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災厄の魔獣①

 眼下に燃え盛る森を確認する。まだ生きている木々たちはそう簡単に燃えるようなものではない。年がら年中青々と茂っているヘベル大森林においてはなおさらだ。だが魔術による炎は、水分など丸ごと無視して燃焼していく。それが魔術によって『理』を曲げた事象であるがゆえに、魔術による炎は魔力が尽きるか、魔術によるものでしか消火できない。


 大魔術『獄炎の檻』は、もともと《災害的怪物カラミティア》が率いる群れ用に開発された術式だ。一定の範囲を焼き払い、その外には被害を出さない。使い勝手がよく、消費魔力も比較的少ない広範囲殲滅魔術として重宝されてきた。


 ……俺の規模でやろうとすれば、並の魔術師が10人は必要だろうが。まあヴァンパイアの魔力であれば問題ない。だが、それだけの規模の魔術を受けてなお――


「やはり、殺しきれないか」

「……っ!」


 焦土と化した区画で蠢く者がいる。すべてが焼けこげ、見るも無残な姿となった大地に、立ってこちらを睨みつける者がいる。

 《猿魔王カラミティア・ベイブ》。おそらくはその頑丈な肉体と回復力で耐えきったのだろう。腕の中でニムエが息を呑む。上空に浮かんでいる俺たちにまで届くほどの熱量で焼いたというのに、《猿魔王カラミティア・ベイブ》はダメージすらない。いや、あったのかもしれないが、すでに回復済みだ。


「ちっ」


 奴に睨まれたことでぐらついた体勢を立て直し、城塞都市へ飛翔を開始する。やつも俺を敵と認識しているのか、デカい図体を俊敏に動かして俺を追う。

 城塞都市とヘベル大森林の間には荒地がある。その平地ならば、厄介な猿の立体機動を抑えることができる。さすがの《災害的怪物カラミティア》も、物理法則には逆らいようがない。


「ルイドさま、あれ、なに?」


 ニムエが怯えた様子で問いかける。俺はすぐには答えずに反転すると、大地を蹴って跳び上がってきた《猿魔王カラミティア・ベイブ》に回し蹴りで応戦する。空中ではうまく踏ん張れないので威力が込められず、どちらかというと《猿魔王カラミティア・ベイブ》を足場にして跳んだ感じになったが、空中で踏ん張りがきかないのは向こうも同じ。互いに弾き飛ばされるように距離を取ると、俺は飛行を再開し、《猿魔王カラミティア・ベイブ》は落ちていく。


「――《災害的怪物カラミティア》が何か、か」


 理論的に説明するならば、体内魔力の暴走により生み出された異形。生まれる原因はいまだに判明されていない、あらゆる生物にとって天敵となる化け物。


「一言で言うなら、ヤバい奴だ」

「ルイドさま、でも?」


 その問いには一瞬悩む。悩むが、


「そう、だな」


 間違いない。


「『告げる/軽やかに/世界を巡れ/回れ廻れ舞われ/気まぐれなる風』――『風声』」


 突風が渦巻く。再びこちらを狙っていた《猿魔王カラミティア・ベイブ》が狙いを逸らし、無意味に着地する。そのまま数十分、《猿魔王カラミティア・ベイブ》と追いかけっこを続ける。先に行かせたリットに俺がおいついては、なんの意味もないため、時間稼ぎは必要だ。だが、《猿魔王カラミティア・ベイブ》に遭遇したのは比較的森の浅い部分。そろそろ城塞都市には到着しているだろうと判断した俺は、一直線に荒地を目指した。ニムエの顔色が悪い。好き勝手飛び回ったからな、無理もない。


 《猿魔王カラミティア・ベイブ》にあきらめるという選択肢はないようで、その異様なまでのタフネスで俺を追ってくる。ここで諦められると次どこで出現するかはわからないので、正直助かっている。


「さて、と」


 荒地に着地し、地面を駆ける。空を飛んでいたほうが安全なのだが、これ以上飛翔していれば人間の誰かに目撃される可能性もある。リスクを考えれば、それは避けたい。

 ニムエを抱えたまま大地を疾走する。全力ではないにせよ、身体強化を施した人間が全力疾走しているのと同程度の速度は出している。だから、


「ゴオオオオッ!」

「それに追いつくとか、お前絶対おかしいからな!」


 6本の腕でつかみに来た《猿魔王カラミティア・ベイブ》の腕を取り、背後に投げ飛ばす。ヴァンパイアの膂力でさえ、全力で投げる必要があった。重すぎる。


「こんなもん、か」


 ある程度ヘベル大森林から離れた俺は、そこでニムエをおろして町に向かうように指示を出す。久しぶりに本気を出す必要がある以上、ニムエを巻き込む可能性もある。


「……わか、った」


 ニムエも逡巡するが、理解を示す。最初は残ると言っていたが、肌でやつの恐ろしさを感じ、考えを改めたのだろう。こと戦闘に関しては、俺以上のセンスを持っているかもしれない。


「さあ、一対一だ、《猿魔王カラミティア・ベイブ》――起動せよ」


 逃げ出すニムエに目線を向けた《猿魔王カラミティア・ベイブ》に、敵が誰か教えるため、焔の矢を起動する。こいつは雑魚狩りにも使えるし、強敵でも牽制に便利な魔術なので、俺の愛用している魔術のひとつだ。放たれた焔の矢を回避し、《猿魔王カラミティア・ベイブ》が俺を見据える。


「そうだ、それでいい。俺も安心して、全力を出せるッ!」


 俺が2本の剣を引き抜き、《猿魔王カラミティア・ベイブ》が吠え、死闘が始まった。


 † † † †


「クリエさん! クリエさんはいますか!?」


 開拓者ギルドに駆け込んだリットが叫ぶ。幸い、クリエにはこの日に一度調査に向かうことを報告してある。いないなんてことはないはずだ。今日はここで待機する予定だったのか、受付に座る冷たい美貌の女性がリットを見据える。


「どうしました、リットさん?」


 怜悧な視線がリットを射抜く。その視線の冷やかさにリットの心臓がすくんだ。伸び悩むリットにとって、クリエの視線の冷たさは少々堪える。だが、今はそれどころではない。


「魔王、が! 《強欲猿スレッジア・ベイブ》の魔王です!」


 まずは真っ先に報告しなければならないことを言う。クリエは周囲に素早く目を走らせると、ギルド職員以外に人影がないことを確認した。もう昼前である、開拓者ギルドに開拓者はいない。


「詳しく説明してください」

「《強欲猿スレッジア・ベイブ》の魔王です。見るのは初めてですが間違いありません! 今は、ルイドが足止めしてくれていますが、どこまで持つか……! すぐに住人を避難させてください!」

「彼が、足止め? それほどの相手なのですか……」


 クリエが息をのむ。魔王。その名前は、今や子供の寝物語にしか聞かなくなった名前だ。遥か昔に人間と魔族が戦争を起こし、その戦争によって魔族が滅びてから、魔王という名前は頻繁に使われるようになった。魔族の王、という本来の意味ではなく、魔獣の王という意味で、《災害的怪物カラミティア》たちに使われるようになったのだ。


「すぐに住民の避難を開始します。まずはヘベル大森林に近い位置の住民から。開拓者と衛兵を集めて迎え撃ちます」

「私は!?」

「可能であればルイドさんの加勢を。無理であれば、開拓者に声をかけて回ってください」

「わかり、ました」

「聞いていましたね? それぞれ全力で事態に当たりなさい!」


 クリエの号令のもと、ギルド職員たちがあわただしく動き始めた。あるものは避難の誘導に行き、あるものは知り合いの開拓者たちに声をかけに行く。


「く、クリエさん! 外に!」


 一人の男性職員が飛び込んできて、クリエを外に誘導する。道行く人たちは呆けたようにヘベル大森林の方角を見つめていた。そこではオレンジと紅の色をまき散らしながら炎が燃え盛っている。ルイドが放った魔術の最後の炎だ。


「い、いったいなにが……!」


 一瞬呆けてその光景を見つめるクリエだったが、城塞都市が誇る才媛は即座に平静を取り戻す。なんにせよ、異常事態なのはこれではっきりした。


「――ギルド支部長補佐として、ここに一級非常事態を宣言します。職員は覚悟を決めてください」

「は、はい!」


 一級非常事態。それは、ギルド職員にとっては死刑宣告に等しい。『何があろうと持ち場を死守し、なんとしてでも災厄を食い止めよ』という非常に重い宣言だ。だがこの規約があるからこそ、開拓者たちはギルド職員に敬意を持つし、その覚悟と意思を尊重する。いざというときは、なにがあろうともこの都市を守ると決めた者たちなのだ。


 そして、もちろん、クリエも含まれる。


「私も前線に出ます。開拓者たちには私から説明をします。あなたたちは避難誘導を続けなさい」

「は、はいっ!」


 クリエはそう告げると、リットを伴って速足で城壁に向かって歩を進めた。


 † † † †


「どうにも、まいったねこれは」


 俺はこれで十回目になる《猿魔王カラミティア・ベイブ》の攻撃を受けながら、一人ごちる。脇腹が奴の腕によって抉られ、黒い霧となって消滅する。その隙に剣で腕を切りつけるが、この程度の武器で与えられる傷は小さく、即座に修復されてしまう。


「インチキだろその回復力」


 俺は脇腹が復元されるのを感じながら、愚痴を言う。俺も人のこと言えた義理じゃないんだけど。パワーもスピードもほぼ互角だが、両方ともわずかに向こうが上。それでも遮二無二突進してくるだけであった序盤は俺が押していたのだ。だが、奴が《強欲猿スレッジア・ベイブ》たちを呼んでから戦況は一変してしまった。

 数は力だ。それはもう、わかりやすいほどに。俺の負傷は増え、攻撃の機会は減っていく。挙句の果てには子分どもの相手をしている間にあいつは体力を回復させ、あまつさえ同族を食らっているのだ。おそらく、回復にはエネルギーが必要なのだろう。


 迫りくる《強欲猿スレッジア・ベイブ》の両腕をかわし、すれ違いざまに脇腹を切り裂く。俺がいかに強いと言っても、剣は店売りのふつうの剣だ。さすがにそろそろ限界である。


 ああ、こんなときに《龍牙槍》か《■■■■》があれば――


「ぐぅっ……!?」


 頭痛。視界が明滅する。それは考えてはいけない領域に踏み込んだ時の、激痛だった。迫りくる《猿魔王カラミティア・ベイブ》の攻撃をかろうじてかわす。それは今までの余裕のある避け方ではなく、生き残るために必死に動いたら、偶然助かったような奇跡の回避だった。もし追撃が飛んできていたら俺は死んでいた。


「くそったれ!」


 武器のことを考えるわけにはいかない。戦闘中に頭痛で意識を逸らすなど、致命的な隙でしかない。二度目はない。俺は即座に2本の剣を腰に戻すと、地面を蹴り飛ばして距離を取った。


「『聞け/海神の歌/流るるは摂理/凍てつくは祈り/その大地に/轍を刻め/我が名を持って/命ずる』!」


 俺の捧げた魔文が、空中に魔術を展開していく。その気配を敏感に察知した《猿魔王カラミティア・ベイブ》が一足飛びに距離を取った。魔眼を発動され一瞬魔術の発動が遅れるが、もう止められない。なにせ大規模な魔術は魔眼で魔文を止められるために、高速詠唱できる中位の魔術しか撃つ隙が無い。


「『凍土』!」


 流れ出た水が《強欲猿スレッジア・ベイブ》を巻き込み、凍てつく。次々と周囲に霜が降り、魔術の圏内にいた《強欲猿スレッジア・ベイブ》たちの体を凍らせていく。発動寸前に効果範囲外に逃れていた《猿魔王カラミティア・ベイブ》は無事だが、果たしてあの回復力のまえにこの魔術が通用したかどうかは怪しい。


(5秒――いや、3秒でいいから足が止まればな!)


 奴は慎重だ。俺がやつを葬るに十分な切り札を持っていることに、おそらく気づいている。3秒相手に触れ、そこで魔術を起動すれば地竜であれ《猿魔王カラミティア・ベイブ》であれ殺しきるだけの火力を持っていることに気づいている。本当は切り札は2つあって、ひとつは即座に撃てるのだが、さすがに3年かけて制作したものをこいつに使いたくない。そっちは使い捨てなのだ。ならば、使いまわしが効くほうでとどめを刺したいと思うのは当然のこと。


(使うか――いや……)


 まだ、切羽詰まってはいない。俺は持ち替えそうになった手を落ち着かせ、再び《猿魔王カラミティア・ベイブ》とにらみ合う。可能性も、希望も、断たれたわけではない。そろそろ避難も始まったころだろう――それが終わるまでは、なんとか耐えきって見せるとしよう。


 今の時代の人間に、こいつは抑えきれない。

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