雷の魔法使い3
ウルベルグに到着した。馬車の旅? 特に何事もなかったので割愛させてもらう。
「これは、ディラウスに負けず劣らずの活気だな」
「それはもちろん、リヒト様がおられる町ですから」
誇らしげに自分の主人を誇るカイスト。夕暮れ時に到着したから、というのもあるだろうが、ウルベルグは活気に満ち溢れていた。あちこちで商人の声が飛び交い、街行く人々は華やかに着飾っている。ニムエがディラウスを『開拓と城壁の町』と言っていたが、ここウルベルグは『交易と商売の町』とでも呼ぶべきか。申し訳程度に存在する城壁で検問を受けたが、衛士は真面目ではあるものの、いかにも戦闘慣れしていない印象を受けた。鎧とか剣がピカピカなのだ。よく手入れされているのだろうが、どうしても着られている感じが目立つ。
「ルイドさま、お肉、お肉!」
「あっ、ニムエちゃん! こら!」
さっそく屋台で美味しそうなものを見つけたニムエが、馬車のなかではしゃぐ。そのまま器用に俺の体をよじ登り肩車の位置に収まった。そんなことをしてもよく見えるわけではないと思うのだが……と思っていると、なんとニムエはその姿勢から窓をよじ登って馬車の屋根に登っていった。
「おいマジか!」
道行く人の視線が一斉に馬車の上に現れた幼女に集まるのがわかった。それはそうだろう、街中を馬車で移動するなど、よっぽどの商人か貴族くらいしか存在しないはず。しかも御者をやっているカイストが仕立てのいい服を着て馬を操っているのだ。いったいどんな貴人が乗っているのかと思っていたら、突然屋根に現れた愛らしい幼女。それは気になる。
俺は慌てて窓に手をひっかけると、ぐるんと回って屋根の上に降り立つ。そして、片腕でニムエを抱え込むと、もう一度窓から馬車の中に戻った。
「お……おい、なんだ、今の動き……」
「二人とも、信じられない身軽さだったわ……」
注目度が悪化した。
「ご主人様も動揺すると意外とポンコツですよね」
「ティエリ……前にご主人様はやめろって言わなかったか?」
「今更ですか? ええ、言われましたが、やはり従者としてはこちらが正しいかと思いましたので」
「お前のなかの正しい従者は主人をポンコツ呼ばわりするのか」
「時には主人をたしなめるのも正しい従者の役目なれば……」
従者ティエリはかしこまって答えるが、意外と様になってるのが腹が立つ。ああ、そういえばいろいろとカイストに教えてもらってたな。従者としての在り方とかふるまいとか。
「どうせ私を手放す気はないんでしょう?」
カイストに訊かれることを恐れたのか、俺の耳元で小声で囁くティエリ。
「もちろん、手放すわけにはいかない。お前は今のところ俺の正体を知る唯一の人間だからな」
「もういいんです。一生ご主人様に仕える覚悟をしました。だから、捨てないでくださいね?」
「ああ、お前が裏切らない限り、捨てることはない」
「それを聞いて安心しました。約束、しましたからね?」
「ああ、約束だ」
そんな小声の約束をしていると、仲間外れにされたと思ったらしいニムエが割り込んでくる。
「……ニムエが、せんぱい。ちょーしに、のるな」
「わかってますよ、ニムエさん。私もあなたも、ご主人様のものですから」
にっこりとほほ笑むティエリと、ふくれっ面でティエリを睨むニムエ。残念ながら、歳が二倍近く離れているので、ニムエに勝ち目はないと思われる。
ニムエの俺への親愛は、おそらく父性だろう。まだまだ甘えたい盛りのニムエは、無意識に保護者である俺に甘え、その存在に頼っている。多少歪んではいるが、まっとうな感情である。
だがティエリは、俺を刺したことの罪悪感、従わなければ殺されるという恐怖、クソのような境遇から救ってもらった感謝、自分よりはるかに可愛がられているニムエに対する嫉妬が入り混じった、不可思議な感情を持て余しているように感じる。ちょこちょこ言動も不安定だし。これは俺もか。
「着きましたよ」
「ありがとう、カイスト」
俺たち三人は馬車から降り、目の前の建物を見つめる。石を積み上げて作られたその建物は、見た目からして高級宿であることがわかる。外観に金をかけているし、なにより物静かな雰囲気が、懐に余裕がない者を寄せ付けないだろう。看板には、『休息の岩』という名称が掘られていた。なるほど、石造りの宿とは風流である。たぶん。
「皆さまの宿はこちらになります。リヒト様、轟雷様との面会は2日後となっておりますので、それまで観光をお楽しみください」
「ああ――ちなみに、詳しくは聞いてないんだが、俺たちはなんで呼ばれたんだ?」
「《飛竜》と《猿魔王》の討伐による、報酬のためです」
「あ、《猿魔王》って定着したのね。なるほど、報酬ね。《飛竜》のほうはもう開拓者ギルドから受け取ってるって伝えておいてくれる?」
「承りました。それと、おそらくは討伐時の戦いの様子を聞かれると思いますので、話し方を考えておいたほうがよろしいかと」
「なるほどね、服は? 礼服とか準備したほうがいい?」
「必要ございません。ただ、公衆浴場のほうで匂いだけは落としてこられると、心証がよろしいかと」
「それもそうか。ありがとな」
俺は丁寧にアドバイスをくれるカイストに感謝すると、宿の中に入った。カイストも一緒に中にはいると、受付の女性と何やら話をしている。カイストを見つめる女性の眼が若干熱っぽいのは、おそらく気のせいではない。
「確認がとれました。ルイド様でよろしいでしょうか?」
「あ、はい」
「では、こちらにご案内させていただきます。どうぞ」
受付の女性がベルを鳴らすと、静かに初老の男性が現れて荷物を持つ。と言っても、ニムエとティエリの着替えくらいしか入っていないのだが。俺の着替え? 二人の着替えに比べたら微々たるもんだ。俺は知ってるんだ、人間の女性の機嫌を取るなら服と甘いものが有効だということを。つまり、服が増える。今や二人ともそれぞれ5着くらいは持っているはずだ。俺? 2着くらいかな。
「ルイド様は、その年齢で3等級の開拓者であるとか。いやはや、ぜひ武勇伝を教えていただきたいものです」
初老の男性はにこやかに笑いながら俺たちを部屋へと案内する。その言葉には、お世辞ではなく純粋に称賛する色が浮かんでいて、さらには不必要に踏み込まない配慮の気配もあった。俺がうっとうしいと感じているようなら、無駄話はしなくなるのだろう。できた従業員である。
「武勇伝というほどのものではない。力があって、敵がいた。それだけだ」
「なるほど、そういうものなのですね。しかし、そのような力を身に着けるには研鑽と努力があったのでしょう?」
「――まあ、そうだな」
初老の男性に言われて、俺は自分がした努力を思い出す。まず間違いなく、俺がした努力の大部分を占めるのは、魔術の訓練である。
――陣を刻めるようになるための書き取り練習。
少しでも線が曲がるとげんこつを落としてくる師匠。
――魔文による魔術発動の練習。
少しでも発音を間違えれば暴発する魔術に激怒する師匠。
――触媒の作成。
少しでも手元が狂えば火炎を撃ってくる師匠。
――知識の詰め込み。
様々な要素の陣を書けるようになるためのテスト。一問間違えるとバケツ一杯ぶんの冷水を浴びせる師匠。
続いて、剣を習ったときのことを思い出す。
――走り込み。
遅れると剣先で突いてくる親友。
――模擬戦。
素人の俺を一方的に叩きのめして、『やべっ、模擬戦だっけ? まあいいか、お前弱いぞ!』と言ってくる親友。
なるほど、努力ね。
「大したことはしてないですね」
「またまたご謙遜を……」
本気だったんだが。
「はい、こちらがルイド様の部屋になります。向かいの部屋がニムエ様、隣の部屋がティエリ様の部屋となっていますので。それぞれご寛ぎください」
それぞれ部屋を別にしてくれたのか。しかし俺たちは荷物が一つしかないので、彼も誰に荷物を渡したものか迷っているようだ。結局その荷物は俺が受け取り、俺の部屋に入れておく。
「ティエリ、ニムエ。あとで必要なものを持っていけ」
「わかった!」
「かしこまりました」
元気よく返事をするニムエと、恭しく頭を下げるティエリ。調子狂うんだが。
「ああ、二人は例のやつ300ね。明日まで」
「「えっ」」
例のやつとは陣の書き取り練習である。今日は旅の疲れもあるだろう、ということで少なめにしておいた。こういうのは1日休むと取り戻すのに3日かかるのだ。
「夕食前にやってもいいし、夕食後にやっても構わない。どちらにしろ、明日は観光に行くからな。しっかりやっておくんだ」
「「はい……」」
二人ががっくりと肩を落とし、それぞれの部屋へと消えていく。俺としては書き取り練習なんて書けばいいんだから、と思っている。だってげんこつ飛んでこないし、罵詈雑言も飛んでこないし、優しい教育環境である。
「ところで、体を動かす場所はありますか?」
「それでしたら、裏庭を使われるとよろしいでしょう。玄関から出て、ぐるっと回れば着きます」
「ありがとう、えーと……」
しまった、名前を聞いていなかった。
「マニースと申します、ルイド様」
「ありがとう、マニース」
俺は礼を言うと、さっそく夕飯までの時間で訓練をしようと武器を持って裏庭に向かう。そこはよく手入れされていて、足元の草も刈り揃えられているので運動には最適だった。おそらく、俺と同じ用途で使う者もいるのだろう。
「ふぅーー……」
息を吐き出し、槍を構える。体に染みついた動きが再現される。突き、払い、引いては突く。槍を動かすたびに鋭い風切り音が鳴り、俺の体は加速していく。身体強化を用いて、仮想の敵を相手に槍を振り回す。
『おせぇよ、ルイド!』
「くっ……!」
わずかなスキを突いて槍の嵐を凌いだ相手が、低く迫りながら剣を振るう。俺はとっさに飛びのき、槍を捨てて剣を引き抜いた。相手と同じ、盾なしのロングソードだ。獰猛に笑った相手は、猛攻を仕掛けてくる。人間であったころは打ち合えていたはずの斬撃に、体がついていかない。
下から跳ねあがってきた剣戟に、俺の右手が高々と上がった。
「……完敗だな」
俺が腕を戻すより、相手の袈裟懸けのほうが早い。胴体を無防備に晒してしまった俺は、目の前の親友に笑いかける。すると《白剣》ディリルはニカッと笑うと、霞のように消えていった。
「剣技、衰えてるな……」
剣の申し子とも言うべきディリルの剣戟には勝てない。それは人間時代に散々痛感していた厳然たる事実だったが、それでもここまで惨めになったつもりはなかった。
反応が遅い。
判断が遅い。
「時が経てば、ここまで鈍るものなのか……」
鍛えなおすにも、限界がある。なにせ、この時代にディリルはいないのだ。『剣を持たせれば城すら落とす』とまで謳われた剣鬼――《白剣》ディリルに教えを乞えない。
「魔術を大っぴらに使えないというのは、やはり痛い」
完全前衛タイプのディリル、拳闘士兼魔術師であったヴィリア。この二人であれば、《猿魔王》など鼻歌まじりに殺していただろう。後衛タイプのシェリルや、後衛兼前衛タイプであった俺では、雑魚を一掃できても、強大なる個にはかなわない。
「魔法使い様、か……その正体、必ず見抜く」
魔法。俺が知らない概念。間違いなく、強大な個である魔法使いという存在は、一体何者なのだろうか。誰も答えてはくれない。くれないが、それなら自分で調べるまで。
俺は、魔法使い《轟雷》と会える二日後を、とても楽しみにしていることに気づいた。ともかく、400年の間に何が起きたのかを知る手がかりにはなるだろう。魔術が衰退した理由にも、ある程度仮説を立てられるかもしれない。
俺は高ぶる気持ちを抑えるように、裏庭で槍と剣を振り回した。




