始まりの少女2
奴隷。
それは主人の言うことをなんでも聞く、男の夢。
「というわけでやってまいりました、奴隷市場。いやー相変わらずあるんですねぇ」
露天商の男に聞いたのは、奴隷市場の有無。『ある』、という返答をもらったので予算を作って訪れたわけだ。
「すみませーん」
「なんだ小僧。ここはお前みたいなガキの来るところじゃねぇよ、帰ってママのおっぱいでも」
「客だよハゲ。どっかに頭ぶつけたか? 髪の毛がないんじゃ中身も守れないだろうな、かわいそうに」
失礼には無礼で返すのが俺の流儀だ。言われた方のハゲはしばらく何を言われたのか理解できなかった様子だったが、ようやく侮辱されたことに気づいたのか顔を真っ赤にした。
「てめぇッ!」
「うわー小僧相手にマジギレ、大人げなーい。ジョークジョーク、落ち着けよ」
「ぶっ殺してやる!」
「違うとこにしよ」
門番がこの頭の悪さでは店主のほうもたかが知れている。即座に『影縛』の術式でハゲの動きを止めると、その場を後にした。後ろでハゲが騒いでいたが、俺が一定距離離れたら解除されるから大丈夫。さて、ここら一帯は奴隷市場のようで、あちこちで競りが行われている。
「さあ、この男、蜥蜴族のオスだよ! 頑丈で力も強いから、戦わせるもよし、荷物運びもよし! 今なら金貨22枚!」
「処女の人間の女だ! いろいろ仕込んであるから夜のほうはばっちりだぜぇ! おっ、そこの親父、たまってんじゃねぇか!? なに、ちーと高いが……風俗に通うよりは安く済むだろうよ!」
「ストレス発散にどうだい!? 回復力の高い獣人族の奴隷だよ! 致命傷じゃなけりゃあ、一晩で治るよ!」
相変わらずクソみたいな場所である。400年前はもうちょっとモラルってものがあったような気もするが、思い出すとそうでもなかったような気もする。結局は奴隷なんて主人の欲望のためのものだ。本質は変わらないだろう。
「けど、そういうのじゃないんだよなぁ」
「お、なんか目的の奴隷がいるのかい!? 言ってごらん!?」
耳ざとく俺の呟きを聞きつけた奴隷商が、売りつけるチャンスだと感じたのか、声を荒げて話しかけてきた。俺もだんだん忘れかけてきているが、今の時間帯は深夜である。恥とかそういうのをぶっちぎるのにはいい時間帯なのかもしれない。
「いやぁでもちょいと特殊な奴隷を探してるんでね」
「言ってみなって、異種族に処女に性奴隷、いろいろあるぜェうちにはよぉ!」
「じゃあ聞いちゃおうかな」
自信満々に啖呵を切った、おそらく傭兵あがりの奴隷商に、希望を伝える。
「――死にかけ」
「は?」
「死にかけの奴隷が欲しい。人間限定。安い。どう?」
「うー……あー……兄ちゃん珍しいもん欲しがるな? うちに死にかけの奴隷がいるって?」
「いるだろ? というか、どこの奴隷商もそれなりにいるだろ」
「まー、そうなんだけどよ。悪評流さないでくれよ?」
「わかってるよ。買ったらあとは自己責任、だろ」
奴隷商の歯切れが悪くなったのには見当がつく。要は、『あそこで買った奴隷がすぐ死んだ! 不良品を売られた!』というバッシングを受けたくないのだ。昔はさんざん行われた営業妨害だが、これが地味に効く。さらには死にかけの奴隷を売った、というのも外聞がよろしくない。管理不行き届きで、健康そうな奴隷も病気を持っているなどと疑われかねないからだ。
そもそも、死にかけの奴隷を欲しがる奴なんてそうはいない。俺は欲しいが。
「じゃあ、案内するがよ、くれぐれも内密に頼むぜ?」
「わかってるわかってる」
「ちなみに理由を聞いてもいいか?」
「後腐れないやつが欲しいのと、予算の都合」
「まあ、そういうことにしとくぜ」
奴隷商に連れられて、店の裏口から入る。さらにいくつかの階段を下りていくと、地下牢のような空間に出た。あちこちを蠅が飛び交い、見るからに不衛生なのがわかる。どこからかまではわからないが、かすかに腐臭も漂っている。
「月に一度は清掃してるがよ、最近はしてなくてな」
「いい、気にしてない」
確かに客を案内するような場所ではない。だがこちらの都合で死にかけを希望したわけで、不満はない。
「こいつをもらおう」
金貨二枚、という恐ろしく安い値段を提示された。地竜の鱗と《群狼》の素材はだいたい金貨17枚分になった。地竜の鱗だけで13枚だ。死にかけとはいえ、あと7人ほど買える計算である。恐ろしい。
「布をもらえるか。さすがにこいつをこのまま連れていくとつかまりそうだ」
「わかった」
さて、見た目10歳にもいかないぐらいだが――大丈夫だろうか。頬は痩せこけ、体はボロボロ。死にかけを希望したのは自分だが、死んでいたらどうしようもない。逆に言えば、生きてさえいればどうとでもなる。
「お前、生きたいか?」
「……ッ、あ……?」
「生きたいか?」
ようやく質問を理解したらしい奴隷は、ゆっくりと首を横に振った。まあそうだろう。
「死にたいか?」
頷いた。
「そうか、まあ殺さないが」
「、ッ、ぁぁああ……?」
「まあ、もうちょいマシな人生にしてやるよ。いやどうだろうな」
マシかどうかは俺が決めることではないのか。まあいい。難しいことは考えないようにしよう。そんな問答をしているうちに、奴隷商の男が戻ってきた。
「持ってきたぜ」
「助かる。これが代金だ」
奴隷商の男に金貨二枚と、布代として銀貨を数枚握らせ、布で奴隷をくるみこんだ。抱え上げると驚くほど軽く、改めてこの奴隷が死にかけであることを納得する。
「あ、おい、奴隷紋の主人の書き換えをしねぇと――」
「ああ、そうか」
腰にぶら下げたナイフで、自分の指を切る。奴隷商は慣れた手つきで瓶を取り出し、その中にある血に自分の指をつけた。
「契約の文言は知ってるか?」
「大丈夫だ」
「『我、ここに命ずる。契約の主人を変更する』」
「『古き契約は破棄され、俺が新しき主となる』」
相変わらず古臭い術式だな、と思いながら契約文を唱える。昔はこの契約を保証するのは国だったはずだが、今は一体どうなっているのやら。術式自体を弄る人間がいなくなったのかもしれない。
「よし、これでこの奴隷は兄ちゃんのもんだ。文句は受け付けねえぞ?」
「問題ない。ところでこの辺で宿ってあるか?」
「連れ込み宿ならあるぞ」
「そこでいい」
まあとりあえず治しておかないと、いつ死んでもおかしくない感じである。魔術師ではなく魔法使い様とやらがいる時代だ、うかつに魔術を使うわけにもいかない。
「じゃあ、なんか必要だったらまた来てくれよな」
「考えておこう」
素早く店を出ると、宿に向かいながら『生体探査』の魔術を行使する。『探査』の魔術の応用編といえば応用編なのだが、対象を一人に絞って、さらには健康体と比較対象するというややこしい術式を組んだせいで難易度は桁違いだ。ちなみに種族ごとに健康体の基準が違うので、これは人間用の術式である。
なんだかんだ呪護族として過ごした時間が一番貴重なものだったということは、実感がある。
「栄養失調、顔面打撲、右手足骨折、頭蓋陥没、ねぇ」
なんで生きてるんだろ。
思わずそう呟きそうになるほど、少女の状態はひどいものだった。あ、少女だっていうのは『生体探査』した結果であって決してまさぐったわけじゃないよ、ほんとだよ。
まさぐろうとも思えないほど酷い状態だし。
「宿発見!」
「いらっしゃい」
すれた感じの熟女が出迎えた。退廃的な雰囲気の女性だ、おそらく風俗店も兼ねているのだろう。
「二人だ。明後日まで、一部屋でいい」
「女は?」
「いらん」
「しけてるねぇ。前払いで銀貨3枚、部屋は二階の一番奥」
代金を支払うと、すぐに部屋に向かう。それなりに覚悟はしていたが、想定以上に一刻を争う状態だった。
「これからは思いつきで行動するのやめよう、そうしよう」
だからなんとか持ってくれよ、と理不尽な期待を奴隷の少女に背負わせながら、部屋にたどり着く。扉を閉めてカギをかけると、そっとベッドの上に少女を寝かした。
「――さて」
まずは、と自分の指を切り、血を流す。ヴァンパイアの体は厄介なことに、傷をつけてもすぐに治ってしまう。切っては血で線を引き、切っては血で文字を書き、この時ほどヴァンパイアの特性を恨んだことはない。くすんだシーツに、血文字による陣が描かれる。
呪護族は、元は人間だ。魔術を極めんとし、この世界の真理に迫り、魔術による人体実験を繰り返し、挙句の果てに自身の体すら変容させた魔術狂いの一族だ。ゆえに、完成しなかった理論が多くある。
確かに、呪護族の描いた陣や術式は正しかった。理論的には何の問題もない。だが、材料が手に入らなかった。
神龍族の眼。鋼体族の心岩。呪植族の根。天翼族の羽。そして――吸血鬼の、血。
10年だ。理論を実践し、ありとあらゆる机上の空論であった呪護族の魔術を完成させるのにかかった年月は。
「『汝があるべき姿に戻れ――』」
吸血鬼の血液に存在するのは、『治癒』などという生易しい力ではない。時間を遡り、魂と肉体の情報を読み取り、その情報を基にあるべき姿に戻す『復元』だ。『再生』でも『治癒』でもなく『復元』という要素を持つならば、その魂の情報を各種族の体の情報に置き換えるだけで、『復元魔術』が完成するはずだ、と。
仮説に仮説を重ねた稚拙な理論。実証しようにも吸血鬼の血なんてものは手に入らない。手に入っても、魔術を行使する魔力量が足りない。誰にも見向きされない、魔術のはずだった。
だが、呪護族が組み上げた術式は、一人の吸血鬼の手によって完成した。
「『復元』!」
血によって描かれた陣が発光する。『生体探査』の魔術を織り交ぜたオリジナル。変質した吸血鬼の血液が、戻すべき姿をも変質させる。『こうであったはずの体』へと、少女の体を復元していく。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?!?!?」
「『防音』」
折れて歪にくっついていた骨を再び折り、正しい形へと戻す。陥没していた頭蓋を修正し、あざになっていた箇所の血管を強制的につなげる。激痛だろう。死んでしまいたくなるほどの痛みだろう。だが、生かす。決して死なせない。
「悪いな」
俺は呟いた。自身の欲望に従って、少女を直す。人として治癒するのではなく、吸血鬼の血を用いて、強引に復元する。およそまっとうなやり方ではない。
「だが救う。運命を捻じ曲げてやる」
もとよりその力はある。そもそも眷属にしてしまえば、もっと話は簡単だったのだ。吸血してしまえば、生きていようが死んでいようが関係がない。眷属として、死んだように生きていくだけだ。
「それではだめだ。お前は自分の足で立ってくれ」
俺の独白は、誰にも聞かれていない。だからそれは、自分で自分を許すための独白に過ぎない。自分の死生観が随分と歪んでしまっていることを自覚したのは、四回目の転生を経験したあたりだったろうか。
「どいつもこいつも簡単に、死んだほうがマシ、なんてぬかしやがる」
なら――死ねない俺はどうすればいい? 死んで終わり、ができない俺は、転生した先で必死に生きるしかないのだ。
また死ねなかった――その絶望は、そう何度も味わいたいものではない。
誇りある人間としての死を許されなかった俺は、醜く生きるしかない。それがきっと、俺に与えられた罰なのだろう。
「だから生きろ、俺のエゴで。死なせやしねぇ、そんな簡単に逃げられてたまるかよ。苦しみぬいて、地べたをはい回って、生きろ」
『防音』の魔術を使用したせいか、口が軽い。少女の絶叫を耳で聞きながら、いつしか俺は眠りについていた。