動き始める城塞都市10
翌朝。朝早くに城門に集合した俺たちは、その足でヘベル大森林に向けて出発した。昨日はさんざんだった、よくわからん男に絡まれるし、リルにも絡まれたし、リットからの評価が若干下がった気がするし、打ち合わせが終わって宿に戻ったらおなかをすかせたティエリに睨まれるし、いや決して忘れていたわけではない。ちょっと後回しにしていただけだ。気を付けよう。今日は昼ご飯を置いてきた。
「じゃあ、覚悟はいいかい?」
リットの問いに頷いて見せるが、正直たかが《巨猿王》である。増えすぎれば厄介なのは間違いないが、本気を出せば死ぬことはない。難しいのは、リットの前で本気は出せないのと、ニムエの存在である。魔術なしでニムエの戦闘をすべてカバーすることは、今の俺には難しい。
今回の武器選びは非常に悩んだ。森という環境を考えれば、取り回しやすい剣がいいのだが、剣の技術を磨いたのは遥か昔なので、まだ体が思い出しきっていない。あと、あのころとは体格も違うので、どうしてもイメージと差異が出てくる。
それに比べ、槍はまだ体が覚えているので、剣よりも多少は扱いやすい。だが問題は、森の中で小回りが利くやつらを相手に、槍などという長物を振り回す余裕がない、ということだ。戦う場所が平地なら迷いなく槍を選ぶのだが。
悩んだ末に、俺は剣を持つことにした。2本。
双剣なんぞ扱った記憶はないが、腰の左右に剣をぶら下げると、どことなく懐かしい感じがする。ようやく本来の自分に戻ったような、そんな錯覚すら覚える。まあおそらくは、冒険者時代にいくつか武器を腰からぶら下げていたからだろう。魔術用の触媒とかブラブラしてたし。
「打ち合わせ通り、私が先行して《巨猿王》を探す。《強欲猿》に関してはスルー、どうしても戦わなければならない場合のみ対処する。《巨猿王》を見つけた後は、私が周囲を警戒して、対応は任せる」
「了解……さあ、行きますか」
緊張しているらしいニムエの頭を撫でてやると、相好を崩して笑顔になった。いつものように抱き着いてこないのは、状況が状況であることは理解しているらしい。できた奴隷である。奴隷らしくはないが。
「ルイドさま、ニムエ、頑張るね!」
「期待してるぞ、ニムエ。ただ、途中では静かにな」
「わかった!」
そんなニムエの恰好は、普段と少し違う。最近購入した頑丈な行動服を着て、腰には2本のダガーがぶら下がっている。まだ左手でダガーを扱うほど手慣れてはいないので、ニムエのもう一本のダガーはただの予備である。連れてきてはいるが、ニムエでは初見の《強欲猿》の相手は少々厳しいだろう。あくまで、やつらと戦うのは俺だ。
「じゃあ、出発するよ」
「ああ」
リットの先導で俺たちは森に足を踏み入れた。不気味なほど静まり返った森は、何も応えることなく俺たちを受け入れる。しばらく、息遣いと足音だけが響く。そのどちらもニムエのものだ。俺は内心舌打ちする。連れてきたことに後悔はないが、ニムエには圧倒的に経験が不足している。天才的な戦闘センスがあっても、それ以外はど素人なのだ。
「ニムエ。足音を隠せ。できる限り慎重に歩くんだ」
「ご、ごめんなさい……」
「いい、大丈夫だ。これから気をつければいい」
できれば呼吸音も抑えてほしいが、一気に2つの指示を出すと混乱するだろう。優先度は息遣いよりも足音なので、ニムエに指示を出すと、少し足音が小さくなった。先行しているリットの方角から、短く鋭い笛の音が響いた。
3回。『敵影なし』の合図である。俺も笛を鋭く3回吹き鳴らして、異常がないことを伝える。定期的に笛をふいて、方角と位置、状況を確認する。長く吹かれた1回が異常事態を知らせ、一刻も早く合流を優先させる事態を示す。
「……どうやらこのあたりにはいないようだ」
気配を消したまま戻ってきたらしいリットが、草むらから出てきて話す。
「ああ。……妙に静かだな」
「何かがおかしい。前まではこのあたりでちらほらと《強欲猿》を見れたんだが……」
リットが不安そうに周囲を見渡す。俺も、獣すら息をひそめているようなこの空間の静けさに違和感を覚えていた。リットと同じように周囲を見回すが、これといった異常は――
絶叫が周囲に響き渡った。
俺たちは即座に武器を抜いて警戒するが、どうやらすぐそばではないらしい。
「……今の、《強欲猿》の絶叫か?」
「じゃあ、まさか……《強欲猿》の群れと戦えるやつが来たのか? それでこの状態に?」
そのリットの予想が、おそらく今一番あり得るものだろう。《強欲猿》は厄介な魔獣だが、へベル大森林の深部には、やつらの群れなぞ歯牙にもかけない魔獣も多くいる。地竜なんかその筆頭である。
「ちっ、確認するしかねぇか……」
「――そうだな。敵がなんであるかだけでも……」
なんにせよ、《強欲猿》の絶叫は異常事態である。見に行かないわけにはいかなかった。
「ここからは3人で行くぞ。……別行動は不安だ」
「そうだな……確かに、3人一緒のほうがいいだろう」
「わかっ、た」
慎重に、音を立てないように気を付けて草をかき分けながら俺たちは進んでいく。
そういえば、魔草のの知識とかも豊富にため込んだのだが、全く活かせていない……どっかで活用するか。そんな益体もない考えが俺の頭をよぎったのは、無意識に嫌な予感から目を逸らすためのものだったのかもしれない。
「なんだ、あれは……」
最初にそれを見つけたのは、リットだった。俺は頭にガンガンと鳴り響く警鐘を無視して、ソレを見た。
赤黒い筋肉が盛り上がる腕。
先ほど殺したのだろう、《強欲猿》の脳髄をすする口。
爛々と光る眼は、合計で8つ。
背中から生えた腕は合計6本。
基盤となったであろう、《巨猿王》の面影なんぞ欠片しか残っていない。
《災害的怪物》。体内魔力の暴走によって変質し、理性を失った正真正銘の怪物。
小さい国なら滅ぼしかねない最悪の化け物が、目の前にいた。
目が合う。
「魔王……? 《強欲猿》の魔王、なのか?」
《災害的怪物》と呼ばれなくなったのか。魔王というのは俺たちの時代では魔族の王を指し示す言葉だったが――今はそんなことはどうでもいい。
雄たけびをあげる化け物。そうだな、猿の王だから――さしずめ、《猿魔王》とでも呼ぼうか。《猿魔王》は雄たけびをあげると、理性を失った濁った瞳でこちらを見つめてきた。瞬間。
「ぐっ……!?」
体から力が抜ける感覚。魔眼持ちかよ……!
非常事態だ、これはマジでやばい。
「走れリット! 住民を避難させるんだ!」
「ル、ルイドは!?」
「俺はこいつを足止めする。ニムエ、お前はどうする?」
「ルイドさまと、一緒にいる!」
「わかった。だが、手を出すな」
「お、おい! ルイド!」
「さっさといけ、リット――」
轟音とともに飛びかかってきた《猿魔王》の腹に蹴りをいれて吹き飛ばす。狙われていたのはリットだが、その動きに全く反応できなかったリットは呆然と、いつの間にか前に立っている俺を見る。
「――足手まといだ」
「……っ! すまない!」
リットが走り去り、その場には俺とニムエ、そして《猿魔王》だけが残る。蹴り飛ばされたというのに、全くダメージを受けた様子もなく奴が起き上がる。俺がヴァンパイアのパワーで本気で蹴り飛ばしたというのに、である。
「魔眼確認――」
こちらを見つめるやつの瞳を認識した瞬間、体から力が抜ける。俺が手足に行き渡らせていた緊張の糸を丸ごとほぐすような効果。効果を分析する。頭からの指令を上書き? 違う、ただの筋弛緩効果か。奴が動いている間は効果なし、警戒レベルは3。
「筋力強化確認――」
轟音とともに奴が迫る。先ほどの蹴りで完全に俺を敵と認識したのか、そばにいるニムエには目もくれない。ニムエもすぐに自分が敵う相手ではないと気づいたのか、その場から距離を取ってこちらを見守っている。
筋肉量から考えて超重量のはずの体を猛スピードで動かすその敏捷性。魔力による強化が施されているとみて間違いない。だがこれはほとんどの《災害的怪物》が持つ特徴だ。警戒レベルは2。
迫ってきたやつを回避して、右手の剣できりつける。撫でるようにかすめた剣が、《猿魔王》の腕を浅く斬った。
「再生能力確認――」
傷がふさがっていく。内部から肉が盛り上がり、俺がつけた傷はわずか数秒で塞がってしまった。ヴァンパイアの復元力ほどではないが、ニムエの再生よりは遥かに早い。警戒レベルは3。《猿魔王》が雄たけびをあげる。先ほどの威圧するような大声ではなく、長く尾を引く吠え声だ。
「統率能力確認――」
雄たけびに呼び寄せられたのか、次々と《強欲猿》が姿を現す。あまりない能力だ。同種を呼び寄せて群れとする《災害的怪物》は少ない。だが、その能力は俺たちの時代ではかなり危険視されていた能力だ。警戒レベルは、4。
『ゴオオオオオオオオッ……!』
もう一度吠える《猿魔王》。俺の背中を冷や汗が流れた。
集まってきた《強欲猿》の筋肉が盛り上がり、腕の一振りで、若木をなぎ倒した。その瞳からは理性が失われ、ただ獲物を狩るだけの獣と化している。
「強化及び狂化能力確認――」
警戒レベルは、6。《災害的怪物》の中でも最悪に分類される、『統率強化型』――。
襲い掛かってきた《強欲猿》の右腕を回避し、左腕を切り飛ばす。続いて隙を突くように襲い掛かってきた《猿魔王》の攻撃を必死に避けると、ニムエを抱えて撤退を狙う。こんな障害物に囲まれた見通しの悪い森の中では、一方的に不利だ。
「起動せよ、我が魔術――」
懐から黄色に輝くトパーズを取り出し、起動文言を唱える。
「噴出せよ、『黒霧』!」
発動のキーワードに沿って、トパーズに刻み込まれた陣が光り輝く。宝石の色と対になるように湧き出てきた漆黒の霧は一瞬で広がり、視界を奪う。
「『黒翼』」
俺は即座に蝙蝠の翼を展開すると、おおきく地面を蹴って飛び上がった。なんらかの手段で俺の位置を把握していたらしい《猿魔王》の剛腕が、寸前まで俺がいた場所を薙ぎ払う。木々の枝をへし折りながら空中に飛び出た俺は、大きく翼を広げて平野を目指すが――
「冗談、だろ!?」
ボッ、と霧を裂いて跳んできた《猿魔王》の視線が俺を捉える。瞬間、体から力が抜け、高度を維持することが難しくなる。
「起動せよ――」
そんな俺に向けて襲い掛かる《猿魔王》。力が抜けたのは一瞬だけとはいえ、蝙蝠の翼では高速機動でかわすことなどできない。ならば、魔術を使う。
「『焔の矢』!」
五つの炎でできた矢が空中に浮かび上がり、《猿魔王》に向けて飛んでいく。さすがに威力が弱すぎるため、即座に回復されてしまうだろうが、牽制にはなる。案の定《猿魔王》が炎の矢に防御態勢を取った隙を突いて、再び飛翔を開始する。炎の矢を受けきった《猿魔王》は怨嗟のこもった視線を俺に向けながらも、重力には逆らえずに落ちていく。
「はぁ――『我が願いはここに在る/焼き尽くす者よ/寵愛に溢れる海よ/封鎖する檻/雄大なる大地に/轍を刻め』」
上空に浮かび、魔文を唱える。
「『がらんどうの小部屋/絶えた希望/遥かなる景色/然らば断じよ』!」
魔文によって形作られていく魔術のひな型。空中にいくつもの魔力線が走り、大魔術の予兆に空間が震える。
「焼き尽くせ――焼却魔術:『獄炎の檻』」
炎が灯る。四点に灯った炎は一斉にそれぞれの方角に向けて伸びはじめ、森の一画を炎によって切り取る。それは大魔術への下準備。余計な被害をださないための、俺の心遣いだ。
「燃え盛れ/踏みしめる足/握られた拳/ため込む膝――強化魔術:『焔の手向け』」
炎の勢いが増して、全てを焼き尽くさんと《猿魔王》たちに襲い掛かった。
てら環境破壊。良いこのみんなは森に火を放っちゃだめだぞ。




