始まりの少女4
「腹いっぱいか?」
頷くニムエの頭を撫でる。銀貨1枚という値段だったが、それに見合う旨さだった。どうも俺が知っている400年前と違い、魔獣の素材の相場が軒並み上がっているようである。地竜の鱗、あと10枚くらいあるんだけど……。
「さて、じゃあ服買いに行くか。俺もそろそろ、この格好嫌だしな」
闇夜を体現したかのようなローブは、一応ヴァンパイアとしてはある意味正装なのだが、さすがに不審者だ。チラチラと見られているし、一刻も早く群に埋もれるタイプの二人組になりたい。
「行くぞ、ニムエ」
「はい!」
お腹がいっぱいになったからなのか、元気よく返事をするニムエ。ご飯を食べさせてもらえたからなのか、少し俺に対する警戒心が薄らいだように思える。ふふふ、ちょろいもんだぜ。
「ここか……いい店じゃないか」
俺は木漏れ日亭を去る前にリルに教えてもらった服屋を前に佇む。この城塞都市ディラウスは服と防具を一緒に売っているところが多く、そこでは安くて着回しできる服が売っているらしい。しかしニムエの服を見繕うことを伝えると、目を輝かせてこの服屋を教えてきた。前に立ってみると、明らかに服飾専門の店であることがわかる。煌びやかな恰好をした女性が、和気あいあいと服を選んでいた。
「いらっしゃいませ、ウェル・トットー服飾店へようこそ。本日はどのような服をお探しでしょうか?」
「すまないが、まずは一着安いのを買わせてもらうか。俺もこいつも服が汚いから、まずは着替えたい」
薄汚れた格好で店前に佇む俺たちを不審に思ったのか、男の店員が話しかけてきた。その口調、対応で高級店であることを確信する。まあ予算はわりとあるので、気にせず購入するとしよう。
「それでは、試着室をご案内しますね。こちらです」
試着室に到着すると、店員が持ってきた服に着替える。清潔なシャツとズボンに体を通すと改めて人間に戻ったような気分になった。いい布を使っているのか、着心地もいい。一番安い服を持ってきてもらったが、セットで銀貨4枚。なるほど、リルが目を輝かせて紹介するわけだ。高い。
「お召しになっていた服はどうされますか?」
「あー……ニムエ、捨てていいか?」
勢いよく頷くニムエ。ニムエが着ていた奴隷服は廃棄、俺が着ていたローブは小脇に抱える。なにせこれが俺が持っている中で唯一ヴァンパイアっぽいやつだからな、手放すのは惜しい。見た目が良くないだけで一応清潔なのだ、このローブは。
「見違えましたね、お客様。この機会にぜひ、着飾ってみてはいかがでしょう? 当店は女性服が主流ですが、男性の服も数多く取り揃えておりますよ?」
「そうだな……まあまずは、ニムエの服だな。予算はあるから、見繕ってやってくれ。俺より詳しいだろうからな」
「かしこまりました。それでは女性職員をおよびしますので、少々お待ちください」
奴隷に高い服を買うということを聞いたのに、動揺もせずに深々と礼をする男性。すごいな。彼は貴族の屋敷とかでもやっていけるんじゃないだろうか。
「テスタ。この少女に似合う服を」
「はい。お客様はどのような服がよろしいですか?」
聞かれたニムエはこちらを見上げる。まあそうだよな。
「動きやすいやつ。ニムエはどんなのがいい?」
「……わかん、ない……」
今まで着飾ったりしてこなかったんだろうな。わからなくて当然か。悄然と俯くニムエに、テスタというらしい女性職員の目が光った。比喩でもなんでもなく、本当に光った。
「それでは、こちらで動きやすい物を主軸に何点か見繕わせていただきますね!」
「あ、うん」
「行きますよニムエ様!」
ニムエの手を取り、軽やかに俺の前を去るテスタ。取り残された男性職員と俺はその場に立ち尽くした。
「……申し訳ありません。目は確かなのですが、少々入れ込みすぎるところがありまして」
「いや、気にしていない。じゃあ俺の服を何個かお願いできるか? えっと……」
「カイスト、と申します。今後ともよろしくお願いします」
「カイストね。この店には貴族様とか来るの?」
「どちらかというと、注文をお受けすることが多いですね」
「ふーん……それにしちゃ、従業員の接客レベルがえらい高いな?」
「ありがとうございます。こちらの店には高ランクの開拓者様もいらっしゃいますし、何分荒くれ者も多く……丁寧に対応させていただいているのですよ」
このカイストとかいう男、本当に何者なんだ……。改めて動きを観察すると、立ち振る舞いが洗練されているうえに重心がわずかに右に寄っている。武器を持っていた者の特徴だ。
「私の経歴は高いですよ?」
「買わないよ、金じゃ払えないものが出てきそうだ」
ジョークを飛ばすセンスもある。400年前と比べて接客――サービス関連が発展している気がする。まあここは高級服屋なのでそういうこともあるだろう、と納得して、俺はカイストが持ってきた服をまとめて3着購入した。
「これも似合いますねぇニムエ様!」
さて、あちらはどんな様子かなと見に行くと、ニムエが着せ替え人形になっていた。目は虚ろだし、元気がない。テスタは次々と可愛い服攻撃を繰り出し、ニムエはひたすらそれを受けるだけになっていた。
「うーん、レースもゴシックもいいですが、動きやすいかと言われると――ここはいっそシンプルに――」
ぶつぶつと呟くテスタから距離を取り、すっかり仲良くなったカイストに、『あれなんとかしろよ』と視線を送るが、残念そうに首を横に振られた。おいそれでいいのか。
「……そうよあれなら――着る人を選びすぎるあれなら。幼女と少女の間の儚さと未来への可能性を引き立てるには純粋にしてシンプルなものが一番! 待っててくださいニムエ様! 今、お持ちしますので!」
貴女の未来は輝いているわ! と叫んでテスタは消えていった。この隙に適当に何着か会計を済ませて逃げ出すべきか真剣に悩む。テスタという職員は武道の心得はなさそうで、戦えば間違いなく俺が瞬殺できるが、俺としては非常に戦いたくない相手だ。
助けを求めてこちらを見つめるニムエに、頑張れとメッセージを贈る。伝わったのか、心なしか肩が落ちた。
「こちらですニムエ様ァァァ!」
普通に怖い。
テスタが持ってきた服は、淡い水色のワンピースだった。しかしただのワンピースではなく、どうやら中にズボンが一体化して入っているらしい。周囲のスカートは、ひらひらと風になびいているが、動きにくくはなさそうだ。テスタの脳内にも、一応俺のオーダーは残っていたらしい。よかったよかった。
「……申し訳ありません」
「……苦労してるんだな、カイスト。けど、確かに彼女は目は確かみたいだな」
ものの数十秒で着替えを完了したニムエは、とても愛らしい少女になっていた。腰まで伸びた白髪に、エメラルドグリーンの瞳。近いようで少し色が違う水色のワンピースと相まって、幻想的な雰囲気を持つ少女が生まれていた。
「ああ、やっぱりとってもお似合いです!」
「もう疲れた……」
あ、弱音吐いた。チャンス。
「ありがとう、テスタ。おかげでいい買い物ができそうだ。だがニムエも疲れているようだし、この辺で……あとこれとこれをもらおう」
「へ? あれ、いらしてたんですか……って主任!?」
「テスタ、君にはあとで話したいことがある。では、お客様、こちらへどうぞ」
「あ、ああ」
一瞬凄まじいプレッシャーを放ったカイストは、何もなかったように服を持って会計場所に向かった。なんとか助かったニムエも嬉しそうにあとに続くが、テスタは上司の説教が確定したショックからいまいち立ち直れていない。あ、問答無用で置いて行かれた。
「申し訳ありませんでした」
「いや面白かったからいいよ」
「面白く、ない……」
「そう言っていただけると助かります。ニムエ様も申し訳ありませんでした」
「う!? い、いい……! 大丈夫!」
頭を下げられたニムエは慌てたように手と頭を横に振る。あまりにも丁寧に対応されてビビったのだろう。ここではたとえ奴隷であろうと、一定の敬意を払って扱われるというわけか。俺が感心していると、カイストが気付いて補足する。
「特に問題もなく、服を購入していただく方はお客様ですから」
「それ以外の人は?」
「もちろん丁重にお帰りいただきますよ」
クスリ、とほほ笑むカイスト。見た目は完全に優男なんだが、その微笑には腹黒さを感じずにはいられない。俺の腹の中は純粋で真っ白なんだが、カイストとはウマが合いそうな気がする。
「では、御会計ですね。金貨3枚と銀貨1枚になりますが、金貨3枚で結構ですよ」
「お、悪いね」
「ひっ……!?」
購入時のニムエより高いとは、恐れ入る。だがお金はあるのだ、ふははは。
「はい、ちょうどお預かりします。またのご利用をお待ちしております」
「うん、また来るわ。たぶん」
というか。
「カイスト、君とはまたどこかで会いそうな気がするな?」
「……御戯れを。私はいつでもこちらにおります」
くっくっく、そうかい。でも予感めいたものがあるんだよな……俺のこういう直感は、よく当たる。なにせ人の何倍も生きているのだ。人生の経験値は圧倒的――そういった蓄積からくる予感なのかもしれない。
どこか硬い笑みを浮かべるカイストと、悪い顔をする俺を、ニムエが心配そうに見上げていた。
「開拓者ギルドに行こう」
俺はニムエにそう告げると、昨日行った開拓者ギルドに向かう。時刻は夕方前。冒険者ギルドは夕方になると混み始めるのが常識だったので、おそらく開拓者ギルドもそうだろうとあたりをつけたのだ。その予想は当たっていたようで、開拓者ギルドは受付の人間がのんびりと書類仕事をしているところだった。
「よう、報告か? 登録か?」
「登録だ」
「あー、見たところ貴族の坊ちゃんか? やめとけ、死ぬぞ?」
「いや大丈夫だ。二人で登録させてもらおう」
「――奴隷か」
こちらを見て忠告を投げかけてきた男をスルーして、ニムエをさす。高級店で服を整えた俺たちは、ちょっとした小金持ちに見えているだろう。しかも、武器も何も持っていない。忠告するのも当然だ。
「そっちの嬢ちゃんが加わってもかわんねぇ、死ぬぞ。だいたい、武器はどうすんだ」
「使ってた武器は壊れたんだ、この後買うさ。ただ混み始める前に登録を、と思ってね。彼女には俺が魔獣の狩り方を手ほどきするから問題ない」
「でもよぉ」
「くどいな、開拓者ギルドはそんな面倒な組織なのか?」
「……ちっ、わかったよ。嬢ちゃん、名前は?」
察しが良く、とんとん拍子に話が進んだ飯屋と服屋と違い、開拓者ギルドの受付のおっさんは察しが悪かった。しかしむしろこれが一般的であるはずで、ほいほい奴隷の席を用意した木漏れ日亭、丁重に客として扱ったウェル・トットー服飾店の店員のほうがおかしいのである。そのはずだ。
「……ニムエ」
「ニムエ、ね。歳は?」
「たぶん、8」
「使用する武器は?」
俺が割り込む。
「まだ決めてない。名前と歳だけ登録しておいてくれ」
「はぁ、わかったよ。お前は?」
「ルイドだ。年齢は15、使用武器は――槍、かな」
「かな?」
「突っかかるねぇ。一応剣も使えるが、メインは槍だ。槍でいい」
「どこまでなら狩れる?」
「はぐれ《群狼》程度なら、問題なく」
「群れに挑むなよ、死ぬぞ」
「わかってるよ」
殲滅したけど。
「じゃあ、このギルドのシステムについて説明は必要か?」
「頼む」
「面倒だからざっくり行くぞ。魔獣を倒す。素材を売る。ランクが上がる。ランクが上位になると開拓者ギルドに就職もできる」
「雑だな。ランクの説明を頼む」
「1から7までの等級だ。お前らは今日登録したから7等級だな……ほれ、こいつがプレートだ。登録料は二人で銀貨1枚」
渡されたのは、茶色の金属板。鎖がついていて、首から下げられるようになっている。
「知ってると思うが、そいつの色を塗り替えたりするのは重罪だからな。問答無用で奴隷行きだぞ。他人にうっかり塗られないように気をつけるんだな」
ああ、あと、とおっさんは今思い出したかのように付け加える。
「関係ねぇ話だと思うが、3等級から上は面倒でな。準2等級、2等級、準1等級、1等級って感じで上がっていく。この辺になると魔獣を倒すだけじゃなくて、開拓――人類の領土拡張に貢献した者だけが上がれる等級だ。まあ覚えなくてもいいぞ」
「受付で依頼を受けて割符をもらう。依頼主と会う。依頼をこなす。依頼主が確認して割符をもらう。受付で報告する。報酬を受け取る。割符がすべての証拠になる、なくすなよ」
「了解」
「割符関連のトラブルは多いからな、絶対奪って来たりするんじゃねぇぞ」
「わかったわかった。素直に渡せば奪ったりしないよ」
ざっくり説明すると言ったのに、なんだかんだでひ弱そうな俺たちが心配なのか、余計なおせっかいで詳しく説明するおっさんをなんとか振り切る。
「あとは武器かぁ」
ぶっちゃけ半端な槍より俺の爪とかを魔術で強化したほうが鋭いのだが、カモフラージュ用で持っておくべきだろう。それにニムエの武器も何かは必要――いや本当はなくてもいいんだが。主人が戦って奴隷が見ているだけ、というのもありはありだが疑われそうだ。念のため何かはもたせたほうがいいだろう。
というわけで、俺たちは今度は武器屋に向かうのだった。