赤土の少女
少女は赤土の舞う道の真ん中で、空を見上げている。
ぷかりと浮かぶ雲に手を伸ばしてみるけれど、つかまえたのは乾いた風だけ。
照りつける太陽に中指を突き立て、口癖になった卑猥な言葉を吐きつける。
ひび割れ裂けた唇に、赤く濁った血が滲む。
おかしくないのが、おかしくて。
咳き込みながら笑い出す。
かつて見た夢は、わずかなパンのために売り払った。
かつて信じた愛は、雨を待ちながら枯れ果てた。
かつて笑いあった友は、芥子のプールで今日もおぼれているだろう。
タバコを覚えたのは、七歳の誕生日。
アルコールを知ったのは、十三歳になる少し前。
薬におぼれたのは、十六歳の夏の夜。
腐りかけたバナナシェイクのような甘みは穏やかに心を爛れさせ、神経を焼き切るような快楽は、死の向こうに広がる楽園を見せてくれた。
見るだけでは飽きたらず、楽園に足を踏み入れた仲間たちは、あたたかな夢の中で冷たくなった。
泣いた記憶はない。
運ばれていく仲間を見送りながら、ただ、うらやましいと思っていた。
※
荒涼とした赤土の大地に、定規で引いたような一本道。
かすかな音を耳にして、少女は足を止めて振り返る。
赤土を巻き上げながら近づいてくる小さな影。
車だ。
車線を外れてフラフラ揺れているのは、きっとアルコールのせい。
少女は道端に立ち、右腕を伸ばして親指を立てる。
お金は払えない。ポケットの中の紙切れは、シャワーを浴びるために必要だから。
そのかわり、身体なら自由にしてくれていい。赤土まみれの、汚れた身体で良いのなら。
車がとまる。赤ら顔の男が顔を出す。
「どこまで行くんだ」
「国境の向こうまで」
「本気か?」
「ええ」
「正気か?」
「あまり」
男は笑い、助手席の荷物を後ろへ放り投げる。
少女が乗り込むと、年老いたエンジンが苦しげな悲声をあげた。
カーステレオから流れる音楽は古くさく、男の息は酒くさい。車はタバコでヤニくさく、煙がひどく目にしみる。
「まさか、ずっと歩いてきたわけじゃないだろう」
「昨日までは車に乗せてもらっていたわ。でも、喧嘩をして降ろされたの。そこからはずっと歩きっぱなし」
「俺が通りかからなかったら、どうするつもりだったんだ」
「歩いたわ」
「どこまで?」
「歩けなくなるまで」
「それで?」
「それだけよ」
男は唾を窓の外へ吐き出し、黄色く濁った歯をみせる。
「お前さんは運がいい」
「そうかしら」
「そうとも」
「そうかもね」
少女はシートにもたれ、ひび割れた唇の皮をむく。
「タバコは吸うのか」
「ずっと前にやめたわ」
「酒は」
「去年からやめてるの」
「なら、コイツはどうだ。いいのがあるんだ」
「昨日やめたばかりよ」
「そりゃ、かわいそうに」
男は鼻を鳴らし、ポケットから取り出した錠剤をアルコールと一緒に流し込んだ。
車線を外れたり戻ったりしながら、車はフラフラと進んで行く。
「家族はどうしてる?」
「みんな寝てるわ。お墓の中で」
「友だちは?」
「何人かは塀の中。何人かは施設の中。何人かは夢の中に行ったきり」
「恋人は?」
「いたわ。でも、すぐにいなくなった。この辺りは雨が降らないから」
「暑さにやられて、すぐ枯れちまうからな」
「ええ」
男は空になったボトルを投げ捨てて、しけたタバコに火をつける。
少女はぷかりと浮かぶ煙を見つめ、雲みたいねと口元をおさえて笑った。
その夜、少女は男に抱かれた。
酒臭い唇がおしつけられ、無骨な手が胸をまさぐる。
少女は抵抗することなく身をまかせ、男の荒い息づかいを聞く。
開いたルーフから見える星空をぼんやりと眺めながら、月が出ていないことに感謝した。
この身体を。
赤土にまみれた身体を、見られずにすむから。
やがて男が眠りにつき、空がうっすらと白みはじめる頃、少女は静かに目を閉じた。
※
眠そうな目でハンドルを握る男の隣で、少女は調子外れの歌を機嫌良く口ずさんでいる。
定規で引いたような一本道の向こうに、ようやく町が見えてきたのだ。
「国境を越えたら、どうするんだ」
「シャワーを浴びるわ」
少女はすぐに答えた。それは、もうずっと前から決めていたことだった。
「それで?」
「それで、汚れを落とすの。この身体についた赤土を、ぜんぶ。ぜんぶ、洗い流すの。順番だって決めてあるんだから」
赤土を洗い流した自分の姿を思い浮かべて、少女はうっとりと喋り続ける。
「まずは右手の親指から。爪の中まで丁寧に洗うの。赤土の粒ひとつ残さないように、丁寧に。丁寧に。次に人差し指。それが終わったら中指、薬指、小指。順番に。指と指の間も忘れちゃ駄目よ。それから、手のひら。しわを一本一本延ばして洗うこと。それから、それから――」
イメージの中の少女は、いつしか幼い頃に見た天使の絵と重なっていく。
「背中は洗いにくいところだけど、大丈夫。ちゃんと考えがあるんだから」
穢れのない身体。純白の肌。
滑らかに流れる、柔らかな髪。
「最後は顔。この顔。こびりついた赤土をゴシゴシこするの。何度も。何度もよ。それでね。それで」
鮮やかな朱色に輝く頬。
艶やかに潤う唇。
濁りのない、透き通った瞳。
「私は綺麗になるの」
少女は天使のように笑う。
赤土にまみれた顔を歪ませて。
ぼろぼろになった歯をのぞかせて。
男は少女から目をそらし、吸いかけのタバコを口にくわえた。
アクセルを踏む足に力を入れる。
赤土が舞い上がり、視界が霞む。
少女はぷかりと浮かぶ煙草の煙に手を伸ばし、やっと雲をつかまえたと無邪気にはしゃぐ。
そしてまた、調子外れの歌を歌い始める。
了