ヴィリス王立学院 -集会-
食堂に到着した俺たちは、それぞれ適当に夕食を注文すると席に着く。席に座った瞬間、トニの周囲の空間が揺らぎ、姿が見えなくなった。
「恥ずかしい、から……隠れて、食べる」
空中に浮かんだ食事が、次々と虚空に消えていく様子はそこそこホラーな光景だったが、やがて慣れたのか誰も気にしなくなった。ニムエは嬉しそうに肉を食べて、さらにおかわりをもらいに行ったころ、ティエリが口を開いた。
「《朧影》様、ご主人様。お二人の関係は、どのような状況でしょうか」
「うーん、難しいな。契約を交わした相手、っていうのが俺の認識だけど」
「――もう、親友」
「案の定齟齬が生じていますね。ご主人様は今、親友どころかご友人もいません」
「一応いるぞ」
リットとゲルキオさんだけだけど。ティエリはトニの立ち位置をはっきりさせておきたいのか、矢継ぎ早に議論を進めていく。
「私から言えることはなにもないですが、《朧影》様とご主人様の認識は統一しておいた方がよろしいかと思いますが」
「まあ、それもそうだな。じゃあ、トニ。俺とお前は友人だ。とりあえず、そこから始めよう」
「――わかった」
トニが頷き、俺は《朧影》――トルニクス・ル・グェルキア=ヴィリスと友人になった。《轟雷》とはほぼ敵対関係になるので、魔法使いの友人ができたことは素直に助かる。幼すぎるのが不安だが、トニは歳に比べて賢すぎるように見える。その能力、貴族位のうまれであることからも、おそらく一筋縄ではいかない人生を送ってきているのだろう。
「おーにくっ! おーにくっ!」
肉を食べさせていればほとんど満足しているニムエとはくらべものにならない。今日はどうやらクラスメイトからマスコット的な扱いを受け、大量のお菓子をもらったらしい。そのうえで肉料理を食べているのだから、その食欲も大したものだ。
「んぅ? ルイドさま、ニムエ、なにかした?」
「いや、なんでもない」
その様子からは、とてもではないが半吸血鬼である様子はうかがえない。この学院に来るのは彼女の希望でもあったが、それについてはどう思っているのだろうか。
「ニムエ、この学院はどうだ?」
「んー……授業は、面白いし。ごはんはいっぱい食べれるけど……ルイドさまが、近くにいないから……」
「――そうか」
ニムエもまだまだ甘えたい盛りである。俺が図書室に籠っていたことで寂しい想いをさせてしまったか。俺は少し反省をしつつ、ニムエ達と一緒にいられなかった理由である、今日読んだ本のことを振り返る。
『千魔の男』に書かれていた、俺への謎のメッセージ。『全てを疑え』と警告してきた奴は、いったいどういう立場の人間なのだろうか。
可能性としては二つ。一つは、当時生きていた人間時代の俺に向けられたメッセージか。
もう一つは俺が転生していることを知っている誰かが、現代の俺に送ったメッセージか。
俺が今まで生きてきた人生のなかで、転生していることを伝えた相手はそう多くはない。その誰もが、人間社会に紛れ込んで本にメッセージを残せるような生活はしていなかった。そもそも、この大陸ですらなかったこともあったのだ。こうしてこちらの大陸に戻ってこれたことは、幸運であった。双翼の塔があった時点で、この大陸は俺が人間時代を過ごした大陸であることは確定している。
そもそも、転生とはなにか。そして、俺はなんなのか――ということを調べるために、俺は呪護族の時にある魔術を開発した。それは『査魂』という魔術で、魂の本質を調べる魔術だ。
魂には、種族としての情報が記載されている。『生命としての根幹を支える』部位と言っても過言ではない。肉体的な活動を司るのが脳ならば、精神的な活動を支えるのが魂だ。この世界に、この場所に、『どういった特性を持って存在するのか』という情報を世界に刻んだ履歴書。
俺が自分の魂を調べたところ、様々な情報が入り混じっている状態だった。ベースにあるのは吸血鬼としての魂なのだが、その中に呪護族としての記憶や、真龍族としての経験が複雑に絡み合い、俺を表すならば『吸血鬼らしきナニカ』というのがふさわしい状態となっている。
俺の復元魔術も、この魂の情報を利用している。魂に記載されている情報は、あくまで基礎的な『どういう存在であるのか』というもので、そこに怪我や傷病などの『現在の状態』は含まれない。ゆえに、魂に刻まれた情報を基に、『現在の怪我している状態』を『魂の情報』で上書きする、というのがニムエに施した復元魔術の正体である。ただ、直接俺の血を触媒に使ったせいで、それが復元のさいに取り込まれてしまったのだろう。もしくは、俺の血にある吸血鬼としての要素が、魂に刻まれてしまったか。
今度、『査魂』の魔術でニムエを調べてみるのもいいかもしれない。
そして、復元魔術はもう少し手軽に行えるようにしておいたほうがいいだろう。呪護族が組み上げた理論には、ひとつだけ穴があったのだ。それは『復元』という要素を持つ陣も魔文も見つかっていないということ。その要素を補うために、触媒となる吸血鬼の血液が必要だったわけだが、幸い俺はそれは潤沢にある。あとは解析用の要素や、生命維持のための要素を刻んだ宝石と、俺の血があれば俺の血で陣を描かなくても復元魔術が行える。俺自体は全く問題ないが、ティエリやトニ、リルにカイストなど、守りたい存在が増えた以上、失う可能性は避けたい――。
「ルイドさま?」
「ご主人様」
「――ん?」
しまった、考え込んでしまったか。
「いま、怖い顔をしていましたが――なにか、お気に障ることでも?」
「怖い顔?」
はて、そんな顔をしていただろうか。いろいろと小難しいことは考えていたが、魔術の開発研究に比べれば大したことは考えていない。やらなければならないことが多少増えたが、実際宝石に陣を刻んでいるときのほうが真剣だろう。
「いや、大丈夫だ。少し考え事をな……」
「そう、いえば。ルイドは、本当に、森人族?」
トニが思いついたように訊ねる。俺は努めて平静を装いながらトニに訊き返した。
「なぜ?」
「精霊、扱って、ないから」
「ああ……」
森人族。別名をエルフともいう。彼らは精霊を扱う術と、弓術を使った優れた狩りの技を持つ。非常に強力な聴力を持ち、魔力の回復力が高い。
「俺はいわゆる落ちこぼれでな。弓も精霊も扱えないから、こうして人間社会に出てきている。失われたはずの魔術を使えるのもそういう理由だ。ちょっとばかり、俺たちは長生きだから」
「……ごめん」
「気にしてない」
リヒト・ウルベルグにも、《轟雷》にも、カイストにもそのように伝えてある。おそらくはウルベルグ伯から俺の情報は伝わっているのだろうが、そこまで詳しい情報ではなかったということか。
ちなみに、だが。俺は実際に森人族だったこともある。ただ、弓の才能が壊滅的で、もっぱら精霊と戯れることに傾注していたが。この弓の才能に関しては人間時代からずっと続いているもので、もしかしたら魂に刻まれているのかもしれない。
「だから私に弓を……?」
ティエリが何かに気づいたように呟いているが、お前俺が本当は吸血鬼ってこと忘れてないか。
「普段は魔術で耳を隠してるからな、人間っぽいだろう?」
「正直、見分け、つかない」
本当のことを言うなら、身体変化でそれっぽく見せているだけなのだが。俺たちがそんな感じで雑談と情報共有に興じていると、俺たちが座るテーブルに一人の男性が近づいてきた。
「ご歓談中、失礼します。私の主であるキュロム様のご友人、ルイド様とお見受けしますが」
「そういう君は、あの時の従者だな。なにか?」
「いえ。先日は我が家のポンコツお嬢様がご迷惑をおかけしまして……」
先日どころかさっきもだけど、言わないでおこう。
目の前の従者は若いが、キュロムよりは年上かキュロムが俺と同い年か少し上くらいの見た目をしているが、その従者はおそらく二十代前半だろう。人懐っこそうな笑みを浮かべ、年上の女性に人気が出そうな容姿をしている。
「従者が主をそんな風に言ってもいいのか?」
「他の貴族位の方の前では言いませんが、ルイド様は平民の様子。気遣う必要もないということです。あ、私はパーセルと申します。以後面白――じゃなかった、お見知りおきを」
何を言いかけたかは知らんが、なかなか面白そうな男である。
「実はですね、ルイド様に折り入って相談と謝罪がございまして」
「言ってみろ」
「まず相談なのですが、キュロム様を適当にあしらっていただけないでしょうか?」
「友人になってくれ、ではなく?」
そのお願いなら丁重にお断りしたところだが、適当にあしらっていいのだろうか。
「ええ。キュロム様はその、大変可愛らしい容姿をしていますでしょう?」
俺はニムエを見て首をかしげる。デザートのパンを頬ばったニムエも同じように首をかしげた。
ニムエの方が可愛いと思うのだが。
「……ああ、いえ。ニムエ様ももちろん、大変可愛らしい容姿をしていらっしゃいますが。その、同世代の男から見て、という話です」
「ああ、そういう」
「ええ、そういう話です。我が主は、今まで同世代の子と一緒に過ごすことがありませんでした。なにせアホ――失礼、頭が少々残念でして。人付き合いの仕方がよくわかっていないのです」
「そうだな」
「ご理解いただけたようでなによりです。当主様と奥方様もさすがにこのままでは貴族としての体裁すら危ういと思い、口八丁な私を従者につけて学院で荒療治をする決意をされました。お嬢様の希望で学科が開拓科になったのは少し予想外でしたが、まあなんとかなります。そして――」
だんだん話が読めてきたぞ。
「つまり、俺に『人付き合いは難しい』と気づかせるきっかけになってほしいと思ってる?」
「その通りでございます。これからお嬢様が相手にしていかれるのは、同じ立場の貴族位の方々たち。それなのに、あのような意味不明な高圧的な態度では、彼女だけでなく家の名前にも傷がつきます。卒業までの間になんとか改善していかないと、というわけです」
「なんで俺なんだ?」
「まあ、貴族というのは厄介なものでして。借りを作りたくないのです。あと、思春期の男性の面倒くささは、私自身よく知っておりますので。変な男に引っかかってほしくはないのです」
なるほどな。
これが、『相談』か。事情はわかったが――。
「俺が協力を断ったら?」
「その場合も考慮して、謝罪させていただきます。お嬢様はおそらくルイド様にまとわりつくかと思われます。私も全力でその迷惑行為をサポートさせていただきます。面白そうですので」
「お前最低だな!」
「よく言われます。私の信条は、『面白く、えげつなく』ですので!」
面倒だが、このパーセルという男の信条には若干共感できる俺がいる。いや俺の腹はここまで黒くはないけど、からかうのが面白いというその考えは理解できる。
そしてまぁ、悪い話ではない。いい話でもないのだが、これでパーセルというストッパーもなしにあのアホ娘が突撃してくる可能性を減らすことができるのは、まったくもって悪い話ではない。しかも俺がやるのは適当にあしらうだけ。
「あしらえばいいんだな?」
「ええ、それはもう。大丈夫です、ルイド様に向かう不評などの噂は私がもみ消しましょう。なにせそういう情報操作は得意中の得意ですので! 以前も、気に喰わない同僚の悪評を――おっと」
本当最低だなこいつ。
「わかった。あしらうだけなら今まで通りやってやる。あと、手は出さないと誓っておいた方がいいか?」
「少しくらい身の危険を感じたほうがいい気はするんですけどね。胸はともかく、お嬢様のような成長した少女はルイド様の好みではないと思われますので無理は言いません。その線で行きましょう」
パーセルが差し出した右手を握って握手をする。もし俺の悪評が流れたらこいつにもみ消してもらおう。俺が黒い笑いを浮かべると、パーセルも底意地の悪そうな笑みを浮かべた。先ほどまでの人懐っこそうな笑顔は、やはり偽装だったらしい。
「あと俺から一つ訂正しておくぞ」
「なんでしょうか」
大事なことだ。
「俺は別に幼児趣味ではないからな。勘違いするなよ」
「覚えておきましょう」