ヴィリス王立学院 -日記-
こんばんは。
今まであったことを日記にしてみたらどうか? というとてもはた迷惑な提案を主にされたので、今までの人生を振り返ってみることにします。
まずろくな人生じゃありませんでした。母も父もわからず、物心ついたときには周囲を荒くれ者の男に囲まれていました。今となっては名前も思い出せませんが、あの男の言う通りに従えば殴られない、と洗脳されていました。そして窃盗もしましたし、人の好さそうな人物をだまして誘導したこともあります。幼い頃からそういった教育をされていた私は、『あの男を殺して、金を奪って来い』――その命令にも、逆らえませんでした。
それまでは、そんなに危険なことはやらされなかった私でしたが、主の金貨を見て目がくらんだのでしょう。本当に愚かなことです。そもそも飛竜を倒せる人物に、私が勝てるわけがないと、思いつきもしなかったのでしょうか。
案の定、襲撃は失敗して、私は捕まりました。ここから、私の人生は変わります。
まず私を苦しめたのは、良心の呵責でした。
主は決して、私を痛めつけようとはしませんでした。主にとって不利になる情報を握ってしまった私を、縛りこそすれど、殺そうとはしませんでした。最初は、信頼されているのではなく、それが私の罰なのだと思いました。人を殺そうとしたという事実と、今まで行ってきた悪行の数々は、決して許されるものではありません。そのくらいは、私にもわかります。
けれど主は、そのことは一度も口にしませんでした。私を責めず、知識を与え、暮らす場所も食べ物も与えてくれました。数日間放置され、主が戻ってきたときには、主は町の英雄でした。
これが英雄かと、眩しく見えました。
種族こそ違えど、主の歩む道は、光に照らされた王道です。私が歩いてきた、ほの暗く湿った裏道ではありません。そんな彼の、秘密を握っている。これをばらせば、私はおそらく死に、彼は光の道を歩けなくなる。
……そのことに、歪んだ歓びを感じたのを、覚えています。
主との秘密の共有は、私に歪んだ優越感を与えました。町中で英雄視される彼の秘密。まるで主の運命を私が握っているかのような、興奮を覚えたのです。
そして、その英雄に仕える自分、という妄想にもひどく興奮しました。今までの屑のような男ではなく、光の道を歩む英雄のそばで、その従者として私がいる。英雄の寵愛を受け、人々に羨望のまなざしを向けられる自分――。
それは妄想で、しかも叶うことのない夢です。主にはいわゆる性欲がなく、私を性的にどうこうすることは、おそらく一生ないでしょう。ただ、今私は、唯一主の秘密を握る人物として、『特別扱い』されています。そして、それは私がどんなに彼に尽くそうと、必ず『完全な信頼』には結びつかないことを示しています。なにせ、初対面が敵同士です。しかも、殺そうとしてきた人間を信頼するほど、主は甘い人物ではありません。
英雄とともに同じ道を歩む奴隷の少女、ニムエ。彼女こそが、主の横に並び立つ人物なのでしょう。私は、どこまで行っても主にとっては脇役でしかない。憧れた英雄が手を伸ばせばいるのに、隣に並ぶことはできない――その事実が、私をさらに苦しめました。
恋、とは違うと思います。
恋や愛と言い切るには、私の主への思いは、いささか以上に歪んでいます。ここに記すのも憚られますが、この日記は私以外は見ないので、書いておきましょう。……恥ずかしいですが。
つまりは憧れと執着心なのだと、思います。決定的になったのは、ウルベルグの町での双翼の塔の独白を聞いたときでしょうか。
主は、私を連れて双翼の塔の成り立ちを聞かせてくださいました。周囲を若いカップルが歩く中、辛そうに、けれど淡々と当時あったことを語っていました。私は思い知りました。英雄といえど、悩むことはあるし、辛い記憶を背負っているのだと。
実際より大きく見えていた主の背中が、急に等身大に戻ったように感じました。あえて表現するなら、そう。人間味を感じた、というところでしょうか。
私は動揺しました。英雄として見ていた主が、急にこちらに近づいてくるのですから。いやもちろん、本人にそのつもりはないでしょうが、決して届かないものとして諦めていた私はしっちゃかめっちゃかです。思わず従者としての立場を忘れ、まるで恋人同士のように振る舞ってしまう始末。明らかに興味がなさそうな主に、服の感想を聞くなんてどうかしています。どうかしてました。
主の背中で気持ちよさそうに眠るニムエが羨ましくて仕方がありませんでした。私ももっと幼いときに、主に救ってもらえていたら、ここまで思い悩むこともなかったでしょうに。
そして服屋の時です。金貨で13枚もする侍女服を――ああ。これは思い出したらダメなやつです。決して忘れはしませんが、詳細を思い出すのはやめておきます。恥ずかしすぎるので。
私は罪深い女です。あれだけの悪事を働いておきながら、都合よく主の優しさに甘えているんですから。せめて主の期待を裏切るまいと、弓を習い、魔術の練習をしていました。
そしたらあのクソ男です。《轟雷》マト。本当に私に一目ぼれしたならともかく、彼は確実に主への嫌がらせのために私に言い寄ってました。そんなんでなびくと思うんですか。
まあそれは主もわかっていたのでしょうが、主はここで私を切り捨てる選択もあったはずです。マトに私を差し出し、ついでに今までに世話をした恩を返せと脅す、という手段もあったでしょう。物理的な口封じもありです。事故に見せかければいいだけですから。
それなのに、魔術を晒してまで私を《轟雷》から守ってくれました。主にとってリスクがある秘密までばらし、私を守るために戦いました。3割くらいは。残りの7割は、たぶん魔法の正体を見極めたかったからだと思います。いえ、きっとそうです。そういう主です。
ですが。それでも、やってくれたことに変わりはありません。だから、私は――。
ふと顔を上げたティエリは、そそくさと日記をしまって立ち上がった。やがて廊下を走る音とともに、ニムエが部屋に飛び込んでくる。
「ティエリー!」
「おかえりなさい、ニムエ。どこに行ってたの?」
「んー、なんか、クラスの人たちに捕まってた! いっぱい食べ物くれた!」
「そう、よかったですね」
無邪気に笑顔を振りまくニムエ。その笑顔は同性から見ても魅力的で、ティエリはついつい頭をなでる。そうすると、ニムエも嬉しそうに笑顔になるので、やめられない。主人であるルイドに撫でられているときなど、思わずティエリが目を逸らすほど顔が崩れている。
「ティエリ、なんか呼ばれてたよ? 呼んできてほしいって、言われたんだった!」
「そうなんですか? 面倒ですが、人付き合いは少しはやっておかないとまずいですね。ご主人様はやる気ないですし」
「ルイドさま、へんくつ? って言われてたー!」
「まあその通りですね」
偏屈。初日の授業に出てから、すぐに図書室に籠って授業に出ない男が、そう思われるのも無理はない。ただもう図書室にあった歴史書の類は読み切ったので、授業にも出ると思われる。
「まあ、用があるなら相手はしましょうか」
「わかったー! 一緒にいこ!」
ニムエとティエリは二人で部屋を出ると、そのまま女子寮の通路を走っていった。おそらく走ったニムエを見失わないようにティエリも一緒になって走っているのだろう。仲のいいことである。
「さて!」
「……かん、ぺき……。ルイド、褒めて?」
「素晴らしいな、トニ。最高だ」
部屋の隅の空気が揺らぎ、俺とトニの姿が現れる。
くっくっく、愚か者め。日記を書いたらという提案もすべて、俺とトニの計画のうち。ティエリは考えていることがすぐ顔に出るタイプだから、お前が『日記か……悪くないかな。読まれるのは恥ずかしいけど、女子寮の部屋で書けば、最悪見られるのはニムエだけだし、それなら……』って考えてたのはバレバレなんだよ! ちょろいぜ。
というわけで、まずはこの計画の発案者であるトニが日記を読む。俺はそのあとだ。
「なる、ほど……だいたい、わかった」
「おう。何が書いてあったんだ?」
俺が気になるのは、裏切りの意思である。ティエリはあれでバカではないので、おそらく俺が吸血鬼であることは書いていないと思われる。まあトニにならばれても別段問題はないんだが。だが、どんな心境の変化があって、俺の従者をやろうと思ったのかは非常に気になる。その辺は聞いても、本人もよくわかっていないのか微妙な表情をするだけなので、なんともわからん。
「これ、だめ」
「え?」
「ルイド、読んじゃ、だめ」
え。真剣に読んでいたトニが、警戒心をマックスにして俺を睨んでいる。なぜ。
「これは、だめ。だめ」
「え、なんで? 俺も読みたいんだけど」
「だめったら、だめ!」
よっぽど読まれたくないのか、トニは両腕でティエリの日記を抱えた。絶対に読ませないという強い意志を感じる。そんなに読まれたくないなら、仕方ないか。今奪い取ると、トニと不必要な禍根を残しそうだ。
「わかった、わかった。そんなに嫌なら無理にとは言わないけどな。ティエリはなんか、俺に対する不満とか書いてたか? それだけ不安だから聞かせてくれ」
「それは、ない。むしろ――」
「むしろ?」
「……なんでも、ない!」
結局、俺はティエリの日記を読むことはできなかった。
† † † †
そのあと、俺は部屋に戻ると姿見の前に立った。一応この学院でやりたいことは終わった以上、卒業前に抜け出すことも考えなければならない。ただ、この学院で調べものをするのが最有力候補であり、ここでわからなかったものがヴィリス王国の外に行ってもわかるとは思えない。
ただ、双翼の塔――戦士たちの墓標のことを考えると、ああいった旧時代の遺物が、まだ残っている可能性はある。その場所を探し、調べれば、少しは聖魔戦争の手がかりもつかめるかもしれない。
どちらにしろ、抜け出す準備は必要だ。というわけで、俺は吸血鬼の種族特性である『変身』をもう少し使い慣れておく必要がある。
まずは耳を伸ばす。これは最近やることになった森人族の特徴である。ただ、森人族の姿で街中を歩いたら悪目立ちするので、これはなし。というわけで耳を戻す。
「うーむ。見れば見るほど普通の顔だな」
まあ顔立ちは割と整っている方だと思うが、どちらかというと幼い印象の顔である。ただ中身はうん百年生きているので、目つきが悪い。なんか荒んでる。見た目が子供なのに子供の純粋さが感じられない。黒い瞳と黒い髪は、もともとの持ち主のものだろう。夜の色はわりと気に入っているので、ここは動かさない。ついでに、腕の長さとか足の長さを弄ると、いざというときに支障が出るので変えずに――。
「性別弄るか」
性器を引っ込めて、胸を盛る。まあ転生時代にはその、女性の体に転生したこともあったので、体の構造はわかる。この身長で胸が大きいのもおかしな話なので、ほんのりとしたふくらみを形作る。うむ。まあなかなかだ。楽しくなってきたぞ。
えーと、あとは……髪を伸ばして……目を……よし。せっかくだから声帯も弄るか。高音域が出るように……
「……よし。完璧だな」
俺は姿見に映った自分の姿を見て満足する。艶やかな黒髪を背中まで伸ばし(髪質も弄った)、瞳は少し大きくして、ちょっとうるおいを持たせた。鼻梁もまっすぐにして、少女と女の中間の危うい魅力を表現してみた。胸はティエリとほぼ同サイズ、まあ負けるのも若干癪なので少しこっちの方が大きい。姿見の中で、ほぼ全裸の少女が満足気にうなずいた。
ついでに肌の方も弄ってプルプルにしておいたし、足も腕も気持ち細くしてみた。そして腰周りも少し変えたら、立派な少女の完成である。
俺は何度か体の切り替えを行い、その姿をなじませる。いざというときはこっちの姿になって逃げるとしよう。服に関してはティエリからかっぱらえばいい――
「ただいまー。ルイド、もう、寝てる……か……?」
「は? ……へっ!?」
「う、うわぁっ!?」
動揺した。やばい声を出してしまった。俺はすぐに制服をひっつかんで体を隠すと、男の体に切り替え、声をかけてきた男を見る。部屋に入ってきたのは、ルームメイトで……名前は確か、カムトだったか。カムトは、両手で自分の眼を覆って、こちらを見ないようにしている。
「……ルイド、お前……」
「な、なんだ、カムト」
ばれていない可能性もある!
「女……だったのか!?」
ダメだった!
「おいカムト、目を開いてよぉく見ろ。俺は男だ」
「お、おう……そうだよな、女の子の姿で生まれても、中身は男ってことも……」
「なんもわかってねぇな! 見ろ!」
俺は証拠を見せつけるべく、ズボンを下ろす。
「きゃあああ!!」
「おいおかしいだろ! なんで目を覆うんだよ! 見ろ! 俺が男であるという証拠を!」
「ダメだよルイドちゃん! 女の子がそんな……!」
「話を聞け! 誰がルイドちゃんじゃボケェ!」
下半身丸出しでカムトに迫る俺だが、奴は目を覆ってこっちを見ようとしない。クソボケ、男ならもうちょっと下心を出せ!
さすがにこの騒ぎで下半身丸出しの俺を見られると誤解が広がる恐れがあるので、制服のズボンを履きなおす。そして、カムトをベッドに座らせると、丁寧に説得を試みた。
俺はこれ以上ないほど熱弁をふるい、俺は身も心も男であって、決して女ではないということをカムトに切々と訴え続けた。
翌朝、結局誤解は解けなかった。カムトは俺によそよそしくなり、要らない気遣いをするようになった。俺が起きる前に出ていったり、風呂の時間をずらしたり、距離が広がった。別にそこまで仲が良かったわけではないが、なんとなく寂しい気分になる俺だった。
思いつきで行動しない。周りをちゃんと見る。
もう何回か誓った気がするその言葉を、俺は改めて胸に刻み込んだ。
ティエリちゃんはBです