動き始める城塞都市9
男が杖を構えて、俺に話しかける。
「おい。お前も開拓者なら、決闘の意味くらい知ってるだろうな?」
「もちろん、知っているよ」
お前以上にな。俺は心のなかでそう呟くと、剣を引き抜いた。抜き身の銀の輝きが、周囲の観客を怯えさせるのがわかった。普段見る刃物なんて包丁程度の一般市民にとって、剣というのは恐ろしいものらしい。だが、血気盛んな若者たちは、剣を見ても怯むことなく野次を飛ばした。
「やっちまえー!」
「ぶちのめせー!」
しかし、決闘の質も落ちたものだ。前はこんなくだらない諍いで行われることは――いや、わりとあったな。なにせ冒険者どもは無駄に喧嘩と酒と賭け事が好きだったからな。
「俺が勝ったら、俺の行動に口出ししないことを誓え」
「俺が勝ったら、もう2度と木漏れ日亭には近づくなよ?」
お互いに勝った場合の条件を確認し、武器を構える。相手の男の眼からは侮りや奢りが消え、こちらを図ろうとするような視線を感じる。その視線を受ければ、彼が生半可な実力ではないことは明らかだった。
「……?」
これほどの実力者が、なぜあのようなくだらない悪戯に手を出すのか。そんなことをしなくてもいいほどの実力がある気配がする、下手をすればリットの戦闘力を超えそうなほど――
踏み込み。
勢いよく突き出されてきた杖を半身になることでかわす。しかし、男が手元でなにかを操作すると、杖が分裂し、3つに分かれた。
「三節昆か!」
「御名答!」
三つに分かれた杖のパーツは、それぞれが鎖でつながれ、不規則な軌跡を空中に残す。避けたはずの杖の先端がうなりをあげて俺に襲い掛かってきていた。
「ちっ」
接近しようとしていたが、このままでは鎖に縛られると判断し、バックステップで鎖の範囲内から逃れる。ただの杖が三節昆に変化したことで間合いも伸び、動きが読みづらい。遠心力もつくので威力もあがっているはずだ。それに加えて――
「身体強化もある、と」
「よく見てるじゃないか」
まあ魔獣相手に打撃武器を使うなんて、よっぽどの大男か、身体強化を使えるかくらいしかないからな、おそらくは使えるだろうと思ったさ。しかしまあ、違和感が残る。身体強化を使えて、扱いの難しい武器である三節昆を操るその技術。ただの5等級ではない。
「そら、そら!」
「うーん、ごめんね」
しょうもない原因で戦わされる羽目になったことを面倒に感じていた俺は、調子にのって攻め立てる男の三節昆を剣で受けた。鎖を支点に剣に巻き付いた三節昆。
「バカめ! もらった……!」
「よいしょ、と」
「うおおおお!?」
すかさず武器を奪い取ろうと男が腕に力を込めた瞬間、俺も勢いよく剣を引っ張って、三節昆を奪い取ろうとする。結果、どうなるか。
いくら身体強化が使えると言っても、膨大な魔力と強靭な肉体を持つヴァンパイアに筋力で勝てるわけもなく、男の体が宙を舞う。みっともなく手足をバタバタさせてこっちに飛んでくる男に、俺はにっこり笑って拳を構えた。
「腹に力入れろ~」
「ちょ、ま、おぶっ!?」
自身の体重と俺の拳の速度を加えた一撃を腹に入れられた男は、地面で悶絶する。
「勝負あり、だな」
三節昆から剣を外した俺は、首元に剣を突き付ける。さすがに観念したのか、男は心底悔しそうに、「……降参」と告げた。俺は溜息を吐くと、剣を腰の鞘に戻す。少し剣の使い方になれてきたとはいえ、いまだに多くが記憶の底だ。男が意外と実力があったことも加えて、少々手荒な勝ち方になってしまった。
決着がついた決闘に周囲が盛り上がるなか、悔しまぎれなのか男が呟いた。
『――ちっ、たかが決闘ごときに盛り上がりやがって』、と。
俺は収めた剣を引き抜くと、振るった。
「……は?」
男の頬につく一筋の傷。そこから血が流れるのを触れて確認した男が呆然とした。決闘は終わったのだ。俺の攻撃は、ふつうに傷害罪として訴えられても文句はいえない。言えないが、俺から放たれる圧倒的な怒気に、男も観客も飲まれている。
「たかが決闘、と言ったか?」
剣を突き付け、歩く。一歩近づいた俺に対して、男は一歩引いた。
「決闘ごとき、と言ったか?」
観客も静まり返り、俺の声と足音だけが周囲に響く。
「取り消せ」
男を見据える。滅多に出さない殺気と怒りを振り撒いて、男を威圧する。なにがあっても、その言葉だけは、許容できない。
――許されない。
「多くの英傑たちが、血を流して守り通してきた、冒険者たちの礎にある“誓い”だ。たとえ法に背こうと、彼らが人であるために、決して譲ってはいけない一線を守るために交わした“約定”だ。断じて――」
「――お前ごときが侮っていいものではない」
決闘を行う理由は人それぞれだった。女を奪い合ったこともあれば、報酬でもめたこともある。だが、冒険者たちは決して『決闘』をバカにしない。それが、人のために、自分のために、魔獣と戦う決意をした者たちの、決して譲れない誇りだ。
冒険者は、『決闘』をバカにする者を許さない。
冒険者は、『決闘』の誓いを破ることを許さない。
冒険者は、『決闘』の約束は必ず守る。
それが、後ろ盾もなにもない、ならず者の集まりであった彼らが定めた、誰にも縛られないはずの彼らが決めた、最低限自分たちが守るべきルールだ。
「取り消せ」
さもなくば消す。言外に込めた俺の本気を感じ取ったのか、男は怯えた表情で頷いた。
「二度とこの店に近づくな。決闘の誓いを破ればどうなるか――身をもって知ることになるぞ」
何度もうなずく男を手を払って追い払うと、俺は静かになってしまった観客を押しのけて、店に戻った。
「ちっ、やりすぎたな」
あそこで激高するメリットはなにもない。もう冒険者ではなく開拓者なのだし、決闘の意味合いが変わってきていることも、重々承知の上で。それでも、決闘を軽んじられることは許せなかった。
そこに込められた覚悟を、意味を。願いを、思いを。
軽んじることは、だれが許しても俺が許すわけにはいかないのだ。
「しょうがない、な」
もっとうまい方法があっただろう。聞こえないふりをすることもできただろう。だがそれをしてしまえば、俺が俺ではなくなる。冗談でもなんでもなく、自分という存在が変質してしまう予感があった。
「しかし情緒不安定だなー俺」
精神的には老成しているはずなんだが。
子供っぽい遊び心を見せてみたり、老獪に人の心を揺さぶってみたり、とどうもうまくいかない。いろいろな人生の自分がぶつかっている感じである。まあこれで9回目の人生である。長い人生になりそうなので、うまく付き合っていくしかないだろう。
テーブルに戻った俺は、ニムエとリットが戻ってくるまで、ぼんやりとそんな考え事をしていた。やがて観客たちが店内に戻ってきて、俺のほうをあまり見ないようにしながら席に座っていく。別に観客の人間には怒っていないのだが、怒気にあてられてしまったのだろう。まあかってに盛り上がってかってに決闘にしたうしろめたさも多少はあると思われる。
リットとニムエも戻ってきたが、リットが若干警戒心のこもった目をしていた。
「ルイド。君はいったい……」
戻ってきたリットが、なにかを聞きたそうに口ごもるが、結局うまく言葉にできなかったのか、黙ってしまう。
「まあ、俺のことはいい。明日の予定を詰めよう」
「あ、ああ」
納得はしていないようだが、俺が話す気はないことに気づいたのか、リットはそれ以上追及することはなかった。ニムエが俺のことを見つめているが、気にはならなかったのか聞いてくることはない。そのまま明日の《強欲猿》の群れを討伐しに行く件について、細かい予定を詰めていく。
集合場所、持ち物、連携、いざというときの行動についてなど。探索が日をまたぐことはおそらくないだろうが、そのときは一度城塞都市に戻ることに決めた。ヘベル大森林で夜を明かすことは、俺にとってはともかくリットにとっては自殺行為だ。
そんなことを話し合っていると、料理が届いた。《赤鳥》の焼き鳥と、《岩猪》の煮込み。ただ、俺は《赤鳥》の焼き鳥は3皿しか頼んでいないのだが、なぜか4皿きた。
「《赤鳥》の焼き鳥、3皿しか頼んでないよ?」
俺は目の前の少女に言う。料理を運んできた少女、ミミちゃんは何度か視線をさまよわせたあと、意を決したように言った。
「そ、その! そちらは、その……サービス、なので!」
「あ? ああ、そういう……まあいいや。ありがたくもらうよ、ありがとう」
俺がそう言うと、ミミちゃんはさらに挙動不審になりながら後ろを気にしている。後ろではリルが、強くお盆を握りしめながら、複雑な表情をしている。応援したいような、したくないような微妙な表情である。その顔を見て、俺はだいたい事態を察した。しかしこれを自分から言うと凄まじく自信過剰なやつだと思われそうなので、選んだ選択肢は沈黙だった。
「あ、あの!」
「はい」
「その、かっこよかった、です! ありがとうございました!」
それだけすごい勢いで口にすると、ミミちゃんは顔を真っ赤にして猛スピードで去っていった。さすがにそんなわかりやすい反応をされれば、誰にだってわかる。店内の男性から恨みの視線が強くなった。
「罪作りな男だな、ルイドは」
「……あの子ちょろ過ぎない?」
「確かに少し世間慣れしてなさそうなところはあるな。……お、もう一人来たぞ」
「は?」
見れば、リルがすごく微妙な表情のままこちらに近づいてきていた。
「……ミミを助けてくれたことは、お礼を言うわ。ありがと」
「おう」
「でも! ミミに変なことしたら、ただじゃおかないからね!」
ふんっ、と鼻息荒く去っていくリル。
「……リット、解説」
「はてさて、『ミミといううちの従業員に手を出すな』という意味なのか、それとも『浮気禁止』の意味なのか……」
くっくっくっ、と笑うリット。
「趣味悪いぞリット」
「いや、これは失礼。確かに、君の言う通り恋する乙女の言動の不可解さは、見てて面白いものがあるね。これはからかいたくもなる」
「理解いただけたようでなにより」
俺は肩をすくめると、さっそく《赤鳥》の焼き鳥を口に運んだ。
《岩猪》の煮込みに負けず劣らず、旨かった。
† † † †
夜、城塞都市ディラウス近郊。植物生い茂るへベル大森林に、3つの影があった。男が一人と、女が二人。少女と言うべき身長の女は、身の丈とほぼ同じ斧を背負い、もう一人の妙齢の美女は大弓を背負っている。茶髪に鋭い眼光を放つ男は、薄い笑みを浮かべながら口を開いた。
「たぶん、見つけた。十中八九、間違いねえ」
「きゃはっ」
「……根拠は」
少女が嗤い、美女が訊ねる。魔獣蠢く森の中で、3人はまるで街角で話しているかのように会話を続けていく。まるでこの森そのものが彼らを恐れるかのように、3人の周囲は静まり返っていた。
「決闘に対して強いこだわりがあった。だが、それよりも――」
「も?」
美女の問いかけに、男はうっすらと笑みを浮かべて言う。
「――この俺が、『死んだな』と思わせられるほどの怒気。生半可な人間じゃねぇ」
「へぇ、杖がそう言うならそうなのかもねっ。面白くなってきたじゃない!」
少女は興奮したように拳を手のひらにぶつけた。そのたびに乾いた音が周囲に響くが、3人が気にする様子はない。
野性味に溢れる男は、まるで猛獣のように歯を見せて笑う。
興奮した少女は、心底愉しそうに嗤う。
慎重に情報を吟味する美女は、顎に手をあてて空を見上げた。
「なんにせよ、一度報告の必要がありそうですね」
「ああ。戻ったほうがいいだろう、弓」
「ねーねー、ちょっかいだしてもいーい?」
「だめに決まってるだろう、斧。接触は厳禁だ」
「ちぇー」
少女が拗ね、男は杖を持ち直した。無謀にも男を狙って飛びかかった《群狼》が、男の杖に強かに鼻面を叩かれて悶絶する。見もせずに《群狼》に反撃して見せた男は、そのまま何事もなかったかのように会話を続ける。美女が滑らかに弓を引くと、命知らずの《群狼》は矢に頭蓋を撃ち抜かれて息絶えた。
「あ、フルーシェ! 私も殺したかったのに!」
「行動中は名前を呼ばないでください、斧」
少女に対して冷たく返した美女は、大弓を何度か回すと背中に戻した。美女の紫紺の長髪と、群青色の瞳は、どちらも見た者を吸い込みそうなほど深い色合いをしている。野性味に溢れる男の獰猛な笑いと、美女の隠し通そうとして隠し切れなかった希望の笑みが交差する。
それを、好戦的な斧の少女が、心底愉しそうに嗤いながら確認する。
「ま、いいや。要するに、私たちの悲願が見つかったってことでしょ?」
「見つかったかも、だ。まだ断定はできないが――これはボスの判断を仰ぐことになるだろう」
「きゃはっ、了解!」
「くれぐれも奴らに気取られることのないよう、各々注意しろ」
「そうじゃないと杖の必死の演技が台無しだもんねぇ~」
少女が嗤い、男が注意し、美女は静かにうなずく。3人は顔を見合わせると、次の瞬間には全員が姿を消していた。