始まりの少女3
どうやら俺は眠っていたようだ。ここまで丸五日間睡眠なしのぶっ通しだったからな、体が休みを求めていたのだろう。目覚めはすっきりしていたが、まだ眠たくもある。さて、どうしたものか。
「……ぁ」
ん?
「……ああー。そうか、お前がいたか……」
かすかな声に反応し、俺がそちらを向くと、怯えたように縮こまる少女がいた。首に嵌められた奴隷の証が、銀色の光を放っている。
認めよう、昨日の俺は深夜テンションであったことを。ほら、夜遅くまで起きてると突然大魔術をぶっぱなしたくなる時あるだろ? そういうのと一緒だ。ない? 俺はあるんだよ。
昨夜の俺は頭がよく回ってなかったのだろう。死にかけの奴隷を安く買い取り、直し、今の人間社会について教えてもらうというアイデアを、さも名案のように実行したのだから。
「よう。俺は今日からお前のご主人様だ。お前の名前は?」
「……ニムエ」
俺を見つめる少女は、耳を澄ませていなければ聞き逃してしまいそうなほど小さな声でつぶやいた。その口調からは明らかな警戒心がうかがえる。
「ニムエ、どこか体の調子の悪い所はないか?」
たずねながら、俺もニムエの体を眺めて様子を確認する。伸びきった白い長髪に、エメラルドグリーンの瞳。強制的に体を『本来あるべき状態』に戻す『復元魔術』は、戻すべき内容が多ければ多いほど魔力を喰う。今回戻したニムエの体は、栄養不足、筋組織、細胞に骨など。体を欠損したヴァンパイアほどではないにせよ、それなりの魔力を持っていかれた。だがそれに見合う成果は保証されている。汚れはそのままなので、若干――いや、かなり臭いが。
「……大丈夫、です」
ペタペタと自分の顔を触り、不思議そうにニムエが答えた。『大丈夫なのはわかったが、なぜ大丈夫なのかわからない』という顔をしているな。当然だ。呪護族の秘術である『復元魔術』(魔力不足や材料不足が原因で彼らには使えないが)をこんな小娘にさらっと理解されても困る。
「詳しい説明は省くが、まあ俺が直した。命の恩人ってやつだな、感謝しろ」
「……どうして死なせて、くれなかったの?」
「死にたいのか?」
問いかけると、ニムエは顔をうつむけて黙り込む。
「わから、ない。昨日までは死にたかったけど――今は、そうでもない、かも」
「良かったな、ようやく人生のスタートラインだ」
ともあれ、である。奴隷は自殺できないとはいえ、このまま陰鬱な顔をしてそばにいられると、俺の精神衛生上よろしくない。八回目の人生だ、せめて明るく楽しく生きたい。ヴァンパイアだけど。
「ところで、なんであんな大けがしてたんだ?」
「ぅ……売られた後に、自棄になって。馬車から地面に頭から……。そしたら、腹いせに……」
「マジかよ……お前覚悟あるな……」
自殺できないとはいえ、それは首輪をつけられたあとの話だ。売られたことが判明した直後に、馬車から地面に向けて飛び降りたのだろう。子供にあるまじき覚悟と潔さだった。
「殴ったのは奴隷商の男か?」
「そう。あいつ」
まあ、商品が勝手に壊れて死にかけになったのだ。多少イラつきもするだろう。これに関してはニムエも思うところはないのか、特に表情を変化させることはなかった。
「――だから、教育とか受けてない、です」
「ああ、それは別にいい。口調とか気にしないから。……俺がお前に求めるのは、知識なんだが……お前、ここの都市の名前わかるか?」
「? 城塞都市ディラウス、です」
なぜそんなことを聞くのか、という疑問を顔に浮かべながらニムエは答えた。だが、こんなのは序の口だ。口下手っぽいニムエから情報を引き出さねばならない。
「俺は田舎から出てきたばかりでな、世間のことがよくわからない。だからいろいろ聞くぞ。まず、ディラウスの所属国家はどこだ?」
「えーと……ヴィリス王国、です」
聞き覚えのない名前だった。四百年経つのだ、国家も変わっていて当然か。
「ジ・エルムス魔術国家――聞き覚えは?」
「……ない、です」
「リストール連邦、聞き覚えは?」
「ない、です」
「シュリディガ帝国――」
「ない、です」
なんてこった、俺が人間だったころの大国がもろとも消えている。まあニムエが知らないだけ、という可能性もあるが、400年前は押しも押されぬ列強だった三国を、聞いたこともないとは。残っているにしても国家の規模は小規模になっているだろう。ならば、と俺は現状一番気になっていることを聞く。
「魔法使い様について、お前はどう思う?」
魔術の行方、である。
「ひっ……!」
怯えられた。
これは『魔法使い様』について質問する俺を恐れているのか、『魔法使い様』に対する恐怖なのか。
「ま、魔法使い様は……偉大なる神様より、奇跡を与えられた人たちのこと、です……」
「――は?」
神?
「……魔法使い様たちは……私たちにとって、尊敬する対象であり、恐怖する存在、です……」
「逆らっちゃいけない相手ってことか……魔術、という言葉に聞き覚えは?」
「ま、じゅつ……? 聞いたことない、です。魔法じゃなくて、ですか?」
「おいおい、冗談だろ……?」
いったいどこまで魔術文明は衰退したというのか。街灯の『永久の火種』の件から薄々想像はついていたが、想定していた以上に衰退が激しい。魔術に用いる術式は、確かに煩雑だしややこしいしわかりづらいが、長年の研究のすえに簡略化された術式もあった。その魔術たちは、生活の基礎に根付いていたのだ。
「『彼の者に清潔と安寧を――』」
他人に使うには久しぶりとなる術式を起動する。簡略化された魔術は、魔文も陣も必要ない。これが『復元』や『探査』のオリジナルの魔術になるとやたらめったら複雑な陣や文を刻んだものが必要になるのだが。
「――『浄化』」
『温水』『流動』『乾燥・弱』などなどを組み合わせた術式だ。魔術は複雑にすればするほど難易度があがる。大量の水を呼び出すのと、水を鞭のように操るのは、圧倒的に後者のほうが難しい。『浄化』の術式はジ・エルムス魔術国家の潔癖症が生み出した術式を、一般の人間が暇つぶしに研究・解析して簡略化したものだ。一人の研究者より、万の民の暇つぶしのほうが研究効率はあがるという非常に身も蓋もない話として有名である。
そして個々人が改良された『浄化』の術式を持ち、もはや原型がわからなくなった。便所用、自分用、他人用、挙句の果てには道路用、娘用、娼婦用、廊下用など複雑多岐に分裂していったという非常に面白い経緯を持つ魔術である。
話がそれた。
まあ要するに俺が使った『浄化』の魔術は、ニムエを清潔にする効果があるわけだ。魔術の存在が一般的ではない以上、使用を控えようと思っていたが、ニムエ臭いんだもん。言わないけど。
もっとも、浄化したのはニムエだけなので、部屋はまだちょっと匂いが残っている。そもそもこの都市自体が臭いのだが、あちらこちらで『浄化』の魔術が乱発されていた400年前からすると信じられない。昔はちょっとしたことでも『浄化』が使われていたのだ。
家の中の埃をすべて外に出す『浄化』の術式を組んだら、軽い書類が全部巻き上がって外に飛んで行ったとか、笑い話には事欠かないのも『浄化』の術式の特徴である。『開発者が発明したのは笑いをとるためのネタである』なんて皮肉も流行ったくらいだ。
話がそれた。『浄化』の術式は面白い話がいっぱいあるので、機会があれば語るとしよう。
「今のが魔術だ。高度に編まれた文、陣、魔力、時には触媒を使ってちょっぴり世界を歪めて便利にする術」
ほいほい使ってるが高等技術なのだ、一応は。
昔は魔術師と呼ばれる存在がウロウロしていたが、一般的に魔術師というのは『自力で魔術の開発・研究ができ、5工程以上の魔術を編める者』という意味を持っていた。この工程を少なくすることを『簡略化』と呼び、基本的な一般人が使える3工程まで簡略化すると『汎用魔術』となる。絶対数はそんなに多くないが。
「え……?」
「いま使ったのは『浄化』の術式。キレイになっただろう?」
「……?」
実は体を綺麗にする術式なので服は臭い。いまいちニムエに実感がわかないのはそのせいだろう。まあ服はおいおい買ってやるとして――。
「……あ」
きゅうぅ、ぐるるという音が鳴った。懇願するように上目遣いで俺を見つめてくるニムエ……そんなに主張しなくても食わせてやるって。まずは飯だな。
† † † †
宿の女将は昨日駆け込んできた客が見覚えのない奴隷を連れていたことを疑っていたが、深入りしないほうがいいと思ったのかしつこく追及はされなかった。『防音』の魔術をつかっていて本当によかった。
「何が食いたい?」
「……肉」
元気なことで。
外に出ると真昼間だった。陽光が降り注ぐので、フードを深めにかぶる。別に実害があるわけじゃないんだが、長年薄暗い場所で生活していたので太陽の光は苦手なのだ。断じて引きこもりなわけではない。
「あーすみません。この辺で奴隷可の飯屋ってありますか?」
「あん? あそこだよ」
「どうも」
大通りに出てから、その辺を通りがかった人に聞いてみると、すぐそばの看板を指さされた。昨日も思ったがかなり活気がある。魔術は衰退しても、人間の繁栄は変わらないということか。
「しかし、武器を持った人間が多いな?」
「……へベル大森林が、あるから」
「大森林? ああ、あの森か……確かにそれなりに魔獣はいたな。なるほど、この活気はそれでか」
耳を澄ませば武器の売り込みや防具の売り込み、魔獣素材の買い取りの声などが各所であがっている。露天商も多く、地面に直接商品を並べている者もいた。
「……開拓と城塞の町、ディラウス」
「魔獣素材を狩りに来る開拓者が多いのか。ところで冒険者ギルドって知ってるか?」
「……昔は、あったけど。開拓者ギルドができてから、なくなったって」
「ふぅむ」
やってることはほとんど一緒だと思うんだがな、何か理由があったのだろうか? 考えてもわからない。悩みながら店に入る。
「いらっしゃいませ! 木漏れ日亭へようこそ!」
「二人だ。注文は何か肉が入ってるやつを二人分」
「っ……」
「わかりました! すぐお持ちしますね!」
後ろでニムエが息をのんだ。そんなにおなかが空いたのだろうか。
元気のいい給仕に席を案内される。真昼間ということもあって、それなりに混んでいる。繁盛しているようだ。周囲を見回しながら耳を澄ませようとすると、先ほどの元気のいい声が耳元で炸裂した。
「お待たせしました! こちら《岩猪》の煮込みになります!」
「早いな!?」
驚愕した。頼んで数分と経ってないのだが――。
「ふふっ、《岩猪》の煮込みはずーっと煮込んでますので! 盛り付けるだけなんですよ!」
「なるほどなぁ……」
「お肉っ……! た、食べていいの!? ですか!?」
勢い込んで聞くニムエだが、なんでお前は座ってないんだ。早く座れ。
「えっ……でも奴隷は、床で……」
「は? なんで?」
「え?」
「いいから座れって。床で食ったら不衛生だし美味しくないし話しにくいしいいことないだろうが。座れ」
「いいご主人様ねー」
「実利と効率を考えているだけだ」
茶々をいれてくる給仕に渋面で返し、ニムエを席に座らせる。忙しい時間帯なのにわざわざ二人分の椅子があるところに案内したんだ、お前だってそのつもりだったんだろうに。ニコニコと笑う給仕を改めて眺める。栗色の髪を後ろで束ね、ニコニコと愛想よく笑う娘だ。水色の瞳はわりと珍しいが、まあいないわけじゃない。綺麗というよりは可愛いというべき顔立ちだが――。
「あははっ、私はリル。よろしくね?」
「それは店をか? お前をか?」
「んー、まだ今はお店、かな? おにーさんのこと、よく知らないしね」
商売上手なことで。こりゃ、何人もやられてんだろうな……と思って周囲を探ると、こちらを若干の敵意を持って見る視線がいくつか。多くがリルと同世代の男たちだ。
恋愛がらみのトラブルはろくなことがない、と痛感している俺は面倒なので会話を切り上げることにした。
「お前をよろしくすることはないが、店に関しては味次第だな」
「あははっ、厳しいねおにーさん。じゃ、自信はあるのでごゆっくりどうぞ!」
察しがいい娘だ。俺の「いいから早く食わせろ」に気付いたか……。給仕としても一流、商売人としても強か。
「やるな……」
引き分け、か。何を戦っていたのかは知らないが。
「食べていい!?」
「まだ食ってなかったのか。ゆっくり食べろよ、胃が驚く」
「わかった!」
念のため言ったが、返事をして即肉にかぶりつくニムエ。全くわかってないが、まあいい。『復元魔術』はそんなことで悪影響を残すほどチャチな魔術じゃないからな、今のニムエは健康体そのものだ。俺は、目の前にある刺激的な匂いを放つ料理を、ゆっくりと噛んで食べた。
《岩猪》の煮込みは、俺が思わず絶賛するほどにおいしかった、とだけ言っておこう。
魔術は衰退したが料理技術は順調に発展しているようである。
続くんじゃ。
さすがにそろそろタイトルとかちゃんとすべきかもしれない。