雷の魔法使い8
弓使いネセカ。その名前は、割と有名な名前だったようだ。その実力と、特異な言動によって。
「ちっ男か」
出会いがしらに舌打ちされたのは久しぶりである。俺は目の前に立つ女性を観察する。動きやすそうなズボンに、獣の皮で作られたのであろう上着、背中には小さめの弓を背負い、腰にはダガーをぶらさげていた。いろいろな道具が固定されているのは、音を出さないようにするための配慮なのだろう。
「残念だが男だ。だが、頼みたいのはこの子の指導だ」
「――ふざけてんの?」
こちらを一瞥したネセカはその声に怒りを込めて俺を睨みつけた。テスに訊いていたところによると、究極の男嫌いで会話すら嫌がるという話だったが、一応会話は成立している。今にも喧嘩になりそうな険悪な雰囲気だが、やはり銀貨2枚という破格の報酬が効いているのだろうか。
「ふざけているとは?」
「いや、説明しなきゃわかんないの? なんで私が弓の指導をする奴が――」
溜めた。
「侍女の恰好してんのよ!?」
心底納得いかない、という様子でネセカが叫ぶ。ああ、ツッコミタイプだこの人。
「それについては、私から」
「あんた、名前は」
「ティエリと申します。ご主人様に仕えるメイドです」
「そうなの?」
「なんでお前が疑問形なんだよ! なあ、あんたこいつやめとけ。絶対仕えるに値しない男だ」
「――ネセカさん。貴女の技術、手に入れて見せます。なので、私に弓を教えてください!」
「……本気かよ」
「ええ。理由は詳しくは言えませんが――私はご主人様と行くために、戦う力を手に入れなければならないのです」
真剣なまなざしでネセカを見つめるティエリ。その真摯な瞳に、ネセカが怯んだのがわかった。俺は、昨日の会話を思い出す。
『いいか、ティエリ。俺に忠誠を誓ったお前にだからこそ、話しておかねばならないことがある』
『なんですか、改まって』
『俺がここにいるのは、理由がある。俺が生きていることに、意味がある。そして、おそらく――倒さなければならない敵がいる』
俺の言葉に神妙に聞き入るティエリ。《災厄の滅龍キゼートア》の話を聞いた後だからなのか、突拍子もない話にもついてこれているようだ。
『俺は8回死んでいるはずなんだ。死んだ理由は思い出せないが、俺のこの吸血鬼としての人生は9回目になる』
『……そんな、バカな』
『人間として生きた記憶が、呪護族として生きた記憶が、銀狼族として生きた記憶が、俺の魂に根付いている。おそらくだが、俺は純粋な吸血鬼ですらないだろう』
『太陽の、耐性……』
『気付いたか。俺は吸血鬼が苦手とするあらゆるものが効かない。弱体化はするがな』
『……それで、それがどうしたんですか?』
『俺を転生させているヤツがいる』
俺はそこで言葉を切ると、ティエリの瞳をみつめた。くすんだブルーの瞳が動揺に揺れ、俺を見つめる。その奥には不安と迷いが感じられ、俺の言葉を信用するか迷っているようだ。
『そいつの正体の予測は俺にはつかない。だがこんなことができるのは、凄まじい力を持った何者かだろう。俺は、この転生の輪廻から抜け出したい』
人として死にたかったのだ。だが、もう一度人になる可能性は薄い。ならば、せめて満足して死にたい。
『俺のこの体は、自殺ができない。そもそも太陽光が効かないことに気づいたのも、最初に自殺を図ったからだしな。今の俺を殺せるのは、それこそ吸血鬼封じの結界の中か、吸血鬼殺しの短剣――《殲血剣くらいだろう。だが、それでは意味がない』
『転生、するから?』
『そうだ。だから、俺は俺を転生させている誰かを殺さなければならない。そのうえで、正体をバラして死ぬ。それが、俺のもう一つの目的だ』
『私は、どうすれば』
『戦う力をつけろ』
俺はまっすぐティエリの眼を見据えて告げる。これからの戦いは過酷になる。ニムエには半吸血鬼としての力と戦闘センスが、俺には吸血鬼としての力とこれまで積み重ねた経験による魔術がある。だが、ティエリにはなにもない。
『そんな、簡単には――』
『そうだ、簡単ではない。だが、魔術を用いて、俺の経験を使えば――可能だ』
『私も、ニムエちゃんみたいにするんですか?』
『いや、あれはイレギュラーだ。死にかけだったから助けただけで、もう一度同じことが起きる可能性は低い。効果を解析しきれていない魔術をほいほいとは使えない』
『じゃあ、なにを……?』
『お前を、人として強化する。これは、その一環だ』
俺はティエリの両手を握りしめると、ティエリの体が震える。吸血されると思ったのだろうか。残念ながら、違う。
『……あっ!?』
魔力を流し込む。壊さないように、慎重に。他者の魔力は、大量に流し込めば害となり得る。だが少量ならば対象が持つ魔力を励起させ――
『あつ、い……!? な、なに、を……っ!?』
強制的に魔力を認識させることができる。
『魔力を流し込んで、お前の魔力を活性化させている。その熱い塊を全身に回せば――身体強化が使えるようになる』
ティエリの体が跳ねた。荒々しい方法だが、手っ取り早く強くなるには身体強化を使えるようになるのが一番だ。400年前の冒険者たちなら普通に使えた技術だが、この時代では魔力の存在が忘れられ、才能のあるものしか扱えないものとなっている。
だが、逆に言えば――ティエリが使えたところで何も不都合はない。
『あ、つい……! おなかが、熱い……! なんか、お湯みたいなっ!?』
『流せ。全身に回せ。お湯を、全身に巡らせて、熱さを軽減しろ』
『はっ、は、いいっ……!?』
身もだえるティエリ。体の内部から温められる感覚は、初めての経験だろう。そのわけのわからない状況に混乱している。それでも、言われたことを実践するだけの余裕はある。
『……成功だな』
『はっ……はい……な、なんだか、いつもより良く見えるような気がします……空気の流れも、わかります……』
『感覚強化が強めなのかもしれないな。身体強化にも個性が出る。自分が普段意識しているところには重点的に魔力が流れ、強化幅も大きくなる。おそらく、目と肌だろう……弓を使うのには向いているな。好都合だ』
『ゆ、弓?』
『そうだ。お前の教師も雇ってある。明日から、弓を習って――その力を、俺のために振るえ』
『そ、んな、勝手な……』
『これは命令だ。なあ、ティエリ』
『俺に忠誠を誓っただろう?』
少し強めに言ってやると、ティエリの瞳が潤んだ。それは長年のスラム生活で彼女に染みついた、強いものに従う性質であると思われる。その点、俺は申し分ないはずだ。そんじょそこらの人間より遥かに強いうえに、与えるものは与えている。その優しさは友人や恋人としてのものではないが、主人としてなら十分以上に魅力的な存在に見えるだろう。
もとより、彼女には少し被虐願望がありそうだ。
『は……はい……私は……僕は、ルイド様に――ご主人様に、改めて忠誠を誓います……』
『受け取ろう、ティエリ。今日からお前は俺のものだ。誰にも手出しはさせない……俺が、護ろう』
その言葉を聞いて、ティエリの体が震える。その震えは、果たして恐怖か、喜びか――。
「ちっ、わかったよ。その男は気に喰わないが、仕事は仕事だ」
「ありがとうございます、ネセカさん」
「おら、報酬寄越しな」
「ほらよ」
俺は回想から戻ってくると、ネセカに銀貨2枚を手渡した。命の危険なく、1日で銀貨2枚も稼げるのだから、割のいい仕事なんてものじゃない。
「ここには練習場がある。そこで面倒見てやるよ。その立派な弓にふさわしいかどうかを、な」
「まだまだ未熟ですので、基本からお願いします」
「わぁってるよ。1回もその弓使ってない、ってのは見れば、な。ちゃんと初歩の初歩から教えてやるから」
「ありがとうございます」
ティエリは変わった。より強く俺に従い、より強く俺の役に立とうとしている。前々から被虐願望の片鱗は見え隠れしていたが、それが明確に俺に対するものに変わったのは、あの石の墓標と、侍女服のくだりからか。いったいどんな心境の変化があったのか、俺の命令に依存している。
恋愛感情では、おそらくない。そんな綺麗なものではない。もっと、ドロドロとしたなにかだ。
「大丈夫そうだな」
「はい、ご主人様。私はこのままここで、ネセカさんに弓を教わろうと思います」
「……7日だ。7日で弓を扱えるようにしてやる。身体強化が使えるのか?」
「はい、つい最近ですが」
「それもあって、弓を習わせようと思ったんだ。あまり激しくは動かないだろう?」
「ちっ、ずぶの素人はこれだから……弓使いだって動き回るさ。魔獣から隠れたり、良いポジションを狙ったりね」
俺の記憶にある弓使いは、その場から動かずに魔術刻印を刻んだ矢でクレーターを作り出す超威力の遠距離狙撃野郎だったのだが、時代も変われば戦い方のスタイルも変わるというわけか。俺は妙なところで時代の移り変わりに感じたが、ネセカとティエリの会話を聞く限り、教えるのは弓の扱い方に終始するらしい。そこからどのようなスタイルで戦うかは、個人の好みに大きく左右されるのであくまで弓の使い方の基本を教えるという方針のようだ。
「まあ教えるのもこれで初めてってわけでもない。うまくやるよ」
「任せたぞ」
「……」
筋金入りの男嫌いってのは本当らしい。俺はうかつに刺激しないようにネセカから離れると、ティエリに目線で『頑張れよ』と伝えてから開拓者ギルドを去った。テスもいい仕事をしてくれた。彼女の実力ならば申し分ない。7日と言ったからには7日で仕上げてもらおうじゃないか。
「ルイド、さま! これ! どう? どう?」
俺が宿に戻ると、ニムエが嬉しそうに羊皮紙を見せてきた。どうやらニムエ的には会心の《水》ができたらしい。俺はそれをよく観察する。
――線の歪みなし。太さも上々。まだ多少不格好なところはあるが、立派な《水》の要素を持つ陣である。しかるべき触媒に刻み、魔力を注げば水を生み出してくれるだろう。
「上出来だ。よくやったな、ニムエ。これで、魔術に関してはニムエが一歩先輩か」
「えへへ! ニムエ、えらい?」
「ああ、偉いぞニムエ。ご褒美に肉をやろう」
「お肉っ!」
目を輝かせるニムエだが、毎日肉を食べていることは忘れたらしい。《水》の陣が刻めるようになるまで半月。だが、本当にきついのはこれからだ。
「じゃあ次は、その陣を、素早く正確に書く練習だな」
「……え?」
「ニムエ、水の陣を書いてみろ」
「う、うん……」
ゆっくり慎重に、水の陣を写しとっていくニムエ。だが俺に見られているという緊張と、素早くと言われたのが引っかかったのか、線が歪んでしまった。
「だめだな。どんな状況であれ、素早く正確に書けるようにならなければならない」
俺はニムエから筆ペンを借りると、水の陣を描く。1秒もかからずに描かれた陣は見本となる水の陣と寸分の狂いもない。何千、何万と描いた陣だ。間違えることも歪むこともあり得ない。無数の要素を組み合わせて魔術を振るう魔術師たちが、それなりにしかいなかった理由がこれだ。
魔術の才は、努力によって決まる。
さぼればさぼるほど魔術の発動も、陣を刻む時間も衰える。俺のように転生を繰り返して体に刻み込まれているならば別だが、人間はどんどん忘れていく生き物だ。ゆえに魔術師は、さぼることを許されない。生涯を魔術に捧げる決意をしなければ、魔術師として大成することはできないのだ。
中にはシェリルのようなぶっ飛んだ天才もいるが、彼女は例外中の例外。
俺にいたっては異端中の異端だ。人間であったころの俺は、魔術に人生どころか生命のほとんどを捧げた魔術狂いだった。師匠も俺の偏執的なまでの魔術への傾倒には引き気味だった。
人類が積み重ねた叡智である魔術。先達が築き上げた知恵と工夫の賜物。
それを研究し解明しさらなる高みに引き上げるのが、俺の望みであった。
だからこそ――魔術が喪失した理由は、何が何でも解き明かす。そして、再び世界に魔術を取り戻す。
「わ、わかった……ニムエ、がんばる……」
「ああ。だが、本当にきつくなったら言え。ニムエには、戦闘のセンスもある。魔術はあれば便利だが、まあなくてもなんとかはなる」
「……うん! 右手、痛かったけど、寝たら治ったよ!」
「そうか」
おそらく復元魔術の影響だろう。どの状態を正常としているのかは不明だが、ニムエにかけた復元の魔術はまだ有効だ。怪我をしても、成長をしても、おそらくは正常な状態に復元する。復元力はそこまで高いわけではないので、緩やかに成長はしていくだろうが、寿命は人間の遥か上になると思われる。
優しい外道




