ヴィリス王立学院 -蠢動ー
翌日。早く図書室に行きたい気持ちを抑えながら授業に出るために出席する。サボりたいのは山々なんだが、授業の最初からさぼりはさすがに態度が悪すぎると判断した。ニムエとティエリも無事に姿を見せ、開拓科の最初の授業が始まった。始まるまえに赤髪の少女に挨拶された気がするが、そんな友人はいないはずなので無視だ無視。相手する時間が無駄だ。
教室には8人の男女がおり、その中の3人が俺たちだ。
「まあ、確かにこんな人数しか入学しないよな……」
「んう?」
開拓科は『最も卒業しやすい学科』と言われているらしい。なにせ身体強化が使えるようになればほぼストレートで卒業できるうえに、戦闘だけでなく開拓の知識や魔獣の分類などの座学でも単位が取れるからだそうだ。
「この後は、各々自分に必要だと思われる授業を最低7つ選択する。もちろん7つ以上選んでも構わない。成績の計算には多少複雑な部分があるが、およそ8割優秀な成績を取れば卒業できる」
俺はあまり時間を取られたくないので7つしか選択しない。ニムエとティエリに関しては二人の自由意志に任せてある。ほとんど同じ授業になるとは思うが、別に二人が学ぼうとする姿勢まで奪うことはない。魔術の陣の練習はしてもらうが、それもある程度修めたら別にやらせなくてもいいだろう。二人とも魔術師になりたいわけではないだろうし。
「魔獣学、開拓学、植物学、地質学、戦闘学……」
礼儀なんかの授業もあるな。説明を読むと、開拓学は主に農地開発のための技術知識を学ぶらしい。植物学は植生の、地質学は地面の栄養、農業に関する知識を学ぶ、と。なるほど。
面倒だな。
「ぶっちゃけ興味がない……!」
俺は聞かれないように小声で呟いた。というか開拓者にこの学院出身の奴っているんだろうか。見たことないけど。
「戦闘学はまあ取るとして。魔獣学かぁ、これも楽勝だから取るとしよう。ほかは……」
面倒になった俺は適当にチェックを入れると、ろくに中身も見ずに提出した。俺たち3人はろくな背景がないので、いざとなったら俺だけでも魔術全開で学院から逃げ出せる。社会に出るときの名が傷つくと言われても、いくらでもやりようはあるのだ。変身とか。
「ルイドくん、君はこの選択でいいのかい?」
「と、言うと?」
「いや、君のことはガゼットくんから聞いていてね。もし戦うのが得意なら、騎兵科の方の授業にも出てみないか」
「戦闘系に特化する、ってことですか」
「そういうことだ。君ほどの実力の持ち主を座学でくすぶらせるのはもったいない。ウルベルグ伯爵からも、実力は聞き及んでいるよ」
俺の背中を冷や汗が流れる。この学院という狭い空間で英雄だなんだと言われるのは正直勘弁してほしい。
「あの強者に目がないリヒト・ウルベルグ伯爵が、逸材とまで言うんだ、実力は申し分ない」
「はあ」
俺としては嫌な信頼のされ方である。
「もちろんその分の報酬や単位は出すし、ルイドくんにも拒否権はある。……どうする?」
「……じゃあ、やらせていただきます」
波風立たない方法で、この学園を卒業できるのであれば問題はない。にっこりと笑う教師に俺はあいまいな笑みを返すと、そのまま自分の席に戻った。
「今日は、それを書き終わったらおしまいです。授業に参加するもよし、帰って休むもよしです」
そうなのか。んー、じゃあ図書室に向かうとするか。
「ご主人様。図書室ですか?」
「ああ。二人も、それが終わったら自由にしていいぞ。夕方になったら、一緒に飯食べに行くとするか」
「……わかりました。ありがとうございます」
俺はニムエとティエリに声をかけると、教室から出て図書室に向かった。
「来ると思ってましたよ、ルイドくん」
「エリシューク先輩」
「今日は何を読みますか? おすすめは『千魔の男』ですが」
「その本は、子供のころ読んだので大丈夫です」
「そうですか?」
『千魔の男』は俺が生きている間に出版された本だ。俺の死に方については記載されていないと思われる。俺は、エリシューク先輩に勧められるままに、様々な歴史本を読み漁る。核心に近づくこともあれば、まるで関係ないもの、さらには俺からすればまるで見当違いの考察をしている本もあった。
「これで、この図書室にある歴史書は一通りですね」
「そう、ですか。ありがとうございます」
俺は最後の一冊を閉じると、そっと本棚に戻した。わかったことはいくつかあるが、結局人類と魔族の戦争の理由はわからない。まるで誰かが消したかのように、すっぱりとそこだけ見当たらない。
まず、魔王と呼ばれる存在について。
俺が生きていたころ、魔王は『魔族の王』を指す言葉で、魔力の暴走で発生する《災害的怪物》とは明確に区別されていた。だが魔族が滅び、魔王が存在しなくなったことにより、意味を変化させて伝わっていったのだと思われる。考察書の中には魔族も魔獣と同一視する文面が散見される。だが、当時の魔王が魔力を暴走させて《災害的怪物》になることはあり得ない。
そもそも魔族は、魔力による身体強化をさらに極めんと、意図的に魔力を暴走させて膨大な魔力を持つに至った新種族だ。つまり、存在がそもそも《災害的怪物》に近い。ゆえにさらなる魔力の暴走は起こり得ないので、魔族たちはおそらく正気のまま人類と戦ったということになる。
そして、興味深いことも判明した。聖魔戦争が発生したのが、400年前ではなかったという事実だ。
俺が400年ぶりの人間社会、と断じたのは自分の記憶を適当に足していくとそのくらいの年数になるからなのだが、俺が自分の魂に刻まれた記憶を精査すると、やはり思い出せない部分が数多く存在し、その分の年数が抜け落ちている。俺の記憶もあやふやで、400年ではなくもっと年数が経っている。それこそ、800年程度には時が過ぎ去っていそうな計算のずれである。
今が9回目の人生で、8度の人生を過ごしてきたが種族も違うため過ごした時間も違う。ゆえにそのずれが発生しているのだろう。
「だが、やはり聖魔戦争の理由がわからない……」
「それは、古今東西あらゆる歴史学者が調べてもわからないことですからね」
エリシューク先輩が真剣に悩む俺を心配そうに見る。彼女にとってみればはるか昔の物語のなかの話なのだろうが、俺にとっては違う。俺が今こうして生きている以上、当事者であり、現在の問題でもあるのだ。だからこそ解決しなければならない。
ある種の破滅願望は、俺の中にある。今ここで魔術を全力で行使して、世界がどうなるのか見てみたいという欲求だ。後先考えずに強大な力を振るえたら、どれだけ楽しいだろうと考える自分がいる。
「っ……」
それをしないのは、俺がまだ人間のことが好きだからだ。毎日を必死に生き、強大な災厄に対抗し、それでもあきらめない人類という種族を愛している。これで俺に人類としての記憶がなければ、俺はとっくに吸血鬼の本能のままに行動し、永すぎる生に耐えられずに自暴自棄になっていただろう。だが、このストッパーも、いつ摩耗して壊れるかはわからない。
俺が、人類に災厄を為す災いとなる前に、俺は転生の地獄から抜け出さなければならない。そのためにも、一度目の転生――人間であった俺が、なぜ死んだのかを突き止める必要がある。
「エリシューク先輩。《千魔》ルイドが、なぜ死んだのかはご存じですか?」
「私もそれは気になっているのよ。【5つ星】とまで呼ばれるかの英雄が、なぜ魔族との戦いの前に死んだのか。だけど、歴史書をどんなに紐解いても、たった一つの手がかりしかないの」
「手がかり?」
俺が読んだ歴史書には、そんな記述はなかった。では、まさか――
「これよ」
エリシューク先輩は一冊の本を取り出し、その最後のページを開く。その本には、あとから書かれた走り書きでこう記されていた。
『『千魔』へ告げる。全てを、疑えーー』
全てを、疑え。そう記されていた本のタイトルは、『千魔の男』。俺は無言でその本を受け取ると、読み始めた。俺がインタビューに答えた内容がそのまま、時には脚色されて乗っている。仲間たちが笑いながら話していた通りだ。だが、記憶にない受け答えがある。製作者の創作か。
『『千魔』様。今後の目標は?』
『そうだな……一つ、気になっていることがあってね。謎が謎を呼ぶというか』
『『学士』様でもわからないことなんですか?』
『ああ、なんというか……ひどくあやふやなんだ。だけど確かにそこにある。大したことじゃないんだが、気になるんだ』
『それは、また……』
『酷く抽象的な話だろう? だが、魔術もそういうものでね。私はそういうあやふやなものも、徹底して解き明かさないと気が済まない性質なんだ』
『少し、窺っても?』
『ああ。最近、どうも――』
――赤目の人間が、多い気がしてね。
「あ……?」
俺は一瞬、呆然とした。赤目? 昔の俺はいったい何を気にして――
「っ!?」
俺は殺気を感じて飛びのいた。先ほどまで俺の腹があった位置にダガーが突き刺さる。
「ようやく、お出ましか」
「……気づいて、た?」
俺にダガーを見舞ったのはエリシューク先輩――ではない。入学当初から俺の行動を監視していた、目に見えない人物だ。
「いるとは聞いていたが。本当に自分勝手なんだな、お前ら」
「雷の、と……一緒にされる、のは……不愉快……」
「同類だよ。あとハキハキ喋れ」
「私……あなた、嫌い!」
「る、ルイドくん!? なにがどうなって――」
俺が腰から剣を抜き放つと、エリシューク先輩が面白いように慌てている。俺はそれには答えず、無言で何も見えない空間を見据える。お前がそこにいるのは、わかっている。
「……驚いた。どう、やって?」
「教える義理はないな」
そんだけ魔力垂れ流しといて気づくなって方が無理なんだが。何もしてこないなら放っておいたが、俺が隙や秘密を見せないもんだから業を煮やして襲い掛かってきたのだろう。監視されてるってわかってるのに誰が自分の手の内を晒すかよ。
「ふぅ、ん。生意気」
「隠れるしか能がないヤツが偉そうに吠えるなよ――なあ、《朧影》?」
「へっ!? 《朧影》様っ!?」
俺が剣を向けている先とは少しずれた場所に、黒髪の美女が姿を現した。伸ばしっぱなしらしい黒髪が顔を覆い、その顔を知ることはできない。だがわかりきっている、それすらも幻であることを。
「幻覚を作る魔法使い、か……?」
俺が予想を口にするが、《朧影》は反応しない。そもそも幻覚である以上、反応させる理由もないのだろうが、考えてることが全くわからない。性格の悪さは《轟雷》とどっこいどっこいだが、より厄介なのはこちらか。
「英雄ルイド。私たち、魔法使いの、立場を脅かす、危険人物――」
「ハキハキ喋れって」
「排除する」
突然突進してくる黒髪の美女。その手には何も持っていないように見えるが、俺は大きく飛びのいて回避する。全く、こりゃ厄介極まりないな。
「どうして、わかるの」
大きく切り裂かれた本たち。何も持っていないような幻影を見せているが、その手には剣が握られている――なんて、よくあることだ。幻覚などの精神汚染ではなく、純粋に幻影を作り出す魔法使いか。
「要件はなんだ」
「暗殺」
「理由は」
「強いヤツがいると、困る」
「腐り果ててるな」
「なんとでも、言え!」
目の前に炎。これも幻影だろうが、体に染みついた反射は反応する。とっさに飛びのき、図書室から出る方向で距離を取る。全力で走る俺を惑わそうと、俺の前に壁ができるが、それを突き破って走る。さらに懲りずに壁を作り出す《朧影》。ならばとそれを突き破ろうと突進する――
――衝撃。
壁の幻影を突き破った先に、本物の壁があった。それに思いっきり衝突してしまった俺の視界が揺れる。端から見れば非常に間抜けな光景だろう。
「くそっ、たれ……! 厄介な、魔法だな!」
「全部、見通せるわけじゃ、ないのね」
その通り。俺にわかるのは幻影を作るのに使った魔力によって、『そこに幻影がある』ということまで。どのような幻影があるのかまでは判別できない。つまり状況によって、どのような幻影があるかを予測すること自体は可能だが、読み違えることもあるというわけだ。
「心理戦、か」
「騙し殺す……」
魔法使いに危険視されているとは思わなかったな。俺は突然始まった戦闘に、意識が切り替わるのを感じながら、黒髪の美女の幻影に向けて剣を構えた。




