ。また夕食のときにでも会おう」
俺はトニと別れると、足早に寮に戻る。ルームメイトであるカムトが戻って来る前に実験をすませておきたい。寮に戻った俺は自分の部屋に立てこもる。一応カギをかけておき、ルームメイト以外は入れないようにすると、静かに言葉を紡ぐ。
「――横たわる大地/広がる世界/無知なる瞳/玩具の小部屋/開かれたままの扉」
魔文を紡ぎ、魔力を注ぎ、複数の要素を重ね合わせて魔術を作り上げる。
「ああ根源よ/澄み渡る空を見よ/広がりを見せる/大樹の根/悠々と天空を駆ける/大いなる鳥よ」
魂に関する研究は、呪護族でも決して進んではいなかった。肉体を司るのは脳で、精神を司るのは魂であることは判明していた。だが魂を調査する魔術はあっても、魂に干渉する魔術はない。ついでに言うならば、記憶はどうやら脳と魂に密接に結びついているらしく、いくら呪護族といえど魔術による干渉は不可能だった。幾人かの呪護族が発狂して廃人になって以来、記憶に関する魔術の行使は厳禁となっていた。
「さあ仰ぎ見よ!/侵食する歯車/流転する運命/翻れ/脈動する心臓/閃くは光/立ち返れ/根源より来る/意思を認めよ」
魂に関する魔術は特級魔術に分類される。【瞑眼】と呼ばれる種族特性を持つ呪護族にのみ解析と行使を許された、一種の魔術の到達点である。
「――『査魂』」
俺の魂を精査する魔術が完成する。現在の身体状況、俺がどういう存在なのかをこの世界に刻み込んでいる情報が流れ込んでくる。
魂の情報は絶対だ。これが歪めば、ルイドという俺自身の存在が揺らいでしまう。
種族:吸血鬼? 森■族? 銀■族? ■間? 呪■族? ■族? ■龍族? ■人族? 天■種?
ベースになっているのは吸血鬼なのは間違いない。そうでなければ復元魔術など発動しようもないのだから。だがそれ以外の人生の魂も少しずつまじりあっているせいで、明確な吸血鬼という存在ではなくなっているということらしい。おそらくだが、この体を造った存在は、吸血鬼の真祖ではない。こんな体が産まれるわけがない、ならば自然発生したのか。こんなに歪な存在が?
これでは、吸血鬼の弱点である太陽はもちろん、《殲血剣》ですら殺しきれるかは怪しい。あの対吸血鬼魔術武具は、吸血鬼が持つ復元の能力を書き換え、その要素を《暴走》にする一種のインチキ武器だが、吸血鬼以外に使っても大した効能はない。復元要素を暴走に書き換えるので、傷を与えた後は吸血鬼は復元能力を使えなくなり、自動的に復元しようとする魔力が暴走、自滅する――のだが、純正な吸血鬼ではない俺にその力が効くのかどうか。試したくはないが、おそらくは中途半端な効きになるだろう。
魂の情報を調査したことで、今の俺が『何者なのか』ということはおおよそ把握した。吸血鬼をベースに、様々な魂を混ぜた混ざりもの、といったところか。だが呪護族の種族特性である【瞑眼】も、真龍族の種族特性である【龍化】も、銀狼族の【狼咆】も、今の俺に使うことはできない。なので、あくまでもベースは吸血鬼なのだろう。吸血鬼の種族特性である【変身】自体は問題なく使えるのだから。
「ふう……」
大魔術の行使で、俺の魔力がごそっと減ってしまった。窓の外を見ると、まだ日も高い。夕食の時間になるまで眠ることにして、俺はベッドに突っ伏した。