動き始める城塞都市6
翌朝、まだ眠そうなニムエを連れて、俺は開拓者ギルドにやってきていた。昨日会った開拓者、リットとの集合場所がここだからだ。
しかしまぁ、朝だというのに凄まじい熱気である。怒声は飛ばないものの、あちこちでパーティ募集や依頼の取り合いが発生している。開拓者と一言で言ってもさまざまで、立派な装備を整えたベテランらしい奴、着の身着のままで武器だけ持ってる奴、そもそも服すらぼろきれの奴……。そんな人間たちが、その日の仕事を取り合い、割りのいい仕事はあっという間に持っていかれてもう残っていない。俺も朝はのんびりしてきたので、今ここにいるのは生活に余裕がある奴らか、朝早くに来て割りのいい仕事を取るということすら思い浮かばない奴らだ。
「待たせたかな、ルイド」
「いや、今来たところだ」
声をかけられたので振り返ると、そこにはリットが立っていた。ざわめきが響くギルド内で不思議とリットの声はよく通る。俺の耳が少し違うざわめき方を捉えたので耳を澄ませると、
……あれ、『周明の剣』のリットか?
話しかけられてるのは誰だ? 誰か知ってるか?
いや、知らねぇ。ちっちぇえな……。
え、男のそばにいる女の子奴隷じゃない!? 可愛らしくて気づかなかったわ……。身なりもいいし。
本当だ……美人に育つだろうな。
男は儚い顔してんな。弱そうだ。
わかる……。ていうかまだ子供じゃない?
そんな彼らの呟きが俺の耳に入ってくる。本来なら聞こえない程度の声量と距離だったが、俺の耳はあいにく人間より聴力が高い。ちっちゃいって言ったやつ、顔覚えたからな。
冒険者時代から相も変わらず、こういうやつらは噂好きだ。しかし俺の顔が知られていないということは、あの二人組に襲われたことはさほど噂にはなっていないようだな。クリエも自分の失態なので、大事にはしたくなかったのだろう。
……もみ消したなたぶん。
「すまないね、ルイド」
「別にいい。ところで、『周明の剣』というのは……?」
「ああ、私たちのパーティ名だ。パーティ等級は3等級までいく。それなりに名前も知られているんだ」
「パーティ等級……」
一人ごとの等級と、チームでの等級は違うということか。俺たちはパーティ登録していないので、個々人の登録になっているが……ニムエが7等級、俺が3等級とずいぶん差が開いている。これで登録したら、何等級になるのだろうか。
「まあそんな話はいい。ここにいると注目を集めるばかりだからな、移動しよう」
「そうだな」
俺たちは三人で移動を開始した。今日はティエリは留守番である。『水』の陣の書き取り練習を命じておいた。泣きそうになりながらやっていたが、今のところ彼女は完全な足手まといなので少しでも役に立ってもらわないと。ニムエも頑張って練習しているが、なにせ最近は戦闘訓練に主眼を置いていたのでもう忘れているかもしれない。子供は成長は早いが忘れるのもまた早いのだ。
「じゃあ、ちょっとここで待っててくれ。《群狼》を探してくる」
「おう」
特に何事もなく外に出た俺たちは、さっそく別れて行動を開始する。偵察が得意なリットが獲物を探し、その間俺とニムエは待機だ。道すがら買ったパンでニムエを餌付けしながら、俺はリットが帰ってくるのを待つ。魔術で探してもいいのだが、まあここはリットの役割だろう。そのまましばらく待っていると、リットが静かに帰ってきた。
「《群狼》ではなく《堕妖》を先に見つけてしまった。そちらでもいいか?」
「何匹?」
「5匹だ」
「まあそれでいいか」
《堕妖》とは、小柄な人型の魔獣だ。雑食性でなんでも食べるが、なにより特筆すべきはその生態系である。嘘か真か、《堕妖》はもともと《妖精族》だったと言われている。童話では、いたずらばかりしていた《妖精族》に神が怒り、天罰を与えてみじめな《堕妖》に変えてしまったという話があるが、まあこれは人間の一方的な寓話だと思われる。いたずら程度で神が怒るわけない。
400年前は、何らかの要因で《妖精族》の体内魔力が変質・暴走した結果生まれた種族が《堕妖》ではないかと言われていた。
根拠は、似た例があるからだ。魔族や呪護族、あとは魔竜に魔人などなど。魔族も体内魔力が暴走した結果生まれた新人類種族という説が一般的であったし、それを意図的に行ったのが呪護族だ。彼らの思考のぶっ飛び具合は尋常ではないので例としては不適切かもしれないが、呪護族は元人類であり、変質後に種族として確立された。
これが単体での誕生で、種族として定着しなかった場合が、魔竜や魔人などの怪物たちである。生態系の中に組み込まれている魔獣たちとは違い、突発的に生まれる《災害的怪物》たち。
《災害的怪物》たちは、もうほんとうに、二度と相手をしたくないほど厄介なので、俺はもう絶対に戦いたくない。
「あそこだ」
そんなことを考えながら歩いていると、ようやく目的の魔獣、《堕妖》の群れに遭遇した。あちらはまだ気づいておらず、のんびりと木の実を拾っている。サイズは一様に俺の太ももくらいまでの身長で、ニムエよりちょっと低いくらいか。頭の左右についている歪な草みたいなのが耳で、《堕妖》の討伐証明部位になる。緑色の肌に、黄褐色の濁った瞳。体に申し訳程度に生えた毛が、見る者に不快感を与える。
「ゲギャギャ!」
「ギャ!?」
「ギャリ! ゲゲゲ!」
相変わらず耳障りな鳴き声である。どうやら拾った木の実のサイズを競い合ってるらしいが、ほんとしょうもない。バカだ。
《堕妖》は雑食性なので、積極的に人を襲ったりはしない――のかと言われれば、それは違う。
やつらは女を浚うのだ。
それはもう、本当にひどい。俺は《堕妖》が一番この世で不思議な生き物だと思っている。なにせやつらは、人型のメスならどんな種族が相手でも妊娠させる。しかも生まれてくるのはなぜか《堕妖》ばかり。ハーフなんぞ生まれない、まあ母体による個体差は多少はあるようだが、それも誤差の範囲内。
しかもこいつら、厄介なことに男だけで襲い掛かるとわき目も振らずに逃げる。いや本当勘弁してほしい。魔術があった時代は、逃げるやつらには魔術を撃つだけでよかったが、今はそうもいかないだろう。
襲い掛かった人間に女がいると、目がくらんで反撃して女を浚おうとしてくる。どうあがいても実力差的に勝てないとわかっていても、女がいると襲い掛かってくる。ほんとバカだ。
「下品な声だ」
だから、《堕妖》を見るリットの視線の温度が凄まじく冷たいのもしかたがない。女の敵であり、見つけ次第討伐が推奨されているが、異様なほど繁殖力が強いので根絶できていないのだろう。400年前には『バカすぎて飼うと意外と可愛い』という猛者もいたが、女性に袋叩きにされていた。まあ仕方がないことだ。
「まずは私が行こう」
「頼む」
俺が突進するとリットの存在に気づかずに逃走する可能性があるので、まずはリットが姿を見せた。気付く様子がないのでリットが手を打ち鳴らすと、木の実の大きさで殴り合いまで始めていた《堕妖》たちがそろって振り返る。そして、一様に目をぎらつかせて飛びかかってきた。
「交代だ」
「はいよ」
俺は腰から剣を引き抜いてリットの前に立つと、まずは一番先頭を飛んでいた一匹目を切り捨てた。残りの四匹のうち二匹は、同時に飛びかかったせいでお互いにぶつかって地面に落ちた。いや、ほんとおバカな魔獣である。
飛びかかってきた二匹目の足を掴み、三匹目の飛びかかりをかわす。そしてリットに向かっていた三匹目を、握った二匹目の体をフルスイングして吹き飛ばした。
「ゲギャ!?」
「おー、よく飛んだな」
まだ地面でもたもたしている二匹のうち一匹に、左手のかつて《堕妖》だったものを叩き付け、ようやく立ち上がった最後の一匹を袈裟懸けに切る。なんというか、害虫駆除みたいな感覚である。《堕妖》は小柄な体型にふさわしく、人間のこどもくらいの力しかない貧弱な魔獣だが、それでも何匹もパワー全開で飛びかかられるとかなり面倒くさい。
「一応、戦って見せたが……」
「……すまないが、やっぱり《群狼》とも戦ってくれるか。すぐ探してくる」
「わかった」
まあそうなるよな……。
《堕妖》も決して油断していい相手ではないが、ある程度腕の立つ人間ならば負ける要素はない。俺のかつての友人なら、もっと早く切り捨てていただろう。ちなみに全盛期の俺なら、この辺を更地にするか大魔術で丸ごと吹っ飛ばしている。一匹ずつ相手にするの面倒くさいから。
「んじゃあ、とりあえず移動するか……ここにいると、《群狼》が寄ってくる……」
「もうむしろここで待ち伏せでいいかもしれないな」
地面には大量の血液がばらまかれ、むせかえるような鉄の匂いを放っている。《群狼》は《堕妖》も食べるので、おびき寄せるのには十分だろう。問題は若干以上に匂いがきついことだが。
ニムエと一緒に《堕妖》の耳をはぎ取りながらしばらく待っていると、周囲を巡回していたリットが戻ってくる。
「来てるぞ、3匹だ」
「少なめだな」
「慌てて来たんだろう」
リットが指を指す方向に目をむけると、そこにはこちらに駆け足で近づいてくる《群狼》の姿があった。さすがにこちらに気づいたようで、足を止めて警戒態勢をとる。そんな《群狼》に俺は無造作に近づくと、剣を振るう。
「っ!?」
速さは力である。警戒対象が見えなくなった時点で避けていれば助かったかもしれないが、そんな一瞬の判断力を獣に求めるのは酷だろう。背中から剣を突き立てられた《群狼》は絶命し、ようやく俺に攻撃されたことに気づいた残りの二頭が、邪魔者を排除するべく襲い掛かる。下から這うように迫ってきた一匹には強化された蹴りをくれてやり、タイミングをずらして飛びかかってきた一匹の噛みつきを、体を横に傾けることでかわした。
「身体、強化……?」
「まあな。ニムエ、その一匹任せるぞ」
「わか、った!」
腰からダガーを引き抜くとニムエが走る。最初はやらせるつもりはなかったが、《群狼》一匹だけならばなんとでもなるという判断をした。まだまだ群れと相対させるには粗削りだが、《群狼》一匹だけなら怪我もしないだろう。
「はっ!」
ニムエを視界に収めた《群狼》が地面を蹴って駆ける。だが、特訓した末に『回避』を覚えたニムエは、噛みつかれそうになった右足を引いて噛みつきをかわした。
ちょっとヒヤッとしたぞ。
そのまますれ違って《群狼》と位置が入れ替わったニムエは、引いた右足を掲げながら回して《群狼》に向けて振り下ろした。
踵落としだ。
半ヴァンパイアとしての膂力がいかんなく発揮され、首元に吸い込まれた一撃は、たやすく首の骨をへし折った。
「あの子も身体強化を……?」
「ああ。教えてないんだがな、勝手に使えるようになった」
「う、うらやましい……」
リットの反応を見る限り、身体強化は高等技術のようで、できる人間とできない人間がいるようだ。うーむ、全身に魔力を回して動きをサポートするだけ、なんだが――魔術の衰退で魔力を感じ取れなくなっているのだろうか。
「リットは身体強化できないのか?」
「できないわね。あればっかりは才能って言われてるし、何回聞いても、『こう、腹の中にある熱いやつをブワーッてやるんだよ!』としか言われないし」
「なるほどねぇ」
魔力という存在すら認識されていない、と。本当に400年の間になにがあったんだ。




