ヴィリス王立学院 -訓練-
燃え盛る炎。
黒と赤の世界。
全てを喪ったはずの自分でも、ただ茫洋と世界を眺める目は残っていた。
「くく、はははっ……! 滑稽。実に滑稽だな、千魔ルイド」
「お前、は……」
嘲笑。俺の耳が嗤い声を捉え、そして両目はこちらに近づいてくる一人の男を見ていた。
誰だ。その顔に、懐かしさと親愛と、そして憎悪がこみ上げる。
だが、最も強い想いは諦めだ。
ああ。今回も、また――。
「さらばだ、千魔ルイドよ。何、この茶番もそう長くはない。あと2度か3度か……それでお前の命は弾切れだ。ずいぶんと詰め込まれたようだが――もはや人ではないお前では、もう一度ため込むことはできまい」
近づいてくる男とは、別の人物の声がする。その声に対して思う感情は、狂おしいまでの憤怒と憎悪だ。両目に映る人物に対して抱いた親愛の情など、欠片も存在しない。まるで何十年、何百年という間に濃縮されたかのような感情。
「すまない、■■■■。君が行ったら、必ず僕も行く。だから――」
そのとき、俺はどんな顔をしていたのだろう。こちらを向き直った男の顔は、背後の明るい炎の逆光でよく見えない。
彼は、誰だ。――知らないはずがないのに、思い出せない。
言葉の続きは聞けず、俺の首に刃が振り落とされた。
† † † †
目覚めは最悪だった。いわゆる悪夢、と言われる夢を見た俺は、憂鬱な気分で制服に袖を通す。今日は、開拓科の戦闘訓練があるのでサボるわけにはいかない。
ヴィリス王立学院に来てから、図書室にある歴史書はすべて読み通したが、明確な発見はなかった。さらに教師陣にもほかの蔵書の存在を聞いてみたが、心当たりはないとのこと。そして授業態度をやんわりと皮肉られるにあたって、俺はこの学院での調査を断念した。
しかしほかに当てがあるわけでもなく、無理にこの学院を脱出する理由もない。結局、ルイちゃん(仮)の出番もなく、俺はダラダラと普通の学生生活を送っていた。
「何の夢だったんだ……」
おそらく、俺の思い出せない記憶のワンシーンだろう。詳細を思い出そうとすると例の頭痛が襲い掛かってきたので思考を放棄する。クソ、忌々しい。
この頭痛のパターンだが、どうやら俺が『忘れていること』を『思い出そうとする』と発生するようで、この人生で知り得た情報を基に過去を類推する程度ならば発動しないようだ。
というわけで、さっそく頭痛の隙間を潜り抜けながら過去を推測してみる。
まず、聖魔戦争が起きたのが800年前としよう。俺の記憶に残っている人間時代の記憶では、魔族と人間は敵対関係ではなかった。戦闘種族である魔族との些細な諍いはあったが、全面戦争になるほどではない。
そして、【五つ星】――俺とともに戦った仲間たち。聖魔戦争においても、彼らが英雄たる働きを見せたのは間違いない。だが、聖魔戦争以前に、どうやら俺は死亡している。俺が死んだときのことを思い出そうとすると、忌々しいあの頭痛である。つまり、現状俺が死んだ理由はわからない。
――だが、推測はできる。あの本に書かれていたインタビューの記事。俺の記憶にない受け答え。あれが記者によるねつ造ではないのだとしたら、あの時の俺は何かを探っていた。探っていて、死んだ。そしておそらくだが、記憶を消した人物と、俺を殺した人物は同一人物だろう。何か、圧倒的な力を持つ何者かが、俺の記憶を奪い、殺した。
もしこの推測が当たっているのであれば、俺はその人物にとって知られたくない秘密を掴んでいたことになる。そのキーワードが、おそらく赤目。真紅に輝く瞳。それが――
「ぐっ……!?」
今は思い出そうとしていない。だというのに、頭痛が襲い掛かってきた。それ以上は考えることを許さないとでもいうかのように、割れんばかりの頭痛が俺を襲う。
「ちっ……」
つまり、これが知られたくない秘密、というわけか。俺はしっかりとそのことを心に刻むと、練習場に向かって歩き出した。今日は朝から開拓科の戦闘訓練なので、教室ではなく練習場に直行である。歩いていると、どこからともなくティエリが現れた。ティエリは最近ずっとこんな感じであり、いったい何をどうやっているのか俺の位置を把握している。
「ご主人様。体調がすぐれないようですが……」
「いい、気にするな。それより、ニムエは?」
「先に練習場に向かいました」
「そうか……」
ティエリとニムエ。間違いなく、今回の俺の人生で最も近くにいる二人である。俺が得体のしれないものと戦っている可能性がある以上、彼女たちは俺から離しておくべきだろうか。いや、むしろ近くにおいて目が届くようにしたほうがいいのか。正解はわからない。
「……トニ様。出てきてください」
「……驚い、た。いつ、から?」
「いや、毎朝毎朝ご主人様の周りにいれば、今日もいるだろうな、と予想はつきます」
トルニクス・ル・グェルキア=ヴィリス。愛称トニ。彼女は8歳という幼さでありながら、本物と区別がつかない幻を操る、《朧影》と呼ばれる魔法使いの一人だ。これで、俺は《朧影》と《轟雷》には会っているので、あとは《爆焔》《劔》《落天》の三人である。《爆焔》に関しては各地を巡っているらしく、どこに行けば会えるというのはないらしい。《劔》は王族の護衛であり、おいそれと会える立場ではない。《落天》はもう高齢ということもあり、偏屈な人物になっているようだ。一日中屋敷に籠り、滅多にその姿を見せることはないのだとか。
「トニ、そういえば授業はいいのか?」
「いい。魔法使い、だから」
さすが特権階級である。もはや市民の魔法使いに対する想いは信仰に近い。人ならざる技を振るう人外の者に対する信仰。現人神、とでも呼んだ方がいいのだろうか。そしてその信仰が、彼ら魔法使いにさらに力を与えるのである。
「お、ついたな」
トニが幻影で姿を隠して移動するのを気配で感じながら、俺は練習場を見渡す。俺のように制服で来ている者は少数派で、自分たちが動きやすい恰好でそろったようだ。今年入った新入生だけではなく、先輩の姿も多くある。開拓科の人間は、だいたいが貴族の次男や三男坊である。要は、ここを卒業することで開拓ギルドの幹部に就職できるようだ。戦闘を行う開拓者と、森や林、荒地を開墾して人類の支配地域にする開拓の知識。つまりはその両方を兼ね備えた人物を育成するのが、開拓科の目的というわけだ。開拓科の人間が練習場にそろっているのを確認し、教師が大きく息を吸ってよく通る声で話し始める。
聖魔戦争のせいで人類は大きく支配域を狭め、魔獣が跋扈する地域は丸ごと失われた。さらには魔術という技術も失われたせいで、新たに開拓する必要がある、ということらしい。だが開拓はなかなか進まず、今はヘベル大森林の魔獣の防衛が精いっぱい、という現状だ。
「そして、この前、ついに恐れていた事態が起こった。《猿魔王》――魔王の誕生だ」
ざわめく生徒たち。おそらく貴族ならではの情報網で知っていた人物もいたのだろう、大きく頷く者もいる。かすかにこちらに気配を向ける者も数名。彼らは、かの魔王にとどめを刺したのが俺だと知っている者たちだろう。大きい権力を持つ貴族家は、独自の情報網とコネを持つ。そのルートで真の情報を手に入れたと思われる。
「《猿魔王》は《轟雷》様の手で無事に討伐された」
表向きには、そういうことになっている。
俺がディラウスの英雄だったことは、王都までは届いていない。目撃者が少なかったこと、俺がことさらに吹聴しなかったこと、すぐに姿をくらませてウルベルグで過ごしていたこと、魔法使いでもないのに魔王を真っ二つにしたのが信じにくいことなどが影響し、《猿魔王》討伐の栄誉は《轟雷》マト・ル・ヴィリスが手にしたのだ。
「だが、前もって《強欲猿》の群れを狩っておけばこうした脅威は産まれなかった可能性が高い。発生した魔王の討伐は、栄誉ではあるが、魔法使い様の手を煩わせず、発生させないに越したことはない」
これに関しては全くもってその通りである。
「諸君らの役割は重要である。一層、訓練や授業に励んでくれることを願っている。では、戦闘訓練を始める。まずは模擬戦だ、それぞれ武器をガゼット教官から借り、打ち合いとする」
戦闘訓練前の気合い入れだった。俺としては、ヴィリス王国の狙いが多少読めて少しうれしい。つまりは、魔獣によって支配領域を減らされた人類が、開拓と銘打って領土を広げようとしているのだ。ヴィリス王国の南には広大なヘベル大森林が広がり、北には仮想敵国があるらしい。これに関してはよく知らないので省くが、南のヘベル大森林を開拓できれば、その分だけ領土が広がるということだ。俺は考え事をしながらガゼット教官から剣を受け取り、相手を探す。
「さあ、誰にしようか……」
「何をぶつぶつ言っているんだ、ルイド。お前の相手は私だぞ」
こちらを睨みつけるのは、赤髪の少女。開拓科の同級生、キュロムなんたらさんだ。パーセルからも頼まれているので、適当にあしらうことにする。
「いや、相手は俺が決めるよ。相手に無断で勝手に決めちゃまずいでしょ」
「うるさい、私が今日という日をどれだけ心待ちにしていたかわからないのか。学院に巣食う幼女趣味の貴様を、確実に葬る!」
彼女の面倒臭さが日に日にパワーアップしている気がする。横にいたティエリは関わり合いになりたくないのか、そそくさと逃げ出していた。あいつは俺の従者である自覚が足りない気がするんだが、どうだろうか。是非を問いたい。
周囲の様子を窺うと、それぞれ仲の良い相手とやるようだ。ティエリはどうするんだろうと思ってみていると、同じく弓使いの先輩に頭を下げて指導を乞うていた。向上心があるのは結構だが、少しは忠誠心に向けてほしい。
「ルイドさまー! ニムエとやろー!」
「おっ、ナイスだぞニムエ。じゃ、そういうことだから。また今度」
「貴様ァァァ……!」
ナイスタイミングで助けに来たニムエに便乗して身体強化全力で走り去る。妙に間延びしたキュロムの声が聞こえなくなってからスピードを緩める。ニムエも問題なくついてきてくれたようで、少し距離を置いて向き合う。
「いつでもどうぞ」
「よーし! いくよー!」
ニムエが地面を蹴り、俺が剣を構え、打ち合いは始まった。
結論から言うと、開拓科の戦闘は低レベルだった。まあ身体強化を使えないことが前提になっているので、仕方がないことではある。剣を振るう生徒や、槍を構える生徒に対し、教師がそれぞれ型の指導や行動の修正を行っていく。さすがに教師陣は全員身体強化が使えるようで、危険な行為には割って入ったりしていた。キュロムは身体強化が使えるようで、そのあたりも開拓科に来た理由なのだろう。騎兵科に行かなかった理由まではわからないが、おそらくしょうもない理由だと思われる。
身体強化が使えない生徒が大半なので、戦闘も遅い。高速の打ち合いなど望むべくもなく、どうにも俺にはちんたらしているように見える。俺が人間だった時代の戦闘は、身体強化が基本、そこから魔術による強化、もしくは攻撃魔術による牽制、魔術行使の妨害などが高速で行われていたのだから、戦闘技術も衰退していると言わざるを得ない。だからこそ、開拓ギルドはパーティ登録制度を作ったのだろう。
その対応力、全ての種族にあらゆる能力が劣る人類が、それでも魔獣や《災害的怪物》に対抗するために生み出した、最適解なのだろう。魔術を喪ってなお、彼らはしぶとく大地に生きている。
決して絶えることのない繁栄を、彼らは続けている。だからこそ、俺は彼らを尊敬する。それこそが、人類が持つ最強の武器なのだから。
「せいっ!」
「甘い」
まあそれはともかくとして、遠慮抜きの全力で、凄まじい速度で振るわれる剣を弾き返す。周囲で見学している生徒たちの心が折れていく音が聞こえるが、ニムエは楽しそうに戦っているので、俺から止めることはできない。あとで教師からのフォローが入ることだろう。
……たぶん。