動き始める城塞都市3
「あー……」
飲み過ぎた。結局寝てしまったニムエを除いて、ばか騒ぎは夜遅くまで続いた。木漏れ日亭の昨日の売り上げは歴代一位まで行くだろう。なにせ全部で金貨12枚にもなったのだから。ニムエは完全に熟睡してしまったので、リルに預けておいた。
「ゲルキオさんも置いてきちゃったし……」
最後のほうになると、ゲルキオさんも完全に酔っぱらって『明日は休みます! こんな人生、休まないとやってられませんよ!』ってぶちぎれてた。まあ気持ちはわかる。
「さて、と……」
暗がりの路地から走り寄る影。それは緊張からなのか、力強く両手にあるものを握りしめると、俺に勢いよく突っ込んでくる。まったく、素人である。そんな全速力で突っ込んだらなにかありますと言っているようなものだ。
月明りに輝く銀色。それはダガーだ。薄汚れた外套に身を包んだ小柄なそいつは、おそらくスラム街の住人だろう。ドンッ、と勢いよく俺にぶつかったそいつは、両手でダガーを俺の体に突き刺した。
「ぐあああああああっ!」
「あ……」
「お前……! くそっ、死にたくねぇ! 死にたくねぇよ!!」
「ごめ、ごめんなさ、い……! でも、こうするしか……!」
俺の脇腹に突き刺さったダガーは、内臓まで到達していた。
「ちくしょう……狙いはこの金貨なんだろう? けどよぉ、死ぬ前に……俺を刺せ、って言ったやつの名前だけおしえてくれねぇか?」
「え、え……?」
俺が金貨を数枚取り出すと、その輝きにそいつが息をのむ。まだ子供だ、金貨なんて見たこともないのだろう。
「頼む、俺はもう助からない……俺を殺したやつの名前を知りたいんだ……教えてくれたらこの金貨はくれてやるから……」
今から死ぬ奴がくれてやるもなにもないのだが、動揺しているそいつはポロッと漏らした。罪悪感に耐えかねたようにそいつが叫ぶ。人を殺すのになれているやつなんてそうそういない。子供ならなおさらだ。
「わ、私は、ザッハテルに、め、命令されて、仕方なく……!」
「はいお疲れさん。ザッハテルねぇ、聞き覚えはないけどなぁ」
ダガーを抜いて普通に立ち上がった俺を見て、刺した張本人が絶句する。確かにダガーを突き入れる感触はあったはずだし、ダガーには血もついている。そりゃそうだ、刺さってたし。月明りと街灯の下ではよくわからないだろうが、俺の服と脇腹には穴が――あ、脇腹の穴はふさがったわ。いやー相変わらずヴァンパイアの復元能力はやばいな。しかも時間帯が深夜だから、能力も強化されている。日光は大丈夫とはいえ、俺もさすがに日中は能力値が下がるのだ。筋力も魔力も復元速度も4割減って感じである。
あくまで、ヴァンパイアは夜の種族なのだ。
「な、なんで……!?」
「まあ、理由はともかく俺は死ななかった。よかったな、これで殺人罪にはならないぞ。傷害未遂と殺害未遂と器物破損くらいには引っかかると思うが。ああ、あと強盗未遂、か?」
「あ、ああ、あああああ……」
「さて、君に三つの選択肢をあげよう」
俺は屈みこみ、そいつの眼を見つめる。俺の姿がくすんだブルーの瞳に映った。その両目は間違いなく俺に対して怯えを含んでいて、俺という存在に恐怖しているのがわかる。
「ひとつめは、ここであったことをなかったことにする。ただし、これを選んだ場合は俺は君を殺す」
右手で握ったダガーを閃かせ、首元にあてがう。
「ふたつめ、俺をザッハテルのもとに連れていく。お礼として、君の面倒は当分俺がみてあげよう。ただし、これをした場合はザッハテルは死ぬ」
ごくり、と唾を飲み込む音が聞こえる。
「みっつめ。今ここで人間をやめて、人形となって生きる――」
ああ、それも悪くない。今度は俺の喉が鳴る番だった。目の前の子供は、悪くない匂いだった。栄養状態は良くなさそうだが、俺を殺そうとした時点で条件はクリアだ。デザートとしていただくのも、選択肢としてはありだ。あくまで、俺としてはだが。
「ふ、二つ目で、お願いします……」
泣きそうになりながら、少女はそう告げる。俺はその選択に満面の笑みで応えた。
――その夜、一人の男が干からびて死に、一人の少女が男に忠誠を誓った。
† † † †
「だいたいさぁ、勘違いしてるんだよ」
「は、はぁ」
俺は昨日手に入れたスラムの少女に対して愚痴を言っていた。結局俺の大盤振る舞いを見た不届き者が、あわよくば金目のものを奪おうと、スラムに住む少女をけしかけたというのが事件の真相だった。最終的にそいつは俺に血を吸い尽くされて死んだ。いや、正直美味しくなかった。吸えばの話だが、目の前の少女のほうがうまいだろう。
「吸血鬼って名前もよくないよな」
「そうで、しょうか」
「そうそう」
彼女が俺に凄まじく怯えるので、彼女から吸血鬼のイメージを聞き出してみたのだ。
――いわく、夜の貴族。
――膨大な魔力と再生能力を持つ魔人。
――処女の生き血を好み、人間を吸血鬼に変えてしまう。
だいたい合っているのだが、細部が違う。もっとも、生きてヴァンパイアと話したことのある人間なんてそうそういないだろうから、仕方ないのだが。
「まず、俺たちはあんまり血は吸わない。美味しいけど、別に吸わなくても生きていけるから」
「そ、そうなんですか!?」
血を吸うと一時的に能力が強化されるけど。
「あと、血を吸って人間を吸血鬼にできるのは真祖だけ。今何人だったかな……4人だったっけ? 全員あと300年は起きないよ、たぶん。ちなみに最初は10人いたらしい」
死んだ6人はどいつもこいつも人間に喧嘩を売って滅ぼされている。俺も人間時代に一人殺した記憶がある。ざまあみろ。
「まあ飲むなら女の子の血のほうがおいしいけどね」
「ひぃっ」
「いや飲まないから」
吸血鬼が恐れられる理由は、かつての真祖たちと、その手下になってしまった元人間たちが暴れまわったからだ。対吸血鬼用組織なんてものがあった時代もあったのだ。教会は吸血鬼狩りに熱心ではなかった。理由は『外見が人と同じ以上、人間同士が疑心暗鬼に陥るのは間違いない。それは避けたい』という身も蓋もない実利的な理由だったが。
あと、あの時代には魔族だの悪魔族だの魔獣種だの災厄竜だの、明確な敵が存在していたことも大きい。魔族、今何してるんだろうな。
話がそれた。
「ルイド様、は、これからどうされるんですか?」
「ティエリこそ、どうするつもりなの? 俺は正体がバレさえしなければ余裕で生きていけるけど、ティエリはそうでもないでしょ」
「う……」
ティエリ。それがこの少女の名前だった。成り行きとはいえ俺の復元能力、吸血の瞬間を見てしまったので、俺は手元に置く以外の選択肢がない。ニムエは優秀だが、いかんせんまだ子供である。いや、目の前のティエリだって子供なのだが、ティエリは見た目的にはもうすぐで成人だろう。
「ティエリは今何歳?」
「た、たぶん13歳くらいだと……」
なるほどねぇ。じゃあ5歳はニムエより年上なのか。判断力もあるし、人を刺すことに対する罪悪感も持っているし、いろいろと世の中のことを教えてもらおう。罪悪感は利用させてもらうけど。
「ティエリ。俺は君を手放すつもりはない」
「……はい。僕も、離れるつもりはないです。この罪は、絶対に償います……!」
真面目だなぁ。俺なら『いや私が刺したのは吸血鬼であって人ではないので!』とか言って逃げるけど。
「ああ、言うまでもないけど、俺が吸血鬼であることをばらしたら、逃げる前に君を殺していくから」
「……はい、わかっています」
「でも仕事をやって、自分の食い扶持くらいは自分で稼いでもらいたい」
「……はい」
「というわけで、君はニムエの家庭教師をやってもらいます」
「……は?」
ザッハテルとかいう男をしばき倒していたら朝になったので、ニムエを木漏れ日亭に迎えに行ったのだ。ニムエもおよそ人とは言い難い感じなので、あまり手元から離すのはよろしくない。そう思って迎えに行った際に、ニムエの紹介は済ませてある。もちろんバーサーカーモードのこととか、復元魔術のこととか、全部は言っていないが。
「ルイド様は――」
「あ、そうだ、その様付けいらないからやめて」
「ルイド、さん?」
「それでいいよ」
「ルイドさんは、ずいぶんあの奴隷に入れ込んでいるんですね?」
その口調からは、ニムエに対する嘲りと、若干の嫉妬を感じられた。うんうん、自分より下の立場であるはずの奴隷が大切にされて、しかも当の本人は良い服を着て幸せそうに眠ってるなんて納得いかないよね。だがやれ。
「可愛いだろ?」
「……そうですね」
くすんだブルーの瞳を細くして、ティエリはニムエを見つめた。ザッハテルはもう少し育ったら奴隷商にティエリを売り飛ばす予定だったようで、それもあってかティエリも容姿はそこそこ整っている。だがニムエにはかなわない。無邪気に眠り、寝顔を晒すニムエは奴隷であることが信じられないほど、服装も容姿も整っている。
「ルイドさんは、そういう趣味なんですか?」
「安心しろ。ヴァンパイアに生殖機能はない。ゆえに性欲とかもない」
「うわ……そりゃそうですよね……」
露骨な表現を使ったからか、ティエリが体を引いた。しかし、服とか肉とかであっさり釣れたニムエと違って、思春期の女の子の心は複雑だ。知恵もある。些細な反抗心から俺の正体をばらされると、死にはしないだろうが面倒くさい。
「安心してください、ルイドさん」
「うん?」
「わかってはいるんです。ルイドさんが優しいことは。だって、私を殺したほうが簡単ですもんね?」
諦めたような笑みを浮かべるティエリ。
「まあそうだな。ティエリを口封じしたほうが、俺としては楽だ」
「でも、一回殺そうとした私を許してくれて、生きる方法を探してくれているんです。しかも、あのクソみたいなザッハテルから救い出してくれました」
「物は考えようだな」
「お人よしです。ルイドさんは、お人よし吸血鬼です」
それはどうだろう、と思いつつ、ニムエのためにいろいろ手を尽くしたりしているあたり、お人よしなのかもしれない。でもニムエに対しては俺も負い目があるからな。
「尽くします。昨日も言いましたが、ルイドさんに忠誠を誓います。だから、」
――捨てないでください。
俺はティエリのような目をしているやつに何度も会ったことがある。親に捨てられ、信じていた者に裏切られ、それでも救いを求める目だ。まさか、9回目の人生でもその目に会うとは思わなかった。
彼らは強いのだ。裏切られても、信じるその思いの強さ。これで彼女に裏切られたら、俺に見る目がなかったか、もしくは彼女に愛想を尽かされたときだけだ。
「よぉし、ティエリの覚悟はわかった。俺の従者兼ニムエの教育係として徹底的にしごく。きついぞ?」
「望むところ、です。よろしくお願いします!」
こうして、俺に仲間がもう一人増えた。




