動き始める城塞都市7
「ありがとう、ルイド。やっぱり身体強化は強いね」
「あー、まあそうだな」
身体強化は400年前は基礎の基礎だったので、お茶を濁す。ニムエのように才能のあるやつは教えなくても勝手に使えるようになるし、魔術を使えるやつなら程度に差こそあれどだいたいが使えた。
当時は体内で魔力を巡らせるのが得意な強化派と、魔力を放出して魔術として放つのが得意な魔術派でおおまかに区別されていたが、俺は魔術派だった。本当になんで魔術が衰退したんだろうな。あんなに便利なのに。
「『周明の剣』にも一人使えるやつがいるんだけど……アホでね……」
「さっきの説明してくれたやつか?」
確かにアホっぽかった。
「そうだ。あまりにも感覚的すぎて、説明されてもわからない」
これは仕方ないな。魔力という存在を認識していない以上、理論や原理を説明できないのだろう。
「なんというか、こう腹に力を籠めるだろ? そうすると、腹に熱い塊があるんだ。そこから熱だけ取り出して、全身に巡らせている感じだ」
「腹に力を籠める……」
「俺もあんまりうまく説明できないけどな」
まずは魔力の存在を感じ取ることから始めなきゃいけないからな。魔術が一般生活に浸透していた昔と違って、今は魔力の存在を感じることが少ない。というか、ほぼないのではなかろうか。俺自身、自分やニムエが身体強化をしているときや、魔術を放つとき以外に魔力を感じた試しがない。
リットは腰にぶら下げた袋から緑色の石を取り出すと、自分の体にこすりつけていきながら話す。
「十分だ、ありがとう。色々試してみるよ。ニムエちゃんの戦い方も見れたし、助かった。次は私の番だね」
「ああ、リットの実力を見せてくれ」
「じゃあ、ちょっとついてきてくれるかな?」
言われた通りにリットの後ろをついていく。気配を薄くしているのか、ニムエが時々見失いそうになっているが、俺が特に問題なくリットのあとを追っているので、なんとか俺についてこれている。身体強化なんかより、今リットが行っている気配の同化のほうが高等技術なんだが……。いやこれ、リットが身体強化使えるようになったら普通に3等級行けるだろうな。たぶん、本気で逃げられたら俺でも見失うレベルだぞ。
「……いた。始めるよ」
「おう」
4頭の《群狼》の群れを発見し、リットが静かに呼吸を整える。予想していた通り、リットの戦い方は奇襲戦法だった。腰からナイフを3本取り出すと、《群狼》の一匹に向けて投げる。静かに空気を裂いて飛んで行った凶器は、それぞれ首、腹、足に突き刺さった。驚きの的中率である。
「ギャンッ!?」
悲鳴をあげて《群狼》が倒れる。その悲鳴に反応した残りの3頭が、警戒態勢に入る。周囲を警戒してしきりに匂いを嗅いでいるが――
俺のほうを見た。そうか、俺からはまだ血の匂いが強く残っている。先ほどのリットの緑の石は、おそらくは匂い消しか匂いをごまかすものだろう。俺のほうを見た最後の一匹が、音もなく現れたリットのショートソードに喉元を搔き切られる。今度は悲鳴もあげられずに倒れた《群狼》だが、残り2頭が振り返り、リットを視界に収めた。
「ここからか」
奇襲不意打ちなら、残りの2頭も安全に狩れただろう。わざわざダガーではなくショートソードを出したのも、正面からの戦いでも戦えることを俺に示すためか。右手で握ったショートソードを構えたまま、腰から投げナイフを取り出す。そして迫ってくる2頭の《群狼》の一匹にナイフを放って動きを牽制すると、もう1頭の頭に剣を振り下ろした。
「ギャウッ!?」
ぶっちゃけショートソードの切れ味なんてあまりよくはない。よっぽどの達人か、身体強化を使えるような人間じゃないと、キレイに真っ二つなんて不可能。リットが放った一撃は、おそらく頭蓋に罅をいれた程度で止まっただろう。それでも、戦闘力を一時的に削ぐには十分。
リットは再びナイフを投げて1匹を牽制すると、力強くショートソードを《群狼》の脇腹に突き刺した。頭蓋に罅が入っていた《群狼》は、力なくその身を痙攣させながら絶命する。
「あと1匹か」
投げナイフを避け続けて近づけさせてもらえなかった《群狼》は、仲間が一気に3匹やられたのを見て逃げ出していた。根性のない魔獣である。
「しまった……!」
慌てて腰を探り、投げナイフを手に取ったリットだったが、間に合わない。悔しそうにナイフを腰に戻したリットを見て、やぶれかぶれでナイフを投げないことを確認してからニムエに声をかけた。
「ニムエ、やれ」
「はーい!」
一瞬で加速したニムエは、逃げ出した《群狼》に肉薄すると、ダガーを突き刺す。四足で大地を疾走する獣には、身体強化を使えないリットでは追い付けないが、俺やニムエにとっては違う。強化された膂力は大地をえぐり、その身は獣にすら追い付く速度を出す。逃げるのに必死だった《群狼》は、ろくに抵抗もできずに息絶えた。
「おわったよ、ルイドさま!」
「ああ、よくやった」
《群狼》は群れる。それは狩りの時もだし、強敵が縄張りに侵入したときもだ。普段は3~5匹程度の群れでうろちょろしているが、本気で集まったときの《群狼》の群れは30頭までとどくこともあるという。そんな大群と戦うのはごめんなので、《群狼》を逃がすのはリスクが高いと判断した。
しかし、こんなのは冒険者なら常識だったんだが、魔獣の知識すら失われていっているのだろうか? でもその辺を歩いている人にいきなり『400年の間に何があったんですか?』とか聞けないしなぁ。
「助かった、まさか逃げるとは思わなくてね」
「あいつらも所詮は獣だからな。危なくなれば逃げるさ」
「失念していたよ、普段は囲んで狩るからな……次は気を付ける」
遺骸から投げナイフを回収し、血のりを拭いて腰に収めるリット。手早く《群狼》の牙を引き抜くと、ほかの《群狼》が近寄ってくる前にその場を離れた。やるべきことは終わったので、日が高いなかを歩いて町に向けて戻る。そんななか、警戒しながらもリットと会話をかわす。
「しかし、リット。気配消しの技術、すごいな」
「え、そうかい? 褒められるのはあんまりないから、うれしいなぁ」
「は? 俺はあそこまで完璧に気配を消すことはできないから、素直にすごいと思えるぞ。あの緑の石は匂い消しか?」
「うん。このあたりに生えてる草を何種類か集めて練りこんだ特製だよ。匂いに敏感な魔獣なら、この草の匂いで誤魔化されてくれる」
照れくさそうに笑うリット。サバサバと笑っている表情が多かったが、恥ずかしそうに笑う顔は、想像以上に幼く見えた。
「どうやってるんだ?」
「どうっていうか、こう、植物とか動物の息遣いとか、風の音が聞こえるだろ?」
「聞こえるな」
「それに、自分を合わせるというか、自分を無くすというか……思考を止める? いや、ちょっと違うかな……」
「なるほど、さっぱりわからん」
「ちょっと!?」
まず、聞こえる、という点では聞こえる。だがおそらく、俺が聞いている『音』と、リットが聞いている『音』は違う。俺が耳でとらえている音ではなく、リットは全身で音を聞いているのだろう。なるほど、偵察役が得意なのもうなずける。
「……仲間ができると思ったんだけどなー」
「気配消しの技術、それはリットの才能だ。誇っていいと思うぞ」
「め、面と向かって言われると、恥ずかしいね」
照れくさそうに笑いながら頬を掻くリット。そんなリットを見るニムエの視線が少し険しくなった。面倒な子である。
「わふっ」
わしゃわしゃと頭をなでてやると、嬉しそうに体を摺り寄せてくる。犬みたいなやつだな。あと君は力が強いんだから、服を引っ張るのをやめなさい破れる。
「ずいぶんなつかれているんだね」
「まあ、いろいろあったからな」
「そ、そうか……」
何かを察したかのように口を噤むリットだが、いったい脳内でどんなストーリーが展開されたのだろう。俺が言うほど色々はなかった気がするが、どうだろう。
ニムエはまだ子供だ。今まで甘えられる相手がいなかった分、その反動が全部俺にむかってきていると思われる。あと肉とかあげてるし。
「うー、ルイドさまは、渡さないから!」
「はは、大丈夫だよニムエちゃん。私とルイドは――そういえば、どういう関係性なんだろうね」
「契約上行動を共にしている他人」
「身も蓋もないね、ルイド」
「じゃあ、友人でいいんじゃないか?」
「まあそんなところか」
変に精神が老成している俺は、目の前の二人の会話をほほえましく見守る。なにせ、ここでニムエがリットを頼るようになれば、それはそれで悪くない。ニムエにとって母親のような役割を果たしてくれる可能性もある。
「ニムエちゃん、私とルイドは友達だ。だから、ニムエちゃんからルイドを取ったりしない」
「……ほんと? ニムエから、ルイドさま、とらない?」
「取らない取らない」
ここで『俺はお前の物じゃないんだが』という突っ込みを入れるのはさすがに大人げないと思って自重する。リットの顔がやばい。今にも崩れそうである。
「じゃ、じゃあ! ニムエ、リットと友達? になる!」
「私でよければ喜んで」
「やったー! ルイドさま、これで、ニムエも、リットとともだち!」
「よかったな」
リットの顔がとんでもなくだらしないことになってるのは言わないほうがいいだろうな……。恐ろしきはニムエの無邪気さである。あっという間にリットを懐柔してしまった。
「そうだ、ニムエちゃんは私と同じ武器を使うよね?」
「これ?」
ニムエは腰から滑らかにダガーを取り出すと首をかしげる。包丁と同じ程度のサイズの剣で、護身用や、サブウェポンとしての要素が強いダガー。ニムエが首を傾げたのは、おそらくリットがダガーを使うところを見ていないからだ。先ほどは投げナイフとショートソードだけで戦っていた。
「そう。よかったら、私もダガーの使い方を教えてあげたいんだけど……ルイド、どうかな?」
「まあ少しならいいぞ。一応俺にも教育方針があるんでな」
「そう、ありがと。まず持ち方なんだけどね……」
丁寧にニムエにダガーの持ち方を教えるリット。ニムエも嫌がるそぶりもなく、それを受け入れている。そんな平和な時間を過ごしていると、やがて城塞都市の城壁が近づいてきた。
「おい、リット。そろそろつくぞ」
「え、あ、本当だ。ごめん、途中から私、全然警戒してなかった……」
「大丈夫だ、《群狼》や《堕妖》程度ならどうとでもなるからな」
門番の人間に挨拶をして、プレートを見せて中に入る。《堕妖》と《群狼》を多少仕留めたことを伝えると、感謝された。この時代の人間にとっては、わりと強敵なのかもな。
「この後はどうする、リット。どっかで明日の予定を詰めるべきだろう」
「そうだね……私が見た《強欲猿》たちの様子も伝えたいし、お昼を食べながらでも話すか」
「じゃあ、あそこだな」
「むむ……」
ニムエが唸る。ニムエはリルとは喧嘩仲間のような仲なので、あまり木漏れ日亭には行きたがらない。それでも文句を言わないのは、きっとおなかと相談しているのだろう。気持ちはわかるぞ、あそこの飯はうまいからな。
「木漏れ日亭に行こう」
「こっ、木漏れ日亭!? あの高級料理店か!?」
「おっ、あの店も有名なんだな」
「超人気店だぞ、あそこ……数年前は経営不振だったんだが、値段を上げてから営業も安定してきている。もちろん昔のように安くしてほしいというものもいるが、手間暇と材料を考えればあの値段で納得だ」
「経営不振?」
「ああ、昔はすごい安かったんだ。味は今と負けず劣らず。ただ材料に魔獣を使ってるのに、料理の値段が安すぎてな……」
「そういうことか……」
魔獣素材は高い。取ってくるのに命のリスクがあるのだから当然だ。しかも狩りの依頼は開拓者ギルドに出すのだから、中間マージンを取られる。なのに料理を安い値段で出したら、経営が傾くのも無理はない。
「一時期は借金まみれで……潰れる一歩手前だったんだ。よく盛り返したもんだよ」
「高くても食いたくなるからな、あそこの料理は」
俺はまだ《岩猪》の煮込みしか食べてないが。
「ま、たまには贅沢も悪くないか。明日のためにも精を養わないと」
「ああ、そうだな。俺はわりとよくあそこで食ってるけど」
「金持ちだな……」
「良いものに正当な金を払っているだけだ」
「それを金持ちって言うんだよ」
言ってもリットも4等級の開拓者だ。銀貨数枚くらいの余裕はあるだろう。
俺たちは三人で、木漏れ日亭に向かうのだった。