動き始める城塞都市2
「あ……」
部屋から出て階段を降りると、受付で哀しそうにしょんぼりするおっさんが目に入った。ゲ……ゲル……
「ゲルキオさん」
「……ああ、君か。この前はすまなかったね」
「い、いえ……」
正直、申し訳ない。いや事の発端がゲルキオさんのミスであることは間違いないのだが、でもそれだって減俸されるほどのミスじゃない。開拓者ギルドがどうなのかは知らんが、冒険者ギルドであったときは、戦ったら死にそうな若者の登録を蹴るのだって受付の役割だったのだ。いや俺は全然大丈夫だけど、さすがに少年と少女の奴隷の組み合わせは疑うだろう。俺なら疑う。
「実は私は昼食がまだでね。どうだろう、お詫びの意味も込めて、何か奢らせてもらえないだろうか」
「い……いや……むしろ俺に奢らせてください……」
「ははは、年下は年長者の厚意には甘えるものだよ」
金貨30枚持ってるなんて言えない。
「そうだ! 俺おすすめの店を知ってるんですよ。そこを紹介するんで、奢りますよ! 臨時収入もありましたし!」
「そ、そうかい? じゃあお言葉に甘えて……」
「どうします? また夕方に来たほうがいいですか?」
「いや、私の勤務の時間はもう終わりだからね。そろそろ他の職員が来るはずだ」
ゲルキオさんの勤務時間は、どうやら昼間だけらしい。そんな会話をしていると、奥からひょっこりと女性の職員が顔を出した。ゲルキオさんが退勤する旨を伝えると、彼女はいいからさっさと行けと言わんばかりに手を振った。かなり邪険な扱いをされている。
「はは、じゃあ行こうか、ルイドくん」
「ゲルキオさん……」
太っているわけではないのだが、薄くなってきた髪の毛が彼に哀愁を漂わせる。そして女性職員に邪険に扱われたにも関わらず、まるでいつものことのように振る舞うその姿に同情を禁じ得ない。思わず零れ落ちそうになる涙をこらえ、俺はゲルキオさんとニムエと共に開拓者ギルドを出た。
「ゲルキオさんはどうして開拓者ギルドの職員になったんですか?」
「うーん……知人の紹介でね……『できる限りなにもしなくてもいい仕事はないか?』と聞いたら紹介されたんだ」
「ゲルキオさん欲望に忠実ですね……」
「というかね、私は何かをしようとすればするほど裏目に出るタイプでね。妻との結婚記念日にサプライズで早引きしたら……」
「したら……?」
「私の上司と不倫していた」
「うわぁ……」
絶句する。ニムエのゲルキオさんへの視線も心なしか優しくなった。
「ほかにも、気まぐれに入った飯屋がぼったくりだったり、友人に送った贈り物が危険薬物混入で徴収されたり、散歩に行ったら偶然近くを通りがかった貴族様に殺されそうになったり、親身になってくれた男が詐欺師だったり――」
「う、うわぁ……」
今回も良かれと思って忠告したら、それが裏目に出たのか。不幸の星のもとに生まれたとしか思えない。
「それだけじゃない。孤児の子どもにお金を恵んだら集団で襲われたり、道案内をしてあげた若者が凶悪な犯罪者だったり、親戚の子にお使いを頼んだら奴隷商にさらわれてしまったり――」
壮絶な人生である。涙が出てきた。
「ゲ、ゲルキオさん……大変なんですね……」
「大変だよ。でもこんな不幸を背負うのは私だけでいい。君も私に同情的なのはわかるが、結局私は不幸に負けて自分から動くのをやめてしまった人間だ。あまり関わると裏目に出るぞ?」
悲しそうに、寂しそうに、それでも茶目っ気たっぷりにゲルキオさんが忠告する。確かにゲルキオさんと関わるとろくなことがないようだ。並みの人間なら、だが。
「いいですよゲルキオさん。なんていったって、俺は《飛竜》を倒せる男ですからね! 不幸なんてどんとこいです! 飲みましょう!」
「ルイドくん……しかしだね……」
「大丈夫です! お代は全部俺が払いますから!」
「いや、そうじゃなくて君は未成年じゃ」
「ええ!? 身長が低くて童顔だからって俺は16越えてますよ!」
本当はこの人生はまだ12年目なのだが、わかるわけがない。大体古城で酒のたぐいは散々飲んだのだ。楽勝である。
「そ、そうなのか。それはすまないな」
「ルイド様、ニムエ、も」
「いやニムエはだめだよ」
「ニムエちゃんはだめでしょう」
寂しかったのか会話に割り込んできたニムエだったが、俺とゲルキオさんから否定されてむくれる。いやさすがに8歳の幼女に酒飲ませる気はないよ。だからニムエはなし。
「お、つきましたよゲルキオさん」
「ここは……木漏れ日亭か。料理がうまいと評判の店だ」
「入ったことありましたか?」
「いや、私にとっては料金が少し高くてな。入るのは初めてだが……本当に奢ってもらっていいのかい?」
「もちろんもちろん!」
俺はゲルキオさんを非常に気に入った。銀貨数枚程度全然かまわないのだ。今の俺は相当お金持ちだし。
「リルー! いつものやつ三つとエール二つ! あと果汁水一つ!」
「ちゃんと注文してくださーい! わかりましたー!」
ちょうどお昼時が終わった時間帯なので、店の中は空いていた。中には数人の客が食後の余韻を楽しんでいる程度で、俺たち三人が座るのには問題ない。すぐに三人の前にエールを二つと《岩猪》の煮込みを3皿持って、リルが現れた。ニムエがリルを睨む。
「お待たせしましたー! あれ、ルイドくんそちらのお客様は?」
「ああ、ゲルキオさんだ。開拓者ギルドの人で」
「初めまして、お嬢さん。ゲルキオと言います。木漏れ日亭には一度訪れたいと思っていたのですが、なかなか機会がなくて……楽しみにしております」
腰低っ。
「これはどうもご丁寧に。私は看板娘のリルと言います」
「自分で言うか」
「事実よ」
「お前は謙虚さをどこに置いてきた?」
「持ってたんだけどね、私が可愛すぎるから必要ないって判断したみたい」
「誰が?」
「謙虚さんが」
軽口を交わしながらリルは手早く皿をテーブルの上に置いていく。若干敵意のこもった視線を投げていたニムエも、目の前に肉が出てくると即座にそれに興味を奪われたようだ。それを見たリルが、ニムエを鼻で笑う。
火花が散った。
勝手にやっててくれ。
「さあ、どうぞゲルキオさん。ここは看板娘の性格は捻くれてますが、料理は絶品ですよ」
「あ、ああ……」
リルとニムエがにらみ合う横で、俺とゲルキオさんは少し遅い昼ご飯を食べ始める。相変わらず《岩猪》の煮込みは絶品で、食べれば食べるほどおいしく感じる。噛み応えがある部位は噛めば噛むほど味が出てくるし、じっくりと煮込まれた部位は舌の上でほろほろと崩れ落ちる。それを煮込み汁と一緒に飲むのが最高だ。温かい料理で口の中があったまったところで、俺はエールに手を――
「……おい、リル。返せ」
早くしてくれ、このままだと最高の瞬間が訪れない。ちょっと濃い味付けの煮込み料理を、さっぱりとしたエールで流し込むんだよ返せ。
「だめよ、あんた未成年でしょ? 飲ませられないわ」
「人を見た目で判断するな、これでも俺は17だ」
嘘だ。
「嘘!?」
嘘だが、
「本当だ」
実際人生全部合わせたら410歳になるはずなので飲酒に何の問題もない。だからさっさとエールを返せ。
「そんなちっちゃいのに!? だって身長、150メクイトくらいしかないじゃない!? てっきり14歳くらいかと……!」
「やかましい、とっととエールを返せ」
呆然としているリルからエールをひったくって、ジョッキを傾ける。ぬるいエールが喉を通り抜けていく感覚に驚くが、エールはエールだ。久々の酒精の摂取に気分が高揚する。
はて、400年前であればどこのエールも魔術で冷やされていたものだが、この時代ではそんなことはできないのだろう。冷えたエールをのめないのは残念だが、ここは我慢するとしよう。
再び《岩猪》の煮込みを口に運んで、味わい、エールで流し込む。
「……ルイドくん」
「ん? なんです、ゲルキオさん」
真剣な表情でこちらを見つめるゲルキオさんに視線を合わせる。その目から真摯な感謝の感情が感じられ、俺は気分よくエールを傾けた。
「この店に連れてきてくれて感謝する。これは、最高だ」
「でしょう!? 絶対エールと合うと思ったんですよ!」
俺は勢いづいて食を進める。その様子を見てゲルキオさんも余計な言葉よりも、今はただ目の前の食事に集中すべきだと気づいたらしく、一心不乱に食べ始める。食べて、飲んで、飲んではまた食べる。ひたすらにそんな食べ方をしていたら、やがて料理がなくなるのは道理。奇しくも《岩猪》の煮込みがなくなった二人のタイミングは同じ。ここで止まれるだろうか。否――ゲルキオさんの瞳もそう告げていた。
「「《岩猪》の煮込み、2つ追加で!」」
「17歳というか40代の食べ方なんだけど……」
「……ずるい」
リルの呆れ声と、ニムエの嫉妬する声なんて、耳には入っていても脳は処理していなかった。酔っているわけではない。俺が分解できない量の酒精は、摂取された端から毒物としてヴァンパイアの体が復元していくからだ。数秒は酔えるが、即座に元に戻る。そしてまた飲む。酔いを気にせずに酒を楽しめる、ある意味酒飲みにとって理想の体を俺は持っていた。
正面のゲルキオさんはいい感じに酒精が回ってきたのか、顔を赤らめて体をゆすりながら告げる。
「これはいい出会いです! 間違いなく、いい出会いです! ルイドくん!」
「ええ、ええ、ゲルキオさん! 今日から俺たちは友達です! 飲み仲間です!」
ゲルキオさんと料理に舌鼓を打ち、エールを流し込んでいくうちに、記憶がよみがえってくる。
それは、とても懐かしい記憶。
『よーし、ディリル! どっちが大量に飲めるか競争だ!』
『はぁ!? ルイドなんかに負けるかよ!』
『おっ、飲み比べか!? よぉーしやれやれ! お前ら、《千魔》と《白剣》の飲み比べだぞ! 賭けろ賭けろぉ! 俺が許す!』
『あ、あの……一応賭博は、ですね……法律が……』
『こうなったらもう無駄よシェリル。好きなようにやらせときなさい。終わった後にしばけばいいのよ』
『しばくんですか!?』
『デロンデロンに酔っぱらったやつの腹に一発入れると面白いように吐くぞ。シェリルもやるか?』
『全力で遠慮します!』
『いや《術拳》の姉貴の拳なら、酔っぱらってなくても吐くでしょうよ!』
『そういや《術拳》の姉貴、《雷雲蝶》をワンパンしたって本当なのか?』
『《雷雲蝶》か。あいつは強敵だった――私とて、最強というわけではない』
『で、何発だったんだよ!?』
『一発だ』
『ぎゃははははは!』
ただのばか騒ぎだ。決して戻れない、懐かしい記憶。それに比べれば、今のなんと静かなことか。俺とゲルキオさんは騒いでいるが、それはあくまでも二人だけだ。
「ルイド、さま? 泣い、て……」
「――ありったけの料理とエールを出せ、リル! 今日、ここから先は――全部俺の奢りだ!」
一瞬唖然としたリルが、すぐに喜色満面になる。これがほかの店なら、こうはいかないだろうが、今まで何度も通ったかいがあるというものだ。
「お父さん! いい!?」
「払えるんだろうな、小僧!」
「もちろん!」
「ならよし! リル、こいつを運んだらウェイトレス全員呼び戻せ! 今日の給料は倍出すと伝えろ!」
「了解!」
「奢る条件は――騒げ! それだけだ!」
やがて、俺の言葉は静かに食事を楽しんでいた彼らに浸透し。そして、大歓声とともに受け入れられた。
真昼間から騒ぎ出した料理屋に注目が集まり、何かと思えばただ飯ただ酒。しかも、市民にとっては高級料理店である木漏れ日亭だ。当然のように、客足が途絶えることはなかった。
「取り戻せないもの、か……」
その喧噪に包まれ、ニムエにちょっかいを出してきた相手を撃退し、リルが痴漢を蹴り飛ばすのを見ながら、俺はゆっくりと一瞬しか酔えないエールを胃にねじ込む。
つぶれてしまったゲルキオさんは、大きないびきをかきながら眠っている。彼を見ながら、俺は薄いほほ笑みを浮かべた。運命や宿命に感づきながらも、それでもあがく人間だ。決して捨てないあきらめの悪さ。諦めかけていた彼に希望を与えるのは、果たして正しい行為なのだろうか?
答えはいつだって簡単だ。俺は、いつだって、どんな人生だってやりたいようにやるのだ――人間が好きだから。理由なんて、それだけでいい。
そんなことを考える俺を、ニムエが心配そうな瞳で見つめていた。